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兄
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『にいちゃん、だいすき』
そんなコメントが添えられた、照れ臭そうに笑う少年と、その足に精一杯短い両の手を巻き付けて、しがみ付く満面の笑顔の幼女が写った一枚のセピア色の写真が、古いアルバムに残っている。
微かな記憶の糸口になるそれは、当時はまだ貴重だった、借り物のカメラで父が写した物だ。
幼い私は、やっと歩ける様になった頃から、兄の後ろをちょこまかと付いて回る子供だったらしい。
『お母さん、なおちゃんつかまえてて! ボク友だちと、やくそくがあるのに~』
と、邪険に扱えば泣き出してしまうであろう幼い妹を、全力であれば簡単だろうに、置き去って走って行く事も、付いて来るなと突き放す事も出来ずに、終われない追いかけっこに困り果てて、兄は母に助けを求める。
手仕事を中断し、笑いながら私を抱き上げると『お兄ちゃんに行ってらっしゃいしようね? 』と、母が言い聞かせる。
いつも、庭先で繰り返されていた情景が終わってしまったのは、いつだったろう?
うっかりと蹴って(掠めて)しまった時に、痛さではなく単なる驚きで固まってしまっただけなのに、『ごめんね? 兄ちゃんが悪かった。ごめんね? ごめんね? 』と、いつまでも私の目線まで屈み込んで、頬に土埃が付いただけで赤くさえ成っていないだろう其処を、怪我の具合も確認しないままに焦ってオロオロと謝り続けて居た兄の姿は、もう遠い記憶だ。
きっと……本人は覚えてさえいないだろう。
その女性が、兄に連れられて初めて家へやって来たのは、父が亡くなる本当にほんの少し前。
兄より幾つか年上である事も、彼女が再婚である事も、(今では珍しくも無いが、当時は少なかったかもしれない)多少は気になる事であっても、そこまでマイナス要素とは思わせないくらいには、明るくて気さくな印象だったと思う。
あの時、母が実際にどう思ったのかまでは、本当のところは知るべくも無いが、私から見れば少々不器用で、人付き合いが得意とは言い難く、やや変わり者で口下手な兄には、少しふくよかな良く喋ってコロコロと笑うその女性の方が、バランスが取れていてちょうど良いのだろう、と。
最後に嫁の顔を見届けて、安心したのだろう。
その冬、父は真夜中の病院で医療関係者の懸命の治療も空しく、数度の透析を受けながら途中で力尽きた。
『お、大っきい……ねぇ? 』
『……ああ。』
雨の中、不意に何かを公民館の外に確認に出たまま、ずっと動かない兄の姿に気付いてそっと近づき、初め、いったい何に気をとられているのか本気で気付かず、視線を追って見上げた先の、そうとしか表現出来ない位、他と比べるまでも無いほどに大きな、そう、それこそ街中の立派な葬祭場なら見映えがすること間違い無しの(笑)周りに設置された物の倍以上ははありそうな巨大な花輪を兄妹で見上げるのは、きっと傍から見れば滑稽だったに違いない。
おそらく、支社のそのまた下の営業所の職員は、常と変わらぬ依頼を業者に出したのだろう。こんな田舎の小さな地区の公民館には(控えめに表現しても)些か不似合いなサイズだったとは夢にも思わずに。
現在は、人口の減少で維持出来ず手放された、地区で共有の祭壇。互助会が在ったと後で聞いたから、母も一口参加していたのだろう。
この小さな公民館を利用したのも至極当然な理由。
だから誰も間違ってはいない。
『兄ちゃんの会社が良くわかっていいんじゃない? 』
『……だな。』
フォローとも呼べぬフォローを済ませ、そそくさと中に戻る。
この場を仕切っているのは、まだまだ現役の母だとしても、日頃ここには存在していないのだとしても、田舎の葬儀の【喪主】は長男である。
原稿を手に、挨拶する兄を見て『あら? 山之城さん、あんな立派な息子さん居たのねぇ? 』と、あちこちでヒソヒソ会話する近所のおばさま達の言葉は無理もない。
何しろ進学の為、そして、その後は就職の為とはいえ、義務教育を終えると早々に、十数年も前に出て行った息子 だ。
「お姉さんの婿さんだと思われた。(笑)」
などと兄もふざけて言うのは、嫁と小姑の仲が良さそうに見えたのは、是と捉えたからなのだろう。
春先に届いた母への誕生日プレゼントには、綺麗なラッピングが施されていた。
「あら? やっぱり女の人が傍に付いたらする事が違うのねぇ。」
少しだけ呆れた表情で、母が呟く。
『ん~? それで良いんじゃないか? 』
選ぶとき、兄は絶対にそう答えたと想像に難くないその服飾小物は、母の趣味からやや外れたデザインだったのは、まあご愛敬だろう(笑)
父の葬儀やらで延期されていた結納の為に、母子で大きな駅に降り立ったのは桜もとうに散った頃だったろうか。
『結納返しが要らないように、是非とも少額に抑えて欲しい』
先方から告げられたのは、何かの予兆だったのか?
「いくら父親が居なくても、ちゃんとした事をするつもりだったのに……」
不満げな母親を見て兄はどう思ったのか、それとも母は私にしか愚痴らないで済ませたのか、もう覚えてはいない。
記憶しているのは、翌日のホテルの部屋をチェックインの前に確認させてもらった位に酷い部屋だった事だろうか? いや、ケチが付くって言うじゃない? 多分そんな印象も大事よ? (笑)
そんなコメントが添えられた、照れ臭そうに笑う少年と、その足に精一杯短い両の手を巻き付けて、しがみ付く満面の笑顔の幼女が写った一枚のセピア色の写真が、古いアルバムに残っている。
微かな記憶の糸口になるそれは、当時はまだ貴重だった、借り物のカメラで父が写した物だ。
幼い私は、やっと歩ける様になった頃から、兄の後ろをちょこまかと付いて回る子供だったらしい。
『お母さん、なおちゃんつかまえてて! ボク友だちと、やくそくがあるのに~』
と、邪険に扱えば泣き出してしまうであろう幼い妹を、全力であれば簡単だろうに、置き去って走って行く事も、付いて来るなと突き放す事も出来ずに、終われない追いかけっこに困り果てて、兄は母に助けを求める。
手仕事を中断し、笑いながら私を抱き上げると『お兄ちゃんに行ってらっしゃいしようね? 』と、母が言い聞かせる。
いつも、庭先で繰り返されていた情景が終わってしまったのは、いつだったろう?
うっかりと蹴って(掠めて)しまった時に、痛さではなく単なる驚きで固まってしまっただけなのに、『ごめんね? 兄ちゃんが悪かった。ごめんね? ごめんね? 』と、いつまでも私の目線まで屈み込んで、頬に土埃が付いただけで赤くさえ成っていないだろう其処を、怪我の具合も確認しないままに焦ってオロオロと謝り続けて居た兄の姿は、もう遠い記憶だ。
きっと……本人は覚えてさえいないだろう。
その女性が、兄に連れられて初めて家へやって来たのは、父が亡くなる本当にほんの少し前。
兄より幾つか年上である事も、彼女が再婚である事も、(今では珍しくも無いが、当時は少なかったかもしれない)多少は気になる事であっても、そこまでマイナス要素とは思わせないくらいには、明るくて気さくな印象だったと思う。
あの時、母が実際にどう思ったのかまでは、本当のところは知るべくも無いが、私から見れば少々不器用で、人付き合いが得意とは言い難く、やや変わり者で口下手な兄には、少しふくよかな良く喋ってコロコロと笑うその女性の方が、バランスが取れていてちょうど良いのだろう、と。
最後に嫁の顔を見届けて、安心したのだろう。
その冬、父は真夜中の病院で医療関係者の懸命の治療も空しく、数度の透析を受けながら途中で力尽きた。
『お、大っきい……ねぇ? 』
『……ああ。』
雨の中、不意に何かを公民館の外に確認に出たまま、ずっと動かない兄の姿に気付いてそっと近づき、初め、いったい何に気をとられているのか本気で気付かず、視線を追って見上げた先の、そうとしか表現出来ない位、他と比べるまでも無いほどに大きな、そう、それこそ街中の立派な葬祭場なら見映えがすること間違い無しの(笑)周りに設置された物の倍以上ははありそうな巨大な花輪を兄妹で見上げるのは、きっと傍から見れば滑稽だったに違いない。
おそらく、支社のそのまた下の営業所の職員は、常と変わらぬ依頼を業者に出したのだろう。こんな田舎の小さな地区の公民館には(控えめに表現しても)些か不似合いなサイズだったとは夢にも思わずに。
現在は、人口の減少で維持出来ず手放された、地区で共有の祭壇。互助会が在ったと後で聞いたから、母も一口参加していたのだろう。
この小さな公民館を利用したのも至極当然な理由。
だから誰も間違ってはいない。
『兄ちゃんの会社が良くわかっていいんじゃない? 』
『……だな。』
フォローとも呼べぬフォローを済ませ、そそくさと中に戻る。
この場を仕切っているのは、まだまだ現役の母だとしても、日頃ここには存在していないのだとしても、田舎の葬儀の【喪主】は長男である。
原稿を手に、挨拶する兄を見て『あら? 山之城さん、あんな立派な息子さん居たのねぇ? 』と、あちこちでヒソヒソ会話する近所のおばさま達の言葉は無理もない。
何しろ進学の為、そして、その後は就職の為とはいえ、義務教育を終えると早々に、十数年も前に出て行った息子 だ。
「お姉さんの婿さんだと思われた。(笑)」
などと兄もふざけて言うのは、嫁と小姑の仲が良さそうに見えたのは、是と捉えたからなのだろう。
春先に届いた母への誕生日プレゼントには、綺麗なラッピングが施されていた。
「あら? やっぱり女の人が傍に付いたらする事が違うのねぇ。」
少しだけ呆れた表情で、母が呟く。
『ん~? それで良いんじゃないか? 』
選ぶとき、兄は絶対にそう答えたと想像に難くないその服飾小物は、母の趣味からやや外れたデザインだったのは、まあご愛敬だろう(笑)
父の葬儀やらで延期されていた結納の為に、母子で大きな駅に降り立ったのは桜もとうに散った頃だったろうか。
『結納返しが要らないように、是非とも少額に抑えて欲しい』
先方から告げられたのは、何かの予兆だったのか?
「いくら父親が居なくても、ちゃんとした事をするつもりだったのに……」
不満げな母親を見て兄はどう思ったのか、それとも母は私にしか愚痴らないで済ませたのか、もう覚えてはいない。
記憶しているのは、翌日のホテルの部屋をチェックインの前に確認させてもらった位に酷い部屋だった事だろうか? いや、ケチが付くって言うじゃない? 多分そんな印象も大事よ? (笑)
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