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第二章 わたし、めりーさん
1.唄に運ばれて
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「ふーふふふ、ふふふ。ふふふ、ふふふ~。ふーふふふ、ふふふ。ふふふーふふ」
教室に入ると、沢村さんがメリーさんのひつじを鼻歌で唄っていた。僕は懐かしいメロディに瞬く。
沢村さんが戸口で立ち止まっている僕に気付いて、「懐かしいでしょ」とはにかんだ。
教室には、僕たちだけ。もし僕ではない誰かが教室に入って来たら、きっと沢村さんは大惨事だったに違いない。その大暴走ぶりを少しだけ想像し、微かに笑ってしまう。沢村さんらしさには変わりないから。
彼女の振る舞いには真正な魅力がある。ちょっぴり嫉妬しちゃうかもなあ、と僕は笑った。
肩から力が抜けている沢村さんを見るに、窓から登校する僕の姿が見えていたのかな、と思考を巡らす。
「そうだね。久しぶりに聴いたかも」
「学校に来る途中でさ、通りかかった小学生が歌っていたんだよねえ。思わず耳に残っちゃって、つい……。樋脇くんに聞かれるとお恥ずかしい」
沢村さんは頬をほんのり赤くして、そう言った。
「そう? 僕は別に気にしないけど」
「私が気にしちゃうよ」
「ふふ、それもそうだね」
僕は口許に片手をやって、頷く。たとえ僕には微笑ましく映っていたとしても、本人が気にしてしまうのなら仕方のないこと。でも、多分。沢村さんは僕に甘えているんだと思う。いや、自得だと思われても構わないけど、絶対にそうだ。
だけど、築いた信用は僕の力量じゃない。彼女の信頼を欺いているだけ。
くすくす、と笑うふりをしながら、僕は自分の席へと向かった。机の上に鞄を置き、一限目の準備を進める。
「でもすごい偶然かも」
「何が?」
沢村さんが首を傾げる。
「丁度、昨日の夜にマザーグースを読んでいたんだ」
「マザーグース?」
沢村さんの顔に『本のタイトルなのかな……?』と文字が浮かんだ。沢村さんって本当に愉快な人だと思う。最初に目を付けたのは僕だけど、黒川くんが気に入ったのも道理だ。
「マザーグースは英国の童謡だ。おばさんと言う意味だな。メリーさんの羊は元々マザーグースとして伝わり、それが日本語として訳されたんだ。お前が知っているのは日本語訳のメリーさんの羊って訳だ」
――突然の声は黒川くんだった。僕とは反対の戸口から姿を見せる。
沢村さんは二の句も継げずに黒川くんを凝視して、固まっている。誰もいないと思って、リラックスしながら会話していた反動だろう。
「おはよう、黒川くん。とても物知りなんだね」
僕も目をぱちくりとさせ、ゆったりと話しかける。
「はよ。そうでもないだろ。お前だって知っていたんだろ?」
「昨日、読んだ本にそう書いてあっただけだよ。それまでは全然知らなかったし」
「そうか」
黒川くんが懐疑の念を含んだ視線で頷く。
「今日は二人とも、早いだね」
沢村さんが気まずそうに身じろいでいるので、話題を変える。
物珍しそうに黒川くんと沢村さんを交互に見やれば、沢村さんが「私は委員会の仕事があるんだよねえ」と口端を引き攣らせる。
その間にも黒川くんは自分の机に向かい、鞄から教科書を取り出している。
「沢村さんって図書委員だったよね? あまり行きたくなさそうだけど、やっぱり大変なの?」
「へ? いや、私は園芸委員会だよ」
「あれ? 園芸委員は尚子さんだと思ってた」
「ううん、わたしわたし。うーん、図書委員は誰だったかな……。二葉さんだった気がするけど、分かんないや」
最近は渡辺ちゃんと沢村さんの持つ書庫のことで、てんやわんやだったから勘違いしちゃったみたい。
「そっか、記憶違いだったね。ごめん」
「ううん、全然!」
沢村さんはそう返すと、黒川くんの様子を横目で見た。黒川くんも普段からチャイムが響くギリギリまでに登校してくるから、きっと物珍しいんだと思う。
「黒川くんも早いね。もしかして委員会の仕事でもあった?」
「いや。俺は無所属だからな」
委員会は人数制限があるため、少なくともクラスで十人ほどは無所属生が存在する。
「あー、確かに黒川くんっぽいかも」
沢村さんが納得する。
「何だよ、それは」
「だって黒川くんが自ら立候補するとは思えないし、人から頼まれたって絶対に断りそうだわ」
「ふふ。それは言えてる」
けらけらと笑い出す沢村さんと一緒に僕も微笑すれば、黒川くんは不満げに「千堂も無所属だろ」と矛先を変えた。
教室に入ると、沢村さんがメリーさんのひつじを鼻歌で唄っていた。僕は懐かしいメロディに瞬く。
沢村さんが戸口で立ち止まっている僕に気付いて、「懐かしいでしょ」とはにかんだ。
教室には、僕たちだけ。もし僕ではない誰かが教室に入って来たら、きっと沢村さんは大惨事だったに違いない。その大暴走ぶりを少しだけ想像し、微かに笑ってしまう。沢村さんらしさには変わりないから。
彼女の振る舞いには真正な魅力がある。ちょっぴり嫉妬しちゃうかもなあ、と僕は笑った。
肩から力が抜けている沢村さんを見るに、窓から登校する僕の姿が見えていたのかな、と思考を巡らす。
「そうだね。久しぶりに聴いたかも」
「学校に来る途中でさ、通りかかった小学生が歌っていたんだよねえ。思わず耳に残っちゃって、つい……。樋脇くんに聞かれるとお恥ずかしい」
沢村さんは頬をほんのり赤くして、そう言った。
「そう? 僕は別に気にしないけど」
「私が気にしちゃうよ」
「ふふ、それもそうだね」
僕は口許に片手をやって、頷く。たとえ僕には微笑ましく映っていたとしても、本人が気にしてしまうのなら仕方のないこと。でも、多分。沢村さんは僕に甘えているんだと思う。いや、自得だと思われても構わないけど、絶対にそうだ。
だけど、築いた信用は僕の力量じゃない。彼女の信頼を欺いているだけ。
くすくす、と笑うふりをしながら、僕は自分の席へと向かった。机の上に鞄を置き、一限目の準備を進める。
「でもすごい偶然かも」
「何が?」
沢村さんが首を傾げる。
「丁度、昨日の夜にマザーグースを読んでいたんだ」
「マザーグース?」
沢村さんの顔に『本のタイトルなのかな……?』と文字が浮かんだ。沢村さんって本当に愉快な人だと思う。最初に目を付けたのは僕だけど、黒川くんが気に入ったのも道理だ。
「マザーグースは英国の童謡だ。おばさんと言う意味だな。メリーさんの羊は元々マザーグースとして伝わり、それが日本語として訳されたんだ。お前が知っているのは日本語訳のメリーさんの羊って訳だ」
――突然の声は黒川くんだった。僕とは反対の戸口から姿を見せる。
沢村さんは二の句も継げずに黒川くんを凝視して、固まっている。誰もいないと思って、リラックスしながら会話していた反動だろう。
「おはよう、黒川くん。とても物知りなんだね」
僕も目をぱちくりとさせ、ゆったりと話しかける。
「はよ。そうでもないだろ。お前だって知っていたんだろ?」
「昨日、読んだ本にそう書いてあっただけだよ。それまでは全然知らなかったし」
「そうか」
黒川くんが懐疑の念を含んだ視線で頷く。
「今日は二人とも、早いだね」
沢村さんが気まずそうに身じろいでいるので、話題を変える。
物珍しそうに黒川くんと沢村さんを交互に見やれば、沢村さんが「私は委員会の仕事があるんだよねえ」と口端を引き攣らせる。
その間にも黒川くんは自分の机に向かい、鞄から教科書を取り出している。
「沢村さんって図書委員だったよね? あまり行きたくなさそうだけど、やっぱり大変なの?」
「へ? いや、私は園芸委員会だよ」
「あれ? 園芸委員は尚子さんだと思ってた」
「ううん、わたしわたし。うーん、図書委員は誰だったかな……。二葉さんだった気がするけど、分かんないや」
最近は渡辺ちゃんと沢村さんの持つ書庫のことで、てんやわんやだったから勘違いしちゃったみたい。
「そっか、記憶違いだったね。ごめん」
「ううん、全然!」
沢村さんはそう返すと、黒川くんの様子を横目で見た。黒川くんも普段からチャイムが響くギリギリまでに登校してくるから、きっと物珍しいんだと思う。
「黒川くんも早いね。もしかして委員会の仕事でもあった?」
「いや。俺は無所属だからな」
委員会は人数制限があるため、少なくともクラスで十人ほどは無所属生が存在する。
「あー、確かに黒川くんっぽいかも」
沢村さんが納得する。
「何だよ、それは」
「だって黒川くんが自ら立候補するとは思えないし、人から頼まれたって絶対に断りそうだわ」
「ふふ。それは言えてる」
けらけらと笑い出す沢村さんと一緒に僕も微笑すれば、黒川くんは不満げに「千堂も無所属だろ」と矛先を変えた。
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