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南の国編
幕間 レイナードとクラベル
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「イリス=ラハスの他に行く予定はあるのかい?」
ヒースがカップを持ったまま、アルベルトに言った。
ヘレナを訪ねたところヒースが同席を求めたため、リリアン達は彼も交えてお茶の最中である。ヴァーミリオンの一家にマクスウェルとクラベル、ヘレナにヒースとそれなりの人数なので、丸いテーブル二つを並べている状態だ。リリアンの隣はすっかり固定となっていて、アルベルトとヘレナが陣取っている。そのヘレナの隣にクラベルが、アルベルトの隣にレイナードが座るのが定着していた。こうしてテーブルが並んでいるとマクスウェルの位置はリリアンの正面辺りになるので、下手に近付こうとするより距離が近く感じる。ヒースの隣でカップを持つマクスウェルはそれを従兄弟に伝えるべきか悩んだが、椅子を代わってやるのも面倒なので黙っていた。
和やかな空気の中、そう訊ねられ、アルベルトは言ったヒースをちらりと一瞥する。
「今の所は無いな。リリアン次第だが」
「そっかあ。まあ、そう時間も無いもんな」
ヒースに笑顔を向けられ、リリアンもまた微笑む。エル=イラーフ王国はかなり広く、また歴史も古い。見所は多いが、ヘレナの治療という名目で訪れたのだから、長々と滞在するわけにもいかなかった。
ヒースの言ったイリス=ラハスというのは街の名前だ。高名な僧侶が居を構えた街で、女神信仰の厚い場所だ。その女神を讃えるために立派な教会が建てられた。その教会には女神の姿を模したステンドグラスがあり、それを目的に向かうつもりである。
王国の文化財にもなっているステンドグラスの見物は、ヘレナの薦めだ。そんなものを見られるだなんて、と目を輝かせるリリアンの姿に、アルベルトはその場でスケジュールを組んだ。
それ以外にもヘレナはあれこれ紹介をしたのだが、さすがに全てを見るのは不可能だった。
「その他の様々な場所へは、また改めて伺おうと話しているのです」
「それがいいよ。また時間のある時に来てゆっくり周るといい。ヘレナもそれを望んでるだろうから」
な、とヒースに呼びかけられ、ヘレナも笑顔で頷いた。もうすっかり長年の友人のようになったリリアンとヘレナ。リリアンがトゥイリアース王国へ戻った後は文通の約束をしているが、それでもこの数日賑やかだったので寂しいものは寂しい。再会の約束ができるのは喜ばしいことだった。
帰国まで全力で楽しんでくれとの言葉通り、ヘレナはリリアン達の案内役として奮闘していた。張り切り過ぎている気もするが、楽しそうなのでいいだろう。
「思い出作りには協力するわ」
そう胸を張る姿は微笑ましい。思わずマクスウェルも表情が崩れる。
「俺はくっついていくだけだが、リリアン、見ておきたいものがあったら行っておいた方がいいぞ」
視界の端っこでアルベルトだけが憮然としているが、それは無視しておく。
リリアンは、視線が集まる中で眉を下げていた。
「わたくしの希望ばかりでは……」
「おまけの俺に気を使う必要はないぞ」
本心からマクスウェルはそう言ったが、それでもリリアンの表情は変わらなかった。それはそうだろう、これまで行き先も食事も、何もかもがリリアンの希望通りだった。さすがにそろそろ連れ回している感じがしているに違いない。
「お兄様とお義姉様は、気になるものはございませんか?」
「いや」
「リリアンの行きたい所を選んでくれていいのよ」
しかも、兄や義姉からも同じ回答しか返ってこない。リリアンはいよいよ困ってしまったようで、硬まっている。
そんなリリアンを見たヘレナは「そうだわ」と呟いた後、身を乗り出した。にこやかにクラベルとレイナードとを見ると切り出す。
「クラベル様とレイナード様って婚約者よね?」
「ええ、そうだけれど」
「お二人でお出掛けはされないの? そうしたら、行き先が絞れるかも」
いい切り替えだ。若い男女が行くような場所は、一行が向かうには不向きかもしれない。そういう所を除外できればリリアンも連れ回している感じが薄れるだろう。それとは別に思う所もあったマクスウェルは、全力で乗っかる事にした。
「いいじゃんか。行ってきたらどうだ? 二人きりで出掛けるなんてまずないだろ」
「デートコースなら任せて、定番のから最近の流行まであるわよ。クラベル様、希望はある?」
「え、わたし?」
いきなり言われ、クラベルは目を丸くする。
そんな彼女にヘレナの方が瞬いていた。
「それはそうよ。あたしが見た限り、レイナード様はそういうの気にしないタイプでしょう」
「それは確かに」
「……マクス」
「なんだよ、本当じゃんか」
マクスウェルが横槍を入れればレイナードは憮然としてじろりと睨んできた。そんなの慣れっこなのでマクスウェルは気にしない。にやりと口の端を持ち上げれば、従兄弟殿の眉間の皺は更に深くなる。
お茶のカップを皿に戻すリリアンは、兄達がそんなやり取りをしているとは思ってもいない。青い瞳を瞬かせ、視線をヘレナへと向けている。
「ヘレナ様、定番と言われるような場所があるのですか?」
「ええ! エル=イラーフは宝石の国でしょ? 各地に宝石にまつわる逸話や神話が色々あるの。生まれ月の石や、贈り物の石に由来する場所を巡るのが定番なのよ」
「ヘレナ、それって新婚りょ——」
「折角だからそういうのはどうかしら!?」
ヒースの言葉はよく聞こえなかったが、ヘレナの提案は悪くなさそうだ。リリアンは、今度は義姉へと向くと、クラベルはレイナードと視線を交わしていた。
そうとは見えないよう抑えてはいるが、クラベルの瞳には困惑の色がちらついている。それはレイナードもだった。何を隠そう、二人ともリリアンのそばを離れたくないから、どうこの場をやり過ごそうかと考えを巡らせているのである。
そう思っているなど、リリアンには絶対に知られるわけにはいかない。意思に背く事なく、できればヘレナの申し出は却下したい。相反する要望をどう相殺、いや、方向転換するべきか。非常に難しい問題だ。
悩む二人はそのせいで黙ってしまったのだが、リリアンにはそれが違って見えたらしい。
「わたくしの事はお気になさらず。お兄様とお義姉様との思い出を作られてはどう?」
「でも、リリーの側を離れるわけには」
気遣うような声色にちくちく良心が痛む。レイナードはリリアンが心配だからという理由を付けたのだが、それを咎める声が上がった。
「レイ、お前な、そういうとこがダメなんだよ」
「何がだマクス」
マクスウェルだ。
むっとするレイナードを、マクスウェルの方が不服そうに睨み付ける。マクスウェルは二人の意図はなんとなく察しているが、今日ばかりはその姿勢は改めて貰わねばならなかった。
「何が、じゃない。あのなぁ、クラベル嬢にそのつもりがないからいいものの、婚約者より妹を優先させるもんじゃないんだよ。今後も関係を続けるつもりがあるなら、二人きりの時間をもっと作れ。俺も母上も、ずっとそう言ってるだろ。そんな調子じゃいつか横槍が入るぞ」
マクスウェルの言葉にレイナードは視線を逸らした。確かに、以前から事あるごとに言われていたのは事実だ。すぐにどうにかなるものでもないので、これまで先送りにしていた。
クラベルは、ちょっと気まずくなって視線を泳がせる。婚約者よりも義妹を優先させていたのはクラベルもなのだ。血を分けた兄妹であり、同じ家で暮らすレイナードと違い、クラベルはリリアンと過ごせる機会は少ない。ただでさえ競争率の高いところへ参入せねばならないとあって、レイナードにかまけていられないのだ。
けれどもそれは、二人とも互いに了承し合っている。リリアンを優先したいという点において、二人はお互いが最大の理解者なのだ。だからこそこれまで良好な関係でいられたとも言える。
「ね、二人で楽しんでらして」
が、当のリリアンからそう念を押されては、頷かないわけにもいかなかった。
「……仕方ないな」
「そうね。リリアンがそこまで言うなら行きましょ、レイ」
「ああ」
クラベルの同意の言葉に、ヘレナがぱあっと表情を輝かせる。
「それならおすすめの場所があるわ。とっても綺麗なブルーの湖で、ボート遊びなんてどう?」
「湖で、ボート?」
あまり特別とも思えないデートコースだ。平凡すぎて意外だと、レイナードもクラベルも首を傾げる。だがヘレナは、ただの湖ではないのだと胸を張る。
「とっても綺麗だと言ったでしょう? その湖はね、夏の青空のように、鮮やかな色をしているの」
「なるほど。レイの瞳の色をイメージしたコースというわけね?」
「さすがクラベル様ね、話が早いわ」
ふふ、と笑みを浮かべ、ヘレナはすっと人差し指を立てた。
「その湖はね、女神様が造られたものなの。空の上に居る女神様には、空の色が見えないのよね。だから、天上からでも見られるように、地上に雫を落とされたの。その雫が地面に落ちると、空の色を映す水鏡となったそうよ」
「エル=イラーフの神話か」
「そういうこと。それにね、その湖の近くでは、空色の石がよく採れるのよ。記念になると思うわ」
「なるほど」
「詳しいじゃんか」
「勉強は嫌いだけど、お話は好きなの」
得意気なヘレナだが、彼女の父親はなんとも複雑な笑顔を浮かべている。「そっち方面から教えるかなぁ」という呟きは、マクスウェルにしか聞こえていなそうだ。
ともあれ、悪くなさそうな場所と内容である。いいんじゃないか、と推そうとマクスウェルは視線を戻したが、目に入った光景に口を閉じる。
マクスウェルの正面で、リリアンが一層瞳を輝かせていたのだ。
「素晴らしいです……! とっても素敵だわ。ヘレナ様、ご提案頂いたこと、感謝します」
リリアンに太鼓判を押されたので、ならばとレイナードとクラベルも頷く。こうして湖でのデートが決定となった。
立案者のヘレナは喜びに溢れたリリアンの笑みを受け、真っ赤になる。それにアルベルトがムッとしていた。
ともあれ決定となったのなら、実行するまで。湖があるのが次の目的地であるイリス=ラハスの隣街だというのを聞いたアルベルトは、おもむろに腰を上げる。
「仕方ないな」
「待った、アルベルト! その辺は宗教の中心部って事でマフィア連中も不可侵なんだ。だから安全だから、大丈夫だから! 戻って来い!」
叫ぶヒースは慌てて後を追うが、決意を固めたアルベルトの歩みは止められない。
結局、彼が満足するまで状況確認は続き、予定より一日遅れての出発となったのだった。
◆◆◆
「で、なんで俺達まで?」
そう言うマクスウェルが居るのは湖畔、女神の水鏡と呼ばれる湖である。ヘレナがレイナードとクラベルのデートコースにと勧めた、あの湖だ。
良く晴れた青空、それを写したかのような水面は確かに美しい。ほんの僅かに白く濁りがあるのは鉱石の成分が溶け込んでいるからだと言う。近くに鉱脈があるからだろう。
マクスウェル達は、湖をぐるりと囲む柵の外側から、ボートに乗るレイナード達を眺めている。てっきり全く別の場所へ行くのだと思っていたマクスウェルは、馬車の行き先が同じであるのと、丸見えなのに柵に身を潜めるようにしているヘレナとに薄っすらと笑みを浮かべていた。
「分かってないわね、マクスウェル様。もちろん見守るために決まってるじゃない」
「俺の知る限り、覗きって言うんだぞ、こういうの」
「知ってるわ」
「分かっててやってるのか……」
じゃあ、もうどうしようもない。
見守ると言っているし、邪魔をしなければいいかと、とりあえずマクスウェルはヘレナの好きなようにさせる事にした。
ちなみに、リリアンはいいのかしらと戸惑いながらも景色を楽しんでいて、アルベルトはリリアンしか見ていない。
そんな一同を視界の端に、ボートの上のクラベルはそっと視線を戻した。
「ヘレナ様は、何が目的なのかしら」
さあ、と返しながら、レイナードはオールを動かす。手漕ぎのボートなら扱いは慣れている。他にボートに乗る観光客がいくらかいるので、それらとは距離を取りつつ、適当な場所へ移動した。
「こういうのに興味があるんじゃないかな」
「なら、期待に応えるべきよね。しなだれかかっても?」
「ボートが傾くから、あとにしてくれ」
「それもそうね」
会話はテンポはいいものの淡々としている。湖面の煌めきに彩られたレイナードにクラベルが見惚れるくらいの事があってもいいのに、そんな瞬間一度たりともなかった。すれ違ったボートの着飾った女性がぽうっとして、パートナーらしき男性がレイナードを睨み付けてはいたが、二人は普段通りだ。
それはある意味では、二人の世界が出来上がっているとも言える。が、レイナードとクラベルの場合、その世界の中心はお互いではなくリリアンである。
「うーん、いい雰囲気ではあるのよね。でももっとこう、勢いが欲しいっていうか」
「勢い?」
ボートの様子を凝視していたヘレナは眉を寄せていた。呟きに返すマクスウェルは彼女の隣で同じようにしゃがみ込んでいる。少しでも目立たないようにとの配慮だったが、見るからに身分の高い一同は何をしても視線を集める。悪目立ちしているのに気付いているのは、残念だが従者達だけだった。
ヘレナは自分の考えを確かめるように言葉を紡ぐ。
「お二人は、仲が悪いわけではないわ。むしろ良い方だと思う。相性だって絶対に良いはずなのよ。なのに、燃え上がるものがない。若いんだから、なんていうか、激しく愛し合っていてもいいじゃない?」
「どこで覚えるんだそういうの」
マクスウェルがそう言うと、ヘレナは肩を竦める。
「上の姉様がね、婚約者との初顔合わせで、お相手の方に一目惚れしたの。姉様はそれからずっと、その人に見合う人になるのに努力してた。大変な事も多かっただろうけど楽しそうだったわ。でもね、その人、姉様に素っ気なかったのよ。もしかして乗り気だったのは自分だけで、相手は違うんじゃないかって疑心暗鬼になった姉様は、嫌だったら婚約を解消しようと、泣きながら言ったそうなの。そうしたらお相手の方、なんて言ったと思う?」
「うーん……君の姉様も相手の事も知らないから想像だが、家の為だから仕方ない、とか?」
「『君が綺麗過ぎるから、恥ずかしかったんだ』ですって! お互いに一目惚れで相思相愛だったってわけ。そうと分かった瞬間、もうね、凄かったのよ……。甘い空気ってああいうのを言うのね」
「なるほど。ところで君、姉君の事情に詳し過ぎないか?」
「本人が言って聞かせてくるんだもの。惚気ってやつ?」
「うーん、そうか」
ヘレナはこれでも王女、王宮では同じ年頃の少女しか相手にしていない。身近にそういうケースがあるのなら、そういうものだと思っても無理はないのかもしれなかった。
「相思相愛ならそうなってもおかしくないって事よね。マクスウェル様はそうじゃないの?」
「……俺の事はどうでもいいだろ?」
が、そこに自分を加えられるのはいただけない。ヘレナの姉のエピソードを聞いて、なんだか他人事のように思えなかったマクスウェルは言葉を濁した。
そんなマクスウェルの様子に首を捻り、ヘレナは瞬く。
「どうでもいいわけじゃないけど……ねえ、リリアンお姉様はどう思う?」
「えっ?」
ヘレナとマクスウェルのやり取りを後方で見守っていたリリアンは、突然声を掛けられて目を丸くした。
「どう、と言われましても……」
リリアンから見ると、レイナードとクラベルは落ち着いた雰囲気を纏っており、大変似合いだ。ヘレナの言った通り、相性も良さそうに見える。
マクスウェルとその婚約者、クロエも似たようなものだったが、言われてみれば確かに、二組を比べると空気感が違うなと思う。なんというか、マクスウェルとクロエの二人が揃うと、それだけで周囲が暖かくなるようなそんな空気があった。冬から春へ移り変わる頃の、安心感がありつつも心が躍るような温もりだ。それを熱と呼べばそうなのだろう。
そうしてそれは、兄達にはない。二人の間にあるのは気候の変化の少ない、例えるなら秋の凪いだ昼下がりのような——。
でも、決して悪いものではない。どちらが良いとかどうとかは、リリアンには判断がつかなかった。
「お、移動するみたいだぞ」
それをどう説明したものか、いや、そもそも言ってもいいのかと悩んでいると、二人の様子を見ていたマクスウェルが報告してきた。それに誘われて視線を向ければ、ボートを降りたレイナードとクラベルはなにかを見ては相談事をしている。距離がかなりあるので、会話はもちろん聞こえない。
「どこへ向かわれるのかしら」
「石を見に移動するようだ」
アルベルトのつまらなそうな声がする。リリアンの言葉に答えているわりには冷たく聞こえるのは、心底興味がないからだろう。
「叔父上、聞こえるのか?」
「口の動きを見れば分かるだろうが」
当然のように言うが、二人の姿は指先より小さく見えるくらいには遠い。ヘレナが頬を引き攣らせながら「この距離で……?」と呟くのも仕方ないだろう。
その後、向こうの方へ歩いて行く二人の姿に、マクスウェルは振り返る。
「これ以上はやめとこうぜ。さすがに無粋だ」
「……しょうがないわね。じゃ、あたし達も行きましょ」
ヘレナはリリアンの手を取った。
「あの、ヘレナ様、どちらへ?」
「決まってるわ。観光よ!」
その手をぎゅっと握り締めるヘレナの瞳は輝いている。紅潮した頬が、彼女の興奮を物語っていた。
「あたしもこの街は初めてなの。湖は絵で見た事があるけど、想像以上だわ。すっごく綺麗! ね、リリアンお姉様、もっとよく見ましょ。あ、ボートに乗る? それとも馬車で周る方がいいかしら。近くにカフェがあるんですって。そこで湖を見ながらお茶するのもいいわね。ねえお姉様、早く行きましょ!」
レイナード達の観察と観光、どちらが目的だったのか。それを問うのもまた無粋だろう。ちらりと視線を交わすマクスウェルとリリアンは思わず笑みを浮かべる。
そんな中、捲し立てるヘレナに、アルベルトは一人眉を顰めた。
「本当に喧しい王女だな。気品というものがない。リリアンを見習え」
冷え切った声は鋭く突き刺さる。頭上から強く押さえつけるような圧迫感を響かせ、じろりとヘレナを見る姿からは、不機嫌が隠せていなかった。
が、そんなアルベルトの様子もなんのその、ヘレナはつんと顎を上げて言い切る。
「勉強中なの。だからこうして一緒に居るんじゃない」
「観察力よりも実行する努力を磨くんだな」
「あら。あたしなんかにアドバイスをくださるだなんて、ヴァーミリオン公はお優しいのね」
「貴様が騒がしいと同行するリリアンの品性を疑われるだろうが。その自覚が無いと言っている」
「な、なんて口の減らない人なの……」
「自己紹介は不要だが?」
アルベルトの返しは実に鋭かったがそれは当然とも言える。ヘレナが隣に居ると、アルベルトへ向けるリリアンの意識は半分以下となってしまうのだ。リリアンの為堪えているものの連日となるといい加減限界である。ヘレナへの当たりが強いのはそのせいだった。あんまり酷いとリリアンに叱られてしまうので、これでも抑えているが。
そのまま言い合いを続ける二人は放っておいて、マクスウェルは手を握られたままのリリアンへと向いた。
「行き先が一緒ってのもな。一旦休憩して、それから向かうのはどうだ?」
「ええ、マクスウェル様、わたくしもそれがいいと思います」
「じゃ、決まりだな」
そうしてアルベルト達を促し移動する。リリアンの希望だと言えば簡単だった。
カフェでお茶を飲み、それからはレイナード達が行かなそうな場所を巡ることにした。各所でヘレナが謂れなどを披露し、リリアンが褒める。するとアルベルトが苦虫を噛み潰したような顔になる、というのを繰り返し、この日の観光は終了となった。
完全に傍観者となったマクスウェルは、普通に観光を楽しんだのだった。
◆◆◆
レイナードとクラベルは、湖の後、石の採掘場へと向かった。有名ということもあって人混みを覚悟していたがそれほどでもなく、採掘の様子をじっくり観察する。と言っても、観光客は場内へは立ち入れないので、柵の外側から遠巻きにしただけだが。
それでも削る岩肌の青さははっきりと見える。青い壁が続いていくのはなかなか見応えがあった。
その後は近場の宝石店へと向かい、石を買った。透明度の少ない、翡翠のような石だったが全くの別物なのだそうだ。ここ以外では発見されていないので、枯渇しないように採掘量に上限が設けられているらしい。魔石でもなく、特別輝いているわけでもないのに高価なのはそのせいだという。
レイナードはオーダーメイドを薦めたが、時間が無いからとクラベルが選んだのは既製品のイヤリングだった。雫型の石、その風合いが気に入ったと言うのでそれを購入し、その場で着けさせて貰う。店員の「お似合いですよ」という言葉の通り、動きに合わせて揺れる青い石は、クラベルの茶色の髪から覗くと輝きを増して見えた。
それに気を良くしたクラベルは、同じ石を割って作ったのだというピンズを購入し、レイナードの襟に飾った。滑らかに磨かれた石は彼の瞳より数段柔らかな色をしているが、なんだかそれが妙に合う。とっつきにくいレイナードの雰囲気をも和らげているかのようだ。クラベルの爪くらいの大きさの石でも結構な値だったが、買って良かったと大いに満足して、二人は店を出る。
それからは街を気ままに移動する。主にクラベルが興味を引いた店に入るばかりだったが、レイナードがクラベルを引き止める事もあった。そういう時は大抵、リリアンへが喜びそうな物を見つけた時だ。けれどもクラベルは喜んでそれに付き合った。あちらよりこちらが、こちらよりそちらが良いのではという討論は非常に白熱し、充実した時間であった。
討論に、いや、散策に疲れたらカフェで休んだ。そこでの話題もリリアンの事ばかり。けれども、それこそが二人の希望であったので止めるのは難しい。休憩するはずが逆に疲労を増す結果となったのは予想外だった。
カフェから出るともう日暮れだった。滞在するホテルまでは歩いてでも行けるので、二人は湖のほとりをゆっくりと進んで行く。青かった湖は、すっかり赤く染まっていた。
「……ベルは」
「うん?」
陽の高かった時は多かった人波も今はまばらだ。二人の周囲には誰もおらず、そのお陰でレイナードの静かな声もはっきりと聞こえた。
「僕と一緒に居るのは、苦痛だろうか」
「えっ」
そんな中で語られたのは、思ってもみない言葉だった。一体、何をどう考えて言ったのか。いつも通りの表情からは読み取れない。
大体、さっきまであれほど語り合っておいて何を言うのだか。
「そんな事はないわ。レイはどうなの? わたしと居るのは嫌?」
「嫌、ではない、けど」
途端にレイナードの眉間に皺が寄る。おや、とクラベルは首を傾げた。不満そうな顔に見えるが、そうではないのをクラベルは知っている。
「トゥイリアースでも結構言われてるだろう。それにマクスの言う通りだ。僕はベルより、リリーを優先してしまうから」
「……そういうこと」
クラベルの予想通り、レイナードの眉間の皺は不安によるものだったようだ。
何にも動じていないように見える無表情からはそうとは思えない。けれど、それなりに長い付き合いのクラベルにははっきりと分かる。
急にこれを話題に出した理由までは知らないが、答えない理由もない。クラベルはレイナードの目を見て、はっきりと言う。
「レイと一緒に居るのは嫌ではないわ。それに、全部承知しているもの。レイにも閣下にも伝えたと思うけれど?」
それは、契約を結ぶ際に確かめたことだ。
ヴァーミリオン家はリリアンを最優先とする。その一員となる意味が理解できるかと問われ、クラベルは一も二もなく頷いた。
「閣下もレイも、先王御夫妻も二の次。だったらわたしがその次であっても当然だわ。その一員となれるだけで、わたしは充分よ」
クラベルは言い切り心からの笑みを浮かべる。言った言葉は本心で、何年経っても変わらないものだ。
「それに、レイの隣はわたしでなきゃいけない。そうでしょう?」
「……そうだな」
レイナードはふっと表情を緩める。
クラベルはトゥイリアースの隣国、フィリルアース王国の公爵令嬢である。レイナードの婚約者を探すにあたり、最も重要になるのがリリアンの存在だった。
最初は国内で歳の近い令嬢を選ぶ事になったのだが、顔合わせまでは順調でもリリアンを同席させるとそこで終わってしまう。
彼女達は、リリアンが同席する理由に気付かなかったのだ。
それで国内の目ぼしい令嬢は全員脱落し、隣国まで手を伸ばさなければならなくなった。
「そうは言っても、候補くらいは居たのじゃないの?」
「どうだったかな」
濁したが、レイナードは本当に覚えていない。レイナードに気に入って貰おうとするだけの令嬢、ヴァーミリオン家に取り入ろうとする令嬢、そういうのが居たのだけは覚えている。もしかしたら全員がそうだったから、候補にまでなれた令嬢なんていなかったのかもしれない。
ともかく、そうやって行き着いたのがクラベルだった。フィリルアース王国のランバル公爵家、そこへヴァーミリオン家からかつて嫁いだ女性がおり、それを縁に声が掛かったと聞いている。
さすがのクラベルも、初対面となる場では緊張してろくに話せなかった記憶がある。だが無難に済ませられたらしく、その後も面会を重ねた。そうして何度目かで彼の家族との対面を許され——そこで運命と出会う。
その日の事を、クラベルは忘れないだろう。レイナードと共にお茶をしている場に、アルベルトに手を引かれたリリアンがやって来たのだ。
おめかしをしてしずしずと歩くリリアン。そのあまりの可憐さに呼吸を忘れ、ただ立ち竦むしかないクラベルに、そっと顔を上げたリリアンがはにかむ。ほのかに桃色に色付く頬が青く透き通った瞳を際立たせていて、それに射抜かれたクラベルはもう、リリアンから視線を外せなかった。
間近まで辿り着くと挨拶をしてくれたリリアンにはっとし、クラベルも名乗りを返す。その日はそれからもレイナードと話したはずだが、クラベルの記憶にはリリアンしか残っていない。なのに翌日、正式な婚約の申し込みがあって、ランバル公爵家は大騒ぎになった。
クラベルの家の事情で、二人はまだ婚約者という間柄だ。けれども二人が二人である以上、この関係は揺るがない。
「リリーが、ベルが本当の義姉になるのを待ってるから」
「ええ。だからこそ、わたし達は幸せにならなくてはいけない。絶対にね」
それが、クラベルがレイナードの婚約者となるにあたっての絶対条件だった。
なぜならリリアンが望んでいるから。クラベルがリリアンに魅了されたように、リリアンもクラベルを気に入ったのだ。そんな令嬢はクラベルが初めてで、だからこそ、婚約者となるのを許された。
リリアンは信じている。レイナードとクラベルは似合いのカップルで、その未来が幸福で満たされている事を。
二人の未来は決定付けられた。それ以外があってはならないのだ。少なくとも——アルベルトがそれを許さない。
クラベルはそれを承知の上でいるのだが、いつも表情の変わらないレイナードが、本当はどう思っているかは分からずにいた。リリアンの家族となれるのだし、クラベルはレイナードとは気楽に付き合えるので、愛だとかそういうものが無くともいいと思っている。元々貴族の婚姻なんてそんなものだ。嫌われてさえいなければどうとでもなるし、リリアンの為なら、レイナードはクラベルを嫌ったりしないだろう。 それに、さっきの言葉を信じるなら、レイナードはクラベルを気遣ってくれていることになる。だったらもう、それで充分だ。
「で、そう言うレイはわたしでいいの?」
「僕はベルがいい」
「……そ、そう」
ふとレイナードはどうなのだろうかと思い、何となしに訊ねてみたら、レイナードはあっさりそう答えた。その顔はいつもと同じ、微笑みもなにもない。
けれども、柔らかく響く声には確かに、温かいなにかを感じる。
「それは、良かったわ」
空の赤は濃い。
顔色を誤魔化せて良かったと、クラベルは心からそう思った。
◆◆◆
宿に着いたのは辺りが薄暗くなり始めた頃だった。リリアン達はかなり早くに戻っていたようで、二人を迎えるなり夕食となった。そう小さくない宿ではあるが、この日は一行の貸し切りである。贅を凝らした食事は王宮のものにも引けを取らない。香辛料が控え目なのにマクスウェルが驚いていたが、それはこの街には観光で訪れる者が多いからだそうだ。
王宮での食事も無論美味しかった。だがトゥイリアース王国から来たリリアン達には、香りの強い香辛料ばかりの料理は辛いだろう。ヘレナがそう気を利かせて、食事に定評のあるこの宿を押さえたのだと胸を張った。
「ヘレナ様。お気遣い、ありがとうございます」
「リリアンお姉様、お口に合ったかしら?」
「ええ。食材のくせを活かす香辛料の使い方は見事ですわ。とても美味しいですね」
リリアンが褒めればヘレナは満足気に笑う。実に和やかに食事の時間は過ぎていった。
食後はお茶を飲みながら、各自行動していた間の報告をした。ほとんどヘレナによるリリアンの観察報告会だったが。
「ずいぶん楽しんだみたいね?」
クラベルが言えば、ヘレナは当然とばかりに頷いてみせる。
「もちろんよ。それに、クラベル様もそうなんじゃないの?」
「まあ、それなりにはね」
「隠さなくてもいいのに! そのイヤリング、レイナード様からの贈り物でしょう?」
「そうね。似合うかしら?」
言いながら首を動かせばイヤリングが揺れる。きらりと輝く青い石は存在感抜群だ。大人しい印象のクラベルを、一気に華やかに変えてくれる。
「とってもお似合いですわ、お義姉様」
「ふふ。ありがとうリリアン」
リリアンに笑顔を向けられるとそれだけで嬉しい。石は気に入ったものの、ちょっと似合わなかったかもと思っていたクラベルは、それだけで満足した。
一方で、イヤリングを観察したヘレナはにやりと口角を上げている。
「レイナード様、やるわね。雫型を選ぶだなんて。しかもその色、滅多にないもののはずよ」
「雫型だと、なにか意味があるのかしら?」
珍しい石だというのは聞いていたものの、詳しくは知らない。カットにまで意味があるとは思っていなかったクラベルは視線をヘレナへと移した。レイナードも、名前が出たからか、こちらを向いている。
ええ、と頷いたヘレナは瞳を輝かせた。
「お話ししたはずよ。この湖は、女神様が落とした雫でできた、って。だからね、雫の形をしたものは、ここでは最上のものなの。女神様が空から見ているように、私もあなたを見ています——人に贈る場合は、そんな意味もあるのよ」
その解説にクラベルは目を見張る。まさか、そんな意味があったとは。道理で店員がいい笑顔だったはずだ。
ちらりと見ると、レイナードは視線を外していた。その横でマクスウェルがにやにやしていたが、まあそうなるだろう。クラベルも少し顔が熱い。
それを誤魔化すように、クラベルはひとつだけ咳をする。
「ほ、本当に詳しいのね」
「勉強したから、と言いたいところだけど、ほとんど受け売りよ。こういうのに詳しい人がいて」
「ああ、ヘレナ様の婚約者ね」
クラベルがそう言うと、今度はヘレナが咽せたのを咳払いで誤魔化していた。意趣返しになったようで何よりである。
「仲が良いのね?」
「く、クラベル様達ほどじゃないわ」
「あら、それは相当良い部類に入ると思うけれど。ねえリリアン、そうは思わない?」
「ふふっ。そうですわね」
くすくすと笑うリリアンの微笑みは美しい。ヘレナはもちろん、アルベルトも見惚れている。
やけに落ち着いた様子のアルベルトにヘレナは内心首を傾げる思いだ。リリアンが楽しそうだから、というのが理由だろうが、宿に入ったらそれまでとは一変、ヘレナにつっかかる事が減った。正確には宿に着く前、夕焼けを皆で見た後からだ。見渡しのいい丘に居たからか、沈んでいく太陽が良く見えた。その茜に照らされる街、それを眺めるリリアン。きっとその光景が焼き付いているせいだとヘレナは考えていた。
常に美しさを湛えているリリアンは、ちょっとした変化を加えると、輝きが何倍にも膨れ上がるのだ。
特に今日は淡い水色のドレスを着ていたので、夕日で綺麗なオレンジに染まっていたのは素晴らしかった。その姿はヘレナの瞼の裏にもしっかり焼き付けられている。
おそらく同時刻、クラベルとレイナードも夕焼けを見ていたことだろう。二人並んだ様子が簡単に想像できる。
じゃあ、リリアンの隣は?
ヘレナはふと思ったのだが、想像してみるとどうしてもアルベルトの姿が浮かぶ。
「ところで、リリアンお姉様の婚約者って」
「そんなものは居ない」
「……そうよね」
予想通りの言葉が返ってきて、ヘレナは頰を引き攣らせた。
まあ、こんなに完璧なリリアンの相手なのだ、生半可な男では認めらない、というのはヘレナも賛成だった。もしも居るのなら、どんな人なのかは見てみたいとは思ったが。
そんな事を考えていると、直後アルベルトの呟きを耳が拾った。
「少なくとも、私より強くなくては」
「それって、人間……?」
思わず零したのだが無視された。返事を期待していたわけでもないものの、なんの反応が無いのも少し不安だ。ちらっとマクスウェルの方を見たら肩を竦められた。とりあえず不機嫌そうではないから放置することにする。
一方で、触れてはならない話題だと思っていたものをさらりと答えられ、マクスウェルは意外に感じた。ただこの様子だと、積極的に探したりはしていないんだろうなと予測がつく。
マクスウェルが呆れていると、部屋にベンジャミンが入ってくる。耳打ちされたアルベルトは深い溜め息を吐くと、しぶしぶといった様子で席を立った。明日の準備か何かがあるのだろう。
名残惜しそうに出て行くアルベルトを見送り、お茶を続けていると、ふいにリリアンがくすりと笑った。
「あらリリアン、どうかした?」
「ふふっ。いえ、お兄様もお義姉様も、本当に仲がよろしいなと実感しましたの」
「え?」
首を傾げるクラベルに、リリアンは笑みを深める。
「だって、お兄様が何も言わずともお義姉様はお茶を準備させましたし、お義姉様が何も言わずともお兄様はお義姉様の分のクッキーを取りましたでしょう? お互いを理解していなくてはなかなかできない事ですから」
それに思い至ったら嬉しくなってしまったのだと続けるリリアン。目を丸くするクラベルとレイナードの反応はまったく同じ。リリアンが「本当に息がぴったりね」と喜んでいるのを見て、なるほど、とヘレナは右手で左の手のひらを打った。
「距離が近過ぎるのね。恋人というより、長年連れ添った夫婦って感じ」
「だから、どこで覚えるんだ、そういうの」
「お祖父様とお祖母様があんな感じなの」
「そっかあ」
またもヘレナの実体験からのようだが、今度は妙に的確な気がした。
レイナードとクラベルが微妙な顔をして固まっているのは放置だ。マクスウェルはリリアンへ向き直る。
「真面目な話、どうなんだリリアン。好みというか、理想の男性像とかないのか? あれば叔父上に伝えるのもいいと思うが」
軽い調子で言ってみると、リリアンは少し驚いた顔をした。その後、考え込むように斜め上のほうを見る。うーん、と唸って出た言葉は、マクスウェルだけでなく、一同が驚くものだった。
「理想、というのであれば、お父様かしら」
「えっ」
反射的に出た声が重なる。目を見開いて固まったレイナード以外はぽかんと口を開けていた。
「家族想いで、行事なども積極的で。わたくし達の仲を取り持っているところも、素敵だわ」
身動きができずにいる兄達を前に、リリアンは更に言葉を続けていく。
「お仕事は真面目にこなされて、経営者としての能力が高いのもつくづく素晴らしいと思っているのです。魔法も上手に使われて……時々やり過ぎてしまわれるけれど、それだけ真剣なのでしょうね。稀代の魔法使いと言われるだけありますわ」
やり過ぎても、とどめを刺さない加減はしっかりしているから素晴らしい。それはそうかもしれないが、そもそもそういう状況にして欲しくないマクスウェルとしては、頷くのも躊躇われた。
しどろもどろになるマクスウェルとは違い、リリアンはきっぱりと言い切る。
「それに、とっても優しくて」
「……まあ、リリアンにはそうだよな」
「時々ちょっと過激な言葉を使われることもあって、驚いてしまいますけど」
「ちょっと……?」
「何事にも真摯で真剣なところは、見習いたいと思っています」
「そうね……すごく、とっても真剣よね……」
マクスウェル、ヘレナ、クラベルは、それぞれ遠い目になる。
リリアンの言葉は正しい。彼女が見ているものと、本来の状況はかなり異なるが。
「そういう人が好ましいと思います」
「…………」
「お父様には、内緒にしてくださいましね」
「……そうだな。父上には黙っていた方がいいと思う」
声を発せなくなったマクスウェル達を尻目に、レイナードが答える。もしもアルベルトがこれを聞いていたりしたら、とんでもない事になるだろう。間違いなく心臓が止まる。それだけで済むならいいが、自壊しないように魔力を暴走させ、辺り一帯を巻き込んだりするかもしれない。何が起きるかあまりに未知数だ。
照れるリリアンを前に、一同は考えを巡らせる。
レイナードがまず思ったのは上記の通りだが、彼はリリアンの言葉には一理あると感じていた。
父は、確かに有能なのだ。指示は的確だし、物事を見極める目も持っている。行動力は言わずもがなで、リリアンの為にと自ら動く姿に求心力を覚える者も多い。
これで人格さえまともなら。そう思っているのは、なにも自分や伯父だけではないのだ。
マクスウェルは、レイナードとはまた違う考えだった。マクスウェルにとってのアルベルトは厄介が形になったようなもの。政治バランスは当然無視するしで、困った大人代表のあれを理想とするリリアンが信じられなかった。
そんな人を未来の義父とするクラベルとしては、リリアンが羨ましくなる瞬間があった。破茶滅茶な人だというのは理解しているが、それだけの愛情を注がれる、というのが、クラベルには憧れだった。が、それを口にするのは憚られる。それがどんなものだか分からないクラベルからしても、やり過ぎというのだけは分かったのだ。
そしてヘレナはこの短期間で、アルベルトという人をよくよく理解した。
「見方が変わればこうも印象って変わるのか……」
「にしたって、限度があるんじゃないかしら」
リリアンには素晴らしい人に見えているらしい。それはアルベルトの努力によるものだろう。そういう姿しか見せていないのだから当然かもしれないが、リリアンに届いていなければこんな言葉は出て来ない。アルベルトにとっては喜ばしい事だろう。良きにしろ、悪きにしろ。
あのめちゃくちゃなところさえ落ち着いていれば、リリアンの言った通りなのに。
謎の徒労感を覚えるマクスウェル達だった。
ヒースがカップを持ったまま、アルベルトに言った。
ヘレナを訪ねたところヒースが同席を求めたため、リリアン達は彼も交えてお茶の最中である。ヴァーミリオンの一家にマクスウェルとクラベル、ヘレナにヒースとそれなりの人数なので、丸いテーブル二つを並べている状態だ。リリアンの隣はすっかり固定となっていて、アルベルトとヘレナが陣取っている。そのヘレナの隣にクラベルが、アルベルトの隣にレイナードが座るのが定着していた。こうしてテーブルが並んでいるとマクスウェルの位置はリリアンの正面辺りになるので、下手に近付こうとするより距離が近く感じる。ヒースの隣でカップを持つマクスウェルはそれを従兄弟に伝えるべきか悩んだが、椅子を代わってやるのも面倒なので黙っていた。
和やかな空気の中、そう訊ねられ、アルベルトは言ったヒースをちらりと一瞥する。
「今の所は無いな。リリアン次第だが」
「そっかあ。まあ、そう時間も無いもんな」
ヒースに笑顔を向けられ、リリアンもまた微笑む。エル=イラーフ王国はかなり広く、また歴史も古い。見所は多いが、ヘレナの治療という名目で訪れたのだから、長々と滞在するわけにもいかなかった。
ヒースの言ったイリス=ラハスというのは街の名前だ。高名な僧侶が居を構えた街で、女神信仰の厚い場所だ。その女神を讃えるために立派な教会が建てられた。その教会には女神の姿を模したステンドグラスがあり、それを目的に向かうつもりである。
王国の文化財にもなっているステンドグラスの見物は、ヘレナの薦めだ。そんなものを見られるだなんて、と目を輝かせるリリアンの姿に、アルベルトはその場でスケジュールを組んだ。
それ以外にもヘレナはあれこれ紹介をしたのだが、さすがに全てを見るのは不可能だった。
「その他の様々な場所へは、また改めて伺おうと話しているのです」
「それがいいよ。また時間のある時に来てゆっくり周るといい。ヘレナもそれを望んでるだろうから」
な、とヒースに呼びかけられ、ヘレナも笑顔で頷いた。もうすっかり長年の友人のようになったリリアンとヘレナ。リリアンがトゥイリアース王国へ戻った後は文通の約束をしているが、それでもこの数日賑やかだったので寂しいものは寂しい。再会の約束ができるのは喜ばしいことだった。
帰国まで全力で楽しんでくれとの言葉通り、ヘレナはリリアン達の案内役として奮闘していた。張り切り過ぎている気もするが、楽しそうなのでいいだろう。
「思い出作りには協力するわ」
そう胸を張る姿は微笑ましい。思わずマクスウェルも表情が崩れる。
「俺はくっついていくだけだが、リリアン、見ておきたいものがあったら行っておいた方がいいぞ」
視界の端っこでアルベルトだけが憮然としているが、それは無視しておく。
リリアンは、視線が集まる中で眉を下げていた。
「わたくしの希望ばかりでは……」
「おまけの俺に気を使う必要はないぞ」
本心からマクスウェルはそう言ったが、それでもリリアンの表情は変わらなかった。それはそうだろう、これまで行き先も食事も、何もかもがリリアンの希望通りだった。さすがにそろそろ連れ回している感じがしているに違いない。
「お兄様とお義姉様は、気になるものはございませんか?」
「いや」
「リリアンの行きたい所を選んでくれていいのよ」
しかも、兄や義姉からも同じ回答しか返ってこない。リリアンはいよいよ困ってしまったようで、硬まっている。
そんなリリアンを見たヘレナは「そうだわ」と呟いた後、身を乗り出した。にこやかにクラベルとレイナードとを見ると切り出す。
「クラベル様とレイナード様って婚約者よね?」
「ええ、そうだけれど」
「お二人でお出掛けはされないの? そうしたら、行き先が絞れるかも」
いい切り替えだ。若い男女が行くような場所は、一行が向かうには不向きかもしれない。そういう所を除外できればリリアンも連れ回している感じが薄れるだろう。それとは別に思う所もあったマクスウェルは、全力で乗っかる事にした。
「いいじゃんか。行ってきたらどうだ? 二人きりで出掛けるなんてまずないだろ」
「デートコースなら任せて、定番のから最近の流行まであるわよ。クラベル様、希望はある?」
「え、わたし?」
いきなり言われ、クラベルは目を丸くする。
そんな彼女にヘレナの方が瞬いていた。
「それはそうよ。あたしが見た限り、レイナード様はそういうの気にしないタイプでしょう」
「それは確かに」
「……マクス」
「なんだよ、本当じゃんか」
マクスウェルが横槍を入れればレイナードは憮然としてじろりと睨んできた。そんなの慣れっこなのでマクスウェルは気にしない。にやりと口の端を持ち上げれば、従兄弟殿の眉間の皺は更に深くなる。
お茶のカップを皿に戻すリリアンは、兄達がそんなやり取りをしているとは思ってもいない。青い瞳を瞬かせ、視線をヘレナへと向けている。
「ヘレナ様、定番と言われるような場所があるのですか?」
「ええ! エル=イラーフは宝石の国でしょ? 各地に宝石にまつわる逸話や神話が色々あるの。生まれ月の石や、贈り物の石に由来する場所を巡るのが定番なのよ」
「ヘレナ、それって新婚りょ——」
「折角だからそういうのはどうかしら!?」
ヒースの言葉はよく聞こえなかったが、ヘレナの提案は悪くなさそうだ。リリアンは、今度は義姉へと向くと、クラベルはレイナードと視線を交わしていた。
そうとは見えないよう抑えてはいるが、クラベルの瞳には困惑の色がちらついている。それはレイナードもだった。何を隠そう、二人ともリリアンのそばを離れたくないから、どうこの場をやり過ごそうかと考えを巡らせているのである。
そう思っているなど、リリアンには絶対に知られるわけにはいかない。意思に背く事なく、できればヘレナの申し出は却下したい。相反する要望をどう相殺、いや、方向転換するべきか。非常に難しい問題だ。
悩む二人はそのせいで黙ってしまったのだが、リリアンにはそれが違って見えたらしい。
「わたくしの事はお気になさらず。お兄様とお義姉様との思い出を作られてはどう?」
「でも、リリーの側を離れるわけには」
気遣うような声色にちくちく良心が痛む。レイナードはリリアンが心配だからという理由を付けたのだが、それを咎める声が上がった。
「レイ、お前な、そういうとこがダメなんだよ」
「何がだマクス」
マクスウェルだ。
むっとするレイナードを、マクスウェルの方が不服そうに睨み付ける。マクスウェルは二人の意図はなんとなく察しているが、今日ばかりはその姿勢は改めて貰わねばならなかった。
「何が、じゃない。あのなぁ、クラベル嬢にそのつもりがないからいいものの、婚約者より妹を優先させるもんじゃないんだよ。今後も関係を続けるつもりがあるなら、二人きりの時間をもっと作れ。俺も母上も、ずっとそう言ってるだろ。そんな調子じゃいつか横槍が入るぞ」
マクスウェルの言葉にレイナードは視線を逸らした。確かに、以前から事あるごとに言われていたのは事実だ。すぐにどうにかなるものでもないので、これまで先送りにしていた。
クラベルは、ちょっと気まずくなって視線を泳がせる。婚約者よりも義妹を優先させていたのはクラベルもなのだ。血を分けた兄妹であり、同じ家で暮らすレイナードと違い、クラベルはリリアンと過ごせる機会は少ない。ただでさえ競争率の高いところへ参入せねばならないとあって、レイナードにかまけていられないのだ。
けれどもそれは、二人とも互いに了承し合っている。リリアンを優先したいという点において、二人はお互いが最大の理解者なのだ。だからこそこれまで良好な関係でいられたとも言える。
「ね、二人で楽しんでらして」
が、当のリリアンからそう念を押されては、頷かないわけにもいかなかった。
「……仕方ないな」
「そうね。リリアンがそこまで言うなら行きましょ、レイ」
「ああ」
クラベルの同意の言葉に、ヘレナがぱあっと表情を輝かせる。
「それならおすすめの場所があるわ。とっても綺麗なブルーの湖で、ボート遊びなんてどう?」
「湖で、ボート?」
あまり特別とも思えないデートコースだ。平凡すぎて意外だと、レイナードもクラベルも首を傾げる。だがヘレナは、ただの湖ではないのだと胸を張る。
「とっても綺麗だと言ったでしょう? その湖はね、夏の青空のように、鮮やかな色をしているの」
「なるほど。レイの瞳の色をイメージしたコースというわけね?」
「さすがクラベル様ね、話が早いわ」
ふふ、と笑みを浮かべ、ヘレナはすっと人差し指を立てた。
「その湖はね、女神様が造られたものなの。空の上に居る女神様には、空の色が見えないのよね。だから、天上からでも見られるように、地上に雫を落とされたの。その雫が地面に落ちると、空の色を映す水鏡となったそうよ」
「エル=イラーフの神話か」
「そういうこと。それにね、その湖の近くでは、空色の石がよく採れるのよ。記念になると思うわ」
「なるほど」
「詳しいじゃんか」
「勉強は嫌いだけど、お話は好きなの」
得意気なヘレナだが、彼女の父親はなんとも複雑な笑顔を浮かべている。「そっち方面から教えるかなぁ」という呟きは、マクスウェルにしか聞こえていなそうだ。
ともあれ、悪くなさそうな場所と内容である。いいんじゃないか、と推そうとマクスウェルは視線を戻したが、目に入った光景に口を閉じる。
マクスウェルの正面で、リリアンが一層瞳を輝かせていたのだ。
「素晴らしいです……! とっても素敵だわ。ヘレナ様、ご提案頂いたこと、感謝します」
リリアンに太鼓判を押されたので、ならばとレイナードとクラベルも頷く。こうして湖でのデートが決定となった。
立案者のヘレナは喜びに溢れたリリアンの笑みを受け、真っ赤になる。それにアルベルトがムッとしていた。
ともあれ決定となったのなら、実行するまで。湖があるのが次の目的地であるイリス=ラハスの隣街だというのを聞いたアルベルトは、おもむろに腰を上げる。
「仕方ないな」
「待った、アルベルト! その辺は宗教の中心部って事でマフィア連中も不可侵なんだ。だから安全だから、大丈夫だから! 戻って来い!」
叫ぶヒースは慌てて後を追うが、決意を固めたアルベルトの歩みは止められない。
結局、彼が満足するまで状況確認は続き、予定より一日遅れての出発となったのだった。
◆◆◆
「で、なんで俺達まで?」
そう言うマクスウェルが居るのは湖畔、女神の水鏡と呼ばれる湖である。ヘレナがレイナードとクラベルのデートコースにと勧めた、あの湖だ。
良く晴れた青空、それを写したかのような水面は確かに美しい。ほんの僅かに白く濁りがあるのは鉱石の成分が溶け込んでいるからだと言う。近くに鉱脈があるからだろう。
マクスウェル達は、湖をぐるりと囲む柵の外側から、ボートに乗るレイナード達を眺めている。てっきり全く別の場所へ行くのだと思っていたマクスウェルは、馬車の行き先が同じであるのと、丸見えなのに柵に身を潜めるようにしているヘレナとに薄っすらと笑みを浮かべていた。
「分かってないわね、マクスウェル様。もちろん見守るために決まってるじゃない」
「俺の知る限り、覗きって言うんだぞ、こういうの」
「知ってるわ」
「分かっててやってるのか……」
じゃあ、もうどうしようもない。
見守ると言っているし、邪魔をしなければいいかと、とりあえずマクスウェルはヘレナの好きなようにさせる事にした。
ちなみに、リリアンはいいのかしらと戸惑いながらも景色を楽しんでいて、アルベルトはリリアンしか見ていない。
そんな一同を視界の端に、ボートの上のクラベルはそっと視線を戻した。
「ヘレナ様は、何が目的なのかしら」
さあ、と返しながら、レイナードはオールを動かす。手漕ぎのボートなら扱いは慣れている。他にボートに乗る観光客がいくらかいるので、それらとは距離を取りつつ、適当な場所へ移動した。
「こういうのに興味があるんじゃないかな」
「なら、期待に応えるべきよね。しなだれかかっても?」
「ボートが傾くから、あとにしてくれ」
「それもそうね」
会話はテンポはいいものの淡々としている。湖面の煌めきに彩られたレイナードにクラベルが見惚れるくらいの事があってもいいのに、そんな瞬間一度たりともなかった。すれ違ったボートの着飾った女性がぽうっとして、パートナーらしき男性がレイナードを睨み付けてはいたが、二人は普段通りだ。
それはある意味では、二人の世界が出来上がっているとも言える。が、レイナードとクラベルの場合、その世界の中心はお互いではなくリリアンである。
「うーん、いい雰囲気ではあるのよね。でももっとこう、勢いが欲しいっていうか」
「勢い?」
ボートの様子を凝視していたヘレナは眉を寄せていた。呟きに返すマクスウェルは彼女の隣で同じようにしゃがみ込んでいる。少しでも目立たないようにとの配慮だったが、見るからに身分の高い一同は何をしても視線を集める。悪目立ちしているのに気付いているのは、残念だが従者達だけだった。
ヘレナは自分の考えを確かめるように言葉を紡ぐ。
「お二人は、仲が悪いわけではないわ。むしろ良い方だと思う。相性だって絶対に良いはずなのよ。なのに、燃え上がるものがない。若いんだから、なんていうか、激しく愛し合っていてもいいじゃない?」
「どこで覚えるんだそういうの」
マクスウェルがそう言うと、ヘレナは肩を竦める。
「上の姉様がね、婚約者との初顔合わせで、お相手の方に一目惚れしたの。姉様はそれからずっと、その人に見合う人になるのに努力してた。大変な事も多かっただろうけど楽しそうだったわ。でもね、その人、姉様に素っ気なかったのよ。もしかして乗り気だったのは自分だけで、相手は違うんじゃないかって疑心暗鬼になった姉様は、嫌だったら婚約を解消しようと、泣きながら言ったそうなの。そうしたらお相手の方、なんて言ったと思う?」
「うーん……君の姉様も相手の事も知らないから想像だが、家の為だから仕方ない、とか?」
「『君が綺麗過ぎるから、恥ずかしかったんだ』ですって! お互いに一目惚れで相思相愛だったってわけ。そうと分かった瞬間、もうね、凄かったのよ……。甘い空気ってああいうのを言うのね」
「なるほど。ところで君、姉君の事情に詳し過ぎないか?」
「本人が言って聞かせてくるんだもの。惚気ってやつ?」
「うーん、そうか」
ヘレナはこれでも王女、王宮では同じ年頃の少女しか相手にしていない。身近にそういうケースがあるのなら、そういうものだと思っても無理はないのかもしれなかった。
「相思相愛ならそうなってもおかしくないって事よね。マクスウェル様はそうじゃないの?」
「……俺の事はどうでもいいだろ?」
が、そこに自分を加えられるのはいただけない。ヘレナの姉のエピソードを聞いて、なんだか他人事のように思えなかったマクスウェルは言葉を濁した。
そんなマクスウェルの様子に首を捻り、ヘレナは瞬く。
「どうでもいいわけじゃないけど……ねえ、リリアンお姉様はどう思う?」
「えっ?」
ヘレナとマクスウェルのやり取りを後方で見守っていたリリアンは、突然声を掛けられて目を丸くした。
「どう、と言われましても……」
リリアンから見ると、レイナードとクラベルは落ち着いた雰囲気を纏っており、大変似合いだ。ヘレナの言った通り、相性も良さそうに見える。
マクスウェルとその婚約者、クロエも似たようなものだったが、言われてみれば確かに、二組を比べると空気感が違うなと思う。なんというか、マクスウェルとクロエの二人が揃うと、それだけで周囲が暖かくなるようなそんな空気があった。冬から春へ移り変わる頃の、安心感がありつつも心が躍るような温もりだ。それを熱と呼べばそうなのだろう。
そうしてそれは、兄達にはない。二人の間にあるのは気候の変化の少ない、例えるなら秋の凪いだ昼下がりのような——。
でも、決して悪いものではない。どちらが良いとかどうとかは、リリアンには判断がつかなかった。
「お、移動するみたいだぞ」
それをどう説明したものか、いや、そもそも言ってもいいのかと悩んでいると、二人の様子を見ていたマクスウェルが報告してきた。それに誘われて視線を向ければ、ボートを降りたレイナードとクラベルはなにかを見ては相談事をしている。距離がかなりあるので、会話はもちろん聞こえない。
「どこへ向かわれるのかしら」
「石を見に移動するようだ」
アルベルトのつまらなそうな声がする。リリアンの言葉に答えているわりには冷たく聞こえるのは、心底興味がないからだろう。
「叔父上、聞こえるのか?」
「口の動きを見れば分かるだろうが」
当然のように言うが、二人の姿は指先より小さく見えるくらいには遠い。ヘレナが頬を引き攣らせながら「この距離で……?」と呟くのも仕方ないだろう。
その後、向こうの方へ歩いて行く二人の姿に、マクスウェルは振り返る。
「これ以上はやめとこうぜ。さすがに無粋だ」
「……しょうがないわね。じゃ、あたし達も行きましょ」
ヘレナはリリアンの手を取った。
「あの、ヘレナ様、どちらへ?」
「決まってるわ。観光よ!」
その手をぎゅっと握り締めるヘレナの瞳は輝いている。紅潮した頬が、彼女の興奮を物語っていた。
「あたしもこの街は初めてなの。湖は絵で見た事があるけど、想像以上だわ。すっごく綺麗! ね、リリアンお姉様、もっとよく見ましょ。あ、ボートに乗る? それとも馬車で周る方がいいかしら。近くにカフェがあるんですって。そこで湖を見ながらお茶するのもいいわね。ねえお姉様、早く行きましょ!」
レイナード達の観察と観光、どちらが目的だったのか。それを問うのもまた無粋だろう。ちらりと視線を交わすマクスウェルとリリアンは思わず笑みを浮かべる。
そんな中、捲し立てるヘレナに、アルベルトは一人眉を顰めた。
「本当に喧しい王女だな。気品というものがない。リリアンを見習え」
冷え切った声は鋭く突き刺さる。頭上から強く押さえつけるような圧迫感を響かせ、じろりとヘレナを見る姿からは、不機嫌が隠せていなかった。
が、そんなアルベルトの様子もなんのその、ヘレナはつんと顎を上げて言い切る。
「勉強中なの。だからこうして一緒に居るんじゃない」
「観察力よりも実行する努力を磨くんだな」
「あら。あたしなんかにアドバイスをくださるだなんて、ヴァーミリオン公はお優しいのね」
「貴様が騒がしいと同行するリリアンの品性を疑われるだろうが。その自覚が無いと言っている」
「な、なんて口の減らない人なの……」
「自己紹介は不要だが?」
アルベルトの返しは実に鋭かったがそれは当然とも言える。ヘレナが隣に居ると、アルベルトへ向けるリリアンの意識は半分以下となってしまうのだ。リリアンの為堪えているものの連日となるといい加減限界である。ヘレナへの当たりが強いのはそのせいだった。あんまり酷いとリリアンに叱られてしまうので、これでも抑えているが。
そのまま言い合いを続ける二人は放っておいて、マクスウェルは手を握られたままのリリアンへと向いた。
「行き先が一緒ってのもな。一旦休憩して、それから向かうのはどうだ?」
「ええ、マクスウェル様、わたくしもそれがいいと思います」
「じゃ、決まりだな」
そうしてアルベルト達を促し移動する。リリアンの希望だと言えば簡単だった。
カフェでお茶を飲み、それからはレイナード達が行かなそうな場所を巡ることにした。各所でヘレナが謂れなどを披露し、リリアンが褒める。するとアルベルトが苦虫を噛み潰したような顔になる、というのを繰り返し、この日の観光は終了となった。
完全に傍観者となったマクスウェルは、普通に観光を楽しんだのだった。
◆◆◆
レイナードとクラベルは、湖の後、石の採掘場へと向かった。有名ということもあって人混みを覚悟していたがそれほどでもなく、採掘の様子をじっくり観察する。と言っても、観光客は場内へは立ち入れないので、柵の外側から遠巻きにしただけだが。
それでも削る岩肌の青さははっきりと見える。青い壁が続いていくのはなかなか見応えがあった。
その後は近場の宝石店へと向かい、石を買った。透明度の少ない、翡翠のような石だったが全くの別物なのだそうだ。ここ以外では発見されていないので、枯渇しないように採掘量に上限が設けられているらしい。魔石でもなく、特別輝いているわけでもないのに高価なのはそのせいだという。
レイナードはオーダーメイドを薦めたが、時間が無いからとクラベルが選んだのは既製品のイヤリングだった。雫型の石、その風合いが気に入ったと言うのでそれを購入し、その場で着けさせて貰う。店員の「お似合いですよ」という言葉の通り、動きに合わせて揺れる青い石は、クラベルの茶色の髪から覗くと輝きを増して見えた。
それに気を良くしたクラベルは、同じ石を割って作ったのだというピンズを購入し、レイナードの襟に飾った。滑らかに磨かれた石は彼の瞳より数段柔らかな色をしているが、なんだかそれが妙に合う。とっつきにくいレイナードの雰囲気をも和らげているかのようだ。クラベルの爪くらいの大きさの石でも結構な値だったが、買って良かったと大いに満足して、二人は店を出る。
それからは街を気ままに移動する。主にクラベルが興味を引いた店に入るばかりだったが、レイナードがクラベルを引き止める事もあった。そういう時は大抵、リリアンへが喜びそうな物を見つけた時だ。けれどもクラベルは喜んでそれに付き合った。あちらよりこちらが、こちらよりそちらが良いのではという討論は非常に白熱し、充実した時間であった。
討論に、いや、散策に疲れたらカフェで休んだ。そこでの話題もリリアンの事ばかり。けれども、それこそが二人の希望であったので止めるのは難しい。休憩するはずが逆に疲労を増す結果となったのは予想外だった。
カフェから出るともう日暮れだった。滞在するホテルまでは歩いてでも行けるので、二人は湖のほとりをゆっくりと進んで行く。青かった湖は、すっかり赤く染まっていた。
「……ベルは」
「うん?」
陽の高かった時は多かった人波も今はまばらだ。二人の周囲には誰もおらず、そのお陰でレイナードの静かな声もはっきりと聞こえた。
「僕と一緒に居るのは、苦痛だろうか」
「えっ」
そんな中で語られたのは、思ってもみない言葉だった。一体、何をどう考えて言ったのか。いつも通りの表情からは読み取れない。
大体、さっきまであれほど語り合っておいて何を言うのだか。
「そんな事はないわ。レイはどうなの? わたしと居るのは嫌?」
「嫌、ではない、けど」
途端にレイナードの眉間に皺が寄る。おや、とクラベルは首を傾げた。不満そうな顔に見えるが、そうではないのをクラベルは知っている。
「トゥイリアースでも結構言われてるだろう。それにマクスの言う通りだ。僕はベルより、リリーを優先してしまうから」
「……そういうこと」
クラベルの予想通り、レイナードの眉間の皺は不安によるものだったようだ。
何にも動じていないように見える無表情からはそうとは思えない。けれど、それなりに長い付き合いのクラベルにははっきりと分かる。
急にこれを話題に出した理由までは知らないが、答えない理由もない。クラベルはレイナードの目を見て、はっきりと言う。
「レイと一緒に居るのは嫌ではないわ。それに、全部承知しているもの。レイにも閣下にも伝えたと思うけれど?」
それは、契約を結ぶ際に確かめたことだ。
ヴァーミリオン家はリリアンを最優先とする。その一員となる意味が理解できるかと問われ、クラベルは一も二もなく頷いた。
「閣下もレイも、先王御夫妻も二の次。だったらわたしがその次であっても当然だわ。その一員となれるだけで、わたしは充分よ」
クラベルは言い切り心からの笑みを浮かべる。言った言葉は本心で、何年経っても変わらないものだ。
「それに、レイの隣はわたしでなきゃいけない。そうでしょう?」
「……そうだな」
レイナードはふっと表情を緩める。
クラベルはトゥイリアースの隣国、フィリルアース王国の公爵令嬢である。レイナードの婚約者を探すにあたり、最も重要になるのがリリアンの存在だった。
最初は国内で歳の近い令嬢を選ぶ事になったのだが、顔合わせまでは順調でもリリアンを同席させるとそこで終わってしまう。
彼女達は、リリアンが同席する理由に気付かなかったのだ。
それで国内の目ぼしい令嬢は全員脱落し、隣国まで手を伸ばさなければならなくなった。
「そうは言っても、候補くらいは居たのじゃないの?」
「どうだったかな」
濁したが、レイナードは本当に覚えていない。レイナードに気に入って貰おうとするだけの令嬢、ヴァーミリオン家に取り入ろうとする令嬢、そういうのが居たのだけは覚えている。もしかしたら全員がそうだったから、候補にまでなれた令嬢なんていなかったのかもしれない。
ともかく、そうやって行き着いたのがクラベルだった。フィリルアース王国のランバル公爵家、そこへヴァーミリオン家からかつて嫁いだ女性がおり、それを縁に声が掛かったと聞いている。
さすがのクラベルも、初対面となる場では緊張してろくに話せなかった記憶がある。だが無難に済ませられたらしく、その後も面会を重ねた。そうして何度目かで彼の家族との対面を許され——そこで運命と出会う。
その日の事を、クラベルは忘れないだろう。レイナードと共にお茶をしている場に、アルベルトに手を引かれたリリアンがやって来たのだ。
おめかしをしてしずしずと歩くリリアン。そのあまりの可憐さに呼吸を忘れ、ただ立ち竦むしかないクラベルに、そっと顔を上げたリリアンがはにかむ。ほのかに桃色に色付く頬が青く透き通った瞳を際立たせていて、それに射抜かれたクラベルはもう、リリアンから視線を外せなかった。
間近まで辿り着くと挨拶をしてくれたリリアンにはっとし、クラベルも名乗りを返す。その日はそれからもレイナードと話したはずだが、クラベルの記憶にはリリアンしか残っていない。なのに翌日、正式な婚約の申し込みがあって、ランバル公爵家は大騒ぎになった。
クラベルの家の事情で、二人はまだ婚約者という間柄だ。けれども二人が二人である以上、この関係は揺るがない。
「リリーが、ベルが本当の義姉になるのを待ってるから」
「ええ。だからこそ、わたし達は幸せにならなくてはいけない。絶対にね」
それが、クラベルがレイナードの婚約者となるにあたっての絶対条件だった。
なぜならリリアンが望んでいるから。クラベルがリリアンに魅了されたように、リリアンもクラベルを気に入ったのだ。そんな令嬢はクラベルが初めてで、だからこそ、婚約者となるのを許された。
リリアンは信じている。レイナードとクラベルは似合いのカップルで、その未来が幸福で満たされている事を。
二人の未来は決定付けられた。それ以外があってはならないのだ。少なくとも——アルベルトがそれを許さない。
クラベルはそれを承知の上でいるのだが、いつも表情の変わらないレイナードが、本当はどう思っているかは分からずにいた。リリアンの家族となれるのだし、クラベルはレイナードとは気楽に付き合えるので、愛だとかそういうものが無くともいいと思っている。元々貴族の婚姻なんてそんなものだ。嫌われてさえいなければどうとでもなるし、リリアンの為なら、レイナードはクラベルを嫌ったりしないだろう。 それに、さっきの言葉を信じるなら、レイナードはクラベルを気遣ってくれていることになる。だったらもう、それで充分だ。
「で、そう言うレイはわたしでいいの?」
「僕はベルがいい」
「……そ、そう」
ふとレイナードはどうなのだろうかと思い、何となしに訊ねてみたら、レイナードはあっさりそう答えた。その顔はいつもと同じ、微笑みもなにもない。
けれども、柔らかく響く声には確かに、温かいなにかを感じる。
「それは、良かったわ」
空の赤は濃い。
顔色を誤魔化せて良かったと、クラベルは心からそう思った。
◆◆◆
宿に着いたのは辺りが薄暗くなり始めた頃だった。リリアン達はかなり早くに戻っていたようで、二人を迎えるなり夕食となった。そう小さくない宿ではあるが、この日は一行の貸し切りである。贅を凝らした食事は王宮のものにも引けを取らない。香辛料が控え目なのにマクスウェルが驚いていたが、それはこの街には観光で訪れる者が多いからだそうだ。
王宮での食事も無論美味しかった。だがトゥイリアース王国から来たリリアン達には、香りの強い香辛料ばかりの料理は辛いだろう。ヘレナがそう気を利かせて、食事に定評のあるこの宿を押さえたのだと胸を張った。
「ヘレナ様。お気遣い、ありがとうございます」
「リリアンお姉様、お口に合ったかしら?」
「ええ。食材のくせを活かす香辛料の使い方は見事ですわ。とても美味しいですね」
リリアンが褒めればヘレナは満足気に笑う。実に和やかに食事の時間は過ぎていった。
食後はお茶を飲みながら、各自行動していた間の報告をした。ほとんどヘレナによるリリアンの観察報告会だったが。
「ずいぶん楽しんだみたいね?」
クラベルが言えば、ヘレナは当然とばかりに頷いてみせる。
「もちろんよ。それに、クラベル様もそうなんじゃないの?」
「まあ、それなりにはね」
「隠さなくてもいいのに! そのイヤリング、レイナード様からの贈り物でしょう?」
「そうね。似合うかしら?」
言いながら首を動かせばイヤリングが揺れる。きらりと輝く青い石は存在感抜群だ。大人しい印象のクラベルを、一気に華やかに変えてくれる。
「とってもお似合いですわ、お義姉様」
「ふふ。ありがとうリリアン」
リリアンに笑顔を向けられるとそれだけで嬉しい。石は気に入ったものの、ちょっと似合わなかったかもと思っていたクラベルは、それだけで満足した。
一方で、イヤリングを観察したヘレナはにやりと口角を上げている。
「レイナード様、やるわね。雫型を選ぶだなんて。しかもその色、滅多にないもののはずよ」
「雫型だと、なにか意味があるのかしら?」
珍しい石だというのは聞いていたものの、詳しくは知らない。カットにまで意味があるとは思っていなかったクラベルは視線をヘレナへと移した。レイナードも、名前が出たからか、こちらを向いている。
ええ、と頷いたヘレナは瞳を輝かせた。
「お話ししたはずよ。この湖は、女神様が落とした雫でできた、って。だからね、雫の形をしたものは、ここでは最上のものなの。女神様が空から見ているように、私もあなたを見ています——人に贈る場合は、そんな意味もあるのよ」
その解説にクラベルは目を見張る。まさか、そんな意味があったとは。道理で店員がいい笑顔だったはずだ。
ちらりと見ると、レイナードは視線を外していた。その横でマクスウェルがにやにやしていたが、まあそうなるだろう。クラベルも少し顔が熱い。
それを誤魔化すように、クラベルはひとつだけ咳をする。
「ほ、本当に詳しいのね」
「勉強したから、と言いたいところだけど、ほとんど受け売りよ。こういうのに詳しい人がいて」
「ああ、ヘレナ様の婚約者ね」
クラベルがそう言うと、今度はヘレナが咽せたのを咳払いで誤魔化していた。意趣返しになったようで何よりである。
「仲が良いのね?」
「く、クラベル様達ほどじゃないわ」
「あら、それは相当良い部類に入ると思うけれど。ねえリリアン、そうは思わない?」
「ふふっ。そうですわね」
くすくすと笑うリリアンの微笑みは美しい。ヘレナはもちろん、アルベルトも見惚れている。
やけに落ち着いた様子のアルベルトにヘレナは内心首を傾げる思いだ。リリアンが楽しそうだから、というのが理由だろうが、宿に入ったらそれまでとは一変、ヘレナにつっかかる事が減った。正確には宿に着く前、夕焼けを皆で見た後からだ。見渡しのいい丘に居たからか、沈んでいく太陽が良く見えた。その茜に照らされる街、それを眺めるリリアン。きっとその光景が焼き付いているせいだとヘレナは考えていた。
常に美しさを湛えているリリアンは、ちょっとした変化を加えると、輝きが何倍にも膨れ上がるのだ。
特に今日は淡い水色のドレスを着ていたので、夕日で綺麗なオレンジに染まっていたのは素晴らしかった。その姿はヘレナの瞼の裏にもしっかり焼き付けられている。
おそらく同時刻、クラベルとレイナードも夕焼けを見ていたことだろう。二人並んだ様子が簡単に想像できる。
じゃあ、リリアンの隣は?
ヘレナはふと思ったのだが、想像してみるとどうしてもアルベルトの姿が浮かぶ。
「ところで、リリアンお姉様の婚約者って」
「そんなものは居ない」
「……そうよね」
予想通りの言葉が返ってきて、ヘレナは頰を引き攣らせた。
まあ、こんなに完璧なリリアンの相手なのだ、生半可な男では認めらない、というのはヘレナも賛成だった。もしも居るのなら、どんな人なのかは見てみたいとは思ったが。
そんな事を考えていると、直後アルベルトの呟きを耳が拾った。
「少なくとも、私より強くなくては」
「それって、人間……?」
思わず零したのだが無視された。返事を期待していたわけでもないものの、なんの反応が無いのも少し不安だ。ちらっとマクスウェルの方を見たら肩を竦められた。とりあえず不機嫌そうではないから放置することにする。
一方で、触れてはならない話題だと思っていたものをさらりと答えられ、マクスウェルは意外に感じた。ただこの様子だと、積極的に探したりはしていないんだろうなと予測がつく。
マクスウェルが呆れていると、部屋にベンジャミンが入ってくる。耳打ちされたアルベルトは深い溜め息を吐くと、しぶしぶといった様子で席を立った。明日の準備か何かがあるのだろう。
名残惜しそうに出て行くアルベルトを見送り、お茶を続けていると、ふいにリリアンがくすりと笑った。
「あらリリアン、どうかした?」
「ふふっ。いえ、お兄様もお義姉様も、本当に仲がよろしいなと実感しましたの」
「え?」
首を傾げるクラベルに、リリアンは笑みを深める。
「だって、お兄様が何も言わずともお義姉様はお茶を準備させましたし、お義姉様が何も言わずともお兄様はお義姉様の分のクッキーを取りましたでしょう? お互いを理解していなくてはなかなかできない事ですから」
それに思い至ったら嬉しくなってしまったのだと続けるリリアン。目を丸くするクラベルとレイナードの反応はまったく同じ。リリアンが「本当に息がぴったりね」と喜んでいるのを見て、なるほど、とヘレナは右手で左の手のひらを打った。
「距離が近過ぎるのね。恋人というより、長年連れ添った夫婦って感じ」
「だから、どこで覚えるんだ、そういうの」
「お祖父様とお祖母様があんな感じなの」
「そっかあ」
またもヘレナの実体験からのようだが、今度は妙に的確な気がした。
レイナードとクラベルが微妙な顔をして固まっているのは放置だ。マクスウェルはリリアンへ向き直る。
「真面目な話、どうなんだリリアン。好みというか、理想の男性像とかないのか? あれば叔父上に伝えるのもいいと思うが」
軽い調子で言ってみると、リリアンは少し驚いた顔をした。その後、考え込むように斜め上のほうを見る。うーん、と唸って出た言葉は、マクスウェルだけでなく、一同が驚くものだった。
「理想、というのであれば、お父様かしら」
「えっ」
反射的に出た声が重なる。目を見開いて固まったレイナード以外はぽかんと口を開けていた。
「家族想いで、行事なども積極的で。わたくし達の仲を取り持っているところも、素敵だわ」
身動きができずにいる兄達を前に、リリアンは更に言葉を続けていく。
「お仕事は真面目にこなされて、経営者としての能力が高いのもつくづく素晴らしいと思っているのです。魔法も上手に使われて……時々やり過ぎてしまわれるけれど、それだけ真剣なのでしょうね。稀代の魔法使いと言われるだけありますわ」
やり過ぎても、とどめを刺さない加減はしっかりしているから素晴らしい。それはそうかもしれないが、そもそもそういう状況にして欲しくないマクスウェルとしては、頷くのも躊躇われた。
しどろもどろになるマクスウェルとは違い、リリアンはきっぱりと言い切る。
「それに、とっても優しくて」
「……まあ、リリアンにはそうだよな」
「時々ちょっと過激な言葉を使われることもあって、驚いてしまいますけど」
「ちょっと……?」
「何事にも真摯で真剣なところは、見習いたいと思っています」
「そうね……すごく、とっても真剣よね……」
マクスウェル、ヘレナ、クラベルは、それぞれ遠い目になる。
リリアンの言葉は正しい。彼女が見ているものと、本来の状況はかなり異なるが。
「そういう人が好ましいと思います」
「…………」
「お父様には、内緒にしてくださいましね」
「……そうだな。父上には黙っていた方がいいと思う」
声を発せなくなったマクスウェル達を尻目に、レイナードが答える。もしもアルベルトがこれを聞いていたりしたら、とんでもない事になるだろう。間違いなく心臓が止まる。それだけで済むならいいが、自壊しないように魔力を暴走させ、辺り一帯を巻き込んだりするかもしれない。何が起きるかあまりに未知数だ。
照れるリリアンを前に、一同は考えを巡らせる。
レイナードがまず思ったのは上記の通りだが、彼はリリアンの言葉には一理あると感じていた。
父は、確かに有能なのだ。指示は的確だし、物事を見極める目も持っている。行動力は言わずもがなで、リリアンの為にと自ら動く姿に求心力を覚える者も多い。
これで人格さえまともなら。そう思っているのは、なにも自分や伯父だけではないのだ。
マクスウェルは、レイナードとはまた違う考えだった。マクスウェルにとってのアルベルトは厄介が形になったようなもの。政治バランスは当然無視するしで、困った大人代表のあれを理想とするリリアンが信じられなかった。
そんな人を未来の義父とするクラベルとしては、リリアンが羨ましくなる瞬間があった。破茶滅茶な人だというのは理解しているが、それだけの愛情を注がれる、というのが、クラベルには憧れだった。が、それを口にするのは憚られる。それがどんなものだか分からないクラベルからしても、やり過ぎというのだけは分かったのだ。
そしてヘレナはこの短期間で、アルベルトという人をよくよく理解した。
「見方が変わればこうも印象って変わるのか……」
「にしたって、限度があるんじゃないかしら」
リリアンには素晴らしい人に見えているらしい。それはアルベルトの努力によるものだろう。そういう姿しか見せていないのだから当然かもしれないが、リリアンに届いていなければこんな言葉は出て来ない。アルベルトにとっては喜ばしい事だろう。良きにしろ、悪きにしろ。
あのめちゃくちゃなところさえ落ち着いていれば、リリアンの言った通りなのに。
謎の徒労感を覚えるマクスウェル達だった。
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