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結婚式の前日にやや不興を買ったが、なんとか式もできた。
そうして無事結婚もできたが、やはり変わらない。
実は社交界でもその仕事の能力が発揮されている。
度々色々な場所で開かれる茶会に俺の妻として招待されているのだが、女性陣が多い場でも上手く立ち回っているようで出席の回数が増えるとともに信頼と縁が広がっている。
しかし、それも本人は無自覚だ。
ムツは女性の力は凄いから話を聞かせてもらえて有り難いなんて言っているが、それも事実でありながらも、ムツ自身もご婦人方の隠れた問題解決に手を貸している。
夫婦間のすれ違いを正したり、人手や人材を派遣したり、時には制度改革だったり産業発展の道筋だったりと業務のようなことにもなっている。
もちろんムツ一人でやったことはあまり大きなことではなかったのだろう。ムツはただ切っ掛けを作っただけなのかもしれない。
無駄なことは好きではないし、お節介もしない。だからどんなことにもと、そんな首の突っ込み方はしないのだが、後に役立つと思えばやるようだ。
そして宰相事務室は多方面に仕事の範囲が広がっているため、結局いろんな事をムツはしている。
そして細かい情報を考察することもムツは得意としている。
社交界に関わるようになったことでさらにその情報網が広がったようだ。
美容や衣服、アクセサリー、飲食関係、ご婦人方が強い分野の話はただの社交上の話題だと聞き流すことはせず、そこから技術はもちろん、産地や流通、さらにはそれぞれの領地の状況などなど、ムツはいろんなことを拾い上げる。
持っている知識と照らし合わせ、必要なら調査や情報収集をして掘り下げる。
それが全部今すぐ何かの役にというわけじゃないところが、ムツのすごいところだ。
静観、観察、適宜追加調査、放置。
ムツの中では一体幾つのことが同時進行しているのか計り知れない。
そうして手持ちのカードを増やしているのに、見せびらかすこともせず、良きタイミングが来たら必要な物だけ開示して状況の改善を図る。
それが他人の手柄になろうとも気にならないらしい。
自分の評判や評価にはとことこん無頓着ではある。
だが、分かる奴には分かってしまう。
現に、宰相は分かっているから登用しているのだ。
難しいのが、これが自己肯定感の低さからではないところだ。
野心どころか欲すら薄い。
誰かに認められたいと少しも思っていない。
そもそもそんな概念すらないのかもしれない。
ただ衣食住に困らないくらいに稼げれば満足、それくらいだ。
それにしては忙しくしていて、そこにも不満がなさそうなのはどうなのか。
皆が自分と同じことができると思っているのか、はたまたそれぞれの秀でた才能を持っていると思っているのか、単純に生きてるだけで素晴らしいと思っているのかは、分からないが、とにかく自分のしていることが当たり前過ぎて自分でも気がついていないのだ。
俺が言ってみても、そういう見方もあるんだと、それさえも情報の一つとして蓄積されるだけ。感情に響かないのがもどかしい。
つまり、好きになってもらう方法がわからない。ましてや愛されるなんて夢のまた夢だ。
ただ有言実行なのか、ムツの素直さはすごい。
俺に好きで居続けてもらうためらしいのだが、惚れ直させられるばかりでときめきで心臓が潰れそうだ。
ある夜会の前、正装した俺を見て欲情したような笑顔でよく似合うと褒めてくれた。もちろん言葉はもっと丁寧だったが。
ムツが風邪気味だった時は、しっかり休ませて欲しいと言ったのだが、てっきり放っておいてほしいのかと聞けば、早く治したいから甘やかせと、歩くことさえ放棄した。当然俺は喜んでせっせと看病したが、俺がそういうことが嫌いな人でなくて良かったと安堵してみせた。
ワガママを言っている自覚があって、素直にするという条件があるから言動に表すだけで、普段のムツではしないことをするので不安になるのもいじらしい。
そして意外にも恋人との憧れの設定というのがあるようなのがまた、可愛い。
他にもあるのか聞いたら、その時に思い浮かんだいくつかを教えてくれた。
無駄に朝早くに目が覚めたときは、まだ人気がなく静かな外を二人で散歩すること。
公園のベンチで際限なくお喋りすること。
情事の翌朝、たいして整えない姿で、二人で戯れながら食事をしたりイチャついたりしたり。
揃いのアイテムを身につけたり。
恋愛小説の場面のようだと思ったら、まさに図星で、子供っぽいと呆れるだろうと困ったような悲しいような表情をするから、思わず抱きしめてしまった。
可愛過ぎる。
日頃との差が凄すぎる。
悲しいかな、まだ別に俺としたいわけじゃないことが残念だが、俺が叶えてくれるなら嬉しいとは言ってくれた。
誠実であることが結婚では大事だと身を持って分かる。
「幸せか?」
就寝前、寝室のカウチソファーに寝転がりムツは流行りの小説を読んでいた。
ベッドに腰掛けつい聞いてしまう。
「もちろん」
唐突な言葉にも本から視線を外さない。
そしてこれくらいのフランクな話し方まではしてくれるようになり、密かに嬉しく思っている。
「好きでもない男と結婚してるのにか?」
「酷い男なら何がどうなっても別れてます」
「醜聞にさらされる覚悟か」
そういった瞬間、笑い飛ばされた。
「いや、そんなの必要ないですよ。面倒なら国外に出てもいいし、そこまでじゃないなら仕事変えるとか。今回の結婚はまだその段階にないから」
「その段階になったらどこかに行くということか」
「可能性としては。離縁される可能性もありますし」
「ないと、言ってるだろ」
「僕にはそっちの方が不思議ですけど。こんなのと結婚してて楽しいですか?」
「卑下するな」
ムツの目が本から離れこちらに向く。
「事実です」
こちらに憐れむような視線を向けてくる。最近では俺のことは残念なヤツだという認識になってきているらしい。
以前俺自身が優秀であるが故に凡庸さが可愛く見えるというトラップに引っかかっているなどと言われてしまった。
すべて完璧なのに結婚相手だけは見る目がないなんてと、その本人が言うのだから褒められているのに喜べない。
最近では俺の結婚を祝福してないのはムツだけだというのに。
「そうだな、そうやつだよな」
ただそんなムツに惚れたのも俺なわけなのだから、めげるはずもない。
俺という存在は確実に受け入れてくれているのだから尚更。
「そのうち必ず好きにしてみせる」
本は閉じられ起き上がり、ムツは困ったように笑う。
「好きにならない方がいいかもしれませんよ」
「そんな訳あるか」
「相当面倒くさいだけだと思います」
「どうなるんだ?」
「分かりません、好きな人に好きになってもらったことがありませんから」
そこに悲しみは滲まない。
ムツはあまり恋愛事に執着がないようだ。
「せめて好きになったらどうなるかくらい教えておいてくれないか」
あっさり教えてくれる。
「遠くから眺めます」
「他には?」
「仕事を頑張ります」
「次」
「毎日が楽しいです」
「今は楽しくないのか?」
「楽しいですけど、ルンルンはしてませんね」
「ルンルンって……」
ムツはたまにこういう事をいうから驚くし、可愛いだろうが。
そう言うとまた残念な目をされるから言わない。
「恋したらなりませんか?」
「まあ、なるかもな」
「僕の場合はあまり人には気付かれないみたいですけど」
過去に好いた相手がいたことは聞いている。
誰かまでは教えてもらえていないが、羨ましいやつだ。
「聞いた分には確かに気づかないな」
「気づいて欲しいとも思ってなかったので、ちょうど良かったです」
「最初から何もせず諦めたのか?」
「最初からというか、付き合うとか考えられなかったんです」
欲がないにしたって、ムツならなんとかしそうなものなのに。
そもそも俺は好きになったら行動せずにはいられない。
「分からん」
正直にそう言うと、ムツは遠い目をした。
「近づくと舞い上がって何もできなくなるし、声なんか聞いたら走って逃げたくなるし、どっちもきちんと隠して対応しましたが、嬉しいという気持ちと同時に辛くもあったので、付き合うとか考える前に相手の方が結婚されました」
ムツはとんでもない奥手だったようだ。
そしてそれをハイスペックでカバーするが故に、誰からも勘づかれない。悲しいと言うべきか凄いというべきか。
ムツは俺に視線を戻した。
「とても包容力のある方でよかったです」
「俺のことか?」
「本当にさっさと別れることになると思ってたんですが、器が大きい上に根気強くて驚くほどです」
「ほだされ始めたか?」
からかいのつもりで言ったのだが、ムツはこれまでにない反応を見せた。
「そうですね、好きという感情とは違いますが、一緒にいると安心していられるので唯一無二の存在になっていることは間違いないです」
「お前……それは相当な殺し文句だぞ」
「そうですか?」
好きとは違うと前置きしているのだからと、俺には響かないと思うらしい。
「なぜ分からない?」
「だって好きになってほしいんですよね?」
「いや、俺はお前に走って逃げて欲しいわけじゃないからな」
「もし好きになったら素直にしろという約束を守ると逃げますね、誤魔化すことはできますが。そうなったらお別れですか?」
「……だから、それもだな」
好きだと言ってくれている相手に嫌われるのはムツも悲しいから、少し不安げにするところがまた俺の琴線に触れる。
普段のムツなら簡単に隠せるそんな感情の起伏を俺には見せてくれているんだから嫌いになれるはずなどない。
俺が黙ったから少しムツが困ったように首を傾げる。
「なにか駄目でしたか?」
本当に可愛い、可愛すぎる。
「もちろん逃げ回られるようになっても、別れたりしない。無理やり捕まえたりもしない、きちんとお前にペースに合わせるから安心しろ」
「……包容力の塊ですね。面倒ではないんですか?」
呆れすらまじる笑みに俺は真剣に諭す。
「面倒ではないが、例え面倒でもそういうのが好きな奴もいると覚えておけ」
「はぁ、そうですか。僕には分からない境地ですね」
しまった、よその誰ぞを観察対象にしかねない。
情報収集はムツのクセのようで、そのせいか知り合いは多いしそのへんの道行く誰とでも世間話をしている。
これ以上ムツの脳内領域に余所のやつを入れてやることはない。
「お前は俺に愛されてればいいんだから考える必要はないだろ」
「そうですね、想像より穏やかな日常に僕も満足です」
「この日常を穏やかだと言えるお前が心配だ」
「そうですか?」
ムツの異常事態のレベルが高すぎる。
「そうなんだ、自分がどれだけ忙しくしているか分かってるのか?」
「忙しいというのは、休んだり眠ったりする時間もないことを言うんじゃないんですか?」
ダメだ、毒され過ぎている。
暇を持つ余裕を忘れているのだろうか。
「宰相部にはもっと意識改革と改善が必要なようだ」
「え……大分改善したと思うんですが」
本気で驚いていることが更に心配を煽る。
「仕事だけじゃないだろ? この家のことだっていろいろしてるだろ」
「大したことはできていませんよ、僕が手を出すことの方が迷惑なことも多いですし」
確かに一見言われていることだけをこなしているように見えるが、そんなことはないと屋敷の者はもう大体気が付いている。
「お前、まだ何か気にかかってることがあるのか?」
「ないとは言えませんが、僕が気にすることでもないときちんと自重しています」
弁えているから大丈夫だとでも言うようにムツは頷く。
弁える必要はないと言いたいが、それでやることを増やされては意味がない。
「今はとりあえずそれでいい、また今度教えてくれ」
ムツが言うなら緊急性はないのだろう、ただ検討した方が良い事柄なのは間違いない。そう確信を持ったが、今ではないと置いておくことにした。
「明日したいことはないか?」
「デートしましょう、最近市場に目新しい焼き鳥を出すお店ができたと聞いたのでそれが食べたいです」
きっとそれも実地調査も含まれているんだろうと分かるが、ただそれだけでないことももう分かっている。
ムツの中の平行線で様々にいろんなことが進行しているから、一つの行動に一つの意味しか持たせないのは無価値なことだ。
そしてデートがしたいのも真実だ。そして絶対楽しみにしてくれるんだから、連れて行くしかない。
「じゃあ少し早起きしていろいろ回るか」
「はい!」
こういう時だけ妙に子供っぽいのを本人が気づいていないことがまた俺の気持ちを高ぶらせることを分かっているのか。
けれど、早く起きると約束したからには、今日は早く寝かせてやることにする。
今は信頼こそ大事だから。
毎日一歩ずつ、日々の積み重ねがムツには一番だ。
そうして無事結婚もできたが、やはり変わらない。
実は社交界でもその仕事の能力が発揮されている。
度々色々な場所で開かれる茶会に俺の妻として招待されているのだが、女性陣が多い場でも上手く立ち回っているようで出席の回数が増えるとともに信頼と縁が広がっている。
しかし、それも本人は無自覚だ。
ムツは女性の力は凄いから話を聞かせてもらえて有り難いなんて言っているが、それも事実でありながらも、ムツ自身もご婦人方の隠れた問題解決に手を貸している。
夫婦間のすれ違いを正したり、人手や人材を派遣したり、時には制度改革だったり産業発展の道筋だったりと業務のようなことにもなっている。
もちろんムツ一人でやったことはあまり大きなことではなかったのだろう。ムツはただ切っ掛けを作っただけなのかもしれない。
無駄なことは好きではないし、お節介もしない。だからどんなことにもと、そんな首の突っ込み方はしないのだが、後に役立つと思えばやるようだ。
そして宰相事務室は多方面に仕事の範囲が広がっているため、結局いろんな事をムツはしている。
そして細かい情報を考察することもムツは得意としている。
社交界に関わるようになったことでさらにその情報網が広がったようだ。
美容や衣服、アクセサリー、飲食関係、ご婦人方が強い分野の話はただの社交上の話題だと聞き流すことはせず、そこから技術はもちろん、産地や流通、さらにはそれぞれの領地の状況などなど、ムツはいろんなことを拾い上げる。
持っている知識と照らし合わせ、必要なら調査や情報収集をして掘り下げる。
それが全部今すぐ何かの役にというわけじゃないところが、ムツのすごいところだ。
静観、観察、適宜追加調査、放置。
ムツの中では一体幾つのことが同時進行しているのか計り知れない。
そうして手持ちのカードを増やしているのに、見せびらかすこともせず、良きタイミングが来たら必要な物だけ開示して状況の改善を図る。
それが他人の手柄になろうとも気にならないらしい。
自分の評判や評価にはとことこん無頓着ではある。
だが、分かる奴には分かってしまう。
現に、宰相は分かっているから登用しているのだ。
難しいのが、これが自己肯定感の低さからではないところだ。
野心どころか欲すら薄い。
誰かに認められたいと少しも思っていない。
そもそもそんな概念すらないのかもしれない。
ただ衣食住に困らないくらいに稼げれば満足、それくらいだ。
それにしては忙しくしていて、そこにも不満がなさそうなのはどうなのか。
皆が自分と同じことができると思っているのか、はたまたそれぞれの秀でた才能を持っていると思っているのか、単純に生きてるだけで素晴らしいと思っているのかは、分からないが、とにかく自分のしていることが当たり前過ぎて自分でも気がついていないのだ。
俺が言ってみても、そういう見方もあるんだと、それさえも情報の一つとして蓄積されるだけ。感情に響かないのがもどかしい。
つまり、好きになってもらう方法がわからない。ましてや愛されるなんて夢のまた夢だ。
ただ有言実行なのか、ムツの素直さはすごい。
俺に好きで居続けてもらうためらしいのだが、惚れ直させられるばかりでときめきで心臓が潰れそうだ。
ある夜会の前、正装した俺を見て欲情したような笑顔でよく似合うと褒めてくれた。もちろん言葉はもっと丁寧だったが。
ムツが風邪気味だった時は、しっかり休ませて欲しいと言ったのだが、てっきり放っておいてほしいのかと聞けば、早く治したいから甘やかせと、歩くことさえ放棄した。当然俺は喜んでせっせと看病したが、俺がそういうことが嫌いな人でなくて良かったと安堵してみせた。
ワガママを言っている自覚があって、素直にするという条件があるから言動に表すだけで、普段のムツではしないことをするので不安になるのもいじらしい。
そして意外にも恋人との憧れの設定というのがあるようなのがまた、可愛い。
他にもあるのか聞いたら、その時に思い浮かんだいくつかを教えてくれた。
無駄に朝早くに目が覚めたときは、まだ人気がなく静かな外を二人で散歩すること。
公園のベンチで際限なくお喋りすること。
情事の翌朝、たいして整えない姿で、二人で戯れながら食事をしたりイチャついたりしたり。
揃いのアイテムを身につけたり。
恋愛小説の場面のようだと思ったら、まさに図星で、子供っぽいと呆れるだろうと困ったような悲しいような表情をするから、思わず抱きしめてしまった。
可愛過ぎる。
日頃との差が凄すぎる。
悲しいかな、まだ別に俺としたいわけじゃないことが残念だが、俺が叶えてくれるなら嬉しいとは言ってくれた。
誠実であることが結婚では大事だと身を持って分かる。
「幸せか?」
就寝前、寝室のカウチソファーに寝転がりムツは流行りの小説を読んでいた。
ベッドに腰掛けつい聞いてしまう。
「もちろん」
唐突な言葉にも本から視線を外さない。
そしてこれくらいのフランクな話し方まではしてくれるようになり、密かに嬉しく思っている。
「好きでもない男と結婚してるのにか?」
「酷い男なら何がどうなっても別れてます」
「醜聞にさらされる覚悟か」
そういった瞬間、笑い飛ばされた。
「いや、そんなの必要ないですよ。面倒なら国外に出てもいいし、そこまでじゃないなら仕事変えるとか。今回の結婚はまだその段階にないから」
「その段階になったらどこかに行くということか」
「可能性としては。離縁される可能性もありますし」
「ないと、言ってるだろ」
「僕にはそっちの方が不思議ですけど。こんなのと結婚してて楽しいですか?」
「卑下するな」
ムツの目が本から離れこちらに向く。
「事実です」
こちらに憐れむような視線を向けてくる。最近では俺のことは残念なヤツだという認識になってきているらしい。
以前俺自身が優秀であるが故に凡庸さが可愛く見えるというトラップに引っかかっているなどと言われてしまった。
すべて完璧なのに結婚相手だけは見る目がないなんてと、その本人が言うのだから褒められているのに喜べない。
最近では俺の結婚を祝福してないのはムツだけだというのに。
「そうだな、そうやつだよな」
ただそんなムツに惚れたのも俺なわけなのだから、めげるはずもない。
俺という存在は確実に受け入れてくれているのだから尚更。
「そのうち必ず好きにしてみせる」
本は閉じられ起き上がり、ムツは困ったように笑う。
「好きにならない方がいいかもしれませんよ」
「そんな訳あるか」
「相当面倒くさいだけだと思います」
「どうなるんだ?」
「分かりません、好きな人に好きになってもらったことがありませんから」
そこに悲しみは滲まない。
ムツはあまり恋愛事に執着がないようだ。
「せめて好きになったらどうなるかくらい教えておいてくれないか」
あっさり教えてくれる。
「遠くから眺めます」
「他には?」
「仕事を頑張ります」
「次」
「毎日が楽しいです」
「今は楽しくないのか?」
「楽しいですけど、ルンルンはしてませんね」
「ルンルンって……」
ムツはたまにこういう事をいうから驚くし、可愛いだろうが。
そう言うとまた残念な目をされるから言わない。
「恋したらなりませんか?」
「まあ、なるかもな」
「僕の場合はあまり人には気付かれないみたいですけど」
過去に好いた相手がいたことは聞いている。
誰かまでは教えてもらえていないが、羨ましいやつだ。
「聞いた分には確かに気づかないな」
「気づいて欲しいとも思ってなかったので、ちょうど良かったです」
「最初から何もせず諦めたのか?」
「最初からというか、付き合うとか考えられなかったんです」
欲がないにしたって、ムツならなんとかしそうなものなのに。
そもそも俺は好きになったら行動せずにはいられない。
「分からん」
正直にそう言うと、ムツは遠い目をした。
「近づくと舞い上がって何もできなくなるし、声なんか聞いたら走って逃げたくなるし、どっちもきちんと隠して対応しましたが、嬉しいという気持ちと同時に辛くもあったので、付き合うとか考える前に相手の方が結婚されました」
ムツはとんでもない奥手だったようだ。
そしてそれをハイスペックでカバーするが故に、誰からも勘づかれない。悲しいと言うべきか凄いというべきか。
ムツは俺に視線を戻した。
「とても包容力のある方でよかったです」
「俺のことか?」
「本当にさっさと別れることになると思ってたんですが、器が大きい上に根気強くて驚くほどです」
「ほだされ始めたか?」
からかいのつもりで言ったのだが、ムツはこれまでにない反応を見せた。
「そうですね、好きという感情とは違いますが、一緒にいると安心していられるので唯一無二の存在になっていることは間違いないです」
「お前……それは相当な殺し文句だぞ」
「そうですか?」
好きとは違うと前置きしているのだからと、俺には響かないと思うらしい。
「なぜ分からない?」
「だって好きになってほしいんですよね?」
「いや、俺はお前に走って逃げて欲しいわけじゃないからな」
「もし好きになったら素直にしろという約束を守ると逃げますね、誤魔化すことはできますが。そうなったらお別れですか?」
「……だから、それもだな」
好きだと言ってくれている相手に嫌われるのはムツも悲しいから、少し不安げにするところがまた俺の琴線に触れる。
普段のムツなら簡単に隠せるそんな感情の起伏を俺には見せてくれているんだから嫌いになれるはずなどない。
俺が黙ったから少しムツが困ったように首を傾げる。
「なにか駄目でしたか?」
本当に可愛い、可愛すぎる。
「もちろん逃げ回られるようになっても、別れたりしない。無理やり捕まえたりもしない、きちんとお前にペースに合わせるから安心しろ」
「……包容力の塊ですね。面倒ではないんですか?」
呆れすらまじる笑みに俺は真剣に諭す。
「面倒ではないが、例え面倒でもそういうのが好きな奴もいると覚えておけ」
「はぁ、そうですか。僕には分からない境地ですね」
しまった、よその誰ぞを観察対象にしかねない。
情報収集はムツのクセのようで、そのせいか知り合いは多いしそのへんの道行く誰とでも世間話をしている。
これ以上ムツの脳内領域に余所のやつを入れてやることはない。
「お前は俺に愛されてればいいんだから考える必要はないだろ」
「そうですね、想像より穏やかな日常に僕も満足です」
「この日常を穏やかだと言えるお前が心配だ」
「そうですか?」
ムツの異常事態のレベルが高すぎる。
「そうなんだ、自分がどれだけ忙しくしているか分かってるのか?」
「忙しいというのは、休んだり眠ったりする時間もないことを言うんじゃないんですか?」
ダメだ、毒され過ぎている。
暇を持つ余裕を忘れているのだろうか。
「宰相部にはもっと意識改革と改善が必要なようだ」
「え……大分改善したと思うんですが」
本気で驚いていることが更に心配を煽る。
「仕事だけじゃないだろ? この家のことだっていろいろしてるだろ」
「大したことはできていませんよ、僕が手を出すことの方が迷惑なことも多いですし」
確かに一見言われていることだけをこなしているように見えるが、そんなことはないと屋敷の者はもう大体気が付いている。
「お前、まだ何か気にかかってることがあるのか?」
「ないとは言えませんが、僕が気にすることでもないときちんと自重しています」
弁えているから大丈夫だとでも言うようにムツは頷く。
弁える必要はないと言いたいが、それでやることを増やされては意味がない。
「今はとりあえずそれでいい、また今度教えてくれ」
ムツが言うなら緊急性はないのだろう、ただ検討した方が良い事柄なのは間違いない。そう確信を持ったが、今ではないと置いておくことにした。
「明日したいことはないか?」
「デートしましょう、最近市場に目新しい焼き鳥を出すお店ができたと聞いたのでそれが食べたいです」
きっとそれも実地調査も含まれているんだろうと分かるが、ただそれだけでないことももう分かっている。
ムツの中の平行線で様々にいろんなことが進行しているから、一つの行動に一つの意味しか持たせないのは無価値なことだ。
そしてデートがしたいのも真実だ。そして絶対楽しみにしてくれるんだから、連れて行くしかない。
「じゃあ少し早起きしていろいろ回るか」
「はい!」
こういう時だけ妙に子供っぽいのを本人が気づいていないことがまた俺の気持ちを高ぶらせることを分かっているのか。
けれど、早く起きると約束したからには、今日は早く寝かせてやることにする。
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