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第二章 わたし、めりーさん
3.悩める鍵の在処
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幕間。
遅刻しちゃう。頭の中はその一色のみで、私は慌てて屋上の扉を開くと、重苦しい音が響き渡った。
「樋脇くん! 早く!」
扉を抑えていると、後ろから樋脇くんの駆け寄る足音が聞こえてきた。すぐに扉の重さが無くなる。樋脇くんが支えてくれたみたい。柔らかい声音で「ありがとう」と言われたので、私も少しだけ振り返ってから笑みを返し、すぐに階段を駆け下りた。
「――そもフィールドも違うしね」
樋脇くんが何か呟いた気がして、私は今度こそ体ごと振り返った。
既に階段の踊り場にいる私と違って、樋脇くんはゆったりとした動作で屋上の扉を後ろ手に閉めた。まるでアクション映画で女優さんの谷間が揺れ動くスローモーションみたいに。脳内の黒川くんが「お前は何を言ってるんだ」と冷徹な視線を向けてきた。だって、でも。「だって、でも、じゃない。失礼だろ」と脳内黒川くん(仮)が言うので、一文字に口を引き締める。
微笑みを浮かべながら悠然と動く彼は、本当に美しかった。男子相手にそう言って良いのか分からなかったけど、間違いのないように言っておく。樋脇くんが美しいのではない、彼の存在が美しい。
どうしてそう思ったのか分からない。でも胸の奥の”私”が告げてきたのだ。
本当にどうしてかな。悶々と考えていると、樋脇くんはいつの間にか私の隣に立っていた。
「じゃあ行こうか」
彼の瞳は、満点の星空という名の、海に浮かぶ月のように輝いていた。
私たちは廊下を走って、なんとか授業に間に合った。厳しい先生はすでに教卓に立ち、授業の準備をしている。まだチャイムが鳴っていないので、私たちを一瞥してすぐに視線を逸らす。
ひえ~~、おっそろしい。樋脇くんが居てくれて良かった。
そう思って、隣にいた樋脇くんを見上げると、樋脇くんは「ん?」と小首を傾げた。
「ううん、何でもない。またね」
そう小声で呟き、急いで自分の机へと向かう。とうに着席していた黒川くんが私を見る。遅かったな、と言う幻聴も聞こえてきた。
……嫉妬、ですか?
「あ、そう言えば樋脇くんに教科書を渡したんだっけ?」
「お前の記憶力には驚かされる」
黒川くんが瞳を閉じ、ふうと息を吐いた。
「え~と、つまり……?」
「お前の目の前で渡した」
その一言を言えば良くない? 何、わざわざ嫌味を言ってくるのさ。
憤慨する気持ちを溜息で抑え、私は「ま、これでひと安心ね」とクールダウンした。
「……まあな」
黒川はそう言って、樋脇くんを見た。
……何かあるのかな。黒川くんの様子が何処となく気になる。今朝の態度からして、黒川くんの抱く感情だけが原因じゃないと思うけど、その実態は雲の上の存在。まるで探るような目つき、疑念を抱えている。でも、それなら何故、どうして。
浮気を疑ってるにしては、まだ樋脇くんとは付き合ってないみたいだし、嫉妬深いのもどうかと。
うーん、もしかして黒川って樋脇くんに何らかの目を付けていたのかも?
……いや、分からないなあ。黒川の頭の中を覗かない限り、理解不能だよねえ。
ふと周囲を見渡すと、月島と千堂、そして教室の中央に席がある立川くんがいない。立川くんの席が空っぽだなんて大層珍しい。だって彼は真面目な委員長さんだし、インフルエンザでも流行してるだなんて聞いたことないからなあ。三人でサボっているなんて疑うのも気が引ける。だって立川くんだし(大事なことは二度言う)。
月島くんと千堂くんがいないと静かだ。あいつらって騒がしいと言うか、賑やかと言うか。黒川がいるけど、久しぶりに淋しいって感じ。孤独って訳じゃないし、落ち着いた気分にもなるけど、どうしてだか胸元に隙間風を感じるの。窓なんて開いてないのにね。
――その時、授業開始のベルが鳴った。「教科書を開け」と先生が告げるのを聞き流しながら、私は窓の外へと意識を向けた。
実はずっと気になっていることがある。あの書庫のこと。
鏡の怪異に付き纏わられた数日間、何度も夢の中に現れた書庫のおかげで助かった。でもその日以降、書庫の扉はうんともすんとも言わない。
あの白い廊下や、書庫の扉までは、時々夢の中で見る。だけど扉には鍵が掛かっていて、中に入ることが出来ない。書庫にいた司書さんも鍵を探すように、と言っていた。自宅や教室をそれとなく探しては見たけれど、結局は見つからなかった。
そもそも形すら分からないんだもの。早々に見つかる訳がないと思うんだよね……。
――怪異は私たちを襲った。それって、今後も怪異に巻き込まれる恐れがあるということだ。私たちだけではなく、ここにいるクラスメイトの誰かが巻き込まれてしまうかも。別に彼らがどうなろうと興味はないけど、今も誰かが犠牲になっているなんて想像するだけでも、背筋が凍りそうだ。
己のいる世界は危険と隣り合わせだと再認識してしまうことが恐ろしい。今までセーフハウスだった暮らしは、薄氷の上に存在しているようだ。
樋脇くんのおかげで、少しは心の安寧を持てたと言うのに。憎くて、辛くて、そんな自分が恐ろしい。
もしまた怪異に巻き込まれたとして、私の中にある書庫は有益なんだろうな。鏡の怪異だって書庫のおかげで追撃を免れたところだし、やっぱり鍵を探すのが先決なのかも。そう何度も結論を下し、探しても中々見つからないと言う事実に座礁する。
あ~あ、どうしたもんかな。
遅刻しちゃう。頭の中はその一色のみで、私は慌てて屋上の扉を開くと、重苦しい音が響き渡った。
「樋脇くん! 早く!」
扉を抑えていると、後ろから樋脇くんの駆け寄る足音が聞こえてきた。すぐに扉の重さが無くなる。樋脇くんが支えてくれたみたい。柔らかい声音で「ありがとう」と言われたので、私も少しだけ振り返ってから笑みを返し、すぐに階段を駆け下りた。
「――そもフィールドも違うしね」
樋脇くんが何か呟いた気がして、私は今度こそ体ごと振り返った。
既に階段の踊り場にいる私と違って、樋脇くんはゆったりとした動作で屋上の扉を後ろ手に閉めた。まるでアクション映画で女優さんの谷間が揺れ動くスローモーションみたいに。脳内の黒川くんが「お前は何を言ってるんだ」と冷徹な視線を向けてきた。だって、でも。「だって、でも、じゃない。失礼だろ」と脳内黒川くん(仮)が言うので、一文字に口を引き締める。
微笑みを浮かべながら悠然と動く彼は、本当に美しかった。男子相手にそう言って良いのか分からなかったけど、間違いのないように言っておく。樋脇くんが美しいのではない、彼の存在が美しい。
どうしてそう思ったのか分からない。でも胸の奥の”私”が告げてきたのだ。
本当にどうしてかな。悶々と考えていると、樋脇くんはいつの間にか私の隣に立っていた。
「じゃあ行こうか」
彼の瞳は、満点の星空という名の、海に浮かぶ月のように輝いていた。
私たちは廊下を走って、なんとか授業に間に合った。厳しい先生はすでに教卓に立ち、授業の準備をしている。まだチャイムが鳴っていないので、私たちを一瞥してすぐに視線を逸らす。
ひえ~~、おっそろしい。樋脇くんが居てくれて良かった。
そう思って、隣にいた樋脇くんを見上げると、樋脇くんは「ん?」と小首を傾げた。
「ううん、何でもない。またね」
そう小声で呟き、急いで自分の机へと向かう。とうに着席していた黒川くんが私を見る。遅かったな、と言う幻聴も聞こえてきた。
……嫉妬、ですか?
「あ、そう言えば樋脇くんに教科書を渡したんだっけ?」
「お前の記憶力には驚かされる」
黒川くんが瞳を閉じ、ふうと息を吐いた。
「え~と、つまり……?」
「お前の目の前で渡した」
その一言を言えば良くない? 何、わざわざ嫌味を言ってくるのさ。
憤慨する気持ちを溜息で抑え、私は「ま、これでひと安心ね」とクールダウンした。
「……まあな」
黒川はそう言って、樋脇くんを見た。
……何かあるのかな。黒川くんの様子が何処となく気になる。今朝の態度からして、黒川くんの抱く感情だけが原因じゃないと思うけど、その実態は雲の上の存在。まるで探るような目つき、疑念を抱えている。でも、それなら何故、どうして。
浮気を疑ってるにしては、まだ樋脇くんとは付き合ってないみたいだし、嫉妬深いのもどうかと。
うーん、もしかして黒川って樋脇くんに何らかの目を付けていたのかも?
……いや、分からないなあ。黒川の頭の中を覗かない限り、理解不能だよねえ。
ふと周囲を見渡すと、月島と千堂、そして教室の中央に席がある立川くんがいない。立川くんの席が空っぽだなんて大層珍しい。だって彼は真面目な委員長さんだし、インフルエンザでも流行してるだなんて聞いたことないからなあ。三人でサボっているなんて疑うのも気が引ける。だって立川くんだし(大事なことは二度言う)。
月島くんと千堂くんがいないと静かだ。あいつらって騒がしいと言うか、賑やかと言うか。黒川がいるけど、久しぶりに淋しいって感じ。孤独って訳じゃないし、落ち着いた気分にもなるけど、どうしてだか胸元に隙間風を感じるの。窓なんて開いてないのにね。
――その時、授業開始のベルが鳴った。「教科書を開け」と先生が告げるのを聞き流しながら、私は窓の外へと意識を向けた。
実はずっと気になっていることがある。あの書庫のこと。
鏡の怪異に付き纏わられた数日間、何度も夢の中に現れた書庫のおかげで助かった。でもその日以降、書庫の扉はうんともすんとも言わない。
あの白い廊下や、書庫の扉までは、時々夢の中で見る。だけど扉には鍵が掛かっていて、中に入ることが出来ない。書庫にいた司書さんも鍵を探すように、と言っていた。自宅や教室をそれとなく探しては見たけれど、結局は見つからなかった。
そもそも形すら分からないんだもの。早々に見つかる訳がないと思うんだよね……。
――怪異は私たちを襲った。それって、今後も怪異に巻き込まれる恐れがあるということだ。私たちだけではなく、ここにいるクラスメイトの誰かが巻き込まれてしまうかも。別に彼らがどうなろうと興味はないけど、今も誰かが犠牲になっているなんて想像するだけでも、背筋が凍りそうだ。
己のいる世界は危険と隣り合わせだと再認識してしまうことが恐ろしい。今までセーフハウスだった暮らしは、薄氷の上に存在しているようだ。
樋脇くんのおかげで、少しは心の安寧を持てたと言うのに。憎くて、辛くて、そんな自分が恐ろしい。
もしまた怪異に巻き込まれたとして、私の中にある書庫は有益なんだろうな。鏡の怪異だって書庫のおかげで追撃を免れたところだし、やっぱり鍵を探すのが先決なのかも。そう何度も結論を下し、探しても中々見つからないと言う事実に座礁する。
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