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南の国編
21.南の国の呪いの姫と宝石と人助け⑤
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「初めまして、ヘレナ様。わたくしはリリアン・ヴァーミリオンと申します」
翌日の朝、王宮へと上がったリリアン達は、第三王女ヘレナの部屋に程近い一室へと案内される。王や王妃が特別気に掛けてくれているようで、この日は令息達に囲まれずに済んだ。待機する部屋も配慮が行き届いており給仕もしっかりしている。温かいお茶を頂きながら、一同は王女が目覚めるのを待った。
昨日は、結局夜中まで王女は目を覚さなかったそうだ。だから今朝もどうかと思ったのだが、一時間もせずに王女の私室へと呼ばれた。
年頃の娘であるので、寝室へ入るのはリリアンとクラベル、それから治療の為にアルベルトを含めた三名だけ。マクスウェルとレイナードは、寝室とリビングの間の扉付近で様子を伺うに留める。
ヘレナはベッドの上で、クッションに凭れるようにして身を起こしていた。レースのカーテンに遮られた日光が彼女を照らすが、そうと分かるくらい青い顔をしている。リリアンが挨拶をしても顔を歪めるだけだった。その理由は近くに寄れば分かる。ヘレナは浅い呼吸を繰り返していた。身を起こしているだけでも辛いのだろう。
「ヘレナ。ここにいる顔の良いのがお前の病気を治してくれる。もう少しだけ辛抱してくれ」
一同と共に部屋に入ったヒースが娘を覗き込むが、当のヘレナは父親を見るなり、ふいっと顔を背ける。
「……ふん。もうこれでもかってくらい辛抱したわ。でもどうにもならなかった」
そうしてようやく口を開いたと思ったら、まるで責めるような声色で言うものだから、リリアンとクラベルは思わず顔を見合わせてしまう。
ヒースはもちろん何もしなかったわけではない。王宮だけでなく、国中から医師を集めて治療に当たらせたと聞いている。王室に伝わる治療法だけでなく、薬草による回復薬や民間療法など、ありとあらゆる方法を試したそうだ。結局それらでも進行を止められず、ヘレナは寝たきりになってしまったそうだが。
そうやってあらゆる治療を受けたのは、ヘレナにとって苦痛だったのだろう。どうにもならない身体と苦しみを父親にぶつけているようだ。
ヒースの詫びるような視線を受け、リリアンはそっと微笑む。クラベルも気にしていないのだろう、穏やかな表情でヘレナの手を取った。
「よく我慢したわね。偉いわ」
「クラベルお義姉様の仰る通りです。お辛かったでしょう、さあ、横になって」
リリアンは、苦しそうにしているヘレナを気遣ってそう言ったのだが、当のヘレナはキッと眦を吊り上げる。
「うるさいわね! 放っておいて!」
「ヘレナ」
ヒースが咎めるような声を出してもヘレナは止めようとしない。
「いくらやっても無駄よ。お医者様にだって、治せなかったのに」
「あちらはわたくしの父です。父が、ヘレナ様の治療をしますから。そんな風に仰らないで」
「……お医者様には見えないわ」
「確かに医師ではございませんが、とってもすごい魔法使いなのですよ」
そう言って微笑むリリアンを、ヘレナは睨み付けた。
「魔法使い? 魔法使いなんかにあたしが治せるっていうの? 顔で治すんじゃないのよ、分かっているの?」
「ヘレナ、折角来てくれたのにそんな言い方をしては失礼だろう」
「だって本当の事じゃない!」
咎めるヒースに叫んだヘレナの目から雫が零れ落ちる。シーツを握り締める手元に、いくつも染みを作った。眠るばかりでろくに食べられず、外にも出られないから白く痩けてしまった頰を涙が流れていく。ヒースと同じ色の瞳はすっかり澱んで、父親を睨んだ。
「あたしなんて、きっともうすぐ死んでしまうんだわ。もうたくさん。毎日毎日、色んなものを試して。でもちっとも楽にならない! そのうちに歩けなくなって、起き上がれなくなって……昨日も一日中眠ってた。今日は良くても明日はだめかもしれない。そんなあたしの気持ちが分かる?」
「ヘレナ……」
「分かりっこないわ、だって父様は死にかけてなんかないんだもの!」
その言葉に、ヒースは伸ばしていた手を引っ込めてしまう。リリアンも、あんまりだ、と息を飲んだ。
——あんまりだわ。そんな風に叫んでしまうほど、ヘレナ様は追い詰められている。
身体だけではない、心も病んでしまっている。段々と弱っていくのを実感せずに居られない日々。手を尽くしているのに良くならない。ままならない身体、落ちていく体力。それに苦しんでいるのは何もヘレナだけではない。父であるヒースも、母も、兄達も、治療に携わる臣下達も、きっと心を傷めているに違いない。
それをヘレナは感じ取っていたのだろう。そうして、その事がヘレナの心を蝕んでいく。痛む身体と心では、満足に病と闘っていられないのかもしれない。
確かにもう、時間は残されていないように見えた。
「顔だけの魔法使いなんかに、あたしの体が治せるわけない! やっぱりもう死んでしまうんだわ……!」
「ヘレナ様」
「ヘレナ、落ち着くんだ。大丈夫だから」
リリアンとクラベル、ヒースが宥めるが、泣き叫ぶヘレナは聞く耳を持たなかった。わああ、という泣き声の合間に、その内喘鳴が混じるようになる。そうなると呼吸がままならなくなるのか咳き込んでしまい、苦しそうに胸を掻き毟った。
ヒースやリリアン達が必死にヘレナを呼び、主治医が慌てて鎮静剤を準備する中で、アルベルトは一人落ち着いた様子でのそりとベッドへ近付いていく。
「リリアン、退いてくれるか」
「お父様?」
リリアンの肩に手を乗せると、一歩前に出たアルベルトはふわりと魔力を立ち上らせる。それに気付いたらしいヒースが声を上げる前に、アルベルトは魔法を発動させた。
アルベルトの右手が翳されたヘレナを光が包む。瞬きのうちに光が消えると、あれだけ取り乱していたヘレナは糸が切れたようにクッションの上に沈み込んだ。
「お、おい!」
「少し眠らせただけだ、心配いらない」
慌ててヒースと主治医が駆け寄ると、ヘレナは規則正しく胸を上下させている。顔を見れば瞼は閉じられていた。アルベルトの言う通り眠っているようだ。
ほっと息を吐くヒースの後ろ、アルベルトは冷静だった。
「作業に集中したい。神経を使うから騒がれると手元が狂うかもしれん」
「そ、そうか。この子が目を覚ましたら落ち着くよう、言っておこう」
ヒースは、眠るヘレナを見下ろした。ベッドに横たわる姿は見慣れたもの。今朝は顔色が良かったようだが、それでだろうか、あんな事を言ったのは。
坂道を転げ落ちるように悪くなっていくヘレナ。不安で不安で堪らなかったのはヒースもだった。けれど、まだ子供のヘレナの方が不安が強かったに違いない。治療法を探すのもそうだけれど、ヒース達はもっとヘレナに寄り添うべきだった。
まだ、ヒースの脳裏には泣き叫ぶヘレナの姿が浮かぶ。あまりに痛々しかったけれども、こうして眠っているだけよりはずっといい。
「……大丈夫だろうか」
「あれだけ叫ぶ体力があればなんとかなるだろう。喧しい子供だな」
娘の回復を祈っての言葉だったが、返ってきたのはそんな素っ気ないものだった。そんな、とも思ったが、ヘレナの言葉はアルベルトに対して結構失礼だったのに思い至る。そのせいでそんな風に言うのかと、ヒースは謝罪の言葉を口にした。
「す、すまん。気を悪くしたのなら、謝る」
「お前が謝罪して何になる?」
「えぇ……」
なのに更に素っ気なく言われてヒースは困惑した。
そんな彼を無視し、椅子を引っ張ってベッドの脇まで運ぶアルベルトはいつになく真剣な面持ちである。さり気なく横に避けるリリアンににこりと微笑んで、椅子にどっかりと腰を下ろした。
「きりの良い所まで進める。それまでは声を掛けるな」
「あ、ああ。分かった」
そのやり取りで、クラベルはこの場に居るべきではないと感じた。リリアンに目配せをし、退室しようと移動したのだが、それをアルベルトが止める。
「リリアンは残ってくれ」
「宜しいのですか?」
「良いに決まってる。もし途中で王女が目を覚ましたら、宥めてくれ」
「そういう事ですか。分かりましたわ」
リリアンが頷くと、控えていたシルヴィアがもう一脚椅子を持ってきてくれた。それをアルベルトの視界の端に置く。
「じゃあリリアン、わたしはレイ達に同行するから」
「はいお義姉様。お気を付けて」
クラベルは、後をリリアンに任せてレイナード達と合流する。扉から顔を出した彼らの元へ行くと、部屋の中を振り返った。
ピリッと寝室の空気が張り詰めている。アルベルトはただ椅子に座っているだけにしか見えないが、確実に何かを行っているようだ。マクスウェルもレイナードも、アルベルトの魔力が動いているのを感じた。
それに、万が一に備えて扉付近で控えている主治医がごくりと息を飲む。彼はごく小さく「すごい……」と呟いた。
「なんという技術だ……」
「見えるのか?」
マクスウェルが訊ねると、主治医の男は頷く。
「はい。王家に仕える医師は、王家の方々の魔力回路の改善が主な役目なのです。その為に鍛錬をするのですが……あの方は恐ろしいほどの精密さです。なんと素晴らしい技量でしょう」
「すごいんだ、あれ」
魔力で何かをしているようだが、椅子に座っているだけにしか見えない。マクスウェル達にはいまいちピンと来ないのだ。
そっと振り返った主治医は真剣な表情だった。
「例えるならば、めちゃくちゃに絡まった絹糸を魔力だけで解き、正常な位置へ戻すようなものです」
「……なるほど」
マクスウェルは顎を撫でる。
魔力は自然界に作用する動力で、操作技術は人による。大半が魔法として行使するのに魔法陣へ込めるのが精一杯だが、中には意のままに操れる者もいる。エル=イラーフ王家の主治医という人々もその類いであろう。だがアルベルトは、そんな彼らよりも技術が上らしい。繊細な魔力操作が苦手なマクスウェルからすると、魔力で糸を解く、というのをどうやってやるのか想像がつかない。
レイナードも眉間に皺を寄せている。土属性魔法は魔力で土を操るから、もしかするとレイナードの方がそれがどれだけ難しいのかを理解しているのかもしれない。
とにかくアルベルトに任せておけば大丈夫そうだ。王女に何かあれば主治医が対応するだろうし、アルベルトが何かすればリリアンが止めてくれるだろう。治療には二日掛かる。マクスウェルはそっと扉から離れ、グレンリヒトに任された仕事に取り掛かる事にした。
「俺達も仕事に移るか」
「行ってこい」
「お前も行くんだよ!」
思わず大きな声が出てしまったマクスウェルは、直後にぐっと口を噤んで寝室を振り返る。そこにはさっきまでと変わらない光景が広がっていた。どうやらアルベルトの作業には影響していないらしい。ほっと息を吐く。
できるだけ静かに、マクスウェル達はヘレナの私室を後にした。
翌日の朝、王宮へと上がったリリアン達は、第三王女ヘレナの部屋に程近い一室へと案内される。王や王妃が特別気に掛けてくれているようで、この日は令息達に囲まれずに済んだ。待機する部屋も配慮が行き届いており給仕もしっかりしている。温かいお茶を頂きながら、一同は王女が目覚めるのを待った。
昨日は、結局夜中まで王女は目を覚さなかったそうだ。だから今朝もどうかと思ったのだが、一時間もせずに王女の私室へと呼ばれた。
年頃の娘であるので、寝室へ入るのはリリアンとクラベル、それから治療の為にアルベルトを含めた三名だけ。マクスウェルとレイナードは、寝室とリビングの間の扉付近で様子を伺うに留める。
ヘレナはベッドの上で、クッションに凭れるようにして身を起こしていた。レースのカーテンに遮られた日光が彼女を照らすが、そうと分かるくらい青い顔をしている。リリアンが挨拶をしても顔を歪めるだけだった。その理由は近くに寄れば分かる。ヘレナは浅い呼吸を繰り返していた。身を起こしているだけでも辛いのだろう。
「ヘレナ。ここにいる顔の良いのがお前の病気を治してくれる。もう少しだけ辛抱してくれ」
一同と共に部屋に入ったヒースが娘を覗き込むが、当のヘレナは父親を見るなり、ふいっと顔を背ける。
「……ふん。もうこれでもかってくらい辛抱したわ。でもどうにもならなかった」
そうしてようやく口を開いたと思ったら、まるで責めるような声色で言うものだから、リリアンとクラベルは思わず顔を見合わせてしまう。
ヒースはもちろん何もしなかったわけではない。王宮だけでなく、国中から医師を集めて治療に当たらせたと聞いている。王室に伝わる治療法だけでなく、薬草による回復薬や民間療法など、ありとあらゆる方法を試したそうだ。結局それらでも進行を止められず、ヘレナは寝たきりになってしまったそうだが。
そうやってあらゆる治療を受けたのは、ヘレナにとって苦痛だったのだろう。どうにもならない身体と苦しみを父親にぶつけているようだ。
ヒースの詫びるような視線を受け、リリアンはそっと微笑む。クラベルも気にしていないのだろう、穏やかな表情でヘレナの手を取った。
「よく我慢したわね。偉いわ」
「クラベルお義姉様の仰る通りです。お辛かったでしょう、さあ、横になって」
リリアンは、苦しそうにしているヘレナを気遣ってそう言ったのだが、当のヘレナはキッと眦を吊り上げる。
「うるさいわね! 放っておいて!」
「ヘレナ」
ヒースが咎めるような声を出してもヘレナは止めようとしない。
「いくらやっても無駄よ。お医者様にだって、治せなかったのに」
「あちらはわたくしの父です。父が、ヘレナ様の治療をしますから。そんな風に仰らないで」
「……お医者様には見えないわ」
「確かに医師ではございませんが、とってもすごい魔法使いなのですよ」
そう言って微笑むリリアンを、ヘレナは睨み付けた。
「魔法使い? 魔法使いなんかにあたしが治せるっていうの? 顔で治すんじゃないのよ、分かっているの?」
「ヘレナ、折角来てくれたのにそんな言い方をしては失礼だろう」
「だって本当の事じゃない!」
咎めるヒースに叫んだヘレナの目から雫が零れ落ちる。シーツを握り締める手元に、いくつも染みを作った。眠るばかりでろくに食べられず、外にも出られないから白く痩けてしまった頰を涙が流れていく。ヒースと同じ色の瞳はすっかり澱んで、父親を睨んだ。
「あたしなんて、きっともうすぐ死んでしまうんだわ。もうたくさん。毎日毎日、色んなものを試して。でもちっとも楽にならない! そのうちに歩けなくなって、起き上がれなくなって……昨日も一日中眠ってた。今日は良くても明日はだめかもしれない。そんなあたしの気持ちが分かる?」
「ヘレナ……」
「分かりっこないわ、だって父様は死にかけてなんかないんだもの!」
その言葉に、ヒースは伸ばしていた手を引っ込めてしまう。リリアンも、あんまりだ、と息を飲んだ。
——あんまりだわ。そんな風に叫んでしまうほど、ヘレナ様は追い詰められている。
身体だけではない、心も病んでしまっている。段々と弱っていくのを実感せずに居られない日々。手を尽くしているのに良くならない。ままならない身体、落ちていく体力。それに苦しんでいるのは何もヘレナだけではない。父であるヒースも、母も、兄達も、治療に携わる臣下達も、きっと心を傷めているに違いない。
それをヘレナは感じ取っていたのだろう。そうして、その事がヘレナの心を蝕んでいく。痛む身体と心では、満足に病と闘っていられないのかもしれない。
確かにもう、時間は残されていないように見えた。
「顔だけの魔法使いなんかに、あたしの体が治せるわけない! やっぱりもう死んでしまうんだわ……!」
「ヘレナ様」
「ヘレナ、落ち着くんだ。大丈夫だから」
リリアンとクラベル、ヒースが宥めるが、泣き叫ぶヘレナは聞く耳を持たなかった。わああ、という泣き声の合間に、その内喘鳴が混じるようになる。そうなると呼吸がままならなくなるのか咳き込んでしまい、苦しそうに胸を掻き毟った。
ヒースやリリアン達が必死にヘレナを呼び、主治医が慌てて鎮静剤を準備する中で、アルベルトは一人落ち着いた様子でのそりとベッドへ近付いていく。
「リリアン、退いてくれるか」
「お父様?」
リリアンの肩に手を乗せると、一歩前に出たアルベルトはふわりと魔力を立ち上らせる。それに気付いたらしいヒースが声を上げる前に、アルベルトは魔法を発動させた。
アルベルトの右手が翳されたヘレナを光が包む。瞬きのうちに光が消えると、あれだけ取り乱していたヘレナは糸が切れたようにクッションの上に沈み込んだ。
「お、おい!」
「少し眠らせただけだ、心配いらない」
慌ててヒースと主治医が駆け寄ると、ヘレナは規則正しく胸を上下させている。顔を見れば瞼は閉じられていた。アルベルトの言う通り眠っているようだ。
ほっと息を吐くヒースの後ろ、アルベルトは冷静だった。
「作業に集中したい。神経を使うから騒がれると手元が狂うかもしれん」
「そ、そうか。この子が目を覚ましたら落ち着くよう、言っておこう」
ヒースは、眠るヘレナを見下ろした。ベッドに横たわる姿は見慣れたもの。今朝は顔色が良かったようだが、それでだろうか、あんな事を言ったのは。
坂道を転げ落ちるように悪くなっていくヘレナ。不安で不安で堪らなかったのはヒースもだった。けれど、まだ子供のヘレナの方が不安が強かったに違いない。治療法を探すのもそうだけれど、ヒース達はもっとヘレナに寄り添うべきだった。
まだ、ヒースの脳裏には泣き叫ぶヘレナの姿が浮かぶ。あまりに痛々しかったけれども、こうして眠っているだけよりはずっといい。
「……大丈夫だろうか」
「あれだけ叫ぶ体力があればなんとかなるだろう。喧しい子供だな」
娘の回復を祈っての言葉だったが、返ってきたのはそんな素っ気ないものだった。そんな、とも思ったが、ヘレナの言葉はアルベルトに対して結構失礼だったのに思い至る。そのせいでそんな風に言うのかと、ヒースは謝罪の言葉を口にした。
「す、すまん。気を悪くしたのなら、謝る」
「お前が謝罪して何になる?」
「えぇ……」
なのに更に素っ気なく言われてヒースは困惑した。
そんな彼を無視し、椅子を引っ張ってベッドの脇まで運ぶアルベルトはいつになく真剣な面持ちである。さり気なく横に避けるリリアンににこりと微笑んで、椅子にどっかりと腰を下ろした。
「きりの良い所まで進める。それまでは声を掛けるな」
「あ、ああ。分かった」
そのやり取りで、クラベルはこの場に居るべきではないと感じた。リリアンに目配せをし、退室しようと移動したのだが、それをアルベルトが止める。
「リリアンは残ってくれ」
「宜しいのですか?」
「良いに決まってる。もし途中で王女が目を覚ましたら、宥めてくれ」
「そういう事ですか。分かりましたわ」
リリアンが頷くと、控えていたシルヴィアがもう一脚椅子を持ってきてくれた。それをアルベルトの視界の端に置く。
「じゃあリリアン、わたしはレイ達に同行するから」
「はいお義姉様。お気を付けて」
クラベルは、後をリリアンに任せてレイナード達と合流する。扉から顔を出した彼らの元へ行くと、部屋の中を振り返った。
ピリッと寝室の空気が張り詰めている。アルベルトはただ椅子に座っているだけにしか見えないが、確実に何かを行っているようだ。マクスウェルもレイナードも、アルベルトの魔力が動いているのを感じた。
それに、万が一に備えて扉付近で控えている主治医がごくりと息を飲む。彼はごく小さく「すごい……」と呟いた。
「なんという技術だ……」
「見えるのか?」
マクスウェルが訊ねると、主治医の男は頷く。
「はい。王家に仕える医師は、王家の方々の魔力回路の改善が主な役目なのです。その為に鍛錬をするのですが……あの方は恐ろしいほどの精密さです。なんと素晴らしい技量でしょう」
「すごいんだ、あれ」
魔力で何かをしているようだが、椅子に座っているだけにしか見えない。マクスウェル達にはいまいちピンと来ないのだ。
そっと振り返った主治医は真剣な表情だった。
「例えるならば、めちゃくちゃに絡まった絹糸を魔力だけで解き、正常な位置へ戻すようなものです」
「……なるほど」
マクスウェルは顎を撫でる。
魔力は自然界に作用する動力で、操作技術は人による。大半が魔法として行使するのに魔法陣へ込めるのが精一杯だが、中には意のままに操れる者もいる。エル=イラーフ王家の主治医という人々もその類いであろう。だがアルベルトは、そんな彼らよりも技術が上らしい。繊細な魔力操作が苦手なマクスウェルからすると、魔力で糸を解く、というのをどうやってやるのか想像がつかない。
レイナードも眉間に皺を寄せている。土属性魔法は魔力で土を操るから、もしかするとレイナードの方がそれがどれだけ難しいのかを理解しているのかもしれない。
とにかくアルベルトに任せておけば大丈夫そうだ。王女に何かあれば主治医が対応するだろうし、アルベルトが何かすればリリアンが止めてくれるだろう。治療には二日掛かる。マクスウェルはそっと扉から離れ、グレンリヒトに任された仕事に取り掛かる事にした。
「俺達も仕事に移るか」
「行ってこい」
「お前も行くんだよ!」
思わず大きな声が出てしまったマクスウェルは、直後にぐっと口を噤んで寝室を振り返る。そこにはさっきまでと変わらない光景が広がっていた。どうやらアルベルトの作業には影響していないらしい。ほっと息を吐く。
できるだけ静かに、マクスウェル達はヘレナの私室を後にした。
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