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筆下ろし
しおりを挟む私はその日、朝まで寝ることができなかった。
その間ずっとアザリ君は私を抱き締めながら、泣き声が外に漏れないように羽で包んでくれた。
彼の優しさに甘えてはいけないと思いつつも、温かい胸の中から私は抜け出せないでいた。
「仕事、行かなきゃ。」
声はガラガラで、目も視界が狭くなるくらい腫れている。
でも今日は金曜日だ。今日1日頑張れば休みだ。そう自分に言い聞かせて、重い体にムチを打つ。
土日で新しい部屋を探さないといけない。実家に帰ることも考えたが、私の自室はもう父の趣味の部屋になっている。
早く引っ越さないと、青山くんも安心して生活できないだろう。彼には本当に申し訳ないことをしたと思う。でも直接会って謝ることなどするべきではない。私が直ちにここを居なくなるのが、彼の一番の望みだろうから。
でも、アザリ君を一人この部屋に置いてはいけない。
いつ来るかわからない、次の住人に彼を委ねたくない。
私が彼を自由にしてあげるべきだ。
――彼を、自由に?それは偽りの想いだ。
本当は私は一人になりたくない。
新しい部屋にもアザリ君に居てほしい。私だけを想って、帰ってくる私を待ち焦がれてほしい。
そう、思っているくせに…。
私は酷い人間だ。
ストーカーをしたくせに、被害者のように涙を流し、優しいアザリ君に甘え、都合のいい時だけその手を離すのを躊躇している。
背中に黒い羽を背負うべきなのは、私なのかもしれない。
なんとか一日の仕事を終え、重い足取りでアパートに戻ってきた。
「おかえり。」
アザリ君はいつものように迎えてくれた。
優しい笑顔が胸に滲み、言わなくてはならないことがあるのに躊躇してしまう、
しかし、時間がないのだ。
早く言わなくては。
気力を振り絞り、口を開く。
「私、ここを出る。」
昼休みに、新しい物件を調べた。会社からは多少遠くなるけれど、青山くんの使っている路線と別の路線の駅近に、手頃なアパートを見つけた。
本当は家具家電付きの部屋が良かったけど、あいにく、そういう物件は見付けられなかった。でもすぐに入居できるようなので土日で契約しようと思っている。
「……どうして?」
アザリ君は今にも泣きそうな顔をした。
私が青山くんにした行為がどれほど酷いものなのか、アザリ君は分かっていないのだ。
「ここには、もう住めないの。」
「そんな、……い、いつ?」
「直ぐに、でも。」
「……。」
アザリ君は何も言葉を発せず、俯いた。
ここで『嫌だ』と言わないのは、彼の優しさだ。
今までだって私の意志を無視したことなんてなかった。酔っ払ってキスをした時でさえ、すぐに我に返り謝ってくれた。
そして、いつも私の役に立とうと思って行動してくれている。例えそれが自分の意志に反するものだったとしても。
「ねぇ、アザリ君、私と契約しよう?」
彼が息を飲んだ音が聞こえた。
「……お隣さんを、ここに、連れて、来れる?」
私は首を振る。
「違うの。私が筆おろしをする代わりに、アザリ君には私を忘れてほしい。それが私の願い。」
アザリ君は意味が理解できなかったのか、探るように私を見た。
「筆おろしをしたらね、アザリ君には、私の前から、いなくなって、ほしいの。」
自分が発した言葉に傷付きながら、絞り出すように彼に告げた。
私はアザリ君がいたらこの先も彼に依存してしまうだろう。そうすれば彼もそれに応えてくれるだろう。昨日のように。
でも、それじゃいけない。
私は彼の無償の愛を受け入れていい人間じゃ、決して、ない。
せめて、アザリ君を私から解放してあげなければ。それが、彼に出来る私の唯一の恩返しだと思う。
「っ、……僕は、契約、できない。」
暫しの沈黙の後、苦しげに言った。
やはり、これを言わないと駄目か。
出来れば言いたくなかった。
でもアザリ君が私を吹っ切る為には、言わなくてはいけない。
私は、偽りの笑みをアザリ君に向ける。
「私に、青山くんの思い出をちょうだい。」
胸が、苦しい。
「筆おろしは、青山くんの姿で、してほしい。」
「アザリ君、お願い。」
結局彼は私の『お願い』を聞いてくれた。
歯を食いしばり、涙を堪えながら了承する彼を見て、私は自分の決断が間違っていないことを実感した。
ベットの上に寝る私の額に彼は手を置いた。温かい熱が伝わり、術を掛けられたことを悟る。
「爽子さ、ちゃん。」
アザリ君は呼び方まで青山くんに合わせてくれた。
でも、声はアザリ君のままだ。
私は目を瞑り彼の唇を受け入れた。
彼は私の上になり、頬を優しく撫でてくれた。
「爽子ちゃん、ぼ、俺は、貴女が、ここに引っ越して来る前から、見ていてくれたこと、知ってる。外から、部屋を見つめてくれてた。」
ああ、アザリ君は尾行の後、青山くんの部屋を、私が見ていたのをこの部家から見て、知っていたのか。
「う、嬉しかった。…爽子、ちゃんが、好きだから。」
彼は、私が青山くんに言われたかったことを言ってくれている。
「私も、好き。」
――好き、だった。
私がうっすら目を開けると、笑顔の青山くんが見えた。
けれど向かい合った私の顔に、水滴が落ちてきているのに気付く。
それは、降り始めの雨のように、ぽつ、ぽつ、と落ちてきては私の顔を濡らしていく。
アザリ君が、泣いている。
私は、その涙に気がつかないふりをして、また目を瞑って彼に抱きついた。
「早く、青山くんと一つになりたい。」
「う、…くっ。」
嗚咽を我慢する声が聞こえた。
思わずアザリ君の名前を呼びそうになり、慌てて自分の唇を噛んだ。
やがて私の中にアザリ君がゆっくりと入ってきた。
嫌、ではない。というか、これが最初で最後だと思って自分を律しなければ、淫らに喘いでいたかもしれない。
アザリ君の抽挿に合わせて、私のそこは、ぎゅうぎゅうと『彼を離したくない』とばかりに締め付ける。
堪らず彼が漏らした吐息に、私の体は震えて悦んだ。
彼の吐息以外に聞こえるのは、私の溢れ出す愛液が滴っている場所を、アザリ君によって掻き回される音だけだ。
段々それが早くなっていき、終わりが近いことを私に教えた。
別れの時が近づいている。
この時間がいつまでも続けばいいのに、と馬鹿なことを考えてしまい、自分を律する。
アザリ君は私から解放されるべきだ。
やがて彼の動きが止まり、大きく息を吐いた後、私の中で彼自身がぴく、ぴく、と動き中がじんわりと温かくなったのが分かった。
終わった。
これでアザリ君は、自由になれる。この部屋からも私からも。
私の額に手が触れる。
幻覚を解いているのだろう。
ほわり、と額が熱くなり、頭に霧がかかってくる。
かすかに『さよなら』と言うアザリ君の声が聞こえた後に、私は意識を失うように眠りについた。
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