Evergreen

和栗

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「お先に失礼します」
「おつかれ」
自分の受け持つコマが終わったので、カバンをかつぐ。
成瀬さんはまだテキストを開いてペンを走らせていた。
階段を降りて生徒と一緒にビルを出る。
星が綺麗だった。
早く終わったし、ちょっとだけ寄り道でもしようかな。浮かれた頭で考えながら一瞬その場に立ち止まる。
「お兄ちゃん」
「え?・・・うぇっ!?いず、」
「お兄ちゃんお疲れ様!ご飯行こう!」
いきなり腕を引っ張られ、早足に歩き出した。
綺麗な長い髪を風になびかせながらおれに声をかけたのは、和泉ちゃんだった。
直哉の弟で、妹でもあり、更には想い人でもあるこの子がなぜここに。
生徒に冷やかされながら人混みを突っ切る。
「ど、どうしたの」
「ごめん、お兄ちゃんも真奈美も和知くんも連絡つかなくて涼くんしかもういなかったの!本当にごめん!」
「わ、わち?まなみ?誰だっけ?てか、どうしたの」
「ス、ス、ストーカー・・・!後ろ、ずっと、いるのー・・・!」
ストーカー!?
ドバッと背中に汗が吹き出す。
和泉ちゃんが腕を組んできて、それを振り解いて肩を抱き寄せ、離れないようにしっかり力を込める。
驚いた顔が上がり、そして、一気に不安そうな顔に変わった。
「涼、くん、汗やば・・・えぇー・・・怖い?」
「こ、怖い。ごめん、マジで、ストーカーは、マジで怖い」
「・・・もしかして被害経験あり?」
「ある。男女ともに、ある。マジで怖い。怖すぎて今吐きそう。とりあえず、とりあえず店、どっか、あ、でも、制服か・・・」
「どーしよー!前はお兄ちゃんがすぐ来てくれたのに、全然連絡つかないのー・・・!真奈美も、和知くんも、ダメなの・・・!」
「あ、思い出した!勉強教えた子たちか!あれ?和知くんて、彼氏いなかった?その彼氏に連絡ついたり、しないのか・・・」
「し、しない!知らないし!あー、もう、どうしようー・・・!」
「だ、大丈夫。おれいるし・・・ごめん嘘おれへなちょこで喧嘩したことないし今心臓やばい・・・」
こうやって付き纏われたり、家までこられたり、電話がきたり、職場ももちろんバレてるし、逃げ場がなくなったことがあるけど、本当に怖くて震えるしかないんだよな・・・。
しかもおれは男だから警察にも気軽に行けないし・・・。
この子も警察に行って性別を聞かれて追い返されてしまうかもしれない。
そう思ったからおれのところへ来たのだろう。
しっかりしなきゃと思うのに、足まで震えてきた。
あの時は、確か、そうだ。
「わ、和多流くんに電話していい?」
「誰?あ、彼氏?強いの?呼んで!早く!」
「ケータイ、ケータイ・・・」
カバンから引っ張り出して電話をかける。
早く出て。早く早く!
待ち侘びたコール音の途切れる音。
和多流くんの声が優しく流れ込んでくる。
『涼くん?今どこにいる?』
「わ、和多流くん!あの、あ、あ、」
『迎えに来たんだけど、』
「涼くん!ね、ね、いないっ、いなくなった・・・!」
「え・・・?え?」
『涼くん?』
あたりを見渡す。
しまった、パニックになってて、いつも通ってる公園に入ってきちゃってた。
今日に限って人が少ない。
いつもならスケボー少年やカップル、犬の散歩をしている人がいるのに。
和泉ちゃんの肩を必死に抱き寄せる。
おれのシャツを掴んでぎゅっと目を閉じていた。
この子に何かあったら直哉にも、おじさんにも合わせる顔がない。
震える声を必死に抑える。
『大丈夫?今どこ?』
「公園、」
『公園?』
「わた、和多流くんは、」
『何かあったんだね。すぐ、』
ガサっと葉の揺れる音がした。
ゆっくりと視線を移す。
知らない男が笑いながら立っていた。
あ、やばい、こいつ。普通じゃない。
「2人とも、可愛い顔してるね」
ベンチを超えてゆっくり近づいてくる。
怖くて動けなかった。心臓が大きく跳ねているのがわかる。音が、うるさい。
前にもストーカーに遭った時、地面に押さえつけられたり、口を塞がれたり、もう、思い出すのも嫌なことをされかけた。
一気にフラッシュバックして、ぼたぼたと汗が落ちる。
体が動かない。
「逃げないんだ?」
「あ、あ・・・い、いずみ、いずみちゃん、逃げて、早く、」
無理やり腕を解いて和泉ちゃんの体を後ろに隠す。でも、腰が抜けたのか座り込んでしまった。
どうしよう、どうしよう。
「怯えてるんだね。その顔が見たかったんだ。2人まとめて一緒に、」
「お待たせ」
声が被った。
声がした右側に顔を向けると、和多流くんが息を切らして立っていた。いつものようにふわりと笑う。
ゆっくり男に向き直ると、急に無表情になる。
「この子、おれのなんだけどさ。まとめてどーすんの?」
「え、」
「食べんの?襲うの?お前そっちなの?じゃぁおれとしようか?」
「え、え、」
「突っ込んでやろうかっつってんの。ケツ出せよ」
いきなり間合いを詰めると、腕をとって捻り上げた。そのまま、頭を掴んで押し倒す。
男は声も出ずにうつ伏せに倒れると、ポカンとしていた。
和多流くんはごそごそと男のポケットを漁るとお財布を出し、中身をひっくり返して免許証を拾い上げた。
「ふーん。おれより年上か。年上って興味ないんだけどな。名前も顔も覚えたよ。さてどうしようか」
「か、勘弁、してくださいっ」
「つまんねぇなー。もうこの町来ないでよ?きたらマジで襲うよ。分かった?もう一回言うよ?顔も名前も、もちろん住所も覚えたよ。さっさと行けよ」
淡々と、なんともない声色で話すから、逆に怖かった。
押さえつけていた手を離すと、バシッと男の頭を叩いた。
散らばった財布の中身を慌てて拾い、バタバタと走って行く。
それを見届けて、がくっと膝が折れた。
和多流くんもしゃがみ込み、おれの顔を覗き込む。
ひどく心配した顔が目の前にあって、ほっとして、その瞬間少しだけ涙がこぼれた。
「何も、されてない?」
「あ、あはは・・・な、情けねっ・・・腰、抜けちゃった・・・」
「涼くん・・・」
「あ、あの!ありがとうございました!涼くん、大丈夫?ごめんね・・・ごめんね、巻き込んで、ごめんなさい・・・彼氏さんも、ごめんなさい、」
「え・・・知ってるの?」
「あ、あの、この子、おれのいとこ・・・うわっ!?」
いきなり抱き寄せられた。
ぎゅーぎゅーに抱きしめられる。
濃い汗の匂いがして、心臓が苦しくなった。
こんなに汗だくになって探してくれてたんだ。
「よかった!ほんっとうに!無事でよかった!死ぬかと思った!見つからなかったらどうしようって、めちゃくちゃ焦った!」
「わ、和多流くん、和泉ちゃんいるから、」
「や、だって、知ってるならいいでしょ。あー・・・怖かった。本当に何もされてない?」
「されてない、けど、めっちゃ怖かった・・・」
「はー・・・見つかってよかった・・・。あ、ごめんね。お嬢さん」
「あ、いえ、いえ・・・」
「えーっと、サッカー部の彼氏さんが探してたのは、お嬢さんのことかな」
「え・・・?お兄ちゃん?お兄ちゃんですか?」
「お兄ちゃん?ユニフォーム着て走ってる子とぶつかって、このユニフォームと同じキーホルダーつけてる子見なかったかって聞かれたんだよ」
和多流くんが指をさしたのは、和泉ちゃんのカバンについた赤いユニフォームのキーホルダーだった。手作りだろうか。
和泉ちゃんはハッとしてポケットからケータイを取り出すと、画面を見てボロボロと涙をこぼした。
「う、うぇえん・・・!いっぱい、電話、きてた・・・!」
「連絡してあげな?すごく心配して、汗びっしょりで走ってたんだよ」
「う、う、」
「ごめんね、和泉ちゃん・・・おれ、情けなくて・・・」
「情けなく、ない・・・!ストーカー、怖いの、知ってるもん、涼くん、ありがとう」
ケータイを耳に当て、顔を擦る。
すぐに直哉の声がした。
馬鹿でかい声で、和泉ちゃんの居場所を聞いている。
「お兄ちゃん、ごめん、公園・・・!北側、うん、」
「・・・お兄ちゃんってことは、あの子も涼くんのいとこだったのか・・・」
「あ・・・髪、サラサラのちょっと切長の目、してた?」
「そうそう。なんかどことなく涼くんと似てて、びっくりしたんだよね。いとこだったのか」
和多流くんは話しながら、手を握り続けた。
震えているのがバレてしまって恥ずかしいけど、前もストーカーから助けてくれた時に、こうしてくれたんだよな・・・。
おれって無神経なやつだったなー・・・。あの頃、和多流くんのことは全然眼中になくて、ただただ怖くて助けて欲しかっただけなのに・・・。見返りも求めずにわざわざ家に来てくれたりさ・・・。その後も、仕事終わりとかにメールくれたり、電話くれたり、ご飯誘ってくれて帰りに送ってくれたりさ・・・。今になって考えると、友達の域、超えてるよ。なんでおれ、気づかなかったんだろ。
「お兄ちゃん、くるって・・・」
「よかった・・・よかったな、和泉ちゃん」
「・・・ん」
「ベンチ座ろうか。そこの自販機でお茶でも買ってくるよ」
和多流くんは自販機で飲み物を買ってくると、和泉ちゃんに手渡した。
受け取ると、俯いて鼻を啜る。
「大丈夫?家まで送るよ」
「ちが、」
「和泉ちゃん、1回目じゃないんだ。多分何度も・・・。」
「それは・・・それは、大変だったね。おれは女の子じゃないからそういう目にあった事、無いんだけど・・・怖いよね。大事な人がさ、もし、何か、あって・・・間に合わなかったらって思うと・・・こっちも気が気じゃないよ・・・」
「ほんとに、そうですか・・・?」
「そうだよ」
「じゃぁ、・・・どうして抱きしめてくれないんですか・・・」
「・・・ん?」
え?どういうこと?
和多流くんは困った顔をして首を傾げた。
「んん?・・・えと、お兄さん?」
「うん・・・。どうして、かなって・・・いつも、心配してくれるのは、分かるけど・・・涼くんたちみたいに、なれない・・・」
え?え!?
おれたちみたいに?!
ちょっと待った、和泉ちゃんて、あれ?
顔を見ると、ポロポロと涙をこぼしていた。
すん、と鼻を啜って目を閉じる。
和多流くんは顔いっぱいにハテナを浮かべて困っていた。多分おれも同じ顔をしているだろう。
「お兄ちゃんは、・・・いつもそうなの・・・中途半端でへなちょこで大事な時にそばにいないの・・・。でも、私が大事だって、言うの・・・意味分かんない・・・」
「・・・あの、和泉ちゃんて・・・」
「大事って、何?大事って、漠然としすぎてて、私には分からない・・・分からないの・・・」
「おれはお兄さんじゃないからはっきり分からないけど、大事の意味ってたくさんあるんだよ」
和多流くんが少し微笑んで言った。
和泉ちゃんは顔を上げると、じーっと和多流くんを見た。
「大事ってね、閉じ込めて傷をつけたくないとか、とにかく見つめていたいとか、この一瞬だけとか、ずっと一緒にいたいとか、守っていきたいとか、もっとたくさん意味があるよ。お兄さんがどれなのか、全てなのか、おれには分からないけど、君のこととても大事なんじゃないかな。汗だくになって探すくらいに」
「・・・」
「お兄さんと恋人になりたいの?」
バッサリと切り込んでいくのは、おれにだけじゃなかったんだ。誰にでもこんな感じなんだ。
項垂れてしまう。もう少しオブラートに包めばいいのに。
和泉ちゃん、絶対怪訝な顔してるって・・・。
「なりたい」
「えぇ!!!???」
「へぇー。おれ応援するよ。禁断の恋だね」
「・・・血、繋がってない」
「じゃぁ、問題ないね」
「でも私、戸籍上では男なの。だからお兄ちゃんも手を出してこないの。私が男だから!」
「・・・へぇー!男の子なんだ?キレーだね。びっくりした」
「ま、待って和泉ちゃん!それ話していいことなの!?いやちょっと待って、待ってとにかく待って!?」
「待たない!あの、和多流さんってゲイなんですよね?」
「え?うん。そうだよ」
「私ってゲイなんですか?私って、お兄ちゃんから見たらどうなんですか?ゲイ?弟?妹?他人?どれですか?」
「どれでもないんじゃない?」
あっけらかんと答えて、あはは、といつもの調子で笑った。
和泉ちゃんもおれも拍子抜けする。
「どれでもないって・・・」
「大事って言うんでしょ?」
「・・・言う。言うんです・・・」
「じゃぁ、それだよ」
「え?」
「大事な人なんだよ。和泉さんっていう、大事な人」
「・・・じゃぁどうして言ってくれないの・・・。大事なら、閉じ込めてほしいの・・・離さないでほしいの・・・。でも、自分から、絶対に言いたくないの・・・。お兄ちゃん、優しいから、絶対そうしてくれるって、分かってる・・・。私は、お兄ちゃんの意志で、私を、・・・」
顔を覆って、和泉ちゃんは泣き始めた。
なんでだろう、ぎゅって、胸が苦しくなる。
直哉は和泉ちゃんが好きだ。
大事にしたいと言っていた。
和泉はもうたくさん傷ついてきたから、傷つかないように守ってやりたいと。
それが、どんな立場であろうと。自分の想いが破れても、そうしたいと、言っていた。
「あのね、おれもそう思ってたよ」
「・・・え?涼くんに対して、ですか・・・?」
「うん」
「えぇ!?そうなの!?」
「そうだよ。付き合ってって言ったら、多分、いいよって、言ってくれるだろうなーって思ってた。優しい人だから。できたら好きになってくれて、あわよくば涼くんから声かけてくれないかなーって思ってたんだけどねー。あはは。まるで脈なし」
「そ、それでどうしたの?」
「え?自分から言っちゃった。だって時間ももったいないし、都合良すぎるじゃん?自分を好きになってあっちから言ってほしいとか。自分が勝手に好きになっておいてさ。だからね、もし付き合ってもらえたら、もう絶対に好きになってもらおうって思ったんだよね。全力で頑張って振り向いてもらおうって」
「・・・かっこいい・・・。私も、そう思えたらいいのに・・・」
「おれもそう思うのに時間かかったよ。そう思えるようになったら、時間をかけなければいいだけだよ」
知らなかった。おれのこと、そんなふうに見てたんだ。
ていうか、こんなおれに、そんなこと思えるって、すごい人だな、本当に・・・。
告白されて、つい、うんって言っちゃってからは早かったな・・・。
全力で甘やかしてもらって、甘えて、そりゃもうぬくぬくあぐらをかいてくつろいで・・・あっという間に好きになりましたとさ。
でも和泉ちゃんはそんなことしなくても、もう直哉もベタ惚れだからなぁ・・・。
「・・・私から言ってもいいのかな」
「いいんじゃないかな。おれお兄さんじゃないから分からないけど」
「て、いうか、お兄ちゃんは絶対私のこと好きなのに!なんで、告白してこないんですか!?」
ぎゃー!直哉!バレてるバレてる!
内心バクバクしながら必死にペットボトルを握る。和多流くんは大笑いすると、面白い子だねと言った。
「やべー。若いってすげえー。面白い!」
「なんでだと思いますか?」
「えー?分かんないけど、君と同じこと思ってるんじゃない?」
「え?同じこと?」
「君は優しいから、受け入れてくれてるだけって」
「・・・私にだって選ぶ権利があるもん・・・。優しさだけじゃ、ない・・・」
「それ言ってあげたら?」
「どうやって?」
「んんー・・・分かんない。関係性も分かんないから。ただね、どちらかが何か言わないと何も始まらないよ。言えるのはそれだけかな。抱きしめて欲しかったら言ってみたらいいし、それがただの優しさだけだったら、まぁ、つけ込んじゃえば?強かさも必要だしね。君可愛いし、できるできる」
「ちょ、和多流くんさ、ノリ軽すぎだよ。て、いうか、和泉ちゃん、おれに聞かせて大丈夫だったの?」
「大丈夫。て、いうか・・・相談できる人、いなかったから・・・こうやって話せて嬉しいし、安心してる」
「そ、それなら、いいんだけど・・・」
おれ、すっごい居た堪れないんだけど・・・。
直哉が和泉ちゃんを好きなことも、和泉ちゃんが直哉と恋人になりたいことも知ってしまって、今後どうしたらいいんだ。
いや、何もしないのが正解なんだけど・・・。
「和泉!!」
大きな声がしてそちらを見ると、大きな鞄を担いだユニフォーム姿の直哉がいた。
全速力で走ってきて和泉ちゃんの前までくると、いきなり抱きしめた。
驚いて固まる和泉ちゃんに、つい心の中でガッツポーズをしてしまう。
「ごめん!本当にごめん!怖かったよな!ごめんな!遅くなった!」
「う、うん・・・うん、あの、」
「怪我してないか?」
「ん・・・」
「よかった・・・も、マジで、ごめんな・・・。怖かったよな。明日は一緒に帰ろう。わりーんだけど、教室で待っててくれ。な?」
「・・・うん」
和泉ちゃんは照れたように小さく頷きながら、ぎこちなく直哉の背中に手を回した。
高校生の青春を目の前で見て、こちらまでときめきを感じてしまう。そしてさきほど和多流くんに抱きしめられたことを思い出して、キュンとした。
「あ、涼くん!涼くんありがとう!和泉といてくれたんだろ?・・・あれ!?さっきの人!?え?!」
「やぁ、さっきぶり。よかったね、見つかって」
「あ、直哉・・・あの、この人、おれの・・・」
言い切る前に察したのだろう。直哉は膝を折って地面に手をつくと、深々と頭を下げた。
驚いて声も出ない。
「ありがとうございました!本当に、ありがとうございます!」
「わ。おれこんなに頭下げられたの初めてだ。やめてよ。顔あげて」
「おれ、ほんっと、いざって時に頼りにならなくて、だから、和泉が嫌な思いするんです!おれのせいで、迷惑かけて、すみませんでした!」
「悪いのはストーカーでしょ。それに、君が頼りないとかおれは知らないよ。謝るなら妹さんに謝ったら。それと、頼りにならない男っていうのは、状況が理解できない奴のこと。君は理解してこんだけ探し回ったんだから、おれは頼りないとは思わないよ」
なんでもないように言うけど、直哉は嬉しかったんじゃないだろうか。
立ち上がるともう一度頭を下げて、和泉ちゃんに向き直った。
赤い顔を隠すように袖口を口元に当て、視線を足下に落としている。抱きしめて欲しい夢が叶ったのだから、こんな反応になるのも当たり前だった。
「和泉、ごめん。連絡くれて、安心した。継母さんたちが来てくれるから、行こう」
「・・・うん、」
「ほら、手」
優しく手を差し出し、細い手を握った。こっちが恥ずかしくなる。
手は普通に繋ぐんだな。
くそー、直哉のやつ、兄っていうより男じゃん。
見たことのなかったいとこの、かっこいい姿に、成長したなと感動してしまう。
「涼くんも、ありがとう。和泉といてくれて」
「や、おれへなちょこだからなんもできなかったよ」
「涼くん、昔からホラーとか苦手だったもんな。あと蝶々」
「余計なこと言わなくていいんだよ!さっさと帰れ!あ、いや、ダメだ。危ないから送る」
「迎えはどこに来てくれるの?そこまでおれたち一緒に行くよ。ついでに涼くんの苦手なもの、他にあったら教えて欲しいな」
「直哉!言ったら殴るぞ!」
「いつもこう言うけど昔からおれに甘くて許してくれるんです」
「へぇー。そうなの。で、苦手なものって何?」
「酢豚のパイナップルです」
「直哉!!」
くそ、くそー!なんでおればっかこんな目に・・・!
和泉さんは呆れた顔をして、直哉の耳を引っ張った。もちろん、繋がれていない方の手で。
和多流くんはニヤニヤしながらおれを見て、今にもスキップしそうな勢いで歩いていた。
そんなにおれの苦手なものを知りたかったのだろうか。まぁ、言ったことないけどさ。
直哉と和泉ちゃんのお母さんと合流して改めて挨拶をし、別れた。
和多流くんはコインパーキングに向かい、助手席のドアを開ける。
乗り込むとエンジンをかけてアクセルを踏んだ。
「帰ろうか」
「うん・・・。あの、本当にありがとう。おれ、もう、全然ダメだった。和泉ちゃん怖がらせちゃったし・・・情けない・・・」
「・・・それ以上言ったら怒るよ」
「えっ、」
「涼くんは情けなくない。絶対に。嫌な目に遭ってきたの、おれは知ってるから、トラウマだってあるはずなのに立ち向かおうとした涼くんは、立派だよ。あの子1人じゃ何もできなかったと思う」
「・・・」
「それに、あの子だって離れようとしなかったでしょ?涼くんが怖がってても、一緒にいたんでしょ?涼くんが守ってくれるのわかってたんだよ」
「・・・で、でも、おれ・・・あ、あの、」
言葉が出なかった。また手が震え出す。
怖かったな・・・もう、あんなの、嫌だ。
必死に涙を堪えて家に帰る。
ここは和多流くんと住んでいる部屋だから、怖くはなかった。安心しかない。
小走りで家に入ると、和多流くんはしっかり戸締りをしてから、玄関で服を脱がせてくれた。汚れてくしゃくしゃになったシャツもスラックスも投げ捨てて、お風呂に向かう。
熱いシャワーを出すと、ゆっくり抱きしめてくれた。
「無事でよかった」
「・・・ん、ぅ・・・」
「もう大丈夫。おれがいるからね。忘れるのは無理かもしれないけど、思い出せなくなるくらい、楽しいことたくさんしていこう」
「ひ、え、・・・うぇえ・・・」
「よかった・・・。こうやって抱きしめられて・・・。前は、帰るしかできなかったから、悔しくてね。抱きしめて、気を遣わせたりギクシャクしたら嫌でさ」
「め、めちゃくちゃ、怖かったぁ・・・!う、う、・・・!和多流くんがかっこよくてめっちゃ惚れた・・・!」
「え!本当?嬉しい」
「て、いうか、おれ優しいから和多流くんと付き合ってんじゃなくて、和多流くんだから付き合ってんの!分かれよそろそろー!」
「うん。ありがとう。分かってるよ。涼くん結構警戒心強いから」
「う、うぅ、・・・ぎゅってして寝て・・・」
「もちろん」
「ごめん、しばらく、お迎え来て・・・」
「なんで謝るの。当たり前でしょ。嫌って言っても行くよ」
しばらく泣いてから、お風呂から出た。
食事なんてとても食べられなくて、ベッドに倒れ込む。
もぞもぞ近づいて少し気になっていたことを聞いてみる。
「なんか、すごい、来てくれるの早かったけど、近くにいたの?」
「え?」
「公園来てくれた時、早かったから・・・。駅から離れてたのに」
「・・・あー・・・うん、早かったね。あはは」
「あ、誤魔化した。何?何で?」
「怒らない?」
「・・・うん、分かった」
「おれと涼くん、機種同じでしょ。スマホをさがす位置情報アプリが入ってるの知ってる?」
「あぁ、純正アプリね。うん。・・・え゛」
「あはは。寝てる時にID登録したの。で、位置がわかるから早く行けたわけだ」
「・・・お、おぅ・・・え、と、なぜ?寝てる間に?」
「前に家出した時に心配しすぎて死ぬかと思って、もう嫌だなーって思って、つい。言ったら嫌がるかなーって。あ、普段は全く使ってないよ?だって連絡してお迎え行ってるでしょ?今回は連絡しても返事がなくて、行ってもいなかったからさ。成瀬さんと出くわして、帰ったって聞いて、おかしいなーと思って」
「・・・えーっと、怒らないけどびっくりした・・・。次から、言ってくれたらおれ、嫌だって言わないよ」
「えー?本当?」
「うん。解除もしないし・・・。ん、じゃぁ、おれのも登録させて」
「もうしてるよ」
わぁ・・・。
すごーい・・・。
和多流くんは吹っ切れたように笑い、迷子になったら使えるね、と呑気に言った。
あー、どうしよう・・・。全然嫌じゃないんだもんなぁ・・・。
元カレに一回GPSつけられた時はすっごい嫌で、それが原因で別れたけど・・・和多流くんだと許しちゃうんだよなー・・・。なんでだ。
和多流くんは、本当に優しいね、とおれに言った。惚れた弱みだよと答えると、嬉しそうに笑う。
それから和多流くんは、何度も何度もここにいるよ、と安心させるように頭を撫でてくれた。うとうとしながら目を閉じる。
あの2人もこんな優しい夜を過ごしていたらいいな。
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