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第11話 コートの裏を覗く時
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金属の触れ合う、耳障りな音が……二つ。
一つは、レヴィが着せられている踊り子の装束から。
「うーん、美味しい」
そしてもう一つは、魔族の皿の上で輝く悪趣味なカトラリーから。
向かいのソファでは、ベヘモットがケーキを頬張っていた。ムースケーキの上には例によって金箔が添えられ、横のフルーツすらも金粉で彩られている。
(こんなものばかり食ってるから、あんな鱗が生えてくるんじゃ……?)
レヴィは思い出す。ベヘモットの食卓を彩る無駄な輝きは、先日拾った『鱗』と同じ色をしていた。いっそ毒々しさすら感じられる、眩しい黄金色。
馬鹿みたいな話だが……仮に、竜の主食が金銀財宝であったとすると、何故か納得がいく。金銀の発掘量が少ないのも、巨体の彼らが既に食べ尽くした結果なのであれば。栄えた国を竜が滅ぼしたという伝承も、実は城の財宝目当てだったとしたら――
いや、『そうであって欲しい』という願望なのかもしれない。レヴィは焦りを覚えた。今こうして過ごす間にも、目の前の魔族に『食事』として自分の生気を吸われている気がするのだ。
レヴィの憂鬱とは裏腹に、ベヘモットは至福の表情でフォークを口に運んでいる。ムースが唇の端についても気にせず、無邪気に甘味を楽しんでいる。
「レヴィもこっちで一緒に食べようよぉ」
レヴィの視線に気づいたのか、ベヘモットが声を掛けてくる。左手で優しく膝の上を示し。右手のフォークで刺した果物を、こちらへ向けてフリフリと揺らした。まるで、ペットの狩猟本能を煽り、楽しい遊びへ誘うように。
「いらん……」
レヴィは気怠く拒否する。鑑賞用には面白いが、食用としては……あまり美味しそうには見えない、ギラついたケーキ。というか、行動の読めないこの魔族へ――不必要に近寄りたくない。
「んー、レヴィこれ好きじゃないのかぁ……
今度また別のやつ買ってくるね!」
ベヘモットの態度は相変わらずだ。レヴィのつれない態度の原因が、食卓のラインナップだけにあるのだろうと断定し……呑気に次を頬張っている。
レヴィは溜息をつきつつ、密かに思案を巡らせる。
(ベヘモットの正体は、バハムート……)
あの鱗が物語る真実――バハムートといえば、記録に残る魔族の中でも別格の存在。人と魔族の上に君臨する、まさに真の『頂点捕食者』である。
スカラーとして体系的に魔術を修めたとはいえ……その域を出ぬレヴィが一人、正面から挑んで勝てる相手ではない。
しかし――
(コイツがバハムートだとするなら……
あのジズは何者だ?)
レヴィの視線が、ベヘモットの向こう側へ向けられる。力関係は不明だが、少なくとも軽口を飛ばし合える間柄。それなりの実力がなければ、バハムートと長年の付き合いなど続かないはずだ。
ジズの話から察するに、巧妙な擬態で人間社会に紛れ込み、隠密に狩りを重ねてきた様子。本能のまま雑に人間を襲う、低級魔族達とは違った知能犯。何らかの高位魔族の類であることは間違いない――となれば。
(……仲間割れを狙うしかない)
レヴィの中で、一つの作戦が形を成し始めていた。
人の力で勝てないなら、魔族同士で争ってもらう。卑怯な手段だが、現状で最も勝算の高そうな、唯一の方法。
そして、ジズが手土産に渡してくる、あの生花の鮮度。前回の来訪でも『近道のためゲートを移動させた』と情報を漏らしていた。つまり……『転移魔法の仕掛け』が、確実に存在する。
このベヘモットの異空間と、市街地までを繋ぐ通路が。
それさえ分かれば……レヴィが身体一つで逃げ出しても、最悪、遭難は避けられるだろう。
この人気のない広大な屋敷が、実際どこにあるのかは不明だ。竜の根城なら空か――あるいは森か、はたまた地下深くか。外の景色も幻術で、アテにはできない。
レヴィは花瓶に生けられた、白いチューリップを見つめる。ブーケの包みはベヘモットに剥がされてしまった。花の品種もさほど珍しくはないもの。流石にレヴィも、これ以上推理できる情報はなかった。
いざゲートを抜けてみたら、遠い異国の地だった。なんてオチでないことを祈るが……。
「レヴィにゃ~ん♡」
腑抜けたベヘモットの声で、思考が中断される。
「何考えてるの?」
向かいのソファに居たはずが……いつの間にか、同じソファへ腰掛けてきている。
「……別に」
レヴィは素っ気なく答える。しかし同時に、作戦の第一歩を実行に移すことにした。
ソファの上、にじり寄ってくるベヘモットをやんわり避けると、素早く背後に回る。
そして――座っている彼の背中に軽く乗り上がり、上から肩を押さえ込んだ。
「あれっ?」
ベヘモットが驚いたような声を上げる。金色の瞳が大きく見開かれた。
「どうしたの~、急にぃ」
ベヘモットは首だけで振り返りつつ、満更でもなさそうな声音で言う。まるでペットとの追いかけっこを楽しむかのように。
「暇だから」
レヴィは淡々と答えつつ、指先で首筋を探る。前回の実験で、ここが弱点らしいことは分かっている。
ベヘモットが良からぬアクションを仕掛けてくる前に、先手を打つことにした。
「んひゃ……♡」
喉元に触れると、ベヘモットが小さな息を漏らした。広い背中が僅かに反らされる。
「レヴィ……♡
あ、いい、それすき~…♡」
大きなソファへそのまま寝転がると、レヴィを見上げ、蕩けたような声を出す。普段の余裕に満ちた態度が崩れ、瞳が潤み――頬に朱が差していた。
(単純な生き物だな)
レヴィは内心で呆れながらも、撫でる手は止めない。これで油断させられるなら、安いものだ。魔族も案外、獣と変わらないのかもしれない。
否、そうあってほしい。動物的な本能に支配された存在であれば……隙も見つけやすいはずだ。
レヴィがやんわりとベヘモットを抑え込んでいると――
ふと、外から奇妙な音が響いてきた。
軍楽隊の指揮を執る、ラッパの如き音色。勇壮でありながら……どこか歪んだ旋律。人間の奏でる音楽とは、明らかに異なる不気味な音階の連なり。
ベヘモットの表情が一変した。
眉が寄せられ、蕩けていた顔が引き締まる。珍しく緊張感のある表情。身を起こす際、一瞬だけ――瞳孔が爬虫類の如く、縦に細まったのが見えた。
「ああ……えっと……、ごめん、レヴィ」
口ごもりながら、申し訳なさそうに言う。
「ちょっとここで待ってて。危ないから――
僕が戻るまで、お部屋出ちゃダメだよ。
約束ね」
ベヘモットは、急いで使い魔を呼び寄せると、ドアや窓の辺りへ差し向けた。
名残惜しそうに振り返りつつ、部屋を出て行く。まるで、重要な仕事の電話でも掛かってきてしまったかのような……焦りを滲ませた足取りで。
扉が閉まる音が響き――……
レヴィは一人、部屋に残された。
(これは――逃げ出すチャンスか?)
一瞬、そんな考えが頭をよぎる。しかし、すぐに懸念が湧いてきた。
以前も隙を見て、試してみたことはある。だが……レヴィが部屋のドアノブに手を掛けた瞬間、脱力してその場にへたり込んでしまった。何らかの脱走防止の呪術が掛けられているのは明白だ。
ドアノブに術が掛かっているのなら、蹴破るか家具で叩き壊すという手もある。だが、それではかなり音が響いてしまう。
それに、ベヘモットがそんな単純な抜け道を残しているとは思い難い。もっとスマートな方法を探さなければ。
レヴィは部屋の出入り口を確認する。ドアや窓に張り付いている見張りの使い魔は、やはりいつものコウモリ型。
低級魔族の一種だろう。普段通り攻撃呪文さえ唱えられれば、レヴィの敵ではないのだが……。
ここへ連れ込まれた初日、詠唱封じの反動で喉を焼かれた痛みが蘇り、少し躊躇する。
代わりに、視線を部屋の隅まで巡らせると――
豪奢な造りの洋服掛けの端に、一着。
どこか不釣り合いな、黒い服が目についた。
ジズのロングコート。レヴィが確認した最初の訪問時に、ここへ置いていった彼の「忘れ物」だ。もはや薄く埃を被りそうな雰囲気で放置されている。
ベヘモットも時折は思い出すようだが……前回も渡すのを忘れ、ジズ本人も気づかず。スーツ姿のまま帰ってしまったのだ。
まるで、日常の景色の一部として。そこにあることが当たり前になってしまったかのように。
レヴィは立ち上がり、コートに近づく。
何の変哲もないクラシックなデザイン。それなりにしっかりした生地で仕立てられているようだが――特別目立つ装飾もない。裏地も確認したが、ただの紳士用のコートに見える。
今の踊り子の装束のままでは、何かと不便だ。これが本当に普通のコートならば、逃走時の上着として拝借していく手もある。
その時――
ひらり、と何かが視界を横切った。
白い羽が一枚、床に舞い落ちる。大きな風切り羽。ジズのコートに付いていたものだろうか。
レヴィは静かにそれを拾い上げる。
(これも一応取っておくか)
高位魔族の羽は、貴重な魔術素材だ。特に本人から採取した素材なら、対象への呪術の触媒としても使える。
部屋の片隅に置かれた、レヴィ用の小物入れを思い出す。
ベヘモットが「おどうぐばこ」と称して与えた、金色の悪趣味なジュエリーボックス。まるでペットの巣箱に設置したおもちゃ箱のような扱いだが、その中身は侮れない。
蓋を開けると、既にいくつかの「お宝」が入っていた。
バハムートの鱗が一枚、金色に輝いている。そして、使い魔のコウモリ達のものと思われる鉤状の爪。壁のランプの下にあった、高純度な魔石の欠片など。一見ガラクタだが、魔術師にとってはどれも価値のある素材。
もちろん、前回の来訪時に拾った分のジズの羽も、しっかりと収めてある。
これだけでは派手な攻撃手段にはならないが、低級魔族の注意を引いたり、魔道具を動かす燃料にはなる。加えて、バハムートの鱗は最強の魔術耐性を誇る素材。無加工でも、工夫次第で立派な防具となる。
詠唱不能な状況をカバーするなら、手札は多いに越したことはない。
逃走に備え、レヴィが素材をまとめようとした――その瞬間。
突如、背後で羽音がした。
猛禽が羽ばたくような、力強い音。慌てて振り返ると、信じられない光景が広がっていた。
洋服掛けのコートが、まるで生きているかのように揺れている。そして中から――人影が躍り出た。
ジズだ。
ペストマスクを被った長身の魔族が、何もないところから――いや。まるで舞台の暗幕から登場したかの如く。コートの内側から飛び出してくるという、奇妙な光景。
絨毯に膝をつき着地したかと思えば、すぐさま立ち上がって姿勢を直し、スラックスを手早く払う。それはまるで、伝書鳩が巣に帰ってきたかのように――自然な仕草だった。
「……っ?!」
レヴィは思わず絶句した。
「失敬、」
ジズはレヴィの姿を認めると、軽く会釈する。ペストマスクの赤いレンズが、部屋の光を反射して不気味に光った。
「ちょっと通りますよ」
まるで廊下ですれ違った時のような、何でもない口調。しかし状況は明らかに異常だった。
ジズはツカツカと足早に部屋の中央へ向かう。辺りを見回すと、何やら考え込むような仕草を見せた。そして……ベヘモットが食べ散らかし放置した金箔まみれの食卓を、品定めでもするかのように眺めている。
(なるほど)
レヴィは確信した。
あのコートは、ただの忘れ物ではない。 恐らく、彼の言っていた『ゲート』そのものだ。
ジズはこれまでも、何の変哲もない物体を通路にして、ベヘモットの棲家と外を行き来していたのだろう。時にはドアから普通に訪れることもあるが、それは表向きの演技に過ぎない。
実際には、もっと自由に出入りできる手段を持っているのだ。あるいはドアの外にも、彼の「忘れ物」が点在しているのかもしれない。
「ジズ……ベヘモットに用事か?」
レヴィは平静を装いながら声を掛ける。内心では、この発見に興奮していたが、それを表に出すわけにはいかない。
「んまあ、そんなところですかね~?」
ジズの返事は曖昧だった。レヴィへ背を向けているが、マスクの下からは含み笑いが漏れているような気配がする。
明らかに怪しい。家主の不在を見計らって侵入している時点で、既に妙だ。正当な用事なら、堂々とドアから入ってくればいい。
だが、とりあえず今は――
ゲートの情報を聞き出さなくては。
先ほど裏地をチェックした時は、普通のコートと変わりはなかった。通過と転移には何らかのトリガーが必要なのだろう。
レヴィは思い切って、一歩前に出た。
そして、ジズの翼に手を伸ばす。前回同様、白い羽毛にそっと触れてみた。
「……?」
ペストマスクの嘴が、ゆっくりとレヴィの方へ向く。ジズの背から怒りは感じられないが、わずかに驚いたようにも見える。
「ところでレヴィ嬢、ご主人様は?」
わざとらしい口ぶり。まるで、レヴィを『ベヘモットのペット』として扱いながら、こちらの反応を試すかのように。皮肉を込めて問いかけてくる。
「さあな。なにか急用なのか、さっき慌てて部屋を出て行ってしまった」
レヴィは翼を撫でながら答える。
「私はこの部屋を出られんので退屈だ。厄介な呪いを掛けられているのでな」
愚痴めいた言葉を付け加えた。同情を引くためではなく、情報を引き出すための撒き餌として。
温かなジズの羽毛。その手触りに、レヴィはどうしても――かつて飼っていたカナリアを思い出してしまう。
あの小さな金色の鳥も、撫でると喜んでいた。背中の翼の付け根を優しくくすぐると、目を細めて心地良さそうにしていた。触れられることを許すのは、信頼の証のようでもあった。
試しに、同じようにジズの翼を撫でてみる。爪を立てないよう、優しく丁寧に。……やんわりと弱点を探りつつ、軽くくすぐるように。
「ンッ、……」
ジズはピクリと腰を捩り、長身の影がわずかに揺れた。
拒絶ではない。むしろ、くすぐったさを堪えているような反応。喉の奥から深く堪えるような音が漏れた。
「……コホン、レヴィ嬢?
ところで今日は――これまた一段と、涼しげな格好をされてますね」
誤魔化すような咳払いをした後、さりげなく話題を切り替えるジズ。
「いい眺めです」
揶揄を含んだ視線と、少し含みのある声音。レヴィは自分の格好を見下ろして――はっと気づく。
そういえば。
今日はベヘモットも、客の来訪を予期していなかったのだろう。いつも通りの、露出度の高い踊り子のような衣装を着せられている。
「あ、こ、これは違うぞ!」
レヴィは慌てて手を引っ込めると、身を隠しつつ弁解する。
「奴の趣味だ!」
「コココ、分かってますよ」
ジズは堪えきれなくなったように笑い出す。ペストマスクの下から、弾むような軽やかな笑い声が響いた。小刻みで妙に愛嬌のある、雄鶏のような鳴き声。
ジズは部屋の隅に向かうと、自分のコート――先ほどゲートとして使ったものを洋服掛けから下ろし、何やら埃を払い始める。
軽く揺するような仕草の後、短い詠唱が聞こえる。すると、コートが新品のようにピンと張り、皺一つない状態になった。
「風邪を召されるといけませんので――
ま、とりあえずこちらを」
そして紳士的な所作で、コートをレヴィの肩へと掛けてくる。
コートは思ったより重く、そして温かかった。裏地の滑らかな感触が、露出した肌を優しく包み込む。ジズの体温が僅かに感じられるような気がして、レヴィは複雑な気分になった。
「う……、貴様、今なんの術を掛けた?」
レヴィは怪訝に尋ねる。薄着の身体を隠せるのはありがたい。だが、目の前で術を掛けられたばかりの魔族の私物を着せられては……別の意味で落ち着かない。何かの罠かもしれない。
「別に?ただの戸締まりですよ。
御婦人にお貸しした上着から、勝手口が開いて――魑魅魍魎が転び出ては困るでしょう」
ジズはあっさりそう言うと、手袋を着けた両手をパタパタと払った。
「それは……ご親切にどうも」
レヴィは表向き礼を言う。しかし、内心懸念がよぎった。
(戸締まり――まさか、ゲートを閉じられてしまったのか?)
せっかく脱出の手がかりを見つけたというのに。レヴィは焦りを滲ませつつ、ジズの様子を伺う。
家主に断りなく侵入しておきながら……目撃者であるレヴィへ、特に警戒する様子もない。
(コイツは……何故ベヘモットの留守を狙って?何が目的だ?)
コートの内側の静かな温もり。そして焦燥と猜疑が、レヴィの背に重くまとわりついていた。
一つは、レヴィが着せられている踊り子の装束から。
「うーん、美味しい」
そしてもう一つは、魔族の皿の上で輝く悪趣味なカトラリーから。
向かいのソファでは、ベヘモットがケーキを頬張っていた。ムースケーキの上には例によって金箔が添えられ、横のフルーツすらも金粉で彩られている。
(こんなものばかり食ってるから、あんな鱗が生えてくるんじゃ……?)
レヴィは思い出す。ベヘモットの食卓を彩る無駄な輝きは、先日拾った『鱗』と同じ色をしていた。いっそ毒々しさすら感じられる、眩しい黄金色。
馬鹿みたいな話だが……仮に、竜の主食が金銀財宝であったとすると、何故か納得がいく。金銀の発掘量が少ないのも、巨体の彼らが既に食べ尽くした結果なのであれば。栄えた国を竜が滅ぼしたという伝承も、実は城の財宝目当てだったとしたら――
いや、『そうであって欲しい』という願望なのかもしれない。レヴィは焦りを覚えた。今こうして過ごす間にも、目の前の魔族に『食事』として自分の生気を吸われている気がするのだ。
レヴィの憂鬱とは裏腹に、ベヘモットは至福の表情でフォークを口に運んでいる。ムースが唇の端についても気にせず、無邪気に甘味を楽しんでいる。
「レヴィもこっちで一緒に食べようよぉ」
レヴィの視線に気づいたのか、ベヘモットが声を掛けてくる。左手で優しく膝の上を示し。右手のフォークで刺した果物を、こちらへ向けてフリフリと揺らした。まるで、ペットの狩猟本能を煽り、楽しい遊びへ誘うように。
「いらん……」
レヴィは気怠く拒否する。鑑賞用には面白いが、食用としては……あまり美味しそうには見えない、ギラついたケーキ。というか、行動の読めないこの魔族へ――不必要に近寄りたくない。
「んー、レヴィこれ好きじゃないのかぁ……
今度また別のやつ買ってくるね!」
ベヘモットの態度は相変わらずだ。レヴィのつれない態度の原因が、食卓のラインナップだけにあるのだろうと断定し……呑気に次を頬張っている。
レヴィは溜息をつきつつ、密かに思案を巡らせる。
(ベヘモットの正体は、バハムート……)
あの鱗が物語る真実――バハムートといえば、記録に残る魔族の中でも別格の存在。人と魔族の上に君臨する、まさに真の『頂点捕食者』である。
スカラーとして体系的に魔術を修めたとはいえ……その域を出ぬレヴィが一人、正面から挑んで勝てる相手ではない。
しかし――
(コイツがバハムートだとするなら……
あのジズは何者だ?)
レヴィの視線が、ベヘモットの向こう側へ向けられる。力関係は不明だが、少なくとも軽口を飛ばし合える間柄。それなりの実力がなければ、バハムートと長年の付き合いなど続かないはずだ。
ジズの話から察するに、巧妙な擬態で人間社会に紛れ込み、隠密に狩りを重ねてきた様子。本能のまま雑に人間を襲う、低級魔族達とは違った知能犯。何らかの高位魔族の類であることは間違いない――となれば。
(……仲間割れを狙うしかない)
レヴィの中で、一つの作戦が形を成し始めていた。
人の力で勝てないなら、魔族同士で争ってもらう。卑怯な手段だが、現状で最も勝算の高そうな、唯一の方法。
そして、ジズが手土産に渡してくる、あの生花の鮮度。前回の来訪でも『近道のためゲートを移動させた』と情報を漏らしていた。つまり……『転移魔法の仕掛け』が、確実に存在する。
このベヘモットの異空間と、市街地までを繋ぐ通路が。
それさえ分かれば……レヴィが身体一つで逃げ出しても、最悪、遭難は避けられるだろう。
この人気のない広大な屋敷が、実際どこにあるのかは不明だ。竜の根城なら空か――あるいは森か、はたまた地下深くか。外の景色も幻術で、アテにはできない。
レヴィは花瓶に生けられた、白いチューリップを見つめる。ブーケの包みはベヘモットに剥がされてしまった。花の品種もさほど珍しくはないもの。流石にレヴィも、これ以上推理できる情報はなかった。
いざゲートを抜けてみたら、遠い異国の地だった。なんてオチでないことを祈るが……。
「レヴィにゃ~ん♡」
腑抜けたベヘモットの声で、思考が中断される。
「何考えてるの?」
向かいのソファに居たはずが……いつの間にか、同じソファへ腰掛けてきている。
「……別に」
レヴィは素っ気なく答える。しかし同時に、作戦の第一歩を実行に移すことにした。
ソファの上、にじり寄ってくるベヘモットをやんわり避けると、素早く背後に回る。
そして――座っている彼の背中に軽く乗り上がり、上から肩を押さえ込んだ。
「あれっ?」
ベヘモットが驚いたような声を上げる。金色の瞳が大きく見開かれた。
「どうしたの~、急にぃ」
ベヘモットは首だけで振り返りつつ、満更でもなさそうな声音で言う。まるでペットとの追いかけっこを楽しむかのように。
「暇だから」
レヴィは淡々と答えつつ、指先で首筋を探る。前回の実験で、ここが弱点らしいことは分かっている。
ベヘモットが良からぬアクションを仕掛けてくる前に、先手を打つことにした。
「んひゃ……♡」
喉元に触れると、ベヘモットが小さな息を漏らした。広い背中が僅かに反らされる。
「レヴィ……♡
あ、いい、それすき~…♡」
大きなソファへそのまま寝転がると、レヴィを見上げ、蕩けたような声を出す。普段の余裕に満ちた態度が崩れ、瞳が潤み――頬に朱が差していた。
(単純な生き物だな)
レヴィは内心で呆れながらも、撫でる手は止めない。これで油断させられるなら、安いものだ。魔族も案外、獣と変わらないのかもしれない。
否、そうあってほしい。動物的な本能に支配された存在であれば……隙も見つけやすいはずだ。
レヴィがやんわりとベヘモットを抑え込んでいると――
ふと、外から奇妙な音が響いてきた。
軍楽隊の指揮を執る、ラッパの如き音色。勇壮でありながら……どこか歪んだ旋律。人間の奏でる音楽とは、明らかに異なる不気味な音階の連なり。
ベヘモットの表情が一変した。
眉が寄せられ、蕩けていた顔が引き締まる。珍しく緊張感のある表情。身を起こす際、一瞬だけ――瞳孔が爬虫類の如く、縦に細まったのが見えた。
「ああ……えっと……、ごめん、レヴィ」
口ごもりながら、申し訳なさそうに言う。
「ちょっとここで待ってて。危ないから――
僕が戻るまで、お部屋出ちゃダメだよ。
約束ね」
ベヘモットは、急いで使い魔を呼び寄せると、ドアや窓の辺りへ差し向けた。
名残惜しそうに振り返りつつ、部屋を出て行く。まるで、重要な仕事の電話でも掛かってきてしまったかのような……焦りを滲ませた足取りで。
扉が閉まる音が響き――……
レヴィは一人、部屋に残された。
(これは――逃げ出すチャンスか?)
一瞬、そんな考えが頭をよぎる。しかし、すぐに懸念が湧いてきた。
以前も隙を見て、試してみたことはある。だが……レヴィが部屋のドアノブに手を掛けた瞬間、脱力してその場にへたり込んでしまった。何らかの脱走防止の呪術が掛けられているのは明白だ。
ドアノブに術が掛かっているのなら、蹴破るか家具で叩き壊すという手もある。だが、それではかなり音が響いてしまう。
それに、ベヘモットがそんな単純な抜け道を残しているとは思い難い。もっとスマートな方法を探さなければ。
レヴィは部屋の出入り口を確認する。ドアや窓に張り付いている見張りの使い魔は、やはりいつものコウモリ型。
低級魔族の一種だろう。普段通り攻撃呪文さえ唱えられれば、レヴィの敵ではないのだが……。
ここへ連れ込まれた初日、詠唱封じの反動で喉を焼かれた痛みが蘇り、少し躊躇する。
代わりに、視線を部屋の隅まで巡らせると――
豪奢な造りの洋服掛けの端に、一着。
どこか不釣り合いな、黒い服が目についた。
ジズのロングコート。レヴィが確認した最初の訪問時に、ここへ置いていった彼の「忘れ物」だ。もはや薄く埃を被りそうな雰囲気で放置されている。
ベヘモットも時折は思い出すようだが……前回も渡すのを忘れ、ジズ本人も気づかず。スーツ姿のまま帰ってしまったのだ。
まるで、日常の景色の一部として。そこにあることが当たり前になってしまったかのように。
レヴィは立ち上がり、コートに近づく。
何の変哲もないクラシックなデザイン。それなりにしっかりした生地で仕立てられているようだが――特別目立つ装飾もない。裏地も確認したが、ただの紳士用のコートに見える。
今の踊り子の装束のままでは、何かと不便だ。これが本当に普通のコートならば、逃走時の上着として拝借していく手もある。
その時――
ひらり、と何かが視界を横切った。
白い羽が一枚、床に舞い落ちる。大きな風切り羽。ジズのコートに付いていたものだろうか。
レヴィは静かにそれを拾い上げる。
(これも一応取っておくか)
高位魔族の羽は、貴重な魔術素材だ。特に本人から採取した素材なら、対象への呪術の触媒としても使える。
部屋の片隅に置かれた、レヴィ用の小物入れを思い出す。
ベヘモットが「おどうぐばこ」と称して与えた、金色の悪趣味なジュエリーボックス。まるでペットの巣箱に設置したおもちゃ箱のような扱いだが、その中身は侮れない。
蓋を開けると、既にいくつかの「お宝」が入っていた。
バハムートの鱗が一枚、金色に輝いている。そして、使い魔のコウモリ達のものと思われる鉤状の爪。壁のランプの下にあった、高純度な魔石の欠片など。一見ガラクタだが、魔術師にとってはどれも価値のある素材。
もちろん、前回の来訪時に拾った分のジズの羽も、しっかりと収めてある。
これだけでは派手な攻撃手段にはならないが、低級魔族の注意を引いたり、魔道具を動かす燃料にはなる。加えて、バハムートの鱗は最強の魔術耐性を誇る素材。無加工でも、工夫次第で立派な防具となる。
詠唱不能な状況をカバーするなら、手札は多いに越したことはない。
逃走に備え、レヴィが素材をまとめようとした――その瞬間。
突如、背後で羽音がした。
猛禽が羽ばたくような、力強い音。慌てて振り返ると、信じられない光景が広がっていた。
洋服掛けのコートが、まるで生きているかのように揺れている。そして中から――人影が躍り出た。
ジズだ。
ペストマスクを被った長身の魔族が、何もないところから――いや。まるで舞台の暗幕から登場したかの如く。コートの内側から飛び出してくるという、奇妙な光景。
絨毯に膝をつき着地したかと思えば、すぐさま立ち上がって姿勢を直し、スラックスを手早く払う。それはまるで、伝書鳩が巣に帰ってきたかのように――自然な仕草だった。
「……っ?!」
レヴィは思わず絶句した。
「失敬、」
ジズはレヴィの姿を認めると、軽く会釈する。ペストマスクの赤いレンズが、部屋の光を反射して不気味に光った。
「ちょっと通りますよ」
まるで廊下ですれ違った時のような、何でもない口調。しかし状況は明らかに異常だった。
ジズはツカツカと足早に部屋の中央へ向かう。辺りを見回すと、何やら考え込むような仕草を見せた。そして……ベヘモットが食べ散らかし放置した金箔まみれの食卓を、品定めでもするかのように眺めている。
(なるほど)
レヴィは確信した。
あのコートは、ただの忘れ物ではない。 恐らく、彼の言っていた『ゲート』そのものだ。
ジズはこれまでも、何の変哲もない物体を通路にして、ベヘモットの棲家と外を行き来していたのだろう。時にはドアから普通に訪れることもあるが、それは表向きの演技に過ぎない。
実際には、もっと自由に出入りできる手段を持っているのだ。あるいはドアの外にも、彼の「忘れ物」が点在しているのかもしれない。
「ジズ……ベヘモットに用事か?」
レヴィは平静を装いながら声を掛ける。内心では、この発見に興奮していたが、それを表に出すわけにはいかない。
「んまあ、そんなところですかね~?」
ジズの返事は曖昧だった。レヴィへ背を向けているが、マスクの下からは含み笑いが漏れているような気配がする。
明らかに怪しい。家主の不在を見計らって侵入している時点で、既に妙だ。正当な用事なら、堂々とドアから入ってくればいい。
だが、とりあえず今は――
ゲートの情報を聞き出さなくては。
先ほど裏地をチェックした時は、普通のコートと変わりはなかった。通過と転移には何らかのトリガーが必要なのだろう。
レヴィは思い切って、一歩前に出た。
そして、ジズの翼に手を伸ばす。前回同様、白い羽毛にそっと触れてみた。
「……?」
ペストマスクの嘴が、ゆっくりとレヴィの方へ向く。ジズの背から怒りは感じられないが、わずかに驚いたようにも見える。
「ところでレヴィ嬢、ご主人様は?」
わざとらしい口ぶり。まるで、レヴィを『ベヘモットのペット』として扱いながら、こちらの反応を試すかのように。皮肉を込めて問いかけてくる。
「さあな。なにか急用なのか、さっき慌てて部屋を出て行ってしまった」
レヴィは翼を撫でながら答える。
「私はこの部屋を出られんので退屈だ。厄介な呪いを掛けられているのでな」
愚痴めいた言葉を付け加えた。同情を引くためではなく、情報を引き出すための撒き餌として。
温かなジズの羽毛。その手触りに、レヴィはどうしても――かつて飼っていたカナリアを思い出してしまう。
あの小さな金色の鳥も、撫でると喜んでいた。背中の翼の付け根を優しくくすぐると、目を細めて心地良さそうにしていた。触れられることを許すのは、信頼の証のようでもあった。
試しに、同じようにジズの翼を撫でてみる。爪を立てないよう、優しく丁寧に。……やんわりと弱点を探りつつ、軽くくすぐるように。
「ンッ、……」
ジズはピクリと腰を捩り、長身の影がわずかに揺れた。
拒絶ではない。むしろ、くすぐったさを堪えているような反応。喉の奥から深く堪えるような音が漏れた。
「……コホン、レヴィ嬢?
ところで今日は――これまた一段と、涼しげな格好をされてますね」
誤魔化すような咳払いをした後、さりげなく話題を切り替えるジズ。
「いい眺めです」
揶揄を含んだ視線と、少し含みのある声音。レヴィは自分の格好を見下ろして――はっと気づく。
そういえば。
今日はベヘモットも、客の来訪を予期していなかったのだろう。いつも通りの、露出度の高い踊り子のような衣装を着せられている。
「あ、こ、これは違うぞ!」
レヴィは慌てて手を引っ込めると、身を隠しつつ弁解する。
「奴の趣味だ!」
「コココ、分かってますよ」
ジズは堪えきれなくなったように笑い出す。ペストマスクの下から、弾むような軽やかな笑い声が響いた。小刻みで妙に愛嬌のある、雄鶏のような鳴き声。
ジズは部屋の隅に向かうと、自分のコート――先ほどゲートとして使ったものを洋服掛けから下ろし、何やら埃を払い始める。
軽く揺するような仕草の後、短い詠唱が聞こえる。すると、コートが新品のようにピンと張り、皺一つない状態になった。
「風邪を召されるといけませんので――
ま、とりあえずこちらを」
そして紳士的な所作で、コートをレヴィの肩へと掛けてくる。
コートは思ったより重く、そして温かかった。裏地の滑らかな感触が、露出した肌を優しく包み込む。ジズの体温が僅かに感じられるような気がして、レヴィは複雑な気分になった。
「う……、貴様、今なんの術を掛けた?」
レヴィは怪訝に尋ねる。薄着の身体を隠せるのはありがたい。だが、目の前で術を掛けられたばかりの魔族の私物を着せられては……別の意味で落ち着かない。何かの罠かもしれない。
「別に?ただの戸締まりですよ。
御婦人にお貸しした上着から、勝手口が開いて――魑魅魍魎が転び出ては困るでしょう」
ジズはあっさりそう言うと、手袋を着けた両手をパタパタと払った。
「それは……ご親切にどうも」
レヴィは表向き礼を言う。しかし、内心懸念がよぎった。
(戸締まり――まさか、ゲートを閉じられてしまったのか?)
せっかく脱出の手がかりを見つけたというのに。レヴィは焦りを滲ませつつ、ジズの様子を伺う。
家主に断りなく侵入しておきながら……目撃者であるレヴィへ、特に警戒する様子もない。
(コイツは……何故ベヘモットの留守を狙って?何が目的だ?)
コートの内側の静かな温もり。そして焦燥と猜疑が、レヴィの背に重くまとわりついていた。
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