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第二章

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「ねえ、マミさん」

 自分でも驚くほど色のない声だった。

「死んだ後まで悪口言われるの嫌だろ。死に方は選んだ方が良い」

 その言葉に彼女の体はビクッと反射した。

「今日あなたが死んで、いじめてた奴らはショックを受けるかもしれない」

 視線が絡む。彼女の目にも色は含まれてはいなかった。誰にでも聴こえる声で彼女にしか効かない音を含ませる。僕の能力で一番強いのは、声なのだそうだ。

「少しの間は後悔に苛まれて苦しむかもね。でも実際に殺した訳じゃないから警察には捕まらないだろうし、学校とかは死んだあなたより生きてる彼女達を守ろうとするだろう。そうして一年二年と時間が過ぎていく、すると人間は当時の感情を忘れていく。大学に行って新しい友だちができれば、あなたのことはただの記憶の一部となる。そのうち結婚もするだろうし子どももできるかもしれない。もしくは仕事で成功して名声を手に入れる」

 瞬きもせずに僕の声を聞く。その瞳の奥ではその声がそのまま現実になって見えているはずだ。

「それを見ているだけしかない」

 視線が揺らぐ。でも僕はそれを外させる事はしない。そして彼女の目から再び色がなくなった頃、また同じ声色で白昼夢を見せる。

「本気で後悔して、毎日毎日死んだ君に謝るかもね。それでそれからの人生を人の為になることをたくさんする。あなたはいないから生きてる誰かのためにね。すると彼女がその誰かにありがとうって言ってもらえる人になる」

 瞳に色が灯る。決して幸せな色ではない。

「君にはもう誰も言わない。ごめんなさいと泣き声だけ。あなたに届けられるのはそれだけ」

 僕に未来を確定できる能力はない。それを予知することももちろんできない。話していくことはただの空論だ。でも考えることを出来なくし、死への恐怖はこれまでの比にはならないくらいになったはずだ。
 
 そんなことをしている自分が一番きつかった……。

 彼女に幻を見せるために見つめている瞳から彼女の記憶が流れ込んでくる。

「自分の命でも、命をどうこうできると思うから他人の物を奪うくらいの感情で命を奪っていくんだよ」
「碧……なんでお前が泣いてるんだ?」

 無性に悲しくなったから、オードリーにノサにリューに会えないのが悲しかった。あんなに暖かな心を持った人たちだったんだ。

「碧が泣いてるのは、彼女の感情が流れ込んできてるから。碧が代わりに泣いて――」

 ケイコがそうやって僕の感情を説明するのが悔しかった。

「違う!」

 そんなんじゃないのに……。
 違う、僕が泣いてるのは彼女のせいでも彼女のためでもない。

「僕の涙は何時だって僕のものだ。誰かのためになんか泣くもんか。死ぬことを選択できるなんて思ってる奴らに僕の涙は絶対にやらない」

 僕には全部聞こえているし、見えている。醜く汚い人間の本性。どんなに偽善者ぶったって僕には分かる。

 そして何よりキレイなものを知っている。 

 人間はいつから上ばかり見上げるようになったのだろう。手を掲げて降ってくるものばかりを受け止めようとする。だから本当に手にするべきものが横に居ることに気付かない。地面に落ちた物には価値がないと蹴り飛ばす。

「悪いけど、今は死なせないから。死にたいんだったらまた今度にして」

 ケイコにした様に体の動きを封じた。もう自分の意志では飛び降りることも戻ることもできない。

「飛鳥、手伝って」

 飛鳥はひょいっと戸部さんの体を担いでフェンスまで連れて行った。

 さすが飛鳥様、僕にはそんな力ありませんよ。

 彼女をおろした後、飛鳥は僕の耳元までくると、ぼそっと説得したことを褒めてくれた。
 それが少し後ろめたかった。あと泣いたことが恥ずかしくて、弱い自分がつい顔を出しそうになっていた。

「あんなこと言わない方がいいよ」

 僕が話した内容に本当は深い意味なんてない。声を聞かせることに意味があったのだから、内容なんで童話だってなんだって良かったんだ。

「いつか誰かを傷つけるくらいなら今いなくなった方が良いって考える人もいるかもしれない。ほんの少しでも苦しんでくれるならって死ぬことに意味を見つける人だっている」

 そうじゃない人もいる。ただそれだけのこと。でも僕は、やっぱり聞いて欲しかったのかもしれない。 

「そうやって同じ所を何度もグルグル回る。苦しいだろうね」

 苦しみばかりが巡る頭の中で、それだけじゃないと信じて欲しかったのかもしれない。

「とっても恐いはずだよ……恐くて恐くて」

 そしてその時が来る。解放されることを願って……。
 少しだけ、胸が苦しくなって、どうしようもない感情に襲われた。それでも、囚われないのは、僕が弱い人間で、逃げ方が上手かっただけだろうな。

 それと、こうやって聞いてくれる人がいたから、弱いままでいられたんだ。

「死んだ後どうなるかなんて誰にも分からないんだから期待するのも失望するのも違うんじゃないかな。人間がすべきことは今を生きることだけで、それ以外に何にもないと僕は思う」

 僕がそういって笑うと、飛鳥もめったに見せない優しい顔で笑ってくれた。

「死んだ人間が見える奴が言うセリフとは思えないな」

 本当に強い人間はきっと飛鳥みたいな奴なんだろうな。

「ちゃんと聞いてなかったのか? 僕が見えてるのは人間の意識。生きてる人間がいなければ意味なんてないんだよ」
「当然過ぎて意味がわからんな」

 そして、いつもの皮肉な笑顔だった。

「ぅわっ、なんだこれ」

 突然嵐のような風が吹いた。

 風は僕たちを校舎から落とそうとするかのように、みるみる速度をましていく。暴風もいいとこだ。明らかに自然現象とは思えなかった。

「ケイコ!」

 吹いてくる風のせいで体を支えていられなくなる。

「ボクじゃないっ」
「分かってる! でも誰かが吹かせている風だ! それくらい分かるだろ!」
「分かってるけど、分かってるけどわかんないんだもん!」

 気配を感じて視線をめぐらせると、眠っているかのような表情のみなみちゃんが立っていた。その長い黒髪は少しも棚引くことなく、それはつまりそのまわりでは風がないことを示している。

「ケイコ、みなみちゃんの意識がない!」
「え? 何、どゆこと?!」

 それはこっちが聞いてんだよ。
 なぜだかそのとき、はっと頭をよぎった言葉があった。

「もしかして、みなみちゃんって元天使……?」

 ケイコがこの仕事に就いた理由、それは魂が帰ってないからで、そのせいで天使は天使じゃいられなくなったって。

「ちょっと待ってよ、碧。それはいくらなんでも無理があり過ぎだよ!」
「悪さをした天使が地上に落とされて堕天使になるってのは聞いたことがあるけど、リストラでなんてやり過ぎだったんじゃないか?」
「それはね、別にずっとって訳じゃないよ。人間になった天使にも仕事はあるの。無意識だけど、人間を良い方向に……」
「導いて、循環が元に戻ったらまた天使になるのか。俺みたいのを担ぎ出さなきゃならないくらい、状況は悪化の一途なんだろ。このままじゃいつ戻れるかなんてわかんないじゃん」
「う、うん。でも、ちゃんと記憶消してるって聞いてたんだけどな」
「おい! 悠長に話してる場合じゃないぞ。戸部が落ちる」

 飛鳥の声に振り返ると、フェンス近くに居たはずが風に押されて徐々に端に移動していっている。もちろん、とっくに呪縛はといているし、彼女自身も改めて死に直面した恐怖からか必死にもがいている。

 でも、僕らに当たっている風よりも幾分強いらしく、抵抗しきれていない。

 なんとか助けようと、近づいていく。

 みなみは天使だった人間。自殺した人間のせいで天使を辞めさせられたのを本能的に根に持っていると言うのだろうか。
みなみちゃんは自分でやっているという意識がない。

「シン!」

 必死でもがく戸部の姿は、シンの姿とダブって見えた。きっと彼女はあの物語の中で必死にもがいていたんだろう。それこそ、生きるために。

「生きたいって思え! 何が何でも生きたいって思え!」

 彼女の腕を必死に掴んで叫んでいた。

「そんなこと思ったら本当に事故になっちゃうんじゃない!?」

 真実を確かめることは今はできないが、自ら死んだ魂は帰らないが、事故ならばそうではない。それが故意に行われたことでもだ。
 横でケイコが、場にそぐわない声で話しかけてくる。

「死ななかったらいいんだろ!」
「そうだけど…、それもみなみちゃんのため?」
「はっ?」
「彼女無意識だけど、やってるのはやっぱり彼女じゃん。ベマちゃん死なせちゃったら万一記憶に残ってた場合、傷付くのはみなみちゃんでしょ? だから助けようとしてるのかなって」

 この状況でそんなことを聞くケイコの心境が全く分からない。けれど、それが天使というものだと思い出した。

 それは空気を読めないと言うことではなく、審判の能力なのだろう。絶対の善悪が無いなかで、天使はそれを判別する。自己の利益というものが無いからこそ、人間ではなく天使なのだ。

 天国が幸せな所だというのは、幸せという概念がないから。働くことに意味もなく、存在することに疑問を持たない。楽しいも悲しいもない。

 天界の奴らなんかよりよっぽど人間の方が楽しいんだ。

 そういったのは、神様と呼ばれたあいつだったっけ。つまらないからと言って逃げ出して、人間に捕まったバカ。

「あのバカのためだ」
「バカ?」
「お前の上司だよ」
「へっ?」

 あいつが楽しいというのなら人間でいることは楽しいんだ。
だから後悔させたくない。死んでしまう人にもそのまわりの人にも。何かできる時があるうちは何とかしようじゃないか。

 時間だけは取り戻せないから、精一杯頑張っても、必ず悔やむことは起こってしまうのだから、せめてそれが少しでも減らせるように……。







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