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第一章 サイレント・マドンナ
第一話 部室
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「今時手書きのラブレターなんて随分と古風なのね」
背後から突然の声に固まる。
足音は聴こえなかった。
俺が所属する『竹ヶ鼻商店街歴史文化研究部』の部室は旧校舎一階の一番奥、この学校で一番日当りの悪い場所にある。
入部して一年間、生徒はおろか顧問さえ一度も訪れたことのない最果ての教室に強襲する女の声。本来なら振り向くのも躊躇するシチュエーションだが、俺はこの声の持ち主を知っている。
「人の手紙を覗き見るなんて良い趣味をしている。因みにこれは君が思っているようなものじゃない」
書き終えた便箋を隠すように封筒に入れ振り返ると、その女、北条志摩子は首から上に血液が流れていないかのような青白い顔で、冷淡に微笑んでいた。
「ここは何の教室かしら。貴方はこんな薄暗い所で何をしているの」
陽炎と見紛うような錯覚に陥る。
声ははっきりと聞こえるが、身体が透けて向こうの風景が見えてしまいそうな、その存在が今にも消えてしまいそうな危うさを孕んでいる。
そんな感じがした。
「ここは部室だ。そして今は部活中だ。用が無いのなら部活動の邪魔になるから出ていってもらえないか」
背筋に冷たいものを感じながらも、声が裏返らないよう出来るだけ無機質な声音で話す。
「あら随分な物言いね、入間川君。貴方のような日陰者が学園のマドンナと二人きりでお話出来るなんて、夢のようなシチュエーションじゃない」
人を嘲弄し見下した言動、己の外見を矜持する様に不快感を抱かずにはいられない。その実、幽鬼のような雰囲気が霧散することに安心感を抱く。
「初耳だな、君が学園のマドンナだったなんて。いつ就任したんだい。君と話すのは初めてだがタイプじゃないな。少し話しただけで分かる高飛車な性格と、残念な胸部がね」
封筒をロッカーに片付けながら意図的に不快感を表し、彼女を見ず背中で会話をする。見てくれが美人であるのは確かだが別段興味は無い。何の気まぐれでこの教室に足が向いたのかは知らないが早々に退室願いたいものだ。
「入間川息吹君」
俺の名前を呼び、つかつかと近づく北条。
「ハッ!」
奇声と共に躊躇無く蹴りを打ち込んできた。慌てて躱すが北条の蹴りは今し方封筒を片付けたロッカーの取手辺りにガシャンと当たる。凄い破壊力だ、素人の蹴りじゃない。
「おい、いきなり何てことするんだ」
怒気を強めて彼女に抗議する。ロッカーの扉は無残にも形を変えてしまった。
「貴方、レディーとの口の利き方も知らないの」
先程まで精気の無かった顔に見る見る赤みが差す。
「何処にレディーが居る。足癖の悪いガールなら目の前に居るがな」
「ハッ!」
再び奇声を発して蹴りを打ち込んでくる。その蹴りを右腕でガードし後ろに飛び退いた。
「いい加減にしろ。いくら女でもそろそろ反撃するぞ」
右腕がヒリヒリと痺れる。こんなものまともに喰らったら無傷じゃ済まない。
「貴方が失礼極まりない発言を繰り返すからじゃない」
「言葉に対しては言葉で応戦しろ。暴力では何も解決しないと教わらなかったのか」
俺の言葉が響いたのか、ようやく攻撃態勢を解除した。どうやら正論は受け入れてもらえるようだ。
「なるほど。真に遺憾だけれど、貴方の言う通りね。では・・・お話をしましょう」
落ち着きを取り戻したのか膝を揃えて俺が座っていた隣の椅子に腰を下ろし、貴方も座りなさいと目で促してくる。端から話すことなどないのだが下手に刺激すると、いつまた攻撃されるか分かったものじゃないので素直に従うことにした。
「ロッカー壊れちゃったじゃないか。うっ・・開かない。こりゃ分解して扉ごと外すしかないな」
眉間に皺を寄せ目で抗議する。
「あら、ごめんなさい。大切なものでも入っていたのかしら」
口では謝罪しているが表情には全く反省の色がない。礼儀正しいのか正しくないのか分かりづらい女だ。
「構わないさ。今すぐ必要なものなんて入れていないから」
嫌味の一つも言ってやろうかと思ったが、話が長引きそうなのでここは我慢しよう。
北条はこちらの意も解さずに教室を隅々まで見渡していた。
「それで、ここは何部なの。他の部員は。見たところあちらに腹筋と胸筋を鍛える器具があるのだけれど、何かの運動部かしら」
「いや、あれは俺の私物だ。体育会系の部活じゃない。部員は俺一人で、ここは竹ヶ鼻商店街歴史文化研究部だ。入り口にそう書いてあっただろが」
質問に愛想無く簡潔に答え、会話を楽しむ気など更々無いと態度で示す。
俺の言葉に不服があるのか、北条は剣呑な表情で睨んできた。
「入間川君、確かにいきなり暴力に訴えたのは私が悪かったわ。けれど貴方にも非が無いとは言えないのではなくて。もう少し優しく接してくれても良いのではないかしら」
なるほど、北条はその恵まれた容姿故に、異性から敵意を向けられたことがあまり無いのだろう。大概は我儘が通ってきたに違いない。優しくされるのが当たり前なのだ。
「これが俺の普通だ」
今迄、北条に接してきた男たちがどうだろうと、俺には関係が無いし合わせる理由も無い。優しく接してもらいたいのならば自分に興味を示さない人間なんかに話しかけなければよいのだ。言い寄ってくる男は優しくしてくれるだろうが、俺は迷惑している。
「そう、だったら構わないわ。ところで竹ヶ鼻商店街に研究する歴史や文化なんてあるのかしら」
「市が誕生した時に自然発生的に出来た商店街だ。特別な歴史や文化がある訳じゃない」
怪訝な表情を見せつつ北条は質問を続ける。
「だったら、この部の存在意義は何なの。入間川君がこの部に在籍している目的は」
その疑問は至極当然であり、立場が逆なら俺も同じことを疑問に思う。貴重な青春時代を費やすにはそれなりに理由が必要だ。
「知らん。俺は強制的に入部させられただけだ」
「何それ。部活動は学業の一環でしょ、強制的なんてあってはならないわ。人権侵害も甚だしい、他人事ながら腹が立つわね。私も一緒に行ってあげるから抗議しにいきましょう。顧問の先生は誰」
正義感と行動力は持ち合わせているらしい。とんでもない女であることは間違いないが、根はいい奴かもしれない。
「要らぬお節介だ。お前が腹を立てる必要は無い。部室は一人で自由に使えるし、旧校舎の静謐な雰囲気も嫌いじゃない。経緯はどうあれ、結果的に俺はこの部をそれなりに気に入っている」
「ふーん、そう。貴方が構わないのなら私が出る幕ではなさそうね」
「そういう事だ。さあ、もう帰ってくれないか。そろそろ日課の筋トレを始めたいんだが」
「最後に一つお願いがあるのだけれど」
「何だ」
「私をこの部に入れてちょうだい」
北条志摩子が学園のマドンナと言われるようになったのは入学してすぐだった。「新体操部にとんでもない美少女が入部した」入学間もない校内がその話題で持ちきりだったのはよく覚えている。恵まれたのは容姿だけではなく、新体操の実力も群を抜いていた。瞬く間に部のエースとなった彼女を知らない者は校内に一人も居ない。レオタードを纏って演技する彼女の姿は幽玄の美と称され、男女問わず誰もが認める学園のマドンナの座を不動のものとしたのだ。
そのマドンナが今、この謎の部に入りたいと言っている。
「新体操はどうしたんだ」
当然の疑問だ。北条は実力的にも新体操部のエースなのだから、簡単に退部していい立場ではない。
「・・・辞めたわ」
一瞬、寂しそうな表情を見せたもののすぐに先程までの顔に戻り、憐憫の情など向けるなと言わんばかりの凛然とした目でこちらを射抜く。「これ以上聞くな」と。
まあ、いい。言いたくないことを無理に聞くほど彼女に興味がある訳でもない。それよりも今は、如何に入部を思い止まらせるかだ。
「入部の動機は」
キョトンとした表情でこちらを覗きみる。二つ返事で入部を許可されると思っていたのだろう。今までは我儘が通ってきたのだろうが俺には通用しない。北条はここが何の部屋か知らずに入ってきた。入部しようと思って来たのではない。動機など有る筈がないのだ。
「動機・・そうね・・私もう、チヤホヤされるのが嫌なの。ここなら誰にも好奇の目で見られないで済むでしょ。だって私以外には無神経な朴念仁しかいないのだから」
取って付けた理由だ。最後に俺への嫌味を入れ、先程の反省を生かし言葉には言葉で応戦してきやがった。戯言で俺に勝てるとでも思っているのか。
「確かにお前には何の興味もないが入部は認めない。残念だが他を当たってくれ」
「どうして。納得のいく説明をしてちょうだい」
頬を赤くして怒気を強める。気の短い女だ。
「俺の安寧が脅かされるからだ。お前のみたいな目立つ奴の入部を許せば、お前目当てで他にも入部希望者が来るかもしれない。入部まではなくとも学園のマドンナを一目拝みたいなんて奴がうろつき兼ねない。迷惑だ」
「知らないわ、そんな輩。それにさっきから、お前、お前って、失礼じゃない。貴方何様なの。私には北条志摩子という名前があるのだから、ちゃんと名前で呼びなさい」
プライドの高い女は単純でいい。討論はキレたら負けだ。故意に威圧的に話していても常に頭はクールでなくてはならない。頭に血が登ればまともに会話なんて出来る筈がない。
「何様だって、顧問に全権を委任されている部長様だ。そしてここは俺の部だ。お前の常識など知ったことか、俺がこの部のルールだ」
透き通った白い肌に血管が浮きあがる。もう冷静では居られないだろう。
「またお前って言ったわね。どんな躾を受けてきたのかしら、親の顔が見てみたいわ」
怒りが沸点に達している。話が逸れていることに気付いていない。もう一押しだ。
「会ったことも無い人の親に向かって暴言を吐くなんて、お前こそどんな教育を受けてきたんだ。さぞご立派な親から躾られたんだな」
バンッ!
机に手を打ちつけ立ち上がると鬼の形相で睨みつけてくる。こいつをマドンナと崇める生徒達に、この顔を見せてやりたい。
「不愉快よ。失礼するわ」
二度と来ないように駄目を押しておくか。
「お茶も出さずに悪かったな。マドンナ様」
遂に逆鱗に触れたのか、立ち止まると振り向きざま顔面に蹴りを打ち込んできた。俺は難無く両腕でガードする。怒りに駆られた人間の行動など手に取るように分かる。北条は攻撃を誘発されているのに気付いていない。何度も躱されれば自慢の蹴りも俺には通用しないと分かる筈だ。
上気し、苦虫を噛み殺した様な顔で俺を睨みつけている。それにしてもスカートでのハイキックはいただけない、中から白いものが丸見えだ。さて、仕上げといくか。
「着けてる下着もガールだな」
その一言に、もう一発蹴りが飛ぶ。勿論予想済みの俺はスッとキャスターを後ろに滑らせ回避した。
背後から突然の声に固まる。
足音は聴こえなかった。
俺が所属する『竹ヶ鼻商店街歴史文化研究部』の部室は旧校舎一階の一番奥、この学校で一番日当りの悪い場所にある。
入部して一年間、生徒はおろか顧問さえ一度も訪れたことのない最果ての教室に強襲する女の声。本来なら振り向くのも躊躇するシチュエーションだが、俺はこの声の持ち主を知っている。
「人の手紙を覗き見るなんて良い趣味をしている。因みにこれは君が思っているようなものじゃない」
書き終えた便箋を隠すように封筒に入れ振り返ると、その女、北条志摩子は首から上に血液が流れていないかのような青白い顔で、冷淡に微笑んでいた。
「ここは何の教室かしら。貴方はこんな薄暗い所で何をしているの」
陽炎と見紛うような錯覚に陥る。
声ははっきりと聞こえるが、身体が透けて向こうの風景が見えてしまいそうな、その存在が今にも消えてしまいそうな危うさを孕んでいる。
そんな感じがした。
「ここは部室だ。そして今は部活中だ。用が無いのなら部活動の邪魔になるから出ていってもらえないか」
背筋に冷たいものを感じながらも、声が裏返らないよう出来るだけ無機質な声音で話す。
「あら随分な物言いね、入間川君。貴方のような日陰者が学園のマドンナと二人きりでお話出来るなんて、夢のようなシチュエーションじゃない」
人を嘲弄し見下した言動、己の外見を矜持する様に不快感を抱かずにはいられない。その実、幽鬼のような雰囲気が霧散することに安心感を抱く。
「初耳だな、君が学園のマドンナだったなんて。いつ就任したんだい。君と話すのは初めてだがタイプじゃないな。少し話しただけで分かる高飛車な性格と、残念な胸部がね」
封筒をロッカーに片付けながら意図的に不快感を表し、彼女を見ず背中で会話をする。見てくれが美人であるのは確かだが別段興味は無い。何の気まぐれでこの教室に足が向いたのかは知らないが早々に退室願いたいものだ。
「入間川息吹君」
俺の名前を呼び、つかつかと近づく北条。
「ハッ!」
奇声と共に躊躇無く蹴りを打ち込んできた。慌てて躱すが北条の蹴りは今し方封筒を片付けたロッカーの取手辺りにガシャンと当たる。凄い破壊力だ、素人の蹴りじゃない。
「おい、いきなり何てことするんだ」
怒気を強めて彼女に抗議する。ロッカーの扉は無残にも形を変えてしまった。
「貴方、レディーとの口の利き方も知らないの」
先程まで精気の無かった顔に見る見る赤みが差す。
「何処にレディーが居る。足癖の悪いガールなら目の前に居るがな」
「ハッ!」
再び奇声を発して蹴りを打ち込んでくる。その蹴りを右腕でガードし後ろに飛び退いた。
「いい加減にしろ。いくら女でもそろそろ反撃するぞ」
右腕がヒリヒリと痺れる。こんなものまともに喰らったら無傷じゃ済まない。
「貴方が失礼極まりない発言を繰り返すからじゃない」
「言葉に対しては言葉で応戦しろ。暴力では何も解決しないと教わらなかったのか」
俺の言葉が響いたのか、ようやく攻撃態勢を解除した。どうやら正論は受け入れてもらえるようだ。
「なるほど。真に遺憾だけれど、貴方の言う通りね。では・・・お話をしましょう」
落ち着きを取り戻したのか膝を揃えて俺が座っていた隣の椅子に腰を下ろし、貴方も座りなさいと目で促してくる。端から話すことなどないのだが下手に刺激すると、いつまた攻撃されるか分かったものじゃないので素直に従うことにした。
「ロッカー壊れちゃったじゃないか。うっ・・開かない。こりゃ分解して扉ごと外すしかないな」
眉間に皺を寄せ目で抗議する。
「あら、ごめんなさい。大切なものでも入っていたのかしら」
口では謝罪しているが表情には全く反省の色がない。礼儀正しいのか正しくないのか分かりづらい女だ。
「構わないさ。今すぐ必要なものなんて入れていないから」
嫌味の一つも言ってやろうかと思ったが、話が長引きそうなのでここは我慢しよう。
北条はこちらの意も解さずに教室を隅々まで見渡していた。
「それで、ここは何部なの。他の部員は。見たところあちらに腹筋と胸筋を鍛える器具があるのだけれど、何かの運動部かしら」
「いや、あれは俺の私物だ。体育会系の部活じゃない。部員は俺一人で、ここは竹ヶ鼻商店街歴史文化研究部だ。入り口にそう書いてあっただろが」
質問に愛想無く簡潔に答え、会話を楽しむ気など更々無いと態度で示す。
俺の言葉に不服があるのか、北条は剣呑な表情で睨んできた。
「入間川君、確かにいきなり暴力に訴えたのは私が悪かったわ。けれど貴方にも非が無いとは言えないのではなくて。もう少し優しく接してくれても良いのではないかしら」
なるほど、北条はその恵まれた容姿故に、異性から敵意を向けられたことがあまり無いのだろう。大概は我儘が通ってきたに違いない。優しくされるのが当たり前なのだ。
「これが俺の普通だ」
今迄、北条に接してきた男たちがどうだろうと、俺には関係が無いし合わせる理由も無い。優しく接してもらいたいのならば自分に興味を示さない人間なんかに話しかけなければよいのだ。言い寄ってくる男は優しくしてくれるだろうが、俺は迷惑している。
「そう、だったら構わないわ。ところで竹ヶ鼻商店街に研究する歴史や文化なんてあるのかしら」
「市が誕生した時に自然発生的に出来た商店街だ。特別な歴史や文化がある訳じゃない」
怪訝な表情を見せつつ北条は質問を続ける。
「だったら、この部の存在意義は何なの。入間川君がこの部に在籍している目的は」
その疑問は至極当然であり、立場が逆なら俺も同じことを疑問に思う。貴重な青春時代を費やすにはそれなりに理由が必要だ。
「知らん。俺は強制的に入部させられただけだ」
「何それ。部活動は学業の一環でしょ、強制的なんてあってはならないわ。人権侵害も甚だしい、他人事ながら腹が立つわね。私も一緒に行ってあげるから抗議しにいきましょう。顧問の先生は誰」
正義感と行動力は持ち合わせているらしい。とんでもない女であることは間違いないが、根はいい奴かもしれない。
「要らぬお節介だ。お前が腹を立てる必要は無い。部室は一人で自由に使えるし、旧校舎の静謐な雰囲気も嫌いじゃない。経緯はどうあれ、結果的に俺はこの部をそれなりに気に入っている」
「ふーん、そう。貴方が構わないのなら私が出る幕ではなさそうね」
「そういう事だ。さあ、もう帰ってくれないか。そろそろ日課の筋トレを始めたいんだが」
「最後に一つお願いがあるのだけれど」
「何だ」
「私をこの部に入れてちょうだい」
北条志摩子が学園のマドンナと言われるようになったのは入学してすぐだった。「新体操部にとんでもない美少女が入部した」入学間もない校内がその話題で持ちきりだったのはよく覚えている。恵まれたのは容姿だけではなく、新体操の実力も群を抜いていた。瞬く間に部のエースとなった彼女を知らない者は校内に一人も居ない。レオタードを纏って演技する彼女の姿は幽玄の美と称され、男女問わず誰もが認める学園のマドンナの座を不動のものとしたのだ。
そのマドンナが今、この謎の部に入りたいと言っている。
「新体操はどうしたんだ」
当然の疑問だ。北条は実力的にも新体操部のエースなのだから、簡単に退部していい立場ではない。
「・・・辞めたわ」
一瞬、寂しそうな表情を見せたもののすぐに先程までの顔に戻り、憐憫の情など向けるなと言わんばかりの凛然とした目でこちらを射抜く。「これ以上聞くな」と。
まあ、いい。言いたくないことを無理に聞くほど彼女に興味がある訳でもない。それよりも今は、如何に入部を思い止まらせるかだ。
「入部の動機は」
キョトンとした表情でこちらを覗きみる。二つ返事で入部を許可されると思っていたのだろう。今までは我儘が通ってきたのだろうが俺には通用しない。北条はここが何の部屋か知らずに入ってきた。入部しようと思って来たのではない。動機など有る筈がないのだ。
「動機・・そうね・・私もう、チヤホヤされるのが嫌なの。ここなら誰にも好奇の目で見られないで済むでしょ。だって私以外には無神経な朴念仁しかいないのだから」
取って付けた理由だ。最後に俺への嫌味を入れ、先程の反省を生かし言葉には言葉で応戦してきやがった。戯言で俺に勝てるとでも思っているのか。
「確かにお前には何の興味もないが入部は認めない。残念だが他を当たってくれ」
「どうして。納得のいく説明をしてちょうだい」
頬を赤くして怒気を強める。気の短い女だ。
「俺の安寧が脅かされるからだ。お前のみたいな目立つ奴の入部を許せば、お前目当てで他にも入部希望者が来るかもしれない。入部まではなくとも学園のマドンナを一目拝みたいなんて奴がうろつき兼ねない。迷惑だ」
「知らないわ、そんな輩。それにさっきから、お前、お前って、失礼じゃない。貴方何様なの。私には北条志摩子という名前があるのだから、ちゃんと名前で呼びなさい」
プライドの高い女は単純でいい。討論はキレたら負けだ。故意に威圧的に話していても常に頭はクールでなくてはならない。頭に血が登ればまともに会話なんて出来る筈がない。
「何様だって、顧問に全権を委任されている部長様だ。そしてここは俺の部だ。お前の常識など知ったことか、俺がこの部のルールだ」
透き通った白い肌に血管が浮きあがる。もう冷静では居られないだろう。
「またお前って言ったわね。どんな躾を受けてきたのかしら、親の顔が見てみたいわ」
怒りが沸点に達している。話が逸れていることに気付いていない。もう一押しだ。
「会ったことも無い人の親に向かって暴言を吐くなんて、お前こそどんな教育を受けてきたんだ。さぞご立派な親から躾られたんだな」
バンッ!
机に手を打ちつけ立ち上がると鬼の形相で睨みつけてくる。こいつをマドンナと崇める生徒達に、この顔を見せてやりたい。
「不愉快よ。失礼するわ」
二度と来ないように駄目を押しておくか。
「お茶も出さずに悪かったな。マドンナ様」
遂に逆鱗に触れたのか、立ち止まると振り向きざま顔面に蹴りを打ち込んできた。俺は難無く両腕でガードする。怒りに駆られた人間の行動など手に取るように分かる。北条は攻撃を誘発されているのに気付いていない。何度も躱されれば自慢の蹴りも俺には通用しないと分かる筈だ。
上気し、苦虫を噛み殺した様な顔で俺を睨みつけている。それにしてもスカートでのハイキックはいただけない、中から白いものが丸見えだ。さて、仕上げといくか。
「着けてる下着もガールだな」
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