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【嫌な予感しかしない】
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キーンコーン、カーンコーン
チャイムと同時に6年3組の教室に滑り込んだ柚樹に対し「秋山君、もう少し早く来てくださいね」と林先生は意外にも優しかった。
今日の先生の服装はピンク色のワンピース。ちょっとよそ行きな感じだ。
「先生、絶対今日デートだよね。メイク濃いし」
「いいなぁ。彼氏、イケメンかなぁ」
女子たちが小声でキャーキャー騒いでいる。
(恋バナとか、ホント好きだよな。まあ、別にどうでもいいけど)
ともかく、こういう日の林先生は、いつもよりも寛大で優しい。
例えば作文の筆跡がちょっと違っても、内容がちょっと変だったとしても、大目に見てくれる可能性大。
(ラッキー)と、柚樹はほくそ笑んだ。
「はじめに宿題を集めます。作文用紙は裏返して、後ろの席から前に回して下さい」
とはいえ、さすがに遅刻ギリの上、宿題まで忘れていたらアウトだっただろう。
(柚葉、サンキュー)
持つべきものは賢い高校生。家出中で変人だけど。
柚樹は心の中で柚葉に手を合わせつつ、後ろの席から回って来た作文の上に自分の用紙を重ね、前の席のゆかりへ回していく。
ゆかりが柚樹の手から作文用紙を受け取ろうとした瞬間「柚樹に触れるなよ。妊娠すっから」と、すかさず、隣の朔太郎が言った。
(くそ)
ムッとして睨みつけると、朔太郎はべぇっと舌を出して前を向いた。
「そこ。無駄口叩かないで早く回してください」
林先生の注意を受けたゆかりは、気まずそうに作文用紙を受け取る。柚樹の手に触れないよう、用紙の端をつまんで。チクリ、と胸に痛みが走る。
(別にいいけど)と、柚樹は自分に言い聞かせ、何でもない風を装った。
ゆかりの横で、朔太郎が満足気に笑っていた。(くそ)と、柚樹は机の下で、こぶしを握る。
たぶん朔太郎はゆかりに気があるんだ。だから、ゆかりに話しかけられたオレに嫉妬してこんなことをしているんだ。
(ガキすぎじゃん)
朔太郎も、それに便乗する男子たちも。そしてゆかりたち女子も。
(ガキな奴ら)
ふん、と、柚樹は心の中でクラス中を軽蔑する。
(マジでみんな、死ね)と、悪態もついてやる。ついでに母さんの赤ちゃんも死ね。
事件が起きたのは、帰りの会の直前だった。
週の始めの長い長い月曜の授業もようやく終わり、後は林先生が戻ってきて、帰りの会が始まるのをみんなうずうず待っているところだった。
「今日、遥ちゃんちで遊ぶけど、一緒に行く?」
「行く行くー! おやつ持ってくね」
「放課後、校庭でサッカーしようぜ」
「ええ? そこはドッヂっしょ」
「オレ今日塾だぁー」
「うちはピアノだよ~」
クラス内の気持ちはとっくに放課後に移行していた。ちょっと前なら、柚樹もその仲間に入っていたはずだ。
放課後は、暇な友達と校庭でドッヂボールやサッカーをして夕方まで遊ぶのが日課だった。
でも今は、柚樹に遊ぼうと声をかけてくる奴はいない。
柚樹と話せば、ここぞとばかりに朔太郎たちが駆けつけて「お前もエロいんか?」「妊娠するぞ」と言われるから。
ダチだと思っていた康太と春信は、放課後二人揃って一目散に逃げ帰る。ムカつくけど、もし自分がアイツらの立場だったら、と考えると二人を責められなかった。
自分だって同じことをしているかもしれない。誰だって面倒ごとはごめんだ。平穏に暮らしたいから。
仕方ない、と思う。思うけど……。
ガラガラ、と教室の扉が開いて林先生が入ってきた。その表情を見て、みんな、はっと息を飲む。
先生は薄い唇をきゅっと結んで目をつりあげ、見るからに不機嫌そのものの顔をしていたのだ。
不機嫌な林先生は、誰かの作文用紙を手にしていた。
「あれ、今朝提出した宿題だよね?」
ひそひそ。
「上手だった人のを読むのかな」
「違うって。見ろよあの顔。あきらか怒ってっし」
ひそひそ。
「男子の中に、ふざけた人がいたのよ」
「なんで男子限定なんだよ」
「そういう子供っぽいことするの男子に決まってるじゃない」
「静かに!」
林先生が強く手を叩いた。
「今日は帰りの会をやめて、この作文についてみんなで話し合いたいと思います」
「やっぱり、男子がふざけたのよ」
「だからなんで男って決めつけんだよ」
「静かにしなさい!」
林先生の金切り声に、クラスがしんと静まり返る。
「読み上げます」
教壇で林先生が作文用紙を広げ、人工的に赤い唇をゆっくりと開く。
「僕の家族。秋山柚樹」
「!」
思いがけず自分の名前が呼ばれて、柚樹の心臓は飛び上がった。
(なんで、オレ?)
心底驚いたあと、重大なことに気が付いて、今度はドクドクと内臓全体が脈打つ。
そういえば、オレ、作文の内容を読まずに提出した……
ドクドクドクドク。
一体、柚葉は何を書いたんだ?
ドクドクドクドク。
さっきまで他人事だった柚樹の身体から、じっとり嫌な汗がにじみだした。みんなの視線がぐさぐさ刺さる。
林先生が、ちらっと柚樹に目をやって小さく頷いてみせた。
……嫌な予感しかしない。
チャイムと同時に6年3組の教室に滑り込んだ柚樹に対し「秋山君、もう少し早く来てくださいね」と林先生は意外にも優しかった。
今日の先生の服装はピンク色のワンピース。ちょっとよそ行きな感じだ。
「先生、絶対今日デートだよね。メイク濃いし」
「いいなぁ。彼氏、イケメンかなぁ」
女子たちが小声でキャーキャー騒いでいる。
(恋バナとか、ホント好きだよな。まあ、別にどうでもいいけど)
ともかく、こういう日の林先生は、いつもよりも寛大で優しい。
例えば作文の筆跡がちょっと違っても、内容がちょっと変だったとしても、大目に見てくれる可能性大。
(ラッキー)と、柚樹はほくそ笑んだ。
「はじめに宿題を集めます。作文用紙は裏返して、後ろの席から前に回して下さい」
とはいえ、さすがに遅刻ギリの上、宿題まで忘れていたらアウトだっただろう。
(柚葉、サンキュー)
持つべきものは賢い高校生。家出中で変人だけど。
柚樹は心の中で柚葉に手を合わせつつ、後ろの席から回って来た作文の上に自分の用紙を重ね、前の席のゆかりへ回していく。
ゆかりが柚樹の手から作文用紙を受け取ろうとした瞬間「柚樹に触れるなよ。妊娠すっから」と、すかさず、隣の朔太郎が言った。
(くそ)
ムッとして睨みつけると、朔太郎はべぇっと舌を出して前を向いた。
「そこ。無駄口叩かないで早く回してください」
林先生の注意を受けたゆかりは、気まずそうに作文用紙を受け取る。柚樹の手に触れないよう、用紙の端をつまんで。チクリ、と胸に痛みが走る。
(別にいいけど)と、柚樹は自分に言い聞かせ、何でもない風を装った。
ゆかりの横で、朔太郎が満足気に笑っていた。(くそ)と、柚樹は机の下で、こぶしを握る。
たぶん朔太郎はゆかりに気があるんだ。だから、ゆかりに話しかけられたオレに嫉妬してこんなことをしているんだ。
(ガキすぎじゃん)
朔太郎も、それに便乗する男子たちも。そしてゆかりたち女子も。
(ガキな奴ら)
ふん、と、柚樹は心の中でクラス中を軽蔑する。
(マジでみんな、死ね)と、悪態もついてやる。ついでに母さんの赤ちゃんも死ね。
事件が起きたのは、帰りの会の直前だった。
週の始めの長い長い月曜の授業もようやく終わり、後は林先生が戻ってきて、帰りの会が始まるのをみんなうずうず待っているところだった。
「今日、遥ちゃんちで遊ぶけど、一緒に行く?」
「行く行くー! おやつ持ってくね」
「放課後、校庭でサッカーしようぜ」
「ええ? そこはドッヂっしょ」
「オレ今日塾だぁー」
「うちはピアノだよ~」
クラス内の気持ちはとっくに放課後に移行していた。ちょっと前なら、柚樹もその仲間に入っていたはずだ。
放課後は、暇な友達と校庭でドッヂボールやサッカーをして夕方まで遊ぶのが日課だった。
でも今は、柚樹に遊ぼうと声をかけてくる奴はいない。
柚樹と話せば、ここぞとばかりに朔太郎たちが駆けつけて「お前もエロいんか?」「妊娠するぞ」と言われるから。
ダチだと思っていた康太と春信は、放課後二人揃って一目散に逃げ帰る。ムカつくけど、もし自分がアイツらの立場だったら、と考えると二人を責められなかった。
自分だって同じことをしているかもしれない。誰だって面倒ごとはごめんだ。平穏に暮らしたいから。
仕方ない、と思う。思うけど……。
ガラガラ、と教室の扉が開いて林先生が入ってきた。その表情を見て、みんな、はっと息を飲む。
先生は薄い唇をきゅっと結んで目をつりあげ、見るからに不機嫌そのものの顔をしていたのだ。
不機嫌な林先生は、誰かの作文用紙を手にしていた。
「あれ、今朝提出した宿題だよね?」
ひそひそ。
「上手だった人のを読むのかな」
「違うって。見ろよあの顔。あきらか怒ってっし」
ひそひそ。
「男子の中に、ふざけた人がいたのよ」
「なんで男子限定なんだよ」
「そういう子供っぽいことするの男子に決まってるじゃない」
「静かに!」
林先生が強く手を叩いた。
「今日は帰りの会をやめて、この作文についてみんなで話し合いたいと思います」
「やっぱり、男子がふざけたのよ」
「だからなんで男って決めつけんだよ」
「静かにしなさい!」
林先生の金切り声に、クラスがしんと静まり返る。
「読み上げます」
教壇で林先生が作文用紙を広げ、人工的に赤い唇をゆっくりと開く。
「僕の家族。秋山柚樹」
「!」
思いがけず自分の名前が呼ばれて、柚樹の心臓は飛び上がった。
(なんで、オレ?)
心底驚いたあと、重大なことに気が付いて、今度はドクドクと内臓全体が脈打つ。
そういえば、オレ、作文の内容を読まずに提出した……
ドクドクドクドク。
一体、柚葉は何を書いたんだ?
ドクドクドクドク。
さっきまで他人事だった柚樹の身体から、じっとり嫌な汗がにじみだした。みんなの視線がぐさぐさ刺さる。
林先生が、ちらっと柚樹に目をやって小さく頷いてみせた。
……嫌な予感しかしない。
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