世界最強の公爵様は娘が可愛くて仕方ない

猫乃真鶴

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王都編

10.牛牛パニックでピクニック③

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「同時攻撃を心掛けるんだぞ、いいな!」

 バルバスは叫んだ。彼の目の前には、蹄で地面を抉る猛牛の姿があった。

「分かってる!」

 声は、仲間のものだ。返事があったことに安堵しつつ、それでも気を引き締める。

「バルバス、後ろに気を付けろよ! 挟まれれば死ぬぞ!」
「おお!」

 バルバスは仲間からの忠告に短く返し、じりじりと機会を待った。
 バルバスは、魔物の討伐を行う事を生業とする冒険者だ。仲間は四人、バルバスを含めて五人で組んでおり、そこそこの実力があるので、冒険者組合からの依頼を受けて討伐に出る事もある。
 冬の終わり、春の訪れを感じるようになるこの季節は、毎年ティーメルゼン草原でティーメル牛の討伐依頼がある。特に戦闘に長けた冒険者にしかその依頼が入る事はない。
 というのも、ティーメル牛は気性が荒い事だけでなく、群れの一頭が狙われると複数で襲いかかるという習性があるためだ。それもかなり連携が良い。巨体にも関わらず素早く、それが複数頭で連携して襲いかかるのだ。ましてやティーメル牛には、太く鋭い角がある。生半可な腕前ではひとたまりもない。
 バルバスも、近年ようやく仕留める事が出来るようになった。昨年は討伐中、仲間が怪我をした為に断念せざるを得なかったが、今年は違った。この一年で装備を新調し、各々鍛えた事もあり、気合いは充分。今年こそは討伐出来ると意気込んでいた。なにしろこのティーメル牛の討伐、とても報酬が良いのだ。これ以上旨い牛肉は無いということで、貴族がこぞって買い求めるものだから高報酬なのだ。これだけで一年食い繋ぐ冒険者も居るほどだった。
 が、今はどうだろう。バルバスは、こんなはずではと、ぎりっと奥歯を強く噛む。
 いつも通り配置につき、群れで襲いかかってくるティーメル牛の突進を躱していた。群れのうちの一頭に狙いを定め、一斉攻撃を仕掛けようとした時だ。バルバスの側方から、とんでもない轟音が響いたのだ。慌ててその方向を見れば、そこには他のティーメル牛よりも二回りは大きい牛が、こちらへ突っ込んで来ていた。
 仲間の悲鳴に似た叫びが聞こえる。バルバスは咄嗟に横に跳んで転がった。次の瞬間、バルバスの居たまさにその場所を大きな牛が通過する。咄嗟に飛んでいなければ、今頃バルバスは踏み潰されていただろう。
 すぐさま体を起こし、姿勢を整える。

「バルバス! そいつ、希少種だ!」

 仲間の声にバルバスは絶句する。魔物の希少種は異常な魔力量によって変異したものだと言われているが、詳しい事は分かっていない。明確になっているのは、いずれも元の魔物よりも強大であるという事だけ。
 ティーメル牛の希少種は、過去に何度か討伐記録があるが、近年は目撃情報すら無い。それが今、バルバスの目の前にいる。
 こいつの特徴は、とバルバスは古い記憶を探る。討伐の参考になるかと読み漁っていたのだ、ティーメル牛についての資料を。そこには希少種についても書かれていたが、ただ体が白っぽいことと、「とても大きい」ということ、それから「とにかく特性が強く強化されている」としか書かれていなかった。
 参考にならない、とバルバスは眉を顰めたが、対峙した今なら判る。これは、ただの牛でも魔物でもない。巨大な牛の形をした、圧力の塊だ。
 ただその前に立っているだけで、圧力で押し潰されそうだった。じとりとバルバスの額に汗が浮かぶ。

「やるしかなさそうだな……」

 ティーメル牛の希少種は、バルバスを見据えている。どうやら見逃してはくれないようだ。

「気を付けろ——来るぞ!」

 バルバスは叫ぶ。同時に希少種のティーメル牛が突進の態勢を取った。ブモオオオオ、という咆哮には魔力が乗っていて、バルバスの肌に突き刺さるようだった。
 猛牛が地面を蹴る。命の取り合いが始まった。

 ◆

 ティーメルゼン草原の端に辿り着いたアルベルトは、馬から降りると地面に手をつけ、目を閉じた。集中して魔力を練り、それを掌から放出する。湖面を叩くようにして魔力を注げば、波紋となって草原に広がっていった。その波紋に、触れるものがある。アルベルト以外の魔力だ。他者の魔力の位置を、自身の魔力を使って索敵したのだ。
 ごく小さな動かないものは、植物や岩だろう。動きのあるものは動物だが、目的のティーメル牛は群れで移動する為、点々としているのは違う。どうやら探れる範囲に目的のものは居ないようだ。
 体を起こし、ふうむとアルベルトは考える。

(草原の北、と言っていたな。かなり北寄りのようだ。仕方ない、急ぐしかないが……馬が限界だな)

 そう、王都からここまで、全力で走らせた為に馬の方がバテていた。ここまで来てしまえば、アルベルト自身が走った方が良さそうだが、このまま馬を残しては行けない。だがまともに走れない馬を連れていくのはしたくなかった。速度を落とさないといけないからだ。
 どうするか、と考えていたところに、後方からアルベルトを呼ぶ声がした。

「旦那様ァ!」

 ベンジャミンから後を追うよう言いつけられたデリックが、アルベルトに追いついたのだ。デリックは間近までやってくると馬の足を止める。

「デリックか、丁度いい」
「は?」

 アルベルトはうむと頷いて、馬の手綱を差し出した。

「馬を頼んだ。私はこのまま行く」
「えぇ!? ちょっと、旦那様!」

 デリックのことは置き去りにして、アルベルトは駆け出す。

「ようやく追いついたのに!!」

 そんな声が聞こえた気がするが、まったくもって興味の無い事だったので、アルベルトの記憶には残らなかった。

 走りながらアルベルトは索敵を続けた。地面を通した方が広範囲を調べることができたのだが、いちいち止まっては効率が悪い。そもそも北部は起伏の少ない見通しのいい草原の為、視野で充分に確認が出来る。それでも見当違いの方向へ向かっては意味が無い。だからいつものように、アルベルトは魔力を放出しながら走っていたのだが、それもすぐに不要になった。前方から、魔力の圧力を感じたのだ。
 目的の牛かどうかはわからないが、確実に何かがいる。とりあえずアルベルトはそちらへ向かう事にした。

 吹き付ける魔力の源、その姿を把握したのは、一時間後の事だ。刺激しないように魔力を抑え、丘の上から見下ろす。それでも目的のティーメル牛は大きく見えた。かなりの大物だ。アルベルトにとっては喜ばしい事だった。
 そんな牛の群れの中を、複数の冒険者らしき者達が駆け巡る。奮闘しているようだが、まだ一頭も仕留められていないらしい。
 アルベルトは冒険者側の被害をない事を確認すると、今一度牛の魔物をよくよく観察した。
 ガタイのいい冒険者が対峙している一頭が、やたらとでかい。しかも体毛が白っぽく、周囲の茶色い牛と比べると格段に魔力量が多かった。
 群れのボスかなにかだろうと判断したアルベルトは、その一頭に狙いを定めた。

「よし」

 とん、と軽く跳躍して、一気に丘を下った。麓まで来ると、魔物の群れまではすぐそこだ。アルベルトは冒険者の位置と魔物との位置をちらっと確認する。そしてそのまますたすたと魔物の元へ向かった。

 ◆

 希少種の攻撃を躱し際、一撃を繰り出したバルバスはそれが防がれた事に舌打ちをする。もうかなりの時間、こうして対峙いるのだが、一向に倒せずにいる。バルバスも仲間達も、もう体力が尽きかけていた。このままではまずい、そう思って剣を握り直した時、バルバスの視界に見慣れない男が入ってきた。

「はっ?」

 良質な上着を羽織ったきらきらしい男だ。それがすたすたと、猛牛の合間を縫って歩いている。

「な、なん」

 間違いなくその男は冒険者ではない。充分な装備をしているとは思えなかったのだ。剣は腰に差したままで抜く気配がなかった。上着の合間から見えるベストも、革鎧ですらない、ただの衣類としてのベストのようだ。対魔物を想定したようなものを何も身に付けていないのだ。一般人が紛れ込んだようにしか、バルバスには見えなかった。
 それは仲間達もそうだったようで、皆絶句して男を見ている。そのうちに攻撃の手が緩んでしまった。ティーメル牛がこれ幸いと、猛攻を仕掛けてくる。それも、よりにもよって、バルバス達ではなく突然現れたその男を狙ったのだ。

「危ない!」

 バルバスは叫び、男を庇おうと駆け出したのだが、男はくるんとその場で一回転した。

「は?」

 そして次の瞬間には、牛の突進をするりと躱して前方に進んでいた。
 バルバスはあんぐりと口を開く。次に突っ込んで来た一頭も、その次の一頭も、男は左右に足を運んだり、後ろに跳んでみたりして最小限の動きで躱してみせたのだ。
 呆然とそれを見ていたのだが、そのうちにあの希少種が咆哮を上げた。向こうも、なかなかこちらを仕留められずにいることに苛立っているらしい。たっぷりと魔力を乗せたその咆哮は、バルバス達に重圧を与え身動きを封じる。
 四肢が動かない。男の行動に気を取られ、油断が生まれていたのは事実だ。長時間群れに対峙して疲弊していたのもあるが、このままではまずい。
 なんとかしなければ、とバルバスが視線を上げたその先で、男が希少種に向き合っているのが見えた。

「……!」

 驚き、それと同時に逃げろ、と咄嗟に叫ぼうとしたその時、男が希少種に平手打ちをした。
 スパァン! と軽い音が草原に響き渡る。一拍の後に、希少種の巨体が傾き、ずん、と地面に崩れ落ちた。

「……は?」

 希少種の牛は、白目を剥いて泡を吹いている。バルバスは瞬いた。あれは、そんな風に倒せるものではないのだ。見かけよりも素早くて、とてつもなく太い角を持っている。下手に近付けばその角で突き刺される。死角から襲おうにも、別の個体がそれを阻む。連携を組まれて返り討ちにされるのだ。そうしているうちに今度はこちらの死角へ突進して距離を詰められる。だから、徒党を組んで攻める、そうして仕留めるものだった。
 だが、目の前の男は、たったの一人、それも一発の平手打ちで、通常よりも強い個体を打ちのめしたのだ。
 それが信じられず、呆然とするしかないバルバス達の前で、男はおもむろにしゃがんだ。なにをするのだろう、もしや希少種の息の根を完全に止めるのだろうかと思っていると、男はひょいと牛の巨体を担ぎ上げた。そうしてそのまま、来た時と同じ様にすたすたと歩いて去って行く。 

「は? ……え?」

 馬車よりも大きく、重量のある牛を、一人で担ぐ。バルバスにはもう、目の前で何が起きているのか把握ができなかった。ひたすらに瞬きを繰り返して、今目に映っているものが本当に起きている事なのか確かめた。いくらやっても消えないから、幻でもなんでもないのだろう。だが、だからと言って受け入れられなかった。あまりにも現実味が無いことだった。

「牛って……担げるもの……?」
「いや……」

 そんなはずは、とバルバスは言ったのだが、それ以上なんと続けたらいいのか分からない。仲間の困惑した声を背後に、バルバスは男の背中を見送った。

 ティーメル牛の希少種を、平手一発で仕留めたアルベルトはご機嫌で来た道を戻る。ちょうど冒険者が対峙していた為に、うまく目標に近付く事ができた。魔力を手に込め、それで思いっきり打ってやれば、牛は脳震盪を起こし昏倒する。その場で仕留めなかったのは、群れの報復があるからだ。一頭が死ぬと、外敵に対峙していた数頭はもちろん、群れ全体が襲いかかってくる。そうなると相手にするのが面倒だから、一頭だけを傷付けないように行動不能にしなければならない。それも、この牛の捕獲難易度を上げる要因だった。
 何よりもこの手に入れた個体は、豊富な魔力を宿している。ティーメル牛の場合、魔力を全身に漲らせ突進するから、筋肉が良く発達する。そのせいで赤身が固くなると思われがちだが、全身をバネのようにしている為か、固くなり過ぎずほどよい弾力となるのだ。脂は少ないがその分ヘルシーで、味が濃い。魔力が豊富な個体ともなれば、その特性は一層強いに違いない。これは旨いはずだと、そう思うと足取りも軽くなるというものだ。ウキウキと牛を運んでいると、丘の向こうからこちらへ向かってくる何かが見えた。

「アルベルト様!」

 それは、荷馬車と護衛を引き連れたベンジャミンだった。

「遅かったな」
「ご冗談を」

 これでも最短で来たのだと告げるベンジャミンを無視して、アルベルトは荷馬車に捕まえたばかりのティーメル牛を乗せる。まったく、とだけ溢すベンジャミンは、少しくたびれていた。荷馬車を急がせる途中、先に行かせたデリックを見付け、アルベルトを探して草原を駆け回ったのだ。下手を打つと合流出来ない可能性だってあった。アルベルトの方はそれでも構わないだろうが、ベンジャミンはそうはいかない。ほっとすると同時に、どっと疲れを感じる。
 ともあれ、アルベルトの目的は達成されたようだ。とんぼ返りとなるが、屋敷に戻れそうだとほっと息を吐く。

「あ? こいつは……」

 荷台に乗せられた牛を、逃げられないよう捕縛していたデリックがまじまじと検分している。ベンジャミンもそれに釣られて、牛を見る。身体が大きいのはもちろんだが、それよりも気にかかることがあった。

「白っぽいこの色……もしや希少種では?」
「はあ、おそらくはそうでしょうね」

 アルベルトはその言葉に首を傾げる。

「希少種?」

 デリックは頷いた。

「ええ。たまーに居るんすよ。数年に一度獲れるかどうかくらいで」

 ふうん、とアルベルトは牛を眺める。

「旨いのか?」
「そりゃあもう、めちゃくちゃ。つっても俺は食べた事なんて無いですけど。旦那様ならあるんじゃねえですかい」
「牛の種類なんぞに興味は無いからな、わからん」
「はあ、左様で」

 凄いんだか凄くないんだか、わからない御仁だなとデリックは思った。一方でベンジャミンは腕を組んで考え込んでいる。

「確か、前回王家に入ったのは、五年も前だったかと。量がごく僅かだったこともあり、王家だけで消費したのだと記憶しています」
「五年前……その前は?」
「確か、リリアン様がお生まれになるよりも以前の事だったかと」
「何!?」

 アルベルトはくわっと目を見開く。

「ならば、リリアンにはたくさん食べて貰わないと!」

 思いがけず、とんでもなく良いものを入手できたようだ。これはいいと、アルベルトのやる気に火が付く。

「捌くぞ、焼くぞ! いや、煮るか!? 何がいいんだ、調理法は!」
「アルベルト様、落ち着いて下さい。まずは絞めないと」
「そうだな! やるか!」
「わあ、待った、旦那様! 草原を出ないとまずい! 群れが報復に来る!」
「なら群れごとやればいいだろう! もう一頭くらい希少種が居るかもしれん」
「ダメでしょう、絶滅させる気っすか!」

 火が付きすぎて爆発しそうなアルベルトのやる気を抑えつつ、ベンジャミンとデリックは王都へ戻った。荷馬車を駆る従者が牛の重さに四苦八苦し、速度がさほど出ていないのだが、やる気に満ち溢れているアルベルトはそれに気付いていなかったようだ。その事に安堵しつつ、ベンジャミンはできる限り急ぐよう伝えた。



「これがティーメル牛の希少種ですか!」

 ヴァーミリオンの屋敷で、絞めた牛を検分したのは料理長だ。彼は分かりやすく興奮している。
 屋敷に戻ったのは夜中で、それから血抜きを行い、料理長を呼べたのは結局朝になってからだった。昨夜運び込まれた獲物がティーメル牛だと聞いた彼は、調理はもちろん解体も是非にと申し込んできたのだ。どうやらあらゆる魔物の調理・解体を趣味としているとかで、ティーメル牛の、それも希少種は夢のひとつだったそうだ。

「ああ、素晴らしい。腕が鳴ります」

 長らく務めている料理長の密かな野望を垣間見たが、彼の腕は確かなので心配はいらないだろう。

「かなりの量がありますな」

 ベンジャミンが、改めて牛を眺めて言った。そうですね、と返す料理長は楽しげだ。

「保存食を作ったとしても相当な量になります。当家だけでは消費しきれないでしょう」

 ふむ、とベンジャミンは腕を組む。

「アルベルト様、王家にお裾分けしても?」
「好きにしろ。ただ、一番いい部位はだめだ。それはリリアンのものだからな」
「承知致しました」

 この時間はリリアンが厨房を使っている。そこへ顔を出して様子を見てから、アルベルトは部屋に戻ってピクニックの為の準備をするそうだ。しばらくは部屋に篭って出て来ないだろう。また仕事が進まなそうな気配がするが、一週間ほどであれば年末ほどの遅れにはならないだろう。やれやれ、とベンジャミンは首を振った。
 ともあれ、このティーメル牛の希少種はそれなりに利益をもたらすものだ。王家に肉を渡せば、普段のあれこれを帳消しにできるかもしれない。革は高級鞄なんかの素材にもなるし、骨も利用価値がある。魔力の多い個体であれば高値で取引される。ヴァーミリオン家からしてみれば端金であるが、現物を欲する者からしてみれば、借金をしてでも手に入れたいと思うはずだ。いろんな所へばら撒く袖の下としても活躍してくれそうな恵みは、ベンジャミンとしても有り難いばかりだ。

「取れる範囲で素材を回収して下さい。助手は必要ですか」

 ベンジャミンの言葉に料理長は頷く。

「ありがとうございます。後処理に手間がかかりますので、冒険者組合に手伝いを依頼して頂けますか」
「わかりました。であれば、素材の買取も済ませられますね。まあ、丁度いいでしょう」

 ベンジャミンは、従者に冒険者組合の西支部に遣いを出すよう指示を出す。ただ、すぐにこう付け加えた。

「支部長は絶対に寄越すなと、必ず伝えるようにな」
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