YUZU

箕面四季

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【観覧車ノスタルジー】

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 スローモーションで、夕焼けの中を観覧車が登っていく。

(じ、地獄だった……)
 昼食の休憩以外、絶叫系に乗りまくるという地獄絵図。思い出すだけで胃がむかむかする。
 とりあえず、吐かずにすんで偉かったと、自分を褒めてやる。

 ようやく閉館が近づいて、最後は観覧車でしめようということになった。
 観覧車がこんなに和むアトラクションだったとは知らなかった。
 今日初めてこいつのすばらしさを知った。
 永遠に乗っていられる、安心、安全で人に優しい素晴らしい乗り物。それが観覧車なのだ。

「面白かった~。朝から来たのにあっという間だったね」
 柚葉は上機嫌で足をぶらぶらさせながら、半円形の窓から夕焼けのグラデーションを楽しんでいる。

(絶対人間じゃねーよ、この人)
 柚樹にとってはとてつもなく長い長い一日だったのに。

「モヤモヤした時は絶叫系に限るわよね。スカッとするもの」
 そう言って柚葉が柚樹に笑いかける。あっ、と、その時初めて柚樹は気が付いた。

(もしかして、オレを元気づけるため?)
 そういえば、今日一日は絶叫系の恐怖で、学校のことも赤ちゃんのことも、全部ぶっ飛んでいた。いつもは忘れようとしても、ふっと突然頭をよぎるのに。

「前に来たときは、柚樹がまだ小さくて絶叫系乗れなかったのよね。柚樹泣いちゃって大変だったなぁ」
「オレ、そんな小さい時にもここ来たことあったの?」

「……そっか。柚樹は覚えてないよね。ちっちゃかったもんね」
 柚葉が寂しそうに目を伏せるので、思わず柚樹は「ごめん」と謝った。

「オレさ、小さい頃の記憶があやふやなんだ。ママが亡くなった時のショックで、ママとの記憶を失くしたらしいんだよね」
 柚樹は自分が覚えている一番古い記憶が、保育園にいた母さんのことだと説明する。

「保育園?」
 正確には保育所だけど、と言ってから、柚樹は、しまったと口をつぐんだ。

 この話をしたら、母さんと父さんは、先生と保護者の関係だったことがバレてしまう。

「そっか。柚樹は幼稚園じゃなくて、保育園に通ってたんだね」と、何故か深刻そうな顔で柚葉は柚樹に頷き返した。その大きな瞳を見ていたら、何故だか、柚葉にはやっぱりちゃんと話そう、という気持ちが芽生えて、柚樹は「うん」と頷いて説明を続けることにした。

「ママが死んだあと、オレ、父さんの会社の保育所に入ったんだ。母さんはその保育園の先生だった。オレ悪ガキでさ。友達のキャラ弁ひっくり返したり、お母さんの絵を描いた子の画用紙をビリビリに破ったり、とにかくいろんな子に意地悪してたんだ。で、毎日母さんに……その時は先生だったけど、叱られてたんだ。そんでお迎えの時、父さんがいつもペコペコ謝ってて」
「ふうん」

 柚葉は空を眺めながら「それで、お父さんとお母さんは急接近したわけね」とちょっとそっけなく言った。
 やっぱりこんな話するの失敗だったかな。でも、ここまで話したんなら最後まで話そうと、柚樹は続けた。

「それもあるけど、一番は、オレが母さんに噛みついたせいなんだ」
「噛みついた?」

「うん。ママの誕生日にプレゼントするって、保育園で一生懸命工作を作ってた子がいたんだ。ママとパパと三人で出かけた動物園のことをすごく自慢しててさ。折り紙でキリンとかクマとか作って画用紙に貼り付けて、なんか、すんごい大作だった気がする。それが完成した日に、オレ、トイレの便器に捨てたんだ」
「うそ!」
 柚葉の目が驚きで丸くなった。

「ホント。酷いだろ」と柚樹も苦笑い。
(やっぱ酷いよな)と、胸がチクっと痛む。

「さすがの母さんも激怒した。いつもの叱るじゃなくて、本気で怒ったんだ。オレさ、そん時、なんていうか、母さんに裏切られた気がしたんだ。カッとなって思いっきり腕に噛みついた。先生たちが慌てて駆けつけてきて、もう大騒ぎ」
 本気で噛み続けていたら、血の味が口の中にたくさん流れ込んできた。びっくりして、口を離した。

「母さん、七針も縫う大けがだった」
 柚樹は窓の外に目を向ける。観覧車はちょうどてっぺんに達していた。
 夕焼けに染まる遊園地は、ちょっと物寂しい。

 あの時、母さんは、血を垂らしながら柚樹をまっすぐに見て何度も言ったのだ。

「どんなに寂しくても、いけないことはいけないよ」と。

 ケガしたままで、暴れる柚樹をぎゅっと抱きしめてくれて言ったのだ。

「先生がゆず君の寂しいにいっぱい嬉しいを入れるから、ゆず君も先生と頑張ろうよ」と。

 事情を知った父さんは真っ青な顔で駆け付け、何度も頭を下げ、治療費を渡そうとした。でも母さんは受け取らなかった。

 それじゃ、気が済まないので収めてください。
 受け取れません。

 真面目過ぎる二人の押し問答は、それから毎日続いた。

「それなら、そのお金でゆず君を動物園に連れて行ってあげてください」と、ある日母さんが提案した。それで……

「動物園は先生と父さんと三人で行くって、オレがめっちゃ駄々こねてさ。父さんと母さんが根負けする形で行くことになったんだよね」

 たぶん、それが、父さんと母さんが再婚するきっかけだ。だから、母さんと父さんの再婚は決してやましいものじゃない。恥ずかしくなんかないのに。

「なるほどねぇ」
 柚葉はしんみり呟いて、しばらく黙りこくったあと「二人の再婚エピソード、とっても素敵じゃない」と微笑んだ。

 柚葉の率直な言葉が、単純に嬉しかった。ちょっと心がスッキリする。
 でも、同時に妙な恥ずかしさも込みあがってきた。

「そ、そうでもないけど」

(なんでオレ、こんな話してんだろ)
 両親の馴れ初めを語る自分がハズい。つーか、ちょっとキモい。

「あ、あのさ」と柚樹は慌てて別の話題を探す。

「そういや、柚葉って彼氏とかいんの?」
「え?」

「ほ、ほら、高校生だろ。彼氏の一人や二人いんのかなーって、って、二人いたらマズいか」
 ははは、と笑いながら(何言ってんだオレ)と焦る。

「恋人じゃないけど、大好きな子はいるかしら」と柚葉が即答した。

(……ま、そうだよな。女子高生だし)
 ちょっと残念な気分になった自分に(いやいやいや)と、慌てて(そーいうんじゃないし)と柚樹は自分の中で否定する。

 一人焦りまくる柚樹には気づかず、柚葉は遠くの景色を眺めながらぽつりとつぶやいた。

「すごくすごく大切で、すごくすごく愛してる」
「もしかして、片思い?」

 気を取り直した柚樹は身を乗り出す。普段は女子って恋バナ好きだよなとか呆れつつ、なんだかんだ言って、柚樹も恋バナに興味があった。

「両想いよ」
 嬉しそうににっこり笑う柚葉は、相手のことを考えているのか、勝手に笑みがこぼれたといった感じだった。

「あ~、そーいうこと」
 つまり付き合うのも時間の問題で、一番楽しい時期ってやつ。

「柚葉もなかなかやるじゃん」
 このっと、肘でつつく真似をする柚樹を、柚葉が見つめた。

「私は、ずっとその子と一緒にいられるって信じて疑わなかったんだけどね。でも、違った」
「?」

「ある日突然、その子とずっと一緒にはいられないことがわかってしまったの」
 柚葉の明るい表情が翳る。

「どういう意味?」
「もうすぐ、離れ離れになってしまうんだな」

「相手が引っ越しちゃうとか?」
「まあ、そんなとこ」
 柚葉は曖昧に微笑んで、再び窓の外を見つめた。

 空は夕焼けから夜へと色を濃くしていく。さっきまでガチャガチャのフィギュアくらい小さかったアトラクションが、元の大きさに戻りつつある。

「もうすぐ会えなくなるってわかった途端、私、すっごく後悔したの。あの時、あそこに行けばよかった。あの時、もっと話を聞いてあげればよかった。あの時、やっぱりプレゼントすればよかった。また後で、また今度って後回しにしないで、もっともっと、あの子の喜ぶことを全力ですればよかったって」
 柚樹を見つめる柚葉の濡れたように大きな瞳が、宝石みたいにキラキラ輝いていた。

「でも、そうやって悔やんでも時間は戻らない。だから決めたの。この先、全力で死ぬまで生きるって」
「死ぬまで、生きる?」
「全力でね」と柚葉が付け足す。

「だから、私は落ち込んでる暇はないのよ。時間がもったいないもの」と、柚葉は爽やかに笑ったのだった。

 観覧車が地上へ近づいていく。気が付けば、夜の遊園地。11月の月はなんだか薄くて心細い気がした。

「足元に気をつけて、お降りください」
 ガチャンと、扉の鍵が外から開いた瞬間、冬の匂いの風がニットの穴をすり抜けていく。

 ぴょんと、柚葉が先に降りて、柚樹に手を差し出す。気恥ずかしいけど、柚樹はその手を掴むことにした。
 ただ手を繋いだだけなのに、何故かすごく嬉しそうな柚葉。

(全力で死ぬまで生きる、か)
 よくわからないけど、なんかカッコいいなとちょっと思う。

(オレにもできるかな)
「そういうわけで、最後の最後、ギリギリまで楽しむわよ」
 柚葉がビシっとある方向を指さして、前言撤回、と、柚樹は青ざめた。

『脳天直撃コースターマックス』が暗闇の中をビュンビュン走っている。
 父さんが前に言っていたとおり、アレはまさに悪魔の乗り物だ。

(そういや、前っていつだっけ?)

「ガンガン行こー」
 考える暇もなく、柚樹は柚葉に引きずられていったのだった。
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