№21と岩下の日常

nano ひにゃ

文字の大きさ
上 下
3 / 3

しおりを挟む
 来客の予定も気配もないこの日、荷物を片付け終えた№21は、一段と気合を入れて、キッチンに立っていました。

 主人が仕事場に篭もる日は昼食の必要がありません。
 そもそも現代人の食事は、食材を調理して取るということがイベントと化していて、日常的にそうしている人はある種のこだわりをもった人とされる世の中になっています。それはしばらく前からサプリや簡易食品で暮らすことで健康を管理するになったからです。
 そのため№21が来る以前の主人の食事はそういったものばかりで、たまに食べる料理も仕方なく出席した式典やパーティーの席での暇つぶしのためでした。
 食事が娯楽となって久しい昨今では料理人は芸術家、中には人間国宝となっている人物もいます。
 一般家庭では子どもの教育として味覚による刺激を促進させるために自動調理器が日ごろ稼動していますが、さらにアンドロイドの出現によって目の前で料理風景を見せることが最新の育児方法だとブームになりつつあります。
 ちなみに卵を茹でるのは、料理ではなく実験として学校で教えられています。 

 №21が主人に料理を作る必要性は全く無かったのですが、№21にも調理プログラムはインストールされている上に本人の希望もあり毎日腕を振るっています。

 今朝は主人を感動させるような料理をできなかったので№21はなおさら意気込んでいました。
 №21の料理のテーマはどんな時だって感動させることです。一工夫が大事、愛情が何よりのスパイスだと思い込んでいる№21の調理プログラムはいつだって吹き飛んでしまっています。
 主人にとってはそれが面白いのです。

 どんなアンドロイドでも作る料理の味は一定です。プログラム通りに作るため当たり前なのですが、主人の嗜好を反映させるためには長期間使う以外にありません。経験によってのみ使用者の好みを自動更新して常に最高の食事を用意できるようになります。調理プログラムの学習機能では積み重ねはプラスにしか働かないものなのです。

 しかし№21はマズイものを作り出したりしました。主人のところに来て日が浅いなんて理由ではもちろんないです。
 最近やっと味見する習慣がついたらしく、マズイものがテーブルにあがることは少なくなりましたが、美味くないものは相変わらずです。そのくせ、国宝級の料理人も顔負けの一品を食べさせることもあるから殊更面白かったのです。

 同じものを二度作ることはできないのも愛嬌です。

 今日はどうだろうかと思いながら主人が一日の仕事を終えてリビングに帰ってくると、キッチンから食欲をそそる香りがしていました。
 どうやら今日は成功しているようです。

 主人はふとテラスのウッドデッキに目を向けるとハタハタと風になびくものが目に入ってきました。

「エン、今日は洗濯したんじゃないのか」
「あ、忘れてた。取り込んできます」

 慌ててパタパタとテラスへ走っていきます。
 それを見送りながらキッチンに入り、案の定点けっぱなしのコンロのスイッチを切ります。慌てるとそれだけに意識がいくのが№21です。
 洗濯したことも料理に夢中になりすぎて忘れていたようです。まだ日が沈んで間もないので支障はないでしょう。
 この程度の事はすでに当たり前の事として主人は気にもなりません。

「いぎゃ!」

 しかし、すぐさま聞こえた№21の声でそれで今日の事件は終わりではないと主人は苦笑しました。
 今回は何が起きたのかと、主人は№21の元まで行きます。

「どうした」

 近寄ると鼻を突く臭いがしました。
 どんなに良い香りでも過ぎれば悪臭と変わりありません。干してある洗濯物を手にして涙目をしている№21に近寄れば、頭が痛くなるほどのローズの匂いがしました。 

「何したんだ」
「ジュウナンザイってのを入れた」

 №21はあまりにショックなことがあったりすると、うっかり敬語が抜けてしまいます。

 この酷い匂いに何が起こっているのか№21には検討もつきませんでしたが、いつもと違うことをしたと主人に呆然と報告しました。
 洗濯の技術も進み洗剤も使わずに洗う世の中で柔軟剤なんて売ってさえいません。

「どこで手に入れたんだ?」
「穣がくれた」

 それは主人の父親ですね。古きよき時代をこよなく愛する変わり者です。
 穣は№21を溺愛と言って良いほど可愛がっています。決して№21を貶めようとか、失敗を見て笑ってやろうという気持ちはありません。主人のことを思う№21に手助けしている気持ちは本当に持っているのです。けれど、それによって息子に掛かる迷惑は思惑のうちだったりもします。
 決して仲が悪いわけではないのですが、父と息子という微妙な距離感なのです、特にこの二人に関しては。

「……アイツめ」

 心の底から忌々しそうに呟く主人の横で、№21は見るからにうな垂れていました。

「ふわふわでいい匂いにもなるって言ってたのに」

 穣の家で使っている家電はかなりの旧式のため柔軟剤なんてものを使っていてもおかしくないですね。№21に渡したものも主人の予想では父親の手作りなのでしょうが、最近の洗濯機とは様式が違うため通常ではありえないことが起こったようです。乾いているはずの洗濯物は触るとどうもぬめりがあるような気さえしました。

「仕方がないな。明日もう一度しなおせばいい。もう柔軟剤は使うなよ」

 干すときに気がつかないものかと思いましたがが、№21だから気がつかなくても不思議ではないと頭を撫でて励ましました。
 それでも№21は落ち込んだままです。

「もう無い」
「一回分だけもらったのか?」
「わかんなかったから、全部使っちゃった」

 主人を見上げた瞳に涙がたまり、キラキラと光っています。
 主人は今回の原因に納得し、その№21の顔に天邪鬼な心が疼いてしまいました。

「洗濯機は買い替えかもしれないな」
「えぇー」

 むせ返るような匂いのそれらは放置し、洗濯機を確認しに行くと一見何事もなさそうでしたが、スイッチを入れると妙な音がして、停止してしまいました。

「うぅ~、えーーん。壊れちゃったよぉー」

 しゃがみこんで泣きじゃくる№21に主人は洗濯機を触りながら声を掛けます。

「これじゃ仕方ねーな」
「もう直らない?」

 主人はアレコレと調べると腰に手を当てて溜息を一つ。

「もう駄目だな」

 その呟きに一瞬驚いた顔をしたあと№21は主人の言葉を理解したのかさっきよりさらに激しく泣き出しました。

「うそだぁー、ぅわぁーーん、センターーぁああ」

 洗濯機の名前を叫びながらそれに縋るのを見て意地悪な笑みを浮かべる主人です。

「嘘だ」

 今日の失敗も主人には毎日のイベントの一つで、№21をからかうのもただの意地悪。

「洗浄すれば大丈夫だろう」
「……ホントに?」
「ああ」

 するとピタッと泣き止みました。

「やったー」

 ぴょんぴょん跳ねて№21は喜びました。
 主人は№21を怒りはしません。№21がする失敗はいつだってより良くしようとした空回りだと分かっているからです。
 №21も主人に騙されたことなんて一瞬で吹き飛んでしまいます。
 主人はしばらく跳ねていた№21を眺めていましたが、さすがに声を掛けました。

「とりあえず今日は飯だ」
「ドクターが直すんですか?」

 主人の話は無視して、№21は主人を見上げて真剣に尋ねてきています。
 どうやら少し落ち着いたようですね。

「ああ、まだ買い換えたばかりだからな。修理に出すと新型を買わされるのがオチだ」

 主人はメカにすこぶる強いです。それが仕事の半分なのだから当然ですが、修理は専門ではありません。これもまた№21が来てからするようになったことの一つです。
 壊れる度に買い替えるのも主人にとっては大したことではなかったのですが、№21があまり良い顔をしませんでした。切ない表情は自分のミスを後悔するだけではないと感じるところがあったため主人が手ずから修理するようにまりました。

 だからその主人の言葉を聞くと、№21はとびきり嬉しそうな顔をして、壊れたそれに熱烈に話し出しました。

「ほらっ、ドクターってすごいでしょ! 直してくれるって、ドクターは優しいって本当だったでしょ」

 まるで我が事の様に自慢する№21に呆れながらも主人は笑っています。

「ほら、いい加減メシにするぞ」
「はーーい」

 元気よく手を挙げ返事をすると再びパタパタとキッチン向かう№21の後ろを主人は静かに付いていきます。
 あっちこっちへ行ったり来たりしながら夕飯の準備を整える姿を横目で見ながら主人は手元の端末でニュースを見ていました。
 しばらくするといつにも増して綺麗に盛られた料理が並んびます。
 粗微塵に切られた色とりどりの野菜をソースにした魚のムニエルのようなもの。スープは何かのポタージュのようでクリーム色をしており真ん中にパセリが散らされています。パンは今日は市販のものを使ったようですが、トーストされて何かオイルが塗られているようです。今朝余ったゆで卵をポテトサラダすることはすっかり忘れてしまったようですね。

 はっきりとしたメニュー名はいつだって分からないし、№21に聞いても分かりません。レシピを元に作っていても工夫が溢れているオリジナル料理が№21に手料理です。
 主人はどんなメニューでも家では箸を使います。いつも愛用しているそれで魚を一切れ口に運びました。

「うん、不味いな」
「えぇー!」

 飛び上がらんばかりに№21は驚きました。

「良い香りはするがほとんど味がしない」

 そう言いつつ主人が箸を止めることはない。№21も一口食べてみました。

「…………本当だー」
「味見しなかったのか?」
「途中までは美味しかったよ」
「そこからどうしたらこうなるんだ」

 №21は腕を組んで小首を傾げています。
 仕草は可愛らしく、どこか本気度に欠けるポーズでも本人はいたって真面目に真剣に考え込んでいるのです。

「うーん、なんでだろう」

 でも簡単に分かるならば失敗なんてしないものです。

「アンドロイドのくせに分からんのか、……さすがエンだな」

 そうアンドロイドなのだから自分がしたことが分からないことはないはずなのです。けれどそれが分からないのが№21。

「うーん」

 主人が食事をしている間、すっと唸って悩む№21でした。

 しかし食事が終わり、エッソにその相談を聞いてもらいながら入れたコーヒーを出す頃には№21はいつも通りの元気を取り戻します。
 そのあとは主人と供に風呂に入る。主人の背中を流したりするわけではなく、№21は自分の髪を洗うのが苦手なのです。
 アンドロイドに代謝はないのでお風呂に入る必要はなく、汚れたら拭く程度で清潔は保てます。もし入るとしても、一週間に一度でも多いくらいです。
 しかし№21は主人の勧めで毎日入浴します。汚れるから。どこでどのように汚れているのか主人には定かではないのですが、、泥をつけていたり、埃にまみれていたり、調味料をかぶっていたりと毎日どこかしら何かで汚れています。

 №21がこの家に来た当初は一人で入浴していましたが、どうも髪がおかしいことに主人は気がついきました。問い詰めれば洗っていなかったり、お湯をパチャパチャと掛けているだけで、シャワーをかぶる事はおろか、シャンプーなんて無視を決め込んでいました。
 自動洗髪装置なるものもあるのですが、主人は自身が短髪で頭皮や頭髪に関してなんら不安を持っていなかったので自宅に導入する気も起きず、№21の髪は主人が洗うことにしました。
 №21も主人に言われれば断ることはできず、毎日ギュッと目を閉じ、耐え忍んでいます。そのあと湯船に浸かればとろける様に癒される№21。
 ポカポカの体で№21は今日の出来事を主人に聞いてもらってから、ベッドに入り充電の意味もある睡眠につきます。

「ドクター、おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」

 そうして静かに夜は更けていきました。
 次の日。

「エン、いい加減に起きろ」

 №21は今日も飛び起きて、また新しい一日が始まるのでした。


しおりを挟む

この作品の感想を投稿する


処理中です...