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被災地を訪れた時、私は洞窟には隠されなかった。その必要がないからだ。
なぜなら、私の姿を見る“生きた人間”が、街にはもう居なかったから。
街に住んでいた人間は皆、竜の暴走によって命を落としていたのだ。
竜のはばたきは民家を巻き上げ、長い尾は家畜や店を押し流し、そこに生きる小さな人間の落命に気づかない。
ただ、自身の悪い血に操られるがまま。
その感覚が、同じ竜である私には分かった。痛いほどよく分かってしまった。
カスカダは、道に横たわる亡骸一人一人を見て回っていた。僅かにでも息のある者はないかと確認していたのだ。
そんな奴の後ろ姿に、私は黙って付き添った。
カスカダ、お前は今どんな気持ちなのだろう。
あれほど荒々しかった足取りが、今ではおぼつかず、ふらついてすらいる。
お前は30年前と少しも変わらない若々しい姿だというのに、その憔悴ぶりは100歳を超えた老人のようではないか。
「あ、息がある!」
カスカダが走り出した。
瓦礫の隙間から顔が見える老年の女。その女が微かに息をしたのを見逃さなかった。
「分かりますか。よく頑張りましたね。
今治してあげますから。」
カスカダは老婆のそばに跪き、手にした杖を軽く地面に打ちつける。
すると、竜の彫刻の口から、ポタポタと赤黒い血が滲み出てきた。
あれは私から抜いた、生命力の源である血。それを、カスカダは老婆に飲ませようとする。これまでもそうして人間達を救ってきた奴だから、その行動に抵抗は無かった。
老婆の口を開けさせた時、血が送り込まれるよりも僅かに早く、老婆が言葉を発した。
「………あぁ、“カタラタ”先生…。
…また来て、くださったのですね………。」
その知らぬ名を聞いた時、カスカダの体が石のように固まった。
血を飲ませることも忘れ、ひどく戸惑っている。
私が声を掛けずに見守っていると、やがてカスカダは穏やかな顔と声で、老婆にこう語り掛ける。
「…カタラタは、亡くなりました。
俺は孫です。」
老婆は悲しげに顔を歪めた。
待ち望んでやっと再開できた男は、既に死んでいた。
その絶望は老婆から生きる気力を奪い、カスカダが血を飲ませるよりも先に、老婆の命を静かに奪っていった。
「………。」
カスカダは何も言わなかった。その手に杖を握り、項垂れたまま。
*
その夜、いつものようにカスカダに血を抜かれながら、私は奴に言った。
【カスカダ。お前は変わらぬな。
何年も何十年も、人間を救うのをやめない。それがお前の生き甲斐なのは承知している。】
「…はい。」
【お前なら、いくらでもこの血を使うがいい。何に使ってもいい。
これまでのように、怪我人や病人を延命させてもいい。
“密かに飲み、自分の寿命を延ばしても”いい。】
カスカダが、黒衣の中で目を見開く。
「…気づいていたんですか。」
その姿はまるで、悪戯が見つかった子どものよう。
だが今更、何を怒ることがあるだろう。
【30年老いることなく姿形が変わらなければ、私でも気づく。
竜から採った血を、お前も飲んでいたのだな。
30年…いいや、私と出会うずっと昔から。
人間の老いの変化が分からぬとでも思ったのか。】
今までの竜は騙せたかもしれん。
だが私には分かる。
【私はお前をずっと見ていた。
だから分かるのだよ。】
杖を持つ手が震えている。
奴はどんな感情を抱いているのだろう。
外見の変化は見てとれても、心の中までは分からない。それが歯痒い。
「俺を見逃しますか?
俺がこれまで何頭の竜から血を抜いたと思います?
その竜達と同じように、貴方のことも…。」
一瞬言い淀んだのは、カスカダ自身に、多少なりとも私への情があるからか。
「……俺が“カタラタ”を名乗っていた頃、この地で起こった災害の被害者を救うために、当時連れ立った竜の血を使い果たしました。
カラカラに枯れた竜の体を海に沈め、長く生えた牙だけは抜き取って、杖を新調しました。
俺は最初から、貴方を次の“血の汲み場”にするために近づいたんです。」
ほら。今まさに、私は奴の採血針に命を抜き取られている。
奴の救命の道具にされている。
【…私は以前、お前に言ったな。
親兄弟に同じ杖を持たせて、同じことをさせればいいと。
私は、お前の行動が悪いことだとは思わない。良いことだとも思わない。どうでもいいのだ。
だから、お前の好きにしろ。】
「…そう簡単ではありません。
生きた竜から牙は採れない。
仮に杖を作れたとして、貴方のように、素直に血を採らせてくれる竜ばかりではない。
竜は本当に、人間の思い通りになりません。」
【では仲間を増やせ。一族を増やせ。
お前と同じ志の人間が増えれば、お前一人が抱え込まなくて済む。】
「…それもできません…。」
カスカダはおもむろに、長年纏っていた黒衣を脱いだ。
秘められていた謎が明らかとなり、私はすべてを察する。
奴の体は、真っ黒に染まっていた。
私の外皮と同じ、生命力に染められすぎた色へと変異していた。
顔や体形は若いまま。恐らくカスカダが初めて竜の血を飲んだ時と変わっていない。
しかしその体に確実に血は蓄積されていき、奴の体はじわじわと蝕まれていた。まるで毒に侵されるように。
「ごく少量なら、毒も薬になります。
…しかし俺は飲みすぎた。
…元々流れていた人間の血が、すっかり竜の血と入れ換わってしまった。
俺は人間の見た目ですが、とっくに人間ではないのです。
歳を取ることも、怪我や病気を負うことも、子孫を残すことすらできないのです。」
血が抜かれ続けていく。
いつもならカスカダが止めてくれるのに、採血針は未だに私の前足に刺さったまま。
【私の血をここで吸い尽くすつもりなのだな。
憎き災害の種を一つでも多く潰しておきたいか?】
なぜカスカダはそんな体を引きずってまで、人々を助けようとしたのだろう。
ひょっとすると、人々への献身と同時に、奴には竜への憎悪があったのかもしれない。
こんな地道な方法で世界中の竜を滅ぼすには、相当時間がかかる。永遠に近い命が必要になる。
【…仲間を増やす気なんて、初めから無かったのだな。
過酷な苦しみを受けるのは、自分一人でいいというのかい?】
「……。」
カスカダは何も答えない。
まあ、それでもいい。どうでもいいのだ。
竜は自然の移ろいそのものだ。
大切なお前にどれほど恨まれていようと、利用し尽くされようと、私はお前を恨んだりはしないよ。
だが、
【私はお前と一緒にいる時間が、何より楽しかった。初めて私と同じ、長い時間を連れ添える存在に巡り会えた気がして。
……それだけは残念だ。】
やがて私の体は、カスカダの杖に血の一滴までを奪われ息絶えた。
血の抜け切った抜け殻の体は、まるで雪のように白く変わり果てていた。
なぜなら、私の姿を見る“生きた人間”が、街にはもう居なかったから。
街に住んでいた人間は皆、竜の暴走によって命を落としていたのだ。
竜のはばたきは民家を巻き上げ、長い尾は家畜や店を押し流し、そこに生きる小さな人間の落命に気づかない。
ただ、自身の悪い血に操られるがまま。
その感覚が、同じ竜である私には分かった。痛いほどよく分かってしまった。
カスカダは、道に横たわる亡骸一人一人を見て回っていた。僅かにでも息のある者はないかと確認していたのだ。
そんな奴の後ろ姿に、私は黙って付き添った。
カスカダ、お前は今どんな気持ちなのだろう。
あれほど荒々しかった足取りが、今ではおぼつかず、ふらついてすらいる。
お前は30年前と少しも変わらない若々しい姿だというのに、その憔悴ぶりは100歳を超えた老人のようではないか。
「あ、息がある!」
カスカダが走り出した。
瓦礫の隙間から顔が見える老年の女。その女が微かに息をしたのを見逃さなかった。
「分かりますか。よく頑張りましたね。
今治してあげますから。」
カスカダは老婆のそばに跪き、手にした杖を軽く地面に打ちつける。
すると、竜の彫刻の口から、ポタポタと赤黒い血が滲み出てきた。
あれは私から抜いた、生命力の源である血。それを、カスカダは老婆に飲ませようとする。これまでもそうして人間達を救ってきた奴だから、その行動に抵抗は無かった。
老婆の口を開けさせた時、血が送り込まれるよりも僅かに早く、老婆が言葉を発した。
「………あぁ、“カタラタ”先生…。
…また来て、くださったのですね………。」
その知らぬ名を聞いた時、カスカダの体が石のように固まった。
血を飲ませることも忘れ、ひどく戸惑っている。
私が声を掛けずに見守っていると、やがてカスカダは穏やかな顔と声で、老婆にこう語り掛ける。
「…カタラタは、亡くなりました。
俺は孫です。」
老婆は悲しげに顔を歪めた。
待ち望んでやっと再開できた男は、既に死んでいた。
その絶望は老婆から生きる気力を奪い、カスカダが血を飲ませるよりも先に、老婆の命を静かに奪っていった。
「………。」
カスカダは何も言わなかった。その手に杖を握り、項垂れたまま。
*
その夜、いつものようにカスカダに血を抜かれながら、私は奴に言った。
【カスカダ。お前は変わらぬな。
何年も何十年も、人間を救うのをやめない。それがお前の生き甲斐なのは承知している。】
「…はい。」
【お前なら、いくらでもこの血を使うがいい。何に使ってもいい。
これまでのように、怪我人や病人を延命させてもいい。
“密かに飲み、自分の寿命を延ばしても”いい。】
カスカダが、黒衣の中で目を見開く。
「…気づいていたんですか。」
その姿はまるで、悪戯が見つかった子どものよう。
だが今更、何を怒ることがあるだろう。
【30年老いることなく姿形が変わらなければ、私でも気づく。
竜から採った血を、お前も飲んでいたのだな。
30年…いいや、私と出会うずっと昔から。
人間の老いの変化が分からぬとでも思ったのか。】
今までの竜は騙せたかもしれん。
だが私には分かる。
【私はお前をずっと見ていた。
だから分かるのだよ。】
杖を持つ手が震えている。
奴はどんな感情を抱いているのだろう。
外見の変化は見てとれても、心の中までは分からない。それが歯痒い。
「俺を見逃しますか?
俺がこれまで何頭の竜から血を抜いたと思います?
その竜達と同じように、貴方のことも…。」
一瞬言い淀んだのは、カスカダ自身に、多少なりとも私への情があるからか。
「……俺が“カタラタ”を名乗っていた頃、この地で起こった災害の被害者を救うために、当時連れ立った竜の血を使い果たしました。
カラカラに枯れた竜の体を海に沈め、長く生えた牙だけは抜き取って、杖を新調しました。
俺は最初から、貴方を次の“血の汲み場”にするために近づいたんです。」
ほら。今まさに、私は奴の採血針に命を抜き取られている。
奴の救命の道具にされている。
【…私は以前、お前に言ったな。
親兄弟に同じ杖を持たせて、同じことをさせればいいと。
私は、お前の行動が悪いことだとは思わない。良いことだとも思わない。どうでもいいのだ。
だから、お前の好きにしろ。】
「…そう簡単ではありません。
生きた竜から牙は採れない。
仮に杖を作れたとして、貴方のように、素直に血を採らせてくれる竜ばかりではない。
竜は本当に、人間の思い通りになりません。」
【では仲間を増やせ。一族を増やせ。
お前と同じ志の人間が増えれば、お前一人が抱え込まなくて済む。】
「…それもできません…。」
カスカダはおもむろに、長年纏っていた黒衣を脱いだ。
秘められていた謎が明らかとなり、私はすべてを察する。
奴の体は、真っ黒に染まっていた。
私の外皮と同じ、生命力に染められすぎた色へと変異していた。
顔や体形は若いまま。恐らくカスカダが初めて竜の血を飲んだ時と変わっていない。
しかしその体に確実に血は蓄積されていき、奴の体はじわじわと蝕まれていた。まるで毒に侵されるように。
「ごく少量なら、毒も薬になります。
…しかし俺は飲みすぎた。
…元々流れていた人間の血が、すっかり竜の血と入れ換わってしまった。
俺は人間の見た目ですが、とっくに人間ではないのです。
歳を取ることも、怪我や病気を負うことも、子孫を残すことすらできないのです。」
血が抜かれ続けていく。
いつもならカスカダが止めてくれるのに、採血針は未だに私の前足に刺さったまま。
【私の血をここで吸い尽くすつもりなのだな。
憎き災害の種を一つでも多く潰しておきたいか?】
なぜカスカダはそんな体を引きずってまで、人々を助けようとしたのだろう。
ひょっとすると、人々への献身と同時に、奴には竜への憎悪があったのかもしれない。
こんな地道な方法で世界中の竜を滅ぼすには、相当時間がかかる。永遠に近い命が必要になる。
【…仲間を増やす気なんて、初めから無かったのだな。
過酷な苦しみを受けるのは、自分一人でいいというのかい?】
「……。」
カスカダは何も答えない。
まあ、それでもいい。どうでもいいのだ。
竜は自然の移ろいそのものだ。
大切なお前にどれほど恨まれていようと、利用し尽くされようと、私はお前を恨んだりはしないよ。
だが、
【私はお前と一緒にいる時間が、何より楽しかった。初めて私と同じ、長い時間を連れ添える存在に巡り会えた気がして。
……それだけは残念だ。】
やがて私の体は、カスカダの杖に血の一滴までを奪われ息絶えた。
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