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第二十二話 あなたのもとへ
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小高く広々とした丘一面に植えられた芝生。等間隔に並べられたいくつもの石碑。その中の十年が過ぎ、雨風にさらされてすっかり角が取れ丸くなった父の石碑の前に、母の骨壺を右手にもって、アンルティーファは立っていた。立ち尽くしていた。その視線は大きく空を仰いでいる。朝焼けの橙と紫が入り混じったかのような曖昧なグラデーションの大空を。小さな左手には不釣り合いな、先の鋭い黒い鋏をもって。
ルチアーナのいなくなったこの世界はひどく寒々しくて、たまらなかった。フランといる時だけはなめられないようにと一生懸命口調を気をつけたりして彼女のことを考えていられたけれど、暗証番号を知ったいま彼女がアンルティーファのもとに残ってくれる確証はない。ならば、再び一人になってしまうくらいなら。自分からフランのもとを去ろうと決めていた。それなら、去られてしまったという悲しみはないから。捨てられたのだという苦しみはないから。
「ごめんなさい、ママ。わたしもママたちのところに行くね」
痛いのはいやだけど、ママに会うためだもん。仕方ないよね。にこりと笑った顔は晴れ晴れとしていて、穏やかだった。いつもとは違う、子どもっぽい口調。それがアンルティーファの本来の口調だった。ちゃんとした女の子の口調は、フランになめられないようにするために武装していただけに過ぎなかった。その手に持った黒塗りの鋏に、生まれでたばかりの太陽の光が反射していた。木綿でできたドレスがわずかな風に揺れて、レースが靡いた。
「えっと、たしか首か心臓だよね……うん、首にしよう」
なんとなく、首の方が痛くなさそうよね。一瞬でいけそうだしと小さく呟いた。
ふと、骨壺があると力をこめにくいことに気付いて足もとに置く。それでも納得いかなかったのか、父の墓の前において、やっと満足そうに頷く。そう、元々は母の遺骨を父のもとに届けに来たんだから、父の墓の側に置かなきゃだめだろう。
グラデーションの美しい心が洗われる。最期に空を見上げて、その空の色を目に焼き付けて。アンルティーファはそっと目を閉じた。鋏のグリップの下を両手で握りしめて、大きく腕を伸ばす。一瞬ためてから、思いっきり。
鋏を自分の喉に向かって振り下ろした。
ぐにゅ、ぐにゃ、ぐちゃ。
なんでもよかった。ただそんな音がして、以前ルチアーナがコッコの肉の裂き方を教えてくれた時のように肉を裂いて刃物が刺さる感触が手から伝わる。生温かくて鉄臭い液体が顔にかかるのを感じた。不思議と痛くはなくて、その疑問に目を開けると。目の前の白い革手袋のはまった手のひらから、血に濡れた鋏の黒い刃先が生えていた。どこか見覚えのあるそれは、ここ数日ともに過ごした手だ。アンルティーファを守ってくれたやさしい手で、一瞬で人を殺せる強い手だ。
「フラ、ン?」
「いっ……たい。痛い、わね。なにしてるのよ、この馬鹿」
「ど、どうしてここに……じゃなくてけが! ごめんなさい! ど、どうすれば、包帯!」
「いらないわ。よく見てなさい」
「え?」
後ろを振り返って、呟いたアンルティーファに。フランは芝生に膝をつけてかがみ込みながらぐちゅり、と音をさせて手から鋏を引き抜くと芝生に放り出す。鋏が刺さってない方の手で胸元の内ポケットを漁った。ぶちっと音をさせて、細い革紐の先についた白い折り鶴の首が少し千切れる。しかし、そんなことはどうでもいいと言わんばかりに鋏が刺さっていた方の手に白い折り鶴をのせる。じわりと白い切絵紙に血がにじんだ。それをみて悲鳴を上げそうになるアンルティーファに、フランは痛みにはっはと息を少し荒げながら血のにじんだ折り鶴を食べ始めた。
翼の先からじわじわと燃えるようにゆっくりと光の粒子となって宙にとけていくそれが、朝日に照らされて神秘的に見えた。アンルティーファは叫ぼうとしていたのも忘れて思わず息をとめて胸元を握りそれを見守っていた。やがて、すべてが溶けるように消える頃には。鋏が刺さった手からの出血はなく穴の開いた革手袋に白い肌にうっすらと残った淡いピンク色の痕が残っていただけだった。ふう、とやっと引いた痛みに肩で息をついたフラン。それにあわてたのはアンルティーファだった。
「フラン、なんでここに……っていうかあの鶴たべちゃって……中! 中は見たの!?」
「見てないわ」
「な……。なんで! わたし手紙に書いたよね!? ずっと身に着けてって言ったものに書いてあるって! フラン、気づかなかったの!? 暗証番号は二むぐ」
「黙りなさい」
平然と苦手なはずの嘘をつきながら、フランはアンルティーファの口を穴の開いた革手袋のはまった手でふさいだ。一生懸命にまくしたてようとするアンルティーファを黙らせた、そのフランの顔を見てアンルティーファは黙り込む。
フランは泣いていた。
ただ静かに、自分が泣いていることにも気づいていないかのような顔で、泣いていたから。アンルティーファが黙り込んだのを確認すると、フランはふさいだ口からそっと手を離した。そしてアンルティーファの小さな手を壊れ物でも掴むように柔らかくもつと、自分の首輪へと導いた。
隙間ができるほどに緩んだそれに、アンルティーファはその意味を知った。支配の首輪は、緩んでしまうことがないように、その隙間から首輪を断ち切れる刃物がすべりこむ隙を与えないようにきつく締められる。それなのに隙間があるということは――。
ルチアーナのいなくなったこの世界はひどく寒々しくて、たまらなかった。フランといる時だけはなめられないようにと一生懸命口調を気をつけたりして彼女のことを考えていられたけれど、暗証番号を知ったいま彼女がアンルティーファのもとに残ってくれる確証はない。ならば、再び一人になってしまうくらいなら。自分からフランのもとを去ろうと決めていた。それなら、去られてしまったという悲しみはないから。捨てられたのだという苦しみはないから。
「ごめんなさい、ママ。わたしもママたちのところに行くね」
痛いのはいやだけど、ママに会うためだもん。仕方ないよね。にこりと笑った顔は晴れ晴れとしていて、穏やかだった。いつもとは違う、子どもっぽい口調。それがアンルティーファの本来の口調だった。ちゃんとした女の子の口調は、フランになめられないようにするために武装していただけに過ぎなかった。その手に持った黒塗りの鋏に、生まれでたばかりの太陽の光が反射していた。木綿でできたドレスがわずかな風に揺れて、レースが靡いた。
「えっと、たしか首か心臓だよね……うん、首にしよう」
なんとなく、首の方が痛くなさそうよね。一瞬でいけそうだしと小さく呟いた。
ふと、骨壺があると力をこめにくいことに気付いて足もとに置く。それでも納得いかなかったのか、父の墓の前において、やっと満足そうに頷く。そう、元々は母の遺骨を父のもとに届けに来たんだから、父の墓の側に置かなきゃだめだろう。
グラデーションの美しい心が洗われる。最期に空を見上げて、その空の色を目に焼き付けて。アンルティーファはそっと目を閉じた。鋏のグリップの下を両手で握りしめて、大きく腕を伸ばす。一瞬ためてから、思いっきり。
鋏を自分の喉に向かって振り下ろした。
ぐにゅ、ぐにゃ、ぐちゃ。
なんでもよかった。ただそんな音がして、以前ルチアーナがコッコの肉の裂き方を教えてくれた時のように肉を裂いて刃物が刺さる感触が手から伝わる。生温かくて鉄臭い液体が顔にかかるのを感じた。不思議と痛くはなくて、その疑問に目を開けると。目の前の白い革手袋のはまった手のひらから、血に濡れた鋏の黒い刃先が生えていた。どこか見覚えのあるそれは、ここ数日ともに過ごした手だ。アンルティーファを守ってくれたやさしい手で、一瞬で人を殺せる強い手だ。
「フラ、ン?」
「いっ……たい。痛い、わね。なにしてるのよ、この馬鹿」
「ど、どうしてここに……じゃなくてけが! ごめんなさい! ど、どうすれば、包帯!」
「いらないわ。よく見てなさい」
「え?」
後ろを振り返って、呟いたアンルティーファに。フランは芝生に膝をつけてかがみ込みながらぐちゅり、と音をさせて手から鋏を引き抜くと芝生に放り出す。鋏が刺さってない方の手で胸元の内ポケットを漁った。ぶちっと音をさせて、細い革紐の先についた白い折り鶴の首が少し千切れる。しかし、そんなことはどうでもいいと言わんばかりに鋏が刺さっていた方の手に白い折り鶴をのせる。じわりと白い切絵紙に血がにじんだ。それをみて悲鳴を上げそうになるアンルティーファに、フランは痛みにはっはと息を少し荒げながら血のにじんだ折り鶴を食べ始めた。
翼の先からじわじわと燃えるようにゆっくりと光の粒子となって宙にとけていくそれが、朝日に照らされて神秘的に見えた。アンルティーファは叫ぼうとしていたのも忘れて思わず息をとめて胸元を握りそれを見守っていた。やがて、すべてが溶けるように消える頃には。鋏が刺さった手からの出血はなく穴の開いた革手袋に白い肌にうっすらと残った淡いピンク色の痕が残っていただけだった。ふう、とやっと引いた痛みに肩で息をついたフラン。それにあわてたのはアンルティーファだった。
「フラン、なんでここに……っていうかあの鶴たべちゃって……中! 中は見たの!?」
「見てないわ」
「な……。なんで! わたし手紙に書いたよね!? ずっと身に着けてって言ったものに書いてあるって! フラン、気づかなかったの!? 暗証番号は二むぐ」
「黙りなさい」
平然と苦手なはずの嘘をつきながら、フランはアンルティーファの口を穴の開いた革手袋のはまった手でふさいだ。一生懸命にまくしたてようとするアンルティーファを黙らせた、そのフランの顔を見てアンルティーファは黙り込む。
フランは泣いていた。
ただ静かに、自分が泣いていることにも気づいていないかのような顔で、泣いていたから。アンルティーファが黙り込んだのを確認すると、フランはふさいだ口からそっと手を離した。そしてアンルティーファの小さな手を壊れ物でも掴むように柔らかくもつと、自分の首輪へと導いた。
隙間ができるほどに緩んだそれに、アンルティーファはその意味を知った。支配の首輪は、緩んでしまうことがないように、その隙間から首輪を断ち切れる刃物がすべりこむ隙を与えないようにきつく締められる。それなのに隙間があるということは――。
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