YUZU

箕面四季

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【水族館の楽しみ方】

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「うわぁ、柚樹、ほら見て。ペンミンしゃん、ペンミンしゃん」
「ペンギンだろ」

「ええ~? もうペンミンしゃんって言ってくれないの~?」
「言ったことねーわ」

 柚樹の全否定に、ぷくぅと、柚葉がまた膨れている。水族館に入ってから、柚葉はずっとこんな調子だ。
 アシカの水槽では「あーちゃんいるよ」。タッチプールではヒトデとなまこを「おほししゃま」と「なめこ」と言う。

 柚樹は記憶にないが、どうやらママが生きていた頃、柚葉とママと柚樹は三人で水族館に来たことがあるらしかった。その頃の柚樹のモノマネを柚葉はしているらしい。

 平日の水族館で人が少ないとはいえ、全くいないわけでもない。
 周りの大人たちの目が痛い。

「ちっちゃい柚樹はほんっと、可愛くて、特に言い間違いがきゅんってなるのよね。魚見るより柚樹ばっかり見てたなー」

(勘弁してくれ)と、ため息が出る。訳の分からない遊びではしゃぐ幼児の相手をさせられている気分だ。

 と、柚葉が、ある水槽にへばりついた。

『チンアナゴ』と書いてある。
(……めっさ嫌な予感するんだけど)

「ほら柚葉、あっちに綺麗な魚が」と、慌てて柚葉に駆け寄ったが、一足遅かった。

「柚樹! 見て! チンチン。チンチン!」
「ばっ」

 柚葉の口を抑え、もごもごする柚葉ごとアシカブースまで引きずる。ぶはっと、息を吐いた柚葉が、また膨れた。

「あ~あ。水族館と言えば、柚樹の言い間違いを聞く場所だったのにぃ」
「……魚見る場所だよ」

 膨れる柚葉を正面から見たら、おかしくてプッとふき出した。

「フグに似てる」
「なにぃ~」

「おっ、トンネル水槽だ」
「トンネル水槽? 行く行く! あと、おみやげコーナーもいかなくっちゃ。ジンベイザメの甚平売ってるかなー」

「んな親父ギャグみたいな商品、あるわけねーだろ。買う奴いねーから」
「え~、可愛いじゃない」
 また膨れながら柚葉が当たり前のように柚樹の手を繋いでくる。

(だから、ハズいんだって)
 赤面する柚樹に構わず、繋いだ手をブンブン振り回しながら嬉しそうに歩く柚葉。

 今日の柚葉はなんていうか、幼い。幼くて、ちっちゃい……妹、みたいな。

 幼い頃の自分の真似をする柚葉が、ほんのちょっとだけど、ミクロレベルにちょっとだけど、ちょっとだけウザ可愛い、気がする。
 これがマジで小さい子だったら、もっと可愛かったりするんだろうか。

 たとえば、赤ちゃんが生まれて何年かして言葉を覚え始めたら、こんな風に、いろいろ言い間違いをしながら、拙く喋るんだろうか。
 それを見て、オレも可愛いと思ったりするのかな。幼い柚樹の言い間違いに柚葉がきゅんとしたみたいに。

 ふと、そんなことが頭をよぎって(オレは絶対に認めない)と、慌てて首を振った。

 隣の柚葉がにやにやこっちを見ていることに気づいて「なんだよ」と眉をよせる。
「べっつにぃ~」

「にぃにぃ。あーしゃん、どこ~」
 柚葉に文句を言おうとした時、本物の幼児の声が聞こえた。

 さっきのアシカブースでちっちゃな女の子が水槽におでこをつけながら中を覗き込んでいる。
「お前の上にいるんだよ。ちょっと待ってろ。にぃにぃが、抱っこしてぇ、この、柵の上にのせて、やる、から……」
 女の子より頭一つ分大きな男の子が女の子を持ち上げようとしているが、上手くいかないようだ。

「ここに乗せればいいの?」
 柚樹は男の子に近寄って尋ねた。
 いきなり声を掛けられて緊張しながらも、男の子がこくんと頷く。柚樹は女の子を抱き上げアシカがよく見える柵にそっと乗せてやる。

「にぃにぃ、あーしゃんみえたよ。にぃにぃ、しゅごい」
 男の子は「ちゃんと手すりにつかまれよ」と、慌てて下から女の子の足を支えている。

「すみません。ありがとうございます」
 ベビーカーをひっぱり慌てて駆けつけた兄妹のお母さんにお礼を言われ、急に恥ずかしくなった柚樹は、ぺこりとお辞儀をして柚葉のところへ駆け戻った。

「やるじゃん」と、柚葉が小突いてくる。
「なんだよ。トンネル行くぞ」

 照れくさくて柚葉の前を速足に進む柚樹の背中で「お兄ちゃんありがとう」と男の子が叫んでいる。恥ずかしくて前を向いたまま手を振った。

 心臓がドキドキする。さっきは勝手に足が動いていたのだ。柚樹は、自分で自分の行動にびっくりしていた。

(なんでオレ、あんなこと)

「愛されて育ったからよ」
 後ろを歩く柚葉がふふっと笑う。

「柚樹は今までたくさんの人たちから愛情を受けて育ったから、自然と身体が動いたのよ」

 ぴょんっとジャンプして柚樹の隣に来た柚葉は、また勝手に柚樹の手を繋いで、トンネル水槽をゆったり歩き出した。

 澄んだ青い水の中を大小さまざまな魚が泳いで通り過ぎていく。赤かったり、青かったり、キラッと光っていたり。尖っていたり丸かったり、群れで行動したり、単独だったり、隠れていたり。

 種類も大きさも、習性もバラバラな魚たちが、たった一つの水の世界を分かち合って生き生きと泳いでいた。
 通り過ぎて、戻って、回って、戯れて。大きなエイが影のように横切っていく。

 深く青い水が揺らいで、いわしの大群が頭上を覆う。銀幕の世界が現れる。

『ママ。おさかなしゃん、きれーねぇ』

 ふと、柚樹の頭の中でつたない子供の声が聞こえた。

『きれーねぇ。柚樹は水族館好き?』
『うん。あしたもこよーね』

『……それなら、年間パス買っちゃおっか。ここは動物園と違っておうちから近いし、ママと柚樹で来れるものね。毎日でもいいよ。柚樹が行きたいだけ行こう』
『いこう~』

 ぎゅーーーーー

(今のって……)
 柚樹の心臓がにわかに波打った。

「もう柚樹は守られるだけの子供じゃなくなったのね」
 隣で噛みしめるように呟いた柚葉の声は、ちょっぴり寂し気に響いて聞こえた。

「柚樹はもう、守る側に成長したのね」

 トンネル水槽の世界は、蜃気楼のように揺らめいて煌めいている。

 ゆらゆら、ゆらゆらと。

 幻想的すぎて、まるで夢みたいだと、柚樹は思っていた。
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