世界最強の公爵様は娘が可愛くて仕方ない

猫乃真鶴

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王都編

3.妹が雇いたいと言ったので②

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 その日の夕食時、アルベルトはリリアンの様子に食事の手を止めた。

「リリアン、どうかしたのかい?」

 ぴくりとリリアンが肩を揺らす。いえ何も、という言葉はそれ以上続かなかった。ふう、と一息、観念したように、リリアンもアルベルトと同じく手を止める。

「お父様に誤魔化しは無用ですものね。……ええと、実は昼間に、少し気になることがあって」
「昼間というと、レイナードと行った孤児院か」
「ええ」

 そうか、とアルベルトは視線をリリアンから正面に向けると、

「よし、潰すか」

と言った。
 それにぱちくりと目を瞬かせるリリアン。

「待って下さいお父様、どうしてそうなるんです!?」
「どうしてって、リリアンを悩ませるだなんて言語道断だ。いっそ無くしてしまえば悩むこともないだろう」
「そんなこと、わたくし望んでいませんわ!」
「そうか? じゃあ、潰すのはやめよう」
「ええ、そうして下さいな」
「じゃあ教えてくれリリアン、今日孤児院で何があった?」

 リリアンは、昼間の出来事を語った。子供達が不便をしていること、管理している大人が不正をしていそうなこと。それと、子供に暴力を振るう者がいるようだということ。

「なるほどな」
「教えてくれたルルという子は、わたくしとほとんど同じくらいの年齢のようでした。それなのに、保護してくれるべき大人から見放されているなんて。……それにあの子達、ご飯もちゃんと食べているのかしら……」

 そう思うと食欲が湧かなくてと、リリアンは目の前の皿を見つめる。でも、リリアンが目の前のご馳走を食べなかったからと言って、孤児達が同じものを食べられるわけではない。少しずつだが手を動かして食べ進めるリリアンに、アルベルトも同じく食事を進める。

(リリアン、なんていじらしい……持てる者である私達には付いて回る問題だが、リリアンなりに考え、問題と向き合っている。簡単に解決できないからこそ悩んでいるんだろう)

「では、その孤児院とやらを調べてみるか」
「それは、お兄様が調べて下さるって言っていたわ」

 リリアンの言葉に視線を向けると、レイナードが頷いた。

「そうか。じゃあ、レイナードに任せよう。レイナード、後で少し話がある」
「分かりました。書斎で宜しいですか」
「そうだな、そうしよう」

 アルベルトは食後、書斎にコーヒーを運ぶようベンジャミンに告げる。それからはいつもの通りの食事風景が戻った。
 アルベルトに本当に孤児院を潰してしまおうだなんて考えはない。突拍子のないことを言って、リリアンの抱えたもやもやを晴らしたかったのだ。

(だがその年齢でそれを考え、悩むことができる。それは紛れもなく、リリアンが自分で手にした経験と価値観によるものだ。弱者だから手を差し伸べるのではなくて、助けを必要とした者を救おうと選択する。全てを救うことはできないから、選ぶ。それができるだけでも、この子は立場というものを理解している)

 立場にものを言わせれば、なんだってできるだろう。けれど、例えば孤児がみんな、お腹いっぱい食事を取れるように手配したとして、一生分を用意することはできない。できたとしても一時的な分だけで、数日分だって足りないかもしれない。それにそれをしたところで、孤児のためにはならない。家族みんなでお金を稼いで、それでやっと食べている家庭だってある。孤児にだけ施せばそういう生活をしている者から不満が出るだろう。無償で提供したところで、施した側が自己満足するだけだ。
 それがわかっているから、リリアンは悩んでいる。

(私に安易にお願いしないだけでわかる。無闇に権力を使うべきではないと、そう思っているんだろう)

 メインディッシュを食べ終え、デザートがサーブされる中、アルベルトは神に感謝していた。

(リリアンという天使を私の元へ遣わしてくれた神に感謝を捧げよう。居るならの話だが)

 これだけ思慮深く慈愛に溢れているのだから、リリアンは天使に違いないと、ここのところアルベルトは真剣にそう考えていた。もっとも、リリアンが生まれたばかりの頃から「なんだこの愛らしい存在は……天使か!?」と叫んでいたから、より確信を持つようになったと言った方が正しい。
 そこから、そういえば一歳になったリリアンはこうだったとか、三歳になったらああだったという思い出の脳内アルバム閲覧会が始まってしまったので、アルベルトは始終微笑んでいた。
 ベンジャミンとレイナードは、始まった、という呆れの表情でいたが、リリアンだけは「まあお父様、またですの?」ところころと笑う。

「本物がいるんだから、本物を見たらどうです、父上」

 レイナードの言葉でハッと我に返ったアルベルトは、「そうだ! 今この瞬間のリリアンを記憶しなくては!」と大真面目に言うものだから、リリアンはさらに笑みを深めた。



 食後、アルベルトとレイナードは言葉通り書斎にいた。コーヒーを一口含んで、香りを楽しむ。

「父上、話とはなんでしょう」
「お前もせっかちだな。本題に入るにしてもいきなりすぎる」
「僕は父上と違って、口が達者ではないので」
「愛想も無いものなぁ」
「そういうことです」

 ふう、と一息ついて、アルベルトはカップをソーサーに置いた。アルベルトの方も長話をするつもりはないが、娘だけでなく息子の方も当然大事な子供なのだから、コミュニケーションはきちんと取りたいと思っている。思ってはいるが、息子の方はもう成人していることだし、男の子ということもあってかなかなか相手にして貰えない。

「今日、陛下から伺ったことだ。どこぞの領地の孤児院で人身売買があったことがわかった、と」

 アルベルトの言葉に、レイナードは視線を上げる。

「……なるほど」
「王都の孤児院にも調べが入るそうだ。繋がりがあるかはわからんがな」
「その線も突いてみます」
「それがいい。……ところで、そんなに異常だったのか、その孤児院は」

 レイナードは「ええまあ」と返して、視線を手元のコーヒーに落とした。

「なにか裏があるのは確かです。でもそれにしては相当杜撰だった。だから多分、小悪党止まりだとは思いますが」
「が?」
「……先触れを出していて、リリアンが公爵令嬢だと分かっていたのに、馴れ馴れしかったというか」

 かちゃん、と食器が鳴って、レイナードはまた視線を上げた。そして「しまった」と思った。言葉の選び方を間違えた、とも。

「慣れ慣れしい? リリアンに?」

 父アルベルトはにっこりと笑みを浮かべている。右の口角がだけぐっと上がっていて——この顔はまずい。獲物を狩る時の表情だ。レイナードの後ろ、扉付近に控えているベンジャミンの「まったく、旦那様は……」という呟きが聞こえる。

「いやでもそれは、僕がそう感じただけで」
「お前がそう感じたのなら十分だろう。きっと間違っていないぞそれは」
「そういえば名乗りをしなかったかと」
「だからと言ってそんな態度を看過するわけにはいかないなあ」

 益々笑みを深めて、アルベルトは軽く言った。

「やっぱり潰すか」
「リリアンが、それは駄目だと言っていたでしょう!」

 慌ててレイナードは声を張るが、アルベルトは変わらずにこにこするだけだった。リリアンの言葉を言ってもだめだった。どうにかして父に気を変えて貰わなければ、とレイナードが内心焦っていると、背後からベンジャミンがのため息が聞こえた。

「坊ちゃん、落ち着いて下さい。旦那様はからかっているだけですよ」
「え?」

 ベンジャミンを振り返って、それからまたアルベルトへ。アルベルトはにこにことして、

「お前がすぐ本題に入るからだ。少しくらい世間話をさせてくれてもいいだろう」

そう言って、ふふんと満足げに足を組み直した。
 遊ばれたとわかって、レイナードは脱力する。

「本気にするな」
「父上はそういうところはわかりにくいので……」

 だいたいにしてアルベルトの行動基準はリリアンだ。リリアンが言ったことがアルベルトの行動の基礎となる。どれを実行するかはアルベルト次第、だがそれもリリアンの一言でひっくり返る。食事の時は本気ではなさそうだったが、アルベルトが不要だと判断すればそれまで。そうなれば、リリアンが本当にやめてくれと懇願しない限り実行する。

「そんな場所なら特別手を出すまでもない。まあ、リリアンを軽視したのは許せないが、解体したとしてもリリアンは喜ばないだろうからな」

 これである。
 この人はどうしてこうなったと、レイナードは頭を抱えた。

「旦那様は、坊ちゃんともお話しされたいんですよ。わかってあげて下さい」
「そういうものなのか、これは?」
「ええ。どう絡んでいいのかわからなくて、からかう方向にしたようです」
「なんだそれ……」

 レイナードが呆れた声を出したところで、アルベルトはベンジャミンをじろりと見る。

「ベンジャミン。そういうことは本人の前で言うものじゃない」
「おや、失礼致しました。ところでコーヒーのおかわりは?」
「……貰う」

 むう、とアルベルトは口を尖らせている。中年のおじさんのやることではないが、照れ隠しの一端でもあるのだろう。これからは少し、構ってやる必要があるかもしれないと、レイナードもコーヒーのおかわりを貰うことにした。これを飲み終わるまでは、付き合ってもいいだろう。
 この日以降、二人の間で「コーヒーを飲まないか」というのが「ちょっとお話ししない?」の意味を持つようになったのだった。毎回付き合わされるベンジャミンには迷惑かもしれないが、彼もなんだかんだとその様子を楽しんで見ているようだったから、レイナードは気にしないことにした。


◆◆◆


 翌日、レイナードはいつも通り王城の王太子マクスウェルの執務室にいた。レイナードは王太子の補佐として勤めており、なにか特別なことがない限りは毎日城にいる。朝の挨拶と共に要件を伝えてくるあたり、マクスウェルもなかなかの仕事人間である。まあ、王太子ともなれば激務なので、仕方のないことではあるが。
 マクスウェルは積み上げられた書類をばさばさと仕分け、そのうちの一塊をレイナードの手に乗せる。

「アズール公が憤慨していたぞ。昨日の議会でまたやり合ったそうじゃないか」
「そうなのか? それは聞いていないな」
「おいおい」

 それだから怒るんだぞ、とマクスウェルは溢すが、まあいい、と続けた。

「頭から湯気を出しそうな勢いでなぁ。叔父上も煽るものだから、余計に収まりがつかない」

 レイナードは、ああ、と父アルベルトを思い浮かべる。

「父上は別に、あの方を嫌っていてそういう態度を取っているわけではないんだと。それが余計にアズール公を刺激するんだろうが」
「ふうん?」
「こう……打ったら返して来るだろう、アズール公は」

 マクスウェルは、いつぞやに目にしたやり取りを思い出す。

「ああ、確かに」
「それが新鮮らしくて。つい言ってしまうんだと、言っていたから」
「なんっ……」
「確かに僕も、テンポがいいなぁとは思った」

 従兄弟の言葉にマクスウェルは絶句する。そんな理由でアルベルトが言葉を選んでいたとしたら、からかっている以外、言いようがない。
 はー、と深く息をついた。マクスウェルはなんとも複雑な表情で「それは、アズール公が憤慨するわけだなぁ」と天を仰ぐ。

「まあ、いいや。そういうわけだから、これ、お前に任すわ」

 ぺらりと寄越された書状にざっと目を通すが、それは例の孤児院の調査に関する指示状だった。王から王太子へのもので、本来ならレイナードが読むべきものではない。公爵家で王太子の従兄弟、そしてその補佐ということで「いいだろ別に」と寄越してくる。直接資料を見た方が確かに早いのでまあいいかと、レイナードも何も言わなくなった。

「殿下、そういうわけ、というのはどういうわけです?」

 はい、と渡されたから、当然のように受け取って目を通していたが、これは王から王太子への正式な指示だ。レイナードの手に渡るべきものではない。

「陛下から全権を任された。だから俺は、この件の責任者にお前を任命した。そういうわけだな」

 マクスウェルはさらさらと一枚の書類に署名を入れる。それもぴらっと渡されたので読んでみる。

「『現場の指揮及び調査指示は、レイナード・ヴァーミリオンが行うものとする』……殿下」

 無表情ながら眉間に皺を寄せるレイナードに、マクスウェルは「ついでだろ」と笑顔を向けた。

「昨日行ったっていう孤児院のことを調べるんだろ? なら、他の所もついでに調べてこい。ひとつもふたつも変わらないだろ」
「ひとつやふたつならともかく、王都に孤児院がいくつあると思ってるんだ」

 呆れた声のレイナード。ざっくり王都を東西南北に分けて、それぞれ四ヶ所くらいあるはずだから、その全てを調べるとなるとそれなりに労力と時間がかかる。
 そこは王命なので騎士団を使ってくれると言うが、それでもレイナードが任される理由がわからない。

「どうして僕が?」

 それを言うとマクスウェルは、途端に嫌そうな顔をした。

「叔父上が色々やるもんだから、その処理がこっちに回ってくるんだよ。お前、なんとかしろよ」
「そうは言っても……織物のことだったら、リリアンが欲しがったから」
「お前らいっつもそれだな!!」

 公爵の気持ちがわかる気がする、とマクスウェルは眉間を揉みほぐした。

「普通に事業を起こして普通にやってればこんなことやらずに済むんだ。けどそのどれもが普通にできないことのうえ、影響が大きい! その後処理やらなにやらをやらなきゃならないんだが、なぜかこれを陛下は俺に押し付けてくる!」

 分かるか、とマクスウェルはアズール公爵よろしく拳を机に叩きつける。

「公爵家の尻拭いを王家がやってるんだぞ! 王家の仕事を公爵家に回して何が悪い!」

 悪いもなにも、駄目だとしか言えないと思うが。
 レイナードはそれを口にするのはやめた。不毛な気がしたからだ。そうか、とだけ言って、自分の机に資料の束を乗せて一つずつ確認する。

「わかった、僕がやろう。重要なことだけまとめて伝える」
「そうしてくれ、一応責任者は俺のままだから。ああそうだ、万が一、先に捕まった奴と繋がりが見つかったらすぐに教えてくれ。徹底的にやるって父上……陛下が言っていたから」
「わかった」

 そうしてレイナードは、それぞれの孤児院への支援者を確認してどこが怪しいか、目星をつける作業を始める。粗方情報がまとまったところで、どこから調査を行うかの段取りに入る。
 一度始めてしまえば、あとは作業に没頭していった。優秀な彼らは無駄を省きたくて、不要なことは言わなかったし行わなかった。というか、単純に不要なことをしているだけの時間がないのだ。次から次へと書類が持ち込まれて、決裁の必要な案件が山になっていく。たまに書類が不足していたり不備があったりするものを弾いては印を押し、気付けばあっという間に昼だった。持ち込まれたパンとスープを流し込んで、この日も一日部屋から出ることなく、仕事を片付けていく二人だった。
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