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春日部 41
しおりを挟む「お祖父様」町屋はそう言った後、ハッとしたように口を引き結び、こっちまで歩いてきた。
そして、俺を目の前の老人の視線から隠すように二人の間に立った。
お祖父様、って言ったよな?
この人が町屋のじいさん!?
マジかよ…。
俺は老人の顔をまじまじと見た。
町屋の面影を探したけど、刻まれてる深いシワ(とくに眉間)のせいでよく分かんねぇ。
確か町屋のじいさんは真斎藤グループの製鉄・造船部門の会長だと町屋は言ってた。
どうりでオーラというか、威厳がすげぇワケだ。
年中ヘラヘラしてるうちのじいさんとは人種が違う。
ここで町屋のじいさんに出くわすとか、どんな偶然だよ。
今日は10月27日。火曜日のど平日だ。しかも朝。
そして、お祖母さんの月命日でさえねぇはず。
さっき墓石を眺めた時に確認したけど、石に彫られてる法名は一人だけだった。
法名の下には命日も彫られてて、16年前の4月3日になってる。町屋の話――小学校の入学式直前にお祖母さんが亡くなった――と合致する。だからこの墓には、お祖母さんだけが眠ってるってことで間違いないはず。
なのに、なんで今日墓参りをすんのか。
まさかの事態に固まってると、町屋から固い声が聞こえた。
「すみません、まさかいらっしゃると思っていませんでしたので。……我々は出直します。」
町屋はそう言うと、水の入った桶をお祖母さんの墓石の前に置き、広げてあった花や線香をまとめて持って、頭を下げて俺の腕を掴んだ。
そして、戻るには遠回りだけど、じいさんが居る方と逆の方向へ歩き出した。
町屋は自分のばあさんの墓参りに来ただけなのに「すみません」って謝った。
町屋は真斎藤家と縁を切ってる人間だから仕方ねぇのか。……仕方ねぇのかもしれねぇけど、じいさんから何か一言でもねぇのか?って、やるせねぇ気持ちになった。
俺は町屋に手を引かれながら、後ろにいるじいさんを振り返った。
じいさんはこっちをじっと見つめてた。
眉間にシワが寄っていて、眼光は鋭い。
睨まれてるようにも見えっけど、町屋が来る前からこんな表情だったから、感情は掴めねぇ。
このままで本当にいいのか?
町屋にもじいさんにもそう言いたいし、俺もじいさんには言いたいことがあった。
この人は町屋を気持ちわりぃ、って切り捨てた。
サイテーだ。
でも、町屋から詳しく話を聞いていくうちに、じいさんは無罪を証明しようと探偵まで雇ってくれていたらしい。
それがスキャンダルを恐れた為のものだったとしても、当時は唯一、町屋の冤罪を信じていた、――信じたかった人でもあったはずだ。
俺のじいさんに対する感情は複雑だった。
真斎藤家からの絶縁をこの人なら止められただろうし、わざわざ捨て台詞みてぇに、男色が気持ち悪いとか言う必要もなかった。
でも、先に「もういい」って手を離したのは町屋で、それは当時の環境を思えば仕方なかったことかもしれねぇけど、このじいさんは町屋に裏切られたような気持ちになったんじゃねぇか、って想像もしたりした。
それに手切れ金とは言え、十分すぎる生活費もこのじいさんが全部出してる。
多分、町屋もそのことで罪悪感がある。
だからそれなりの礼節を持って「出直す」と言って頭を下げたんだと思う。
昔は町屋が何考えてんのか、分かんねぇ時があった。
常に穏やかで飄々としてて、感情の読めねぇ面してたから。
気質もあんのかもしれねぇけど、町屋の過去を思えば、そりゃそうだよなって思った。
感情を表に出したところで受け止めてくれる人間がいなきゃ素直になんてなれねぇ。
でも、今の町屋は違う。
一緒に暮らすようになってから、時間をかけてゆっくりと、町屋は俺に心を開いてくれた。
そのお陰で、俺は町屋が何を思ってんのか、少なくとも感情の種類くらいは分かる。
今も、斜め後ろから見える限りの表情でも、読み取れる。
町屋は下唇を噛んで前方を凝視してる。けど、瞳は時折揺れてる。
過去を思い出してんだろう。
そして、乗り越えたようでいてどこか納得できない思いを抱えてる。
自分はやってない、とは言えても家族に『信じて』とは言えなかった町屋。
もういい、そっちの方が都合がいいからって自分を宥めて、諦めた過去の自分を、今の自分が「あれで良かったんだ」って言い聞かせてる。
冤罪の話聞いて激怒した俺を宥めた時みてぇに。
俺は宥められた側だから分かる。
いくら言い聞かされて怒りを納めることは出来ても、ちゃんと納得はできねぇんだ。
今が幸せだと聞いても、未来も自分が幸せにするって誓っても、やっぱり過去の町屋まで幸せにしてやりたかったって思っちまうから。
「なぁ、町屋。」
俺の声は聞こえてるはずだけど、町屋は無言で俺の腕を掴んでずんずん進んじまう。
「おい、待てよ。このままで、お前は本当にいいのか?」
俺が引かれてる手に力を込めて逆に引っ張ると、町屋は一瞬体を固くして歩みを止めた。
「じいさん、まだこっち、見てんだけど。」
じいさんと話すことで町屋が傷付けられんじゃねぇかって不安はある。
でも町屋の顔見たら、このままじゃ22歳の誕生日を晴れ晴れとした気持ちで迎えられねぇじゃん、って思った。
「今さら話すことなんて何もないよ。……お互いに。」
町屋はへらりと笑った。
感情を隠そうとする笑い。
「じゃあ、俺が話してきていいか?」
「……え、駄目、だよ。」
町屋は笑いを引っ込めた。
よっぽど俺を巻き込みたくないらしい。
「殴ったりしねぇよ。ちょっとだけ、でけぇ声が出ちまうかもしれねぇけど、なるべく、落ち着いて喋るから。」
「絶対、駄目。やめて、春日部。」
「……でもよ、悔しいじゃねぇかよ、お前は何にも悪くねぇのに。」
町屋は言葉を詰まらせて、苦しそうな顔した。
俺も胸が痛くなる。
高校三年生の町屋に代わって言ってやりたい。
もっと愛が欲しかった、って。
じいさんにだけじゃなく、両親にも言うべき言葉なんだろうけど、話を聞く限りそいつらには届く気がしねぇ。
じいさんが今日ここに来たことに、もしなんらかの意味があんなら、じいさんには届く気がする。
町屋の誕生した日に、町屋が好きだったお祖母さんの墓参りに、多分忙しいであろう間を縫って来た意味が。
葛藤で揺れる瞳と十数秒見つめ合った後、町屋はチラリと後方を見た。
お祖母さんの墓石の方。
じいさんは、やっぱりまだこっちを見てた。
町屋は息を一つ吐くと、持ってた花束と線香を俺に預けた。
「ねぇ、春日部。……僕が、お祖父様と話をして、思いっきり返り討ちにあったらさ、慰めてくれる?」
「ああ。つーか、この場で俺が仕返ししてやるから。」
「……それは絶対やめて。」
町屋はネクタイを締め直す仕草をした後「春日部はここで待ってて、一発かましてくるから」って言って、ふっと笑った。
さっきみてぇな何かを誤魔化す笑顔じゃなくて、自分に気合いを入れるような笑顔。
「ああ、行ってこい。」
そう返事はしたけど言い足りないことがあって「ちょっと待て」と歩き出してた町屋を引き留めた。
「ん?」
振り返った町屋の顔は少し緊張が滲んでる。
「町屋、愛してるからな。」
俺の言葉を受けて、町屋は泣きそうにくしゃりと顔を歪ませた。
その顔のまんまこっちに戻ってきて、俺のネクタイを引っ張った。
引っ張られるままに少し前屈みになると唇が合わさった。
触れるだけのキスは一瞬で離れたけど、じいさんが見てるし、ここは墓地だ。
なんとも言えねぇ気分で頬がカッと熱くなった。
真っ赤な顔になって慌てる俺を見て、町屋はクスクス笑い出した。
「っ、お前なぁ。ここ、墓地だぞ!?」
「ごめん、怒らないで。……でも、ちゃんと確認したくて。」
「何をだよ?」
「今の僕を傷付けられるのは春日部だけ、ってことだよ。」
意味が分かるような分かんねぇようなキスの言い訳をして、町屋はまたじいさんの方へ歩き出した。
さっきよりもずっと軽い足取りで。
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