Our Stories

トモハシ

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 十二月某日・更新。

「お、『カワバタさん』から書き込みがしてあるぞ、と」
 真田(さなだ)祐(ゆう)吉(きち)はクラッカーのような舌打ちを交えてそう言うと、マウスでドラッグをコメント欄に定めダブルクリックした。
「久しぶりに[ストーリー]が更新できるな。カワバタさんは毎度面白いプロットを持ってきてくれるからな」
 独り言も快活に、真田はマウスを握りしめながら、パソコンのモニターを見つめる。
「うん、うん。やっぱりカワバタさんらしい。この飄々とした文章。ま、ちょっと今回のストーリーの傾向とは、流れ的に合わないかも知れないけど、何とか組み込ませてもらいましょう、と」
 はたして一人満足気に真田は、ハンドルネーム「カワバタさん」がコメント欄に書き込んだ文章を読みながら、コーヒーを片手にさえずっている。
 時計の針は間もなく午前一時を指そうとしていた。
 既に温くなったコーヒーの朧な湯気をして、細かい結露が窓に浮かぶと、ガスヒーターで乾いた部屋自体が、しんしんと夜の帳がおりてくるのを示し始めた。真田はパソコンの画面を見ながら、薄味のインスタント・コーヒーを、さも淹れたての熱いドリップコーヒーの如く、ズズズ、とワザと重々しい音を立て、舌にしみ込ませる。
 今、真田が眺めているのは自身のブログ。
 いわゆるWeb日記としての使い方をしているブログではあるが、自らの個人体験を書き写す記録として、真田はブログを開設したわけではない。
 企図したのは[ストーリー]であった。
 真田が自身のブログで、物語の素地となるシノプシス(あらすじ)をまず書き、それを公表し無作為のブログ訪問者に提供するというもの。ブログ訪問者は食指が動けば、真田の書いたシノプシスを軸に、訪問者自身が各々考えた物語を書き込んでいく。つまり、真田の作った原案を、複数人でどんどん脚色ないし肉付けさせていき、それらを最終的に真田が一つの完成形に纏め上げる。リレー小説に近い創作ではあるが、連作という形式ではなく、皆から出された物語を分断せずに、要所を押さえながら一つの骨子に繋ぐ、というよりは一緒くたにする。それは真田が訪問者から受け取った物語を一度勝手に紐解き、さらに改変するということ。
 詮ずる所、
「カワバタさんから送られてきたストーリーをいったん融かして、他のストーリーとうまく調和させないと。Our Storiesはパーツ同士の連結した物語ではなくて、それそのものがゲシュタルト的なものになるんだからな」
 というような一(いち)なる物語に統括する所業。それが真田の開設した、インタラクティブなブログ『Our Stories』の機能。カワバタさんはそんな真田の企画に乗った、希少な常連投稿者の一人である。
 早速、真田はカワバタさんの文章を推敲し、未完成のストーリーに組み込ませていく。この作業、つまり真田は原案を担当し、編集を兼ねつつ、監督を果たしているともいえるのだが、そんな総合的なマネージメントの役割を始めて、はや四ヶ月と半ば。
 趣味としてはだいぶ板についてきたのではないか、と真田は自負し始めた。
 今まで無趣味でこれといって持続的、継続的に何かをしてきた事のない真田にとって、熱烈にハマっているという程ではないが、多種多様な人々の千差万別なストーリーをコツコツと繋ぎ合わせる作業は、気軽に自然と楽しめる何の気負いもない、まさしく純粋な趣味と言えた。
 真田のOur Storiesの発想。
 その方法論である、無作為の人々から諸々のストーリーを提供してもらって、一つのストーリーに紡ぎあげるというアイディア自体は、オープンコンテント(オープンソースから類推した考え方の一つ。ソフトウェアとなる、コンピュータプログラム上で作成された、音楽や映像や文章などを共有すること)の概念とほぼ同じ。実際、真田自身オープンソースの話を聞いたことが、Our Storiesのブログを作ったキッカケとなっている。
 オープンソースという考えは、ソフトウェアの元となるソースコード(プログラムの基礎となる文字羅列)を公開して、プロやアマチュアのエンジニアを問わず、自由にそのソフトウェアの開発に参加する仕組みを枠としている、ソフトウェアの作成メソッド。つまり、アーキテクチャ(プログラムの基本設計)をケチらずにお見せするから、元のソフトウェアを皆のアイディアでどんどんヴァージョンアップさせていきましょう、という目論見。その発展型がオープンコンテントなのだが、オープンコンテントないしオープンソースの方式で代表的な具体例を挙げれば、コンピューターのOS開発会社のリナックスや、インターネット上のフリー百科事典ウィキペディアなどがある。
 既にITの中でWeb2.0(提供者と利用者間で、双方向的にサービスや情報を取り扱う関係)という概念が熟成されつつある今日では、別段、真田のOur Storiesのネタは目新しいものではない。ただ真田はOur Storiesの考えが浮かぶまでには、映画ファンドやアイドルファンドなど、数多の個人投資家が一つの作品、もしくは一個人に投資をするという方法論をヒントに、その過程を請う部分があった(その背景には、真田自身のデイトレードの失敗談があるのだが)。
 それは兎も角、インターネットに付帯する、何ちゃってブームに乗った結果、ふと始めたのがブログであり、このOur Storiesであった。
「村上春樹の小説に出てくるような、自意識過剰型の主人公を下地とした、青春モノな感じの原案だったけど、カワバタさんのストーリーを埋め込んだら、何やらミステリー小説風味に化けてきたぞ」
 このように紆余曲折していくから面白い。真田は蛇のようにうねり、脱皮していくOur Storiesの醍醐味を改めて覚えた。作品が予期せぬ方向に寄り道し、時にトンデモな結末に至ってしまったりする事も多々ある(時に、というかほとんどが破綻している)。一応は自らが総まとめをしているにも関わらず、ブログ訪問者達の見えざる手? によって、アダム・スミスも真っ青の市場原理が働き、真田自身も意図せぬ物語を作り出させる。各般のアノニマス(匿名性のある)なストーリー・テーラーが勝手気ままに紡ぎ上げる物語は、ひどくワガママでユニークである。また、そのように枠組みにとらわれず、自由気ままを源泉に創作行為をする事が、皆で楽しんでいくという大前提。即ち、みんなで分かち合う趣味なのであろうと、真田は解釈していた。
「ぜい沢を言えば、もうちょっと新規で参加してくれる人が増えれば、もっと面白くなるんだけどなあ」
 真田は片手で傍に置いてあったキットカットをつまみ、また一方の手でカチカチとキーボードを弾きながら、嘆息気味に呟く。
 所詮は一般無名の個人のブログ。検索キーワードには「創作小説」や「物語」などを掲げているが、いかんせん他のブログとのヒット数も多く、なかなか引っかからない。ブログ紹介文も「一緒に物語を作っていきましょう」程度の素っ気ない内容のため、やはり注目に値しない。訪問者履歴はかろうじて百人を超えているが、実際ストーリーに参加してくれるとなると、その数は十分の一にも満たない。いっそのこと、Our Storiesというブログ名をもっと単純なタイトルに変えて、引っかかりやすく工作しようとも考えたが、それは止めた。このブログ名に真田は妙にこだわりがあった。さしあたって特に理由はないのだが、「みんなの物語」というフレーズはどこか譲れないものがあった。それに少ないとはいえ、定期的に自らの創作小説、自らの物語を送ってきてくれる仲間のストーリー・テーラーが既にいる。原稿用紙に換算して十枚からせいぜい五十枚程度の短編群ではあるが、実績として幾つかの完成した作品がある。無論、真田は作り上げた作品をして、パッチワーク的な盗作行為よろしく、何処かの小説の新人賞に投稿する算段を立てているような、よこしまな考えなどない。それはカワバタさんを初め、数少ないOur Storiesの参加者、つまりストーリー・テーラーも承知し、また、真田を信頼してのこと。
 一方で出来上がった作品を、表現手段として評価を望む、そんなちょっとした自己顕示欲が、皆が皆ないわけではない。限られた空間ではある。基本的には仲間内で楽しむ同人誌的な小説、物語。だが、あわよくば第三者との、創作とはかけ離れた場所にいる純粋な読者との、奇跡的な出会いを真田やストーリー・テーラー達は期待し、胸に秘めている。とはいえ、やはりそれはあくまで副次的な所産。メインは自らが書く行為、それ自体を楽しむということ。皆で紡ぎ、みんなで作り上げる創作作業を、趣味としてただ単純に自由に遊んでいく。それが肝(きも)なわけである。
「だいぶ作品として出来上がってきたかな」
 今回の作品、原稿用紙換算枚数でいえば二十枚目に差し掛かっていた。大筋の物語の骨子も、常連投稿者の「ジョニーさん」と、初めてOur Storiesに立ち寄ってくれたニューカマーのストーリー・テーラー「KKさん」、そして、今書き込んでいるカワバタさんの文章によって出来上がってきている。
「そろそろ大締めに入っちゃってもイイかなっと」
 真田は鼻唄まじりにテンポよく、しなるようにキーを加速させ叩く。つまり物語の結びを決め込もうとしているのである。奇しくも青春小説の流れが、カワバタさんの投稿文章によって、ミステリー小説の趣を見せてきた、不可思議な小説。原稿用紙二十枚弱の作品にして、起承転結が忙しく展開していくその物語に、統一性や論理性はほぼ皆無。それは著している本人、つまり真田や各ストーリー・テーラー達も承っている。基本理念は仲間内エンターテインメントなのだから、出来上がった作品を読んで、さも衒学的に書評してみたり、芸術的に論評してみたりする事はない(それ以前に自称ストーリー・テーラーのディレッタント作家連ゆえに作品水準が低く、論ずるなんておこがましい事が出来ない。ある意味、第三者の読者に読ませて評価を頂きたい、と切望する考えと、矛盾しているといえば、矛盾している)。とはいえ、皆で組み上げてきたストーリー。真田が手を抜いて作っていてはいけない。ツッコミ所満載で、皆でポテチ片手に「うわ、そりゃあ有り得ないだろう」と失笑を買ってでも(というよりも主な楽しみ方は、出来上がった作品に対して、皆がツッコミを入れること。アメリカのアンチ・アカデミー賞のラジー賞の楽しみ方のノリ)、真田は真面目に趣味に取り組み、遊び、茶化す。最終編集権を持っている強みをして。
「画竜点睛ってやつでしょう」
 独身かつ独居の輩(やから)の習性として、おのずと冴えるジコマン独言。キーボードを叩く拙い打技すらも冴えを見せ、その指はシャル・ウィー・ダンスな優雅さを醸し出す。
 都内近郊の実家から離れ、念願の一人暮らしを、何とか二十三区内で始めて半年。鉄筋マンションの1DKのユニットバス付、家賃はコミコミで一ヶ月七万五千円。齢(よわい)二十五にして手取り給金約二十三万八千円也の身からすれば、会社との通勤距離や交通利便性、駅や国道からも不便にならない程度に離れ、そんな閑静な立地にある環境を鑑みると、だいぶ恵まれている方であろうと、真田は自覚している。せいぜい朝の満員電車で、元・企業戦士で現・リストラ予備軍ご高年サラリーマン連の、時代錯誤的なポマードの匂いを耐えうる事ぐらいが困難で、自分の会社にも、また仕事内容も不承不承は時折あるものの満足はしている。一考するに世が喧伝するほど、ブラック企業興隆期、ストレス社会に揉まれていないのでは、と真田が内省する事もしばしば。だが、あくまでそこそこ。今日はたいして仕事はしていないのになあ、と会社帰りに思ってみても、電車の吊革に捕まっている事自体が非常に疲れる。BMIの数値も気にかかるお年頃、休日、戯れにスポーツジムに通い、ルームランナーで有酸素運動よろしく、ウォーキングを実行しようと試みても、スポーツシューズを履いた時点でどうしてか疲れて挫折。
 疲労というキーワード。テレビを見ていても、読書をしていても、疲れてしまう。これって、ちょっとしたウツ病? 真田はそう危惧する度に、いやいや、そんな気苦労している覚えはないしなあ、と曖昧に納得していた。だが、言いようのない疲れと単純なダルさは日頃から感じられる。そんなプチ・ストレス的なモノを解消する手段として、気分転換的な意味も含めて、このブログを、Our Storiesを開始したのだろう。真田はそう回顧する。増え続ける独り言もその一環として。
「そして、彼は……罪を犯した、と。二人の女を抱いたが故に、一人の女を堕(お)とした罪を。彼にとっては……それが……アリバイだった、と。己を賭けた唯一の証明だった、と。愛という名のアリバイにおいて、永遠(とわ)に……これで、了。よし、なかなか文学的な決めゼリフで締め括る事が出来たぞ。何が三角関係のもつれの原因で、どのように殺人に至ったかは全く触れてないけど」
 例の如く強引な結末。今一度出来上がった文章を推敲してみる。何処から切っても、斜めに読んでも、やはり強引(ゴーイン)グ・マイウェイな物語。だが、それだからこそ溜飲が下がる。自由奔放、当意即妙、アドリブだらけのストーリーだからこそ、肩に力を入れず創作活動を勤しみ楽しめる。
「愛という名のアリバイ、なんて我ながらナイスな文句だよなあ。あとはストーリー・テーラーさん達のレスに期待、と」
 真田は今回出来上がったストーリー「カフカが川辺でハーレクィーンをめぐるような冒険(仮)」(作品のタイトル。当初の原題『風邪気味の声を聴け?ハルキ・ムラカミ』を改題)を、早速Our Storiesに立ち上げた。一仕事を終え、ほどよい充実感。
「よーし、もう一杯コーヒーを飲んじゃおうかなあ」
 真田は冷めたコーヒーを一気に飲みきると、台所に行き出鱈目にインスタント・コーヒーをスプーンで盛って、コップに砂糖とミルクなしでお湯を一緒に入れ込む。別にブラックが好みなのではないが、ストレートで飲むコーヒー・ダイエットがある、と聞いた事があったので、やはりメタボリックも気になるお年頃の真田は、さり気なく実践してしまう。
 沸かしたばかりのポットから出る湯気は、寒い空気の中を素直に揺れる。真田は台所で直立したままコーヒーを口に含んだ。
「染みるなあ」
 達成感を覚えた後のコーヒーは単純にウマい。だが、近頃そのウマさに何かが欠けているような気にもなっていた。
「何かが欠けている、か」
 いや、もともと足りていない味があるのでは、と。やはり砂糖とかミルクを加えてマイルドにした方が、舌や胃袋にとっても良いのではないか、とも。錯覚なのかも知れないけど、何かが欠けているのではないか、と。
「煙草を止めて一ヶ月ぐらい経ったからな。吸いながら飲んでいた感覚と、今のコーヒーを飲む味覚は変わってくるか」
 禁煙の苛立ちの残滓の類いかも。真田はいったんそのように結論付けてみた。
 徒に更ける夜の乾きを、燥吻(そうふん)にひりつかせながら。
                   *
 一月某日・更新(1)。

 確実に何事もなく新年は明けてしまった。また確実に何事もなく去年は過ぎていってしまった。
 今年も何らエキサイティングな事のない年になるのでは? という不安から真田は一念発起し、今回の年越しは年またぎの初詣なるものを、近場の神社で敢行しようと試みた。だが、深夜の寒さを堪え何とか外出はしたものの、参拝の長蛇の列を遠巻きに目視すると、出店のじゃがバタを購入後、即退散。結局、お定まりにパソコンと向き合ったまま真田は、ディスプレイに一人寂しく「ア・ハッピーニューイヤー」と語り、聞き流ししているテレビの年明けカウントダウンを背に受けて、やはり通年どおりに新年を迎えた。もはや竹馬の友と化した、ぬるま湯コーヒーを傍らに置いて。
「除夜の鐘、打ち響くのは、空きっ腹……ってね」
 コーヒーを飲むと腹が空いてくる、じゃがバタだけじゃ駄目だったね。そんなドグマ的空腹感で自らを納得づけた真田は、適当に浮かんだオリジナル川柳を投げやりに口ずさむと、台所へ行きインスタント・ラーメンを茹で始めた。年越しソバならぬ年越しラーメン。丼にあげず片手鍋のままそれを下敷きに置き、茹でる時に使っていた菜箸をやはりそのまま使いまわし食す。キャベツだけを大量に入れ込んだ、税込み八十八円の即席味噌ラーメンを豪快に喰らう。晦日の宵越しに飲んでいた時の、ツマミのツナ缶の残りを相棒に軽やかに頂戴する。独身貴族の王道の極み。小規模な満足を堪能。
「実にウマい」
 ラーメンを一気に胃袋にカキ込んだら、今度はオクビを一つ放ちパソコンの前でカキ込み。Our Storiesの新作のベース作り。つまり原案作成。
「さて新年一発目、今回はどんな按配で始めたものか、と。お、メールが来てるぞ、と」
 新着メールが二件。差出人は「芥河直樹さん」と「うぉるたーSCOTTさん」。共にOur Storiesの常連投稿者のストーリー・テーラーだ。
〈アケオメ! ついでに遅ればせながらのメリクリ! 今年も面白い話をヨロシク。 この前の『カフカが川辺で……』はサイコーに笑わせてもらいました。ワタシも頑張ってアイディアが浮かんだら、たくさん投稿しちゃうんで覚悟してくださ~い!〉
 By芥河直樹さん。
〈新春の候、貴下ますますご清栄のこととお喜び申し上げます。本年も宜しくお願いします。昨年は我が拙文ともどもお世話になりました。さて新年早々ではありますが、投稿第一弾として詩(し)腸(ちょう)の思いから一句。
 
 撃ったのだ。
 彼は、彼女は、撃ったのだ。
 自らの額を、こめかみを。
 鉛の塊を撃ちつけたのだ。
 売ったのだ。
 彼は、彼女は売ったのだ。
 自らの身体を、心を
 無垢の魂を売りつけたのだ。
 清いと信じる彼岸の果てへ、売ったのだ。
 汚れちまう前に、と嘆いた代償に。
 世間を蔑んでみた代償に。
 ただひたすら逃れるために。
 悲しくも彼は、彼女は売ったのだ。
 売らざるをえなかったのだ。
 撃たざるをえなかったのだ。
 
 駄詩ではございますが、Our Storiesで使ってもらえれば幸いでございます〉
 ByうぉるたーSCOTTさん。
「新年アケオメ・メールってヤツか。それにしても、うぉるたーSCOTTさん。やはりポエムで攻めてきたね。詩趣は分からないけど、新年早々ヘヴィな感じの頌詩で」
 詩をストーリーに挿入するのはなかなかどうしてテクが必要。ロマンチスト風の主人公が、何気なく口ずさむシチュエーションを設定するか、推理小説仕立てのストーリーたったら、見立て殺人事件のキーワードのツールとして応用するか。
 真田のインスタント・ラーメン&コーヒー漬けの脳が起動し始める。想像力を膨らませ始める。早速、キーボードに指を構えた真田。だが、ふとその指を止める。その指はキーボードではなく、所在無くデスクを叩き始める。
「アケオメ・メール、か」
 あんまり肩を凝らせる関係になるのも嫌だから、ストーリー・テーラー同士、お互い必要以上の干渉をするのはタブー、と思っていたけど、新年の挨拶程度はやっておこうかな。僕が勝手に立ち上げたOur Storiesの貴重で奇特な常連さんぐらいには。真田は幾ばくかそのように推し量ってみる。
「でも、何か恥ずかしいなあ」
 新年明けましておめでとうのメール。それを出す事に妙な気恥ずかしさを覚える真田。その脳裏には、余計なことをして、微妙なコミュニケーションのバランス関係が崩れるのではないか? という危惧もあったが、今までただ淡々とストーリーを作っていき、ストーリー・テーラーがストーリーを提供してくれても、素っ気ない返信(レスポンス)で済ましてきた経緯を考え、アケオメ・メールを送る事ですら、何処かひどく馴れ馴れしい行為に思えてしまう部分も、またあった。
「余計なことかな。いや、礼儀的な意味合いを考えると、決して余計な行為ではないような気がする」
 たかだか挨拶メール一つ送るのに逡巡している真田。湯を沸かしてコーヒーをもう一杯。ズズズ。コーヒーを口に含み、しばし物思いにふける。いかにも考え込んでいる様子で顎を擦る。足を幾度も組みかえる。大きく溜め息をついてみる。暖房の設定温度を一度上げてみる。
「…………」
 コツコツ。真田の指は相変わらずデスクを叩いている。無聊にテレビに目をやると、新年明けのお笑いバラエティ番組が放映していた。生放送なので、普段目に付く演出のテロップが画面にないのを、小気味良く感じる真田。暫時、テレビ鑑賞。
 やにわに時計に目を配ると、時刻は既に二時を過ぎていた。
「ヤバいな。送るんだったら今のウチじゃないとアケオメにならないぞ、と」
 咄嗟に真田は常連のストーリー・テーラーを俯瞰してみた。特に常連リストとして、ストーリー・テーラーを纏めているわけではないが、Our Storiesへの投稿履歴、また真田自身の印象から、概ねそれらはピックアップできる。
「アケオメ・メールを送ってきてくれた、芥河直樹さんとうぉるたーSCOTTさんはもちろん、あとはジョニーさんにカワバタさんにT・Fさん。それに……」
 常連投稿者を見定めながら、過去のストーリー(Our Storiesの作品)を顧みる真田。そこには皆で築き上げてきた文字という骨格、文章という身体があった。それ以上に劣文という脂肪も含んでいるが。とはいえ矮小で脆弱ながらも、短い歴史があった。HISTORY、それ自体が拙いSTORYが。
 不意に真田は薄光を大事に囲うような思いに焦がれた。唇を尖らせて息を吹いたら、消えてしまいそうなロウソクの灯りを、手でそっと包みこむ。掌に痒みを覚えさせる、やんわりとした温もり。それは夜の相方のぬるま湯コーヒーの暖気と等しい。即ちその温度を保ち続けたいと請う観念。
「九人ぐらいかな」
 真田はポツリと呟くと、「今年もヨロシクお願いします。良文、駄文、大歓迎です!」と添えて、一斉に常連のストーリー・テーラー達にメールを送信した。
「ふう」
 土嚢(どのう)でも持ち上げた後のような一呼吸。
 うーむ、私信的な内容の文章は、考えあぐねている割には、Our Storiesのストーリーを書いているような冴えがない(中身の如何は兎も角として)。いや、考えあぐねているから、冴えてないのか? 考えあぐねている割には、というのは日本語的におかしいかなあ。それはそれとして、ストーリーを作っていると、プライベートな事もどうも脚色付けてしまう癖が出てくる。藤沢周平なんかも私小説的なモノは恥ずかしくて書けなくて、時代劇という体裁を被る事で物語を紡いでいる、みたいな話を聞いた覚えがあるけど、僕も照れ隠しのヘキがあるのかな。
 真田の非生産的な自問自答。
「やっぱり余計な事しちゃったか」
 アケオメ・メール一つで、地獄の門の上に乗っている銅像(ロダン作)のように考え込み、悔(かい)咎(きゅう)の念まで滲み出させる真田。
 とその時。
「お、レスが来た」
 真田の送ったメールの返信が何通か届き始めた。無論、Our Storiesのストーリー・テーラーから。順調にメールは受信されていく。そして、三十分もしない内にメールを送った常連のストーリー・テーラーたち全員から返信がきた。
 まさか全員から、しかもこんな早くレスが来るとは思っていなかった。
 真田はストーリー・テーラー各々から送られてくる、アケオメ・メールの返信を眺めながら感慨深く思った。
「うんうん、メール一つでそれぞれキャラクターが出ている」
 ま、たまにはアリだよな。コミュニケーションってのも。創作活動をしていく上での潤滑油として。
 ひどく満足そうな笑みを浮かべてコーヒーをすする真田。
「それにしても、みんなパソコンと向き合って新年を越したのか。寂しいぞ~おい! ま、同類だけど」
 再びコーヒーを一口。何やらこのインスタント・コーヒー、なかなか温くならない。それに味がいつもより濃厚な気がする。真田は気のせいとは思いながらも、久しぶりにブラックのソリッドな余韻を楽しんだ。
                   *
 一月某日・更新(2)。

 正月休みも終わり、会社が始まって二週間。新しい年を迎えても真田の思惑通り、何の変化もなく日々は淡々と過ぎていった。
 相変わらずの満員電車と内に篭る臭気と体温。ドア付近の手すりと座席の端の三角隙間地帯(真田曰(いわ)く『くつろぎのラグランジュ・ポイント』)の、いつものポジションで直立不動。痴漢に間違われないように腕は常に吊り革。時折、スポーツ新聞。駅に着いたらキオスクで、ガンマ‐アミノ酸のたっぷり入っているピーナッツチョコを買い、会社までの共として歩く。スクランブル交差点の横断歩道の白のペイントが塗り替えられている。それが出勤中、今年に入ってからの新たな感動。馴染みの警備員に社員証をテイジしたら、馴染みのルーティン・ワークをテイジまで。特に可もなく不可もなく仕事をこなしていたら、勝手に太陽は沈んでいるので、部内の雰囲気を鑑みつつ、社員の流れに乗って、さらにはホワイトカラー・エグゼンプションを杞憂しつつ、足早に退社。社内エントランスの自販機で、缶コーヒーを一杯、グビリ。コートの襟を気持ち立てて、いざ寒風の外出。そして、朝の出勤ほどではない、夜の満員電車に乗り込み帰宅する。ごくごく平均的な若年サラリーマンの日常パターン。
 家に帰ってからはプライベート・タイム。自分空間の時間と気取ってみた所で、一見したらそれもパターン化したもの。だが、真田はこの時間をパターンとして捉えない。パターンではなく「スタイル」としての時間。言い方を変えるだけで、いつもと何ら変わらない寛ぎタイムが、妙に格好良くなる、らしい。Our Storiesと向き合う時間。その馴染みの一時が。
「ふう、一息」
 カジュアル・ウェアに着替え、いつもの指定席へ真田は座る。軽やかにパソコンのスイッチをONして、起動するまでの間にコーヒーを淹れる。これ即ちパターン化した一連の動きではなく、
「スタイル、いや、スタイリッシュなアクションだな、うん」
 とカタカナ語を羅列させ、自己満足に浸る真田。
「おや? 新人さんの投稿が来ているぞ、と」
 マイ・ブログ、Our Storiesに久々のニューカマー・ストーリー・テーラー。
「今回の僕の原案がちょっと恋愛モノな感じだったから、常連のストーリー・テーラーさんからの集まりが悪い折にグッドなタイミングで。常連さんは何故か恋愛チックな話だと、商業主義に堕するからイヤ~とか言うからなあ。僕としては新年一発目、爽やかに始めたいと思って、遅れてやって来た純愛小説マイ・ブームをセカチューよろしく……」
 と滑舌良くこなれた独り言を嗜む真田。Our Storiesに新規参入者を迎えて、さらに顔もほころばせながら。
「常連さんになってほしいな。何とか食いついてくださいよ、と」
 真田は早速、新人投稿者の「スノウさん」の文章を推敲し始める。「ほう、ほう」
 しばらくして真田はそんな感嘆に近い息を自然と漏らした。
 今回の真田のOur Storiesのプロット。受験を控えた高校生二人の少年と少女。二人でともに同じ大学に進むことを約束して、受験勉強を切磋琢磨していくが、思春期特有のおぼつかない感情から、試験の時期を前にして二人の気持ちはすれ違っていく……というかなり曖昧な梗概だったのだが、新人ストーリー・テーラーのスノウさん。真田のアバウトな粗筋に、少年は自分の夢を追うために大学進学を拒み始め、また、少女の方もそんな少年に反発しながら、自分は家庭の事情で引っ越さなければならない、という状況に陥ってしまう設定の肉付けを、Our Storiesに施した。
「なるほど、ね。少年はミュージシャンになる夢を抱いていて、大学進学ではなく海外で音楽修業を考え始め、少女は少女の方で家庭の事情が出てくる、か。ラノベの恋愛モノっぽい展開ではあるけど、今までのOur Storiesにはなかった感じがイイかも。逆に書いている側からすれば斬新」
 主に(似非(えせ))純文学系統及びパティーシュ&パロディ小説を書き連ねてきたOur Storiesの作品群。ある種明快なエンタメ風なストーリーは不足していた。真田の気まぐれ純愛小説ブームもあるが、新しい息吹として今回は初のベタな恋愛青春モノにしよう、という試みも内心あった。
「案の定、常連さんは毛嫌いしているけど、このスノウさん。何かイイ感じに書いてくれている気がするぞ。女の人かな。この文章は何となく女性特有の感性ってヤツが伝わってくるんだけど」
 手前勝手に想像を膨らませる真田。その想いの中には、まだこれからどのようなストーリーになっていくか分からない、未知のOur Storiesに期待する部分もあるが。
「ようし、新人さんの投稿も来たし、俄然ヤル気が出るってもんでしょう。しっかりと吟味し編集しながら、作らせてもらいますよっと」
 服の袖を短く捲くり上げてタイプを始めた真田。暖房がある程度効いているとはいえ、江戸っ子風な粋のスタイルではチョイ寒い。それでも真田はコーヒー片手に、明日の早出出勤も気にせずタイピング。
「む?」
 キーボードの上を、銀盤に舞うフィギュアスケートよろしく走らせていた真田の指が、やにわに止まった。
 奇妙な違和感がまとわりつくぞ。
 さらに真田は思いを巡らせてみる。
 いや、既視感。デジャヴってヤツか。そうだ。このストーリー展開。少し似ているんだな。僕の過去の経験、というか思い出に。
「そうか、そうか。何か甘酸っぱい感じだなあ、とは思っていたけど、そういうカラクリね」
 変な納得の仕方を真田はすると、イスに背をもたらせて腕を組み、黙ってモニターを見つめた。
「夢を抱く主人公、ね」
 遠い目をして独り呟く真田祐吉。
 真田は中学時代、同級生の少女に恋心を寄せていた。そして、その気持ちは卒業を機に打ち明けられた。少女は温かく受け止めた。私も同じ想いだった、と言葉を添えて。二人の高校は別々だったが、互いに気持ちは離れる事なく、少々の悶着と数多の逢瀬の中、さらに絆は深くなっていった。また、高校は離れ離れだったけど、進学する時は一緒の大学に入ろう。そんな無邪気な合言葉を胸に、お互いは青写真を描いていた。高校三年になるまでは。
「そ、順調だったんだけどなあ。問題はアレだった。何だったんだろうね、アレって。若気のイタりというか、青春の吐露というか。とにかく変な熱さがあったんだろうな」
 スプーン三杯盛っても薄味な即席コーヒーを一口。やはり苦味も薄い。まるで我が人生、とやや自虐的に真田は顧みる。
 真田にとってのアレ。
 真田は三年生になってから漠然と、このまま普通に人生を進めて良いのだろうか? という疑問に襲われた。学生時分によくあるモラトリアムな悩み。多くの学生や若者に一度は到来する、アイデンティティ確立のための壁。別段、例外的なことではない。だが、真田は当時中途半端に文学に目覚めてしまった。三島由紀夫、川端康成、安部公房、大江健三郎etc。ノーベル文学賞ないしノーベル文学賞に近しい作家達のノーブルな作品群を、やはり中途半端にペダンティックよろしく耽溺し、真田自身に青年の憂いの傾向もあったため、馬鹿正直に感化されてしまった。目指すべきは文士、と。筆一つで身を立てていく、と自分自身に誓ってしまった。その行き着く果て、というか暫定的な答えが、皆と同じレールを進んでは駄目だ、という思い込み。それは剃刀傷程度のドロップ・アウト。
 必要なのは目標達成のためのハングリー・スピリット。そのために自分を追い込む。ならばどう追い込むか。どう切羽詰らせるか。そうだ! 大学進学をやめよう。社会へ出るためのある種の免罪符を断とう。自分の人生を敢えて不利な方向に傾けるんだ。緊張感を背負わせるんだ。学歴社会に埋没するのではなく、もっと野に出るんだ。そう、学窓という閉鎖した構内に、四年間も居座り続ける事に、どんな意味があるものか。大卒というブランドを得るための、無駄な勉学に精励するより、生きた学、即ち文学に我が身を沈めた方が、どれほど人生の実りになるものか! 無頼、放浪、自由奔放な作家修業に乗り出すんだ。作家に、作家に、ビッグな作家になるんだっ!
 真田は大学受験シーズン前半、そんな仰々しくも情熱的かつ飛躍した結論に達してしまった。つまり、大学進学を拒否するという選択。
 それ即ち、
「結局は由紀との約束を反故した訳だもんな」
 飯村(いいむら)由紀(ゆき)。真田が当時付き合っていた彼女であり、一緒の大学に進むと誓った、当時世界の中心で愛を叫ぶ程のスウィートハート、な訳なのだが、飯村は最初真田の話を聞いた時困惑した。真田の言葉は、僕は夢を追って生きたいんだ! とただ熱弁するだけで、具体性に欠けていた。真田が依る所の文学に対する見解と熱意がひどく曖昧に飯村には映った。大学に進まない理由が自分を追い込むため、というそれも説得力に乏しい。それでも飯村は何とか自分の感情を抑えようとした。身勝手な真田の振る舞いを微笑で迎え入れた。中学の卒業式、真田に告白された時見せた笑顔と同じように。真田の自分の対する想いを信じて。
 だが、真田はそんな飯村の気持ちも露知らず、自らの意識を、精神の全てを文学に傾けようとしていた。半ば強引にそれ一つに対して集中しようとした。その果(くわ)、飯村のソンザイをゾンザイに扱うようになる。
 テキトーに会話して、テキトーにキスして、それらにテキトーな笑顔を添えとけば良いだろう。
 とにかく飯村由紀の前で笑ってさえいれば良い。
 それは真田が導き出した飯村への処世術。そんな思慮のない態度を取る理由。真田は疲れていた。いきなり目覚めた、夢、目標、野望の類いを追う事に対して。肥大化する自我に対して。それが単純な思い込みだとしても。だから自分の事だけに集中したかったし、また周りに気を配る余裕もなかった。たとえ相手が付き合っている女性でも。
 だが、真田が考えるほど偽りの笑顔は長く持たない。飯村はすぐに真田の心意を察する。
 それが飯村には悲しかった。
 飯村は真田が共に行くはずだった大学進学を翻した事より、空っぽの笑顔に憤った。しかし、喧嘩する事はなかった。言い争いをする理由がなかった。一見すれば彼氏は彼女の話を屈託なく聞き入れ、笑顔で頷き返してくれる。一見すれば手を繋いでリードしてくれて、仲良く腕組みし連れ立ってくれる。一見すれば彼女である飯村を、彼氏である真田が何の問題もなく受け止めている。一見すれば何もかもが順調に傍からは窺える。一見、だけならば。
 ただお互いの気持ちだけが離れていっただけ。
 紅葉が色づくように静かに。桜が染まるようにゆっくりと。それ即ち散りゆく運命(さだめ)として。
 そして、訪れた最後の転機。飯村の家が引っ越すということ。おざなりに父親の会社の都合で。だが、実はその引っ越し先には飯村が密かに希望していた、看護師という職業に適う専攻がある大学があった。家族は地元の大学に進みたいのなら、飯村に一人暮らしをさせても構わない次第であったが、飯村にとっては、もし地元の大学に通うとしたら、真田と共に進む大学でないと意味はない。逆に言えば大学進学の価値、少なくとも地元付近の大学進学の意義はそれ位しかなかった。だが、もはや真田と誓った目標を失った今では、真田が「自分」を選んだように、飯村自身もまた「自分」の可能性に賭けてみようかという思いが湧き始めた。
 二人の別れを秤にかけて。
 飯村は言う。私は看護師になりたいという思いがあった。まだ不確かであやふやであるかも知れないけど。まだ弱々しくておぼつかない決意かも知れないけど。
 そして、飯村は真田を見つめた。何かを願うように、請うように。その双瞳は求め、訴えていた。
「君は君の夢を追えよ。僕は僕の生き方を、か。よくもまあ、クサい台詞を当時は言えたものだ」
 瞬きせずに無表情で独り言を放つ真田。
 また、「正式に言うと僕は僕の生き方を貫くから……だったな」と今呟いた独言を心の中で反芻しながら訂正した。
 そして、真田が飯村に対して返したその答えに、当時飯村の表情に機微はなかった。
 やがて飯村は真田の前から去り、引っ越し先の希望の大学に見事合格すると、卒業式を待たずして高校からも去っていった。
 真田とは別れの言葉も交わさずに。
 一方、真田は「僕の生き方」を貫き通す事はなかった。すべからく受験生、そろそろ受験勉強に本腰を入れなければならないという時期に差し掛かる頃、真田はその寸前で将来に漠たる不安を抱え、あっという間に志を転向してしまった。それは、やはり大学には行っておこうかな、という転向。そもそもの水端(みずはな)も麻疹的で一過性の文学への偏向的情熱。結局は自暴自棄までして作家に身を埋める覚悟があった訳ではなかった。
 一時、いや、一瞬疾(はし)っただけ。
 考え方が変わったのは一概に己の弱さとは決めつけられない。だが、ややあくせく走りすぎた感がある。少しウォーミングアップしてからでないと。
 そんな妥協めいた思いが真田の脳裏によぎった。
「一緒の大学に行こうよ、と言って引き止めた方が結果的には良かったなんて、今さら言えないよな」
 飯村には自分が内心、大学進学に進路を変えた事を秘密にしていた。飯村以外にも周りには、高校卒業後は進学せず作家になってやるんだ、とうそぶいていたので、真田は隠れキリシタンのように孤独な受験勉強を余儀なくされた。
 自業自得である事は分かっている。また、あくまで大学進学は保険であって、作家になるという目標はひとまず留保するだけ。逃げではない、と受験シーズン当時は考えていた。
 結局、何とか受かった目的意識のない大学に通う四年の間に、真田が文学を志していた頃危惧していた、大卒ブランドを得るために腐心する勉学を、自ら実践してしまう事になってしまったが。皆と同じ軌条には乗らない、と決めていたのに皆と一緒に右に倣えの姿勢で、就職戦線に乗り出してしまったが。不況下、求人寡少の中で内定を得るために、作家になるという初志を忘れ、文学ならず履歴書の文法に意匠を凝らす事に躍起になってしまったが。
 いつの間にかペンに添えていた指は、ネクタイを締めるそれに変わっていた。
「…………」
 進学はせずに作家になるって言っといて、結局は大学に進んじゃって、そのまま新卒で就職しちゃって、今では文士の燃えカスをプスプスと後生大事にするかのように、ブログで書き物の真似事をしている訳だ。
「まあ、今さらシリアスに考え込む事でもないけど、ちょいとセンチメンタルな気分にはなるよな。いや、でも、思い出を美化している部分もあるかなあ」
 真田はポリポリとうなじ辺りを掻きながら、再びキーボードを叩き始めた。Our Stories制作の再開。タイトルはまだ決めていない。ただ兎も角、新人投稿者のスノウさんから送られてきたストーリーを、題名を決めるより早く紡ぎたかった。物語を編みたかった。書きたかった。
 飯村由紀。
「彼女は今頃何をしているのだろう」
 真田は不意に言った。いや、思いたかった。思い出したかった。浸りたかった。
「せめて無駄な別れだったとは……」
 とそこまで呟くと真田は口を噤んだ。
 だから、それが思い出を美化する事なんだよ!
 そんなツッコミを胸襟、自分自身に入れて。
                    *
 二月某日・更新(1)。
 
 立春の候。今年吹いた春一番は、やがて春の嵐に転じ、蒼穹がしばらく覗けない日々を続かせた。
 一方、ある特定の条件下に置かれた殿方に対して、余計に孤立感を深めさせる某イベント(字(あざな)をヴァレンタイン・デイと謂(い)ふ)を、その春を匂わす風が空を曇天にして通り過ぎ、桃色な連中の気持ちを幾分ナーバスにしてくれたのは皮肉にして愉快痛快、と一人悦に浸る真田。だが、ヘッセの小説を片手に晴耕雨読を決め込んだ真田にとっても、あまりに長引く棚曇りは食傷気味になりつつあった。
 それは果たして冴えない天気のためだけか?
 不意に浮かんだ疑問符。ページを繰る指が止まる。やれやれ、愛と青春の賛美について書かれた内容のこの本が、フリー(彼女がいない)の僕の気持ちを逆に沈めているんだな、と真田は憂いつつ碧いカバーの文庫をとりあえず置いてみた。然るに気分は高揚しない。目前にはいつものパソコン。自ずとスイッチに手が伸びる。
 せっかくの休日なのに、結局は真っ昼間からディスプレイとにらめっこか、ふう。
 そんな嘆息じみた思いを胸に、パソコンの起動を待つ真田は、
「いや」
 とそこで台詞を区切り、心の内で「違うな」と独白しその続きを補正した。さらに、それだけじゃない、と付け加えて。
「仕事、か」
 程よく慣れ始め、何の変化も変哲もなくなり始めたマンネリ気味の仕事に対しても、真田は食傷気味になりつつあった。時折襲ってくる、僕はこのままこの仕事を続けていいのだろうか病の再発。社会人になってからおおよそ三十歳ないし結婚するぐらいまでの間は、独身身分の輩にはよくある青臭い懊悩の一種。定期的な心の発疹ではあるが、当人にとってはカタルシスとナルシズムを混ぜたような、高邁な懸案事項になっている。結論は毎回、まあ、他の人に迷惑がかかるから、もうしばらくは仕事を続けていくか、になるのだが。問題はその帰納の手段。自分を納得させるまでの過程。
 そういえば、最近周りの連中がやたらと結婚に走っているよなあ。何だろう、やっぱりその行為をする事によって、守りに徹しないと的な言い訳もできるし、自分の存在意義に強力な磁場が発生するからかな。いや、晦日前の婚期遅れ婦女子的な焦り、のそれとはまた理由が違うだろうが、人生に妥協とか社会的な視線を気にしてというより、変化が欲しいからその手段の一つに、結婚があるのかも知れない。ちょっとしたアクセントとして。うーん、アクセントねえ。僕の場合は当座には恋人なんてご大層な女(ひと)はいないから、人生に大きなアクセントを求めるとしたら、差し詰め仕事を辞める事になるのかな。いっその事脱サラして、独立してみるって手もあるよな。こういうのって若いうちの方が良いって、どっかの経営コンサルティングの人が言っていたし。株式会社も一円から設立できるらしいし。チャレンジかなあ。コネも今後のビジョンも何もないけど、若ささえあれば何となく出来る気がするんだけどなあ。う~ん、アクセントないし変化か。ディス・イズ・ザ・ターニングポイント。考えてみれば学生時代を終えてしまったら、イベント事なんてのは自分自身で用意しないと、何処からも誰からも舞台装置をよこしてくれないからな。人生のメリハリは自己責任。生き甲斐セルフサービス。そうだよ。学校卒業しちゃったら、あとは人生42,195キロをトロトロと走るだけだもんな。結婚とか出世とかの給水所がないとやってられないよな。あ、今のワードは意外と良いメタファー。
 真田は自画自賛すると、Our Storiesを開いた。
 ズバリ「人生の給水所」という文句を、ストーリーのセンテンスに強引にでも食い込ませたい。インスピレーションで浮かんだフレーズは大事だし。
 真田はそんなジコマン心地になりながら、
「まあ、他の人に迷惑がかかるから、もうしばらくは仕事を続けていくか」
 と己を諭すための定番独言を吐露した。差し当たりこれで溜飲は下がる。
 少し上司に小突かれただけだし。納期が迫っているからみんなイライラしているんだよな。別に僕のヤリ方が悪いって訳じゃないだろ。そう、僕だけのミスって事じゃないはず。問題は取引先の傍若無人な態度だよ。そうそう、相手が悪い。いくら客だからってこの時期にあんな仕様変更が出来るわけない。無理難題を押し付ける向こうが全面的におかしい。あーあ、こんな事でいちいちペシミスティックになるなんて馬鹿みたいだ。所詮は一過性の仕事上の難儀。いつまでも心のしこりにしていてはいけない。
 真田は慰め種(ぐさ)のOur Storiesを前にしてポジティブ・シンキングする。
「そ、ポジな姿勢で人生行かないと、ね。おや? スノウさんから新しいストーリーが届いているぞ、と」
 スノウさんの二度目の投稿。
「ありがたい。今回のストーリーはどうも他の常連さんの参加率が悪い、というか無いし。一人で進行してるようなもんだからな。文章がうまいスノウさんが加わってくれれば助かる。スノウさんが頼りだからな、今回のストーリーは。ちょっと僕の方でも手を加えてストーリーを進めてみたけど、なかなかどうして如何せん。感性という点で……」
 スノウさんが常連ストーリー・テーラーになってくれるかも、という期待感が高じて、いつもよりさらに多弁に独り言を巡らせる真田。また、良質な文学的センスも匂わせるその新人ストーリー・テーラーの出現に、Our Storiesの新しい展開を願う思いも抱いていた。
「ん?」
 スノウさんから寄せられたストーリーを斜め読みしてみた真田。
「これは……」
 真田が途中まで進行していたストーリーは、ミュージシャンになる夢を叶えるため、進学を辞めて海外行きを決意した「ユウイチ」を、その恋人「ミユキ」が家庭の事情(実は政略結婚的な意味合いのフィアンセがミユキにはいて、両親の思惑で本人の意思とは別に結婚を迫られていた、という事情。そんな安易な展開を、真田の拙い脳内少女マンガ・アーカイブから抽出して勝手に設定。真田本人は斬新で劇的な展開であるとご満悦)を振り切り、共に海外修業に連れ立つ、という流れ。だが、今回スノウさんから届いたストーリーでは、ユウイチの夢を一緒に追うと決心したミユキだったが、幼少の頃からしたためていたパティシエになるという夢が再熱し、果たしてこのままユウイチの背中だけを追っていていいのだろうか、と煩悶する展開になっていた。
「僕が設定した完成度の高い家庭の事情が完全にスルーされているのが気になるが、この展開は妙にシンクロしてないか」
 僕と飯村由紀との事柄に。
 真田は自分の思い出とトレースしているような、今回のストーリーの展開に多少の困惑を覚え始めた。
 ユウイチ。真田ユウキチ。ミユキ。飯村ユキ。登場人物の名前もスノウさんが決めてくれたけど、似ているよな、やっぱり。まるで狙いすましたみたいだ。偶然、なのかなあ。まあ、偶然以外の何物でもないのは決まっているけど……いや、待てよ。仮にこれが偶然ではなく必然と考えてみたら、つまり内情を知っているとしたらどうなる?
「本人?」
 飯村由紀本人がストーリーを送ってきている? 煎じ詰めるとスノウさんが飯村由紀? だってこと。
「まさか」
 自問自答と妄想の間で苦慮する真田。動揺。何故か真田はEnterキーを連打する。モニターには無数の改行マークが並ぶ。
「いやいや、そんな奇跡的な確率の事なんて起こりうるはずない。スノウさんが由紀だなんて」
 真田は鼻で一笑すると、Back Spaceキーで改行マークをリズミカルに消していった。が、はたと指が止まる。
「スノウ?」
 スノウさん。スノウはSNOWで雪。雪=ゆき=由紀。イイムラユキ?
「飯村由紀!」
 思わず叫喚に近い独言を吐いてしまった真田。それは金田一耕助ばりの推理力を、はからずも発揮した自分自身に驚いてしまった、という部分もあるのだが。
「い、いや、だとしたって……ありえない、よな」
 こじ付けだ。当惑顔でそう締めくくる真田。さらに、
「そうそう、今回のストーリーがそういう展開になりやすいんだな、うん。ストーリーの方が必然なんだよな。現実ではなくて、ストーリーの側が。そういうこと。それよりも何やらミユキちゃんのキャラが、ウーマン・リブ的な感じになりそうだけど大丈夫かな。だいたいパティシエが夢ってなら一緒に海外行っちゃえ。お菓子職人もどっちかというと、海外行って修業します系の目標でしょう。むしろ都合が良い、みたいな……」
 とスノウさんからのストーリーにツッコミを入れながら、贅言(ぜいげん)よろしく独り言を繰り返す。だが、それは、スノウさんは飯村由紀ではないという否定の思いと、一方で拭いきれない肯定の思いの齟齬の表れである事は、真田自身おぼろげではあるが分かっていた。また、肯定する思いに、密かに望みを抱いていることも。
                   *
 二月某日・更新(2)。

 三寒四温。スーパーでは使い捨てカイロや湯たんぽの処分セールが行われ、緩やかではあるがフキノトウの訪れを匂わす煖煙(だんえん)も見られ始めた。それでもまだまだ熱いおでんの季節である、と数多の芳しい食の湯気が飛び交う商店街を通りながら、真田はそんな思いを巡らしていた。
 残業の予定だった仕事が意外と早く片付けられ、その自分自身のご褒美としてリッチな外食を試みようと、当初は街を散策していた。だが、焼き肉にしようか、ラーメンにしようか、いやいや、思い切って寿司にしようか、と考えあぐねながら店を探している最中、ふと迷い込んだ昭和の香りが残るアーチ型アーケード商店街に溢れる肉臭、汁臭が真田につまみ食い歩きという選択をさせてしまった。クリーム・コロッケ、鶏五目おにぎり、ブーちゃんサンド(ミンチ豚肉とレタスを照り焼きソースであえて、コッペパンでサンドした庶民派惣菜パン)、食休みのエスプレッソの缶コーヒー、と続き真田は今おでんに手をつけている。
 近場でウマそうな外食の店を、と目論んでいたが鼻孔をいたずらに刺激するこんな商店街があったとは。エラい不意打ちだった。ウレしい通り魔的な出会いではあるけれど……と真田は一人満足げ。
 ただ会社のある駅にして、漠然と通っている街。それ以外に使い勝手はないだろう、と今まで決め込んでいたが為の慮外の邂逅。何やら真田は、食べログ的オススメ商店街の発見を、穴場スポット感覚ではなく、神秘的かつ運命的な出会いのメタレベルまで持ち上げてしまっていた。一方、餅巾着をほおばりつつ、ネクタイを緩め首筋にうっすら溜まる汗をフキフキ、とやはり一人ご満悦の様子。真田はつまみ食い歩きを一頻り終えると、土産に十円饅頭を三十個買い込み、家路へと着いた。おでんを食べて火照った体も冷め始めている。あったかいほうじ茶に饅頭だな、と己のメタボリック気味の肉体も省みず内心したためて、さっさと背広を取り払う真田。残業が早く終わったとはいえ、それは言い換えれば仕事を急ピッチで終わらした、という事になる。したがって疲労は確実に溜まっている。
「ふう、何だかんだと疲れたあ」
 疲れた、と言いつつ即座にパソコンの前に座する真田。ほうじ茶を飲もう、とついさっきまで考えていたにも関わらず、どうしてか傍らにはコーヒー。気づいたらいつものスタイル。もはや無意識の行動。
 完全に慣例化、惰性化している。ちょっとした認知症の類いになっているんじゃないか? いや、でもモノ忘れ的なアレとは違うか。ただ毎日のパターン化した行動が……。
 やにわに真田は不安に陥る。
「それこそ違う。そうだスタイリッシュなアクションだった。そうそう、スタイリッシュなアクションがよりアクティブ化した結果、一見ルーティン・ワークの如く見受けられるのであって、決してレイジィな行為ではない。トラッドな一連のアクトなんだ」
 語彙貧困の横文字の独言を駆使して、「パターン化」という脳裏に浮かんだワードを必死に払拭する真田。意味不明な内容の独り言ではあるがその台詞が、刺激のない変わらぬ毎日にアンニュイになりつつある僕、を認めないための、一種の堰(せき)である事は否めない。幾ばくかの切なさと空しさは自覚済み。だからコーヒーが傍にある。グビリ。やがてパソコンのモニターが、天地創造、光を供する創世記の第一章よろしく、さも神々しい明かりを帯びて映り始めた。開闢(かいびゃく)。その空間が今の真田にとっての世界。液状化し始めたリアルをせき止めている防波堤。
「おや?」
 いち早くチェックを入れるのは、例に違わずマイ・ブログであるOur Stories内のストーリー追加の投稿。
「来ているぞ、と」
 スノウさんからおおよそ一週間ぶりの投稿。どうやらスノウさんは常連さんになりそうだな。真田はそんな安堵感に似た思いと、スノウさんから寄せられるストーリーを、他の常連ストーリー・テーラーよりも心待ちにしている自分に気づいた。その心情の依る所は、今回のストーリーが偶然なのか、やはり他の常連投稿者の趣味に合わないのか、はたまたOur Storiesを見限ってしまったのか、スノウさん以外の誰も新規ストーリーを送って来ないので、結果二人だけで作ってしまっている事が大きい。二人だけの交換日記、のような感覚。そして、スノウさん以外の誰も投稿して来ない現状だが、いつものストーリーなら、その状況に対して一抹の不安と寂しさを覚える真田でも、今回は違った。このシチュエーションこそ、恐らくロマンティシズムを含んだ仕掛けられた舞台装置。運命(さだめ)の劇場では? と真田は酔いながら。むしろ今回は誰も参加してきてもらいたくない。二人だけで構築したい。真田はそれを望む。
 つまり僕はスノウさんが飯村由紀だと願っているんだな。
 メールで返事をして確かめれば済むことではある。だが、それが真田には出来ない。はっきりしてしまうのが逆に怖い。今はただお互いの存在を曖昧にぼかしながらストーリーを続けて、二人だけの空間を共有していきたい、という思いが強く働いている。
「それにあんまりプライベートに突っ込み妙な誤解を生んで、せっかく常連投稿者になりつつあるスノウさんを取り逃がしたくないし」
 スノウさんが飯村由紀であることなんて、ほとんどありえない偶然だけど、いや、まず絶対ありえないんだけど、それにしたって余計な事はしない方がイイよな、うん。
 スノウさんが飯村由紀なのでは? と切に請う思いとは別に、冷静に現状の維持を思考する判断力も真田にはある。
 ただ、
「僕はまだ由紀を忘れられないのかな」
 と捨て台詞のつもりで吐いた独言。その一言をして一人はにかんでしまった。
「いい加減に忘れろ、というか諦めろよな、僕。スノウさんが飯村由紀なはずないだろ。何度自分に言い聞かせているんだよ。しつこいぞ、と」
 真田は今回送られてきたスノウさんからのストーリーを読みながら、得意の駄弁的独り言で案に違わず自分に言い聞かせる。自らを承服しようとする。だが、スノウさんから送られてきた今回のストーリー。それを読むに従い、真田は今まで拒んできた自分の認めがたい蓋然性を、逆にいっそう高める事になった。
「ん?」
 それはつまり、スノウさんが飯村由紀であるという事実が現実味を帯びてきた、ということ。
「これって……」
 スノウさんから送られてきた今回のストーリーは、主にユウイチとミユキの下校シーンがメインだった。そのユウイチとミユキが家まで帰宅する道程中の行動。公園のベンチで戯れに会話した後、フランチャイズのカフェに寄る。その一連の流れが、真田と飯村由紀の付き合っていた行動と一緒であることが、まず真田には引っかかった。いや、この程度の相似性なら学生時代、一般的なカップルのよくある行動パターン。ポイントはその節々の描写。例えば公園の場面であれば、五台連なるブランコの内、左から二番目のブランコがやたらと鎖が軋むという描写。バランスの取れていないシーソーの存在。園内にある大きな杉の木を勝手に縄文杉と呼んでいたこと。そして、帰りがけに寄るカフェ。そこがサンマルクカフェであり、二人で一つのチョコクロを注文している場面。足を幾度も組みかえるユウイチの無駄な動き。ストローの袋を細かく千切るミユキの神経質な行い。コーヒーはいつもブラックしか飲まない、とうそぶくユウイチが、その苦味を誤魔化すために、実はお冷を交互に口に含んでコーヒーを飲んでいるというトリビアなシーン。ミユキの好きな紅茶がカモミールであること。ユウイチの癖で、飲みながら歯を噛み合わせ、その歯軋りの音をいちいち注意するミユキ……。そんな二人にまつわるディテール的な箇所が、真田と飯村由紀のデートのそれと多々シンクロする。
「いや、多々というよりほとんど同じじゃないか」
 これもまた偶然の一致? それとも普遍的な高校生カップルの他愛のない行動や会話? 何やら物語の舞台も、僕と由紀が一緒に居た街並みに似ている気がしてきたんだが。
「公園の作りもそうだけど、高校の校舎の大時計の長針が折れていて短針より短い、という瑣末な書き込みも僕の高校のヤツと被っているし。多分、地域なんかを限定しないように、固有名詞を避けてアノニムな感じにしているんだろうけど、具体名がないとはいえここまでクリソツなフェノミナンが連打すると……」
 天文学的なありえない確率の現象が身の上に起こる事は、八年間買い続けているドリームジャンボ宝くじが当たるという、射幸的なものしかないと考えていた真田にとっては、俄かに信じがたい成り行き。確かにスノウさんが飯村由紀ではないのか、という一縷の望みはあった。しかし、今思えばそれは否定、肯定とか、可能性の有無というような、二極的な思考の軋轢というより、そんなドラマティックな展開にただ自分が酔っていたのではないか、と一人芝居の癖がある真田は回顧する。だが、実際その劇的なシチュエーションが現実の世界に潜り込み始めた。パソコンの中からおとぎ話が這いずり出てきた。そんな感覚。無意識のうちに自らが区分していた、二つの世界がより曖昧に解け合っていく。一方で今まで自分が勝手に線引きしていたその二つの世界は、実はチョークで黒板に書いたラインよりも簡単に消せるのではないか? という疑念にも駆られ始めた。
 考えが整理しきれていない、と自覚しながらも真田は、目前に起こりつつある、自己の想定許容範囲外の事実に対して、128ビット足らずのマイ思考力で情報処理しようとする。分かりやすく音声化して。
「これが神様によって仕組まれた、とてつもなく素敵なプレイ(PLAY=劇)だとしたら、僕と由紀は差し詰めメインを張るアクターとアクトレス。フィクショナルなリアルの侵食が起こりつつある状況。否、少なくとも三次元の空間及び一次元の時間内に、つまり僕らが存在する四次元時空内で起こりうる出来事は、全て筋書きが立てられていて、そもそも偶然、必然の現実という棲み分け方がおかしい。現実とは既にそこにあるもの。むしろドラマ性のないリアルなんてものはない。人は常に、いや、人間は知らず知らずにドラマを求めているはず。都会のアスファルトを歩き疲れた中年だって、夢破れてボストンバッグを片手にUターンしていく若者だって、仮初の一夜の恋に冷笑する男女だって、みんないつかは身の上に起こるであろう劇的変化に期待しているんだ。つまり自らの物語に。どんなにリアルに打ちのめされ、冷め切った眼になったとしても。じゃないと人生なんて、夜の砂漠の中、飢え死にしたラクダをわざわざ担いで歩く旅人のようなものになってしまう……」
 ヤバい。僕は何を言っているんだ。自分で言っていて意味が理解できないぞ。冴えない詩? 世迷言? エピグラム? というよりカルト宗教じみた妄言に近いぞ。間違いなく混乱している。諦めるな、考えろ、考えろ。これからどうするか熟考しろ。
 とそこまで真田は脳みそを絞り上げると、
「って別に考える必要ないだろ」
 目を見開いて、ノリ突っ込みの一言。
 余計な波風を立てたくないから、わざわざスノウさんに、君は飯村由紀では? などと質問をするのは禁忌(タブー)。それに相手が誰であれ関係ないだろ。そうだ。僕とスノウさんはOur Storiesを作っているんだ。それ以上でもそれ以下でもない。いつも通りストーリーを作っていけばいいだけの話じゃないか。
 原点への立ち戻り。Our Stories本来の機能の確認。それはただ単純にストーリーを紡ぎ上げていくということ。確かにそれが目的であり、そう考える事が一つの納得の仕方でもある。雑念を振り払って、物語作成に精を出す。そう割り切って考えれば。だが、真田は心駆られる。例えば今日発見したお気に入りの商店街について、スノウさんと雑談めいた事を交わしたい。それは衝動にも似た思い。どうしようもない、くだらない会話をOur Storiesを抜きにして、無駄にダラダラと語りたい。それは欲求にも似た思い。あの頃、あの夕焼けの中で飯村由紀といたずらに喋っていたように。一方で真田は半ば強引に定義する。僕はスノウさんをヴァーチャル・リアリティの飯村由紀として見ているだけなんだ、と。ロマンスを予感させた、偶然の重なり合いを敢えて無視し、全てはストーリー内の虚構であるもの、と身をよじりながら決めつけて。
「スノウさんが送ってきてくれたのは、あくまでストーリーの断片。自らの体験を参考にしている部分もあるかも知れないけど、大方はストーリーの肉付けのためのツールに過ぎない」
 Our Storiesに寄せられたストーリー。当然ながらそれ以外に寓意性を帯びた深い意味はない。だからつまり、
「ストーリーであって、メッセージではない」
 ポツリと真田は呟いた。スノウさんから提供されたストーリーを、真田は自分に宛てられたメッセージとして少なからず解釈していた。Our Storiesではなく、個人間の往復書簡として。私信のようなそれと。
「皆で紡ぐストーリーだぞ、と」
 戒めるように言い聞かせた。そして、真田はこれからのストーリーについて腐心する。ユウイチとミユキの物語について。リアルではなくパソコンの中で展開する架空の出来事について。
「よーし」
 オーバーアクト気味の掛け声。真田自身、鉢巻きを締め直す気持ちでキーボードをタイプしているつもりだった。スノウさんから送られたストーリーを編んでいるつもりだった。だが、普段ストーリーを編纂している最中には発生しない他念を孕んでいる事に気づく。楽しい趣味、リラックス・タイム、退屈な日常生活の張り。そんな生きがい的類いの範疇にあるOur Storiesのストーリー作りには相応しくない感情。
 何となく、ムナシイな。
 そんな想いが。
「まさか、ね」
 と副詞を発語して即否定。真田は以降、無言でタイピングを続けた。傍らの馴染みの相棒、インスタント・コーヒーをなみなみと残したまま、そのチープな微薫すらも覚えず。
                    *
 三月某日・更新(1)。
 
 淡紅色の寒桜の方が、果たして淡紅色の梅の花に取って代わって街路や公園を染める頃、一般に人々の生活は間もなくやって来る春に向けて、忙しい素振りを見せる。それは出会いと別れの季節。いわば人生の過渡期。年末の師走の忙しさのそれとはまた違った質のもの。だが、近年、真田にとってはそんな世の歳時記的な催し事とは無縁の生活をしてきたので、どの季節のどの期間が忙しいなど定まってはいなかった。ただ単に会社が忙しければ、プライベートも忙しい、と思い込む。仕事の疲労感を人生における充実感に強引に置き換えて、誤魔化している節も多々あった。四季に依らず、不定期な仕事量に比例して、自らの生活が規定される日々を送っているはずだったのだが、今の真田の日常は世間の忙しさとシンクロしていた。いや、卒業式や入学準備、冬物クリアランスに花粉症対策etc、世における春の恒例イベント事云々とは関係ないのだが、一方で会社が多忙というわけでもない。私生活が春に差し掛かるこの時期、にわかに賑わってきたのである。それを真田は、一般社会の多事と自らのプライベートの殷賑のユニゾン、と大仰に称して世間との密着感に小さな悦を見出していた。
 その忙しい根拠はOur Stories。そして、その内実はスノウさんとのストーリーのやりとり。ここにきてスノウさんからの投稿の回数がどんどん増え始め、一週間に一回、五日に一回、三日に一回、今では二日に一回は送られるようになってきた。一方で他のストーリー・テーラーからの投稿はない。まるで真田とスノウさんがウェディング・ケーキを切るかのように、二人きりの共同作業よろしく、狙いすましたように誰の邪魔も入らないでいた。今回のストーリーはOur Storiesというより、Pair Storiesと言ってもよく、この奇妙な偶然にもまた小さな喜びを見出している真田。
 だが、
「やはり……」
 小さな舌打ち。苦い顔。真田は溜め息をしながら足を組みかえる。目の前には意に違わずパソコン。その傍らには案に違わずコーヒー。そして、刻(とき)は丙夜(へいや)(午後十一時から午前一時の間)。慣れ親しんでいるいつもの時間、空間なのだが。
「うーん」
 真田の溜め息は尽きない。それは小さな喜びの中における、小さな瑕疵(かし)の証左。
「どうも、僕とスノウさんとの間でストーリーの齟齬というか、食い違いが出てしまうなあ。方向性が一致しないぞ、と」
 ストーリー作成の際は、ストーリー・テーラーから送られるモトを優先するようにして、真田は原案提供以外あまり内容には深入りしないようにしている。数多の投稿者の複数のモトをイイ感じにまとめ上げ、さっと塩をふり掛ける程度に最後に作品を締める。そのような役割に妙を見出している真田。だが、時に真田がストーリーの脚色に前面に出る場合もあり、それはそれで他のストーリー・テーラーも自然な成り行きで暗に従ってくれていた。真田を含めてOur Storiesのメンバー、ストーリーに対して悪く言えばこだわりがあまりなく、肯定的に捉えてみれば協調性に富むというべきか。とにかく互いが我を主張する事なく、今まで不思議とストーリーは形成されてきた。Our Storiesの隠れたコンセプトとして、皆で一つのストーリーを作り上げる事に面白味があるのであって、そのストーリーの中身は二の次、のような不文律があるからかも知れない。
 しかし、今回のストーリーは違った。スノウさん、真田、共にせめぎ合っている感がある。複数の投稿者によるストーリー作りではなく、マンツーマンで行っているから、普段とは毛色が異なる、という部分もあるが、それにしたってストーリー作りに紆余曲折が多すぎるのではないか? と真田は思う。そして、その原因は単純にお互いがお互いの「ストーリー」を譲らないでいるから、とも。
 ユウイチとミユキのストーリーは佳境。ユウイチは自分の夢を追うため海外に行き、ミユキもまた自分の生き方を選んだため、二人は離れ離れになる。そこまでは真田、スノウさん共に納得のプロセス。問題はその後。一人海外に出てミュージシャンの夢を追いかけたユウイチは、見事アメリカでメジャーデビューし、逆輸入アーティストのような形で凱旋帰国を果たす。そして、パティシエを職業にする事を目標に掲げていたミユキも、やはりその目標を果たしていて、二人は導かれるように故郷の街で再会し結ばれる、という安易ではあるが、そんなハッピーエンドを想定するような流れで真田はストーリーを進めていた。だが、スノウさんから寄稿されるストーリーでは、結局ユウイチはミュージシャンになる事は叶わず志半ばで帰国し、ミユキもまたパティシエの道を辿らず普通にOLをしていて、二人が再会する事はなかった、という現実的なアプローチをしてきている。そこが互いの軋轢。とはいえ普段なら黒子的な役割を果たしている真田の方が、ストーリー・テーラー、つまりスノウさんのストーリーを優先させ、自分の考えた結末はひとまず置いておく。あくまでもOur Storiesの主役は、自分のブログに投稿してきてくれたストーリー・テーラーの方々。それは最低限のルールとして真田も肝に銘じていた。だが、今回のストーリーはそのストーリーの結末たる部分を譲れなかった。
 ストーリーの自由な脚色や最終編集権は真田にあるものの、そのほとんどはストーリー・テーラーから送られてくるストーリーに忠実になぞっている。真田の仕事はうまくそれらのストーリーを紡ぐこと。乾きやすく剥がれにくい接着剤になること。接合部を埋めるだけの存在、に徹するつもりだった。しかし、今回のストーリーは俺が私がと自己主張するかの体(てい)で、真田はスノウさんとぶつかり合っていた。我を出していた。どうしても引き下がれないでいた。
 それは真田の儚い過去への拘りのあらわれ。一時とはいえ自らが将来を賭けていた、いや、青春を駆けていた作家になるという夢を、ユウイチに対して深く濃く重ねてしまっている裏づけ。だからこそユウイチのミュージシャンになる、という目標は成就させたかった。せめてストーリーの中では絵空事じみた夢を成しえたかった。言うなればストーリーの中で、スノウさんという「現実」に立ち向かっている。そんなスタンスで真田は自分を振る舞っていた。
「ここで折れるわけにはいかないぞ、と」
 スノウさんの思い通りのストーリーにならず、スノウさんに対して不快感を与え、Our Storiesの常連投稿からスノウさんが例え脱したとしても、真田は覚悟を込めて「夢」を押し進めようとする。それは単なる自己満足なのかも知れない。いや、きっとそうなのだろう。醜態をさらして甘酸っぱかった夢の残影を追っているだけなのだから。だが、少なくともあの頃は青臭いと呼ばれても、確固たる目標を生きていた自分がいた。これが僕の夢です、自分の人生の指針です、と叫べるものを持っていた。それは全ての人々が必ずしも通過した季節(とき)というわけではないはず。若き日に熱い心を発した、ある一部の青年にだけ与えられた特権的な精神運動。夢を抱いた、という事はそれぐらい崇高なもの。真田は「夢の残滓」をそう考えた上で自己を定義し、高次の位相(フェイズ)の中に自身を置こうとしていた。
「Our Storiesは僕のブログなんだ。僕のモノなんだ。僕自身の世界なんだ」
 僕だけの世界。即ち真田は皆で紡ぎ上げるストーリーであるはずのブログを、己のみがモノ語る個人的な表現手段として捉えてしまった。本来のコンセプトから脱線し、歪んだ恣意さえ覚える思考。だが、真田本人は気づかない。その考え自体に嫌悪を感じてはいない。今はただ目の前にある、ユウイチとミユキのストーリーを完遂する事に没頭していた。自分のシナリオ通りに進めることに。真田が望む理想の結末に到達するために。スノウさんというリアルと衝突しながら。
                   *
 三月某日・更新(2)

 仕事が手につかない、という程ではないが真田のOur Storiesへの腐心ないし執心は、いまだ肥大化していた。というのも最近ではほぼ毎日のように送られてくる、スノウさんからのストーリーが、その都度やはり真田がリードしようとするエンディング、つまりユウイチの夢の実現およびミユキとの劇的な再会かつ復縁、のようなそれをズラす、相変わらずのアンチ真田ストーリーの展開を提案するからだった。
 確かに僕も強引に引っ張っている節はあるけど、向こうも何故譲らないんだ? スノウさんにも引けない理由があるのか。特別なこだわりがあるとでもいうのか。たかが作り事の話だろ。ただのお話じゃないか。
 そのたかが物語に必要以上に執着している真田もまた、意地というか頑なというか、とにかく反意な態度を持って譲らない。
「彼女は、いや、彼かも知れないけど。兎に角、何でスノウさんは大団円的な終わりを拒む。リアリストとでもいうのか。手厳しいラストが現実主義のそれとでも思っているのかな。やれやれ」
 本日、例年より遅ればせながらの靖国神社の桜の開花宣言かつ澄晴(ちょうせい)にて、さらには十日ぶりの休日。そんな外因とは関係なく、真田はパソコンのモニターの前で表情を曇らせる。また、不健康にも真っ昼間から向かっているパソコン作業だったが、既に外は夕闇が迫り始めている。真田は部屋の暗がりに気づき、セピア色のカーテンを閉めた後、電灯を点けた。
 今、真田が行っているのは、昨日スノウさんから届けられた分のストーリーの編集。
 海外に行って改めて自分のミュージシャンとしての実力の無さを痛感したユウイチは、目的も自信も失い傷心して日本に帰る。もしかしたらミユキは待っていてくれるかも、という淡く甘い期待を抱きながら。だが、ミユキは待っていてはくれなかった。人づてに聞いた話だが、既に誰かと結婚をして地元から去ってしまった、という。そして、ユウイチは静かにギターを置く。一方でミユキもパティシエには成りえなかった。結婚によってその情熱は生活の安定に勤しむ事に転化し、やがて忘れていった。ミユキは人並みの主婦になることを選ぶ。結局、両者ともその夢は一過性のもので、やはり青春の一ページに過ぎない事を認識する。二人の別れを引き換えに。
 それこそスノウさんが呈示したストーリー。
 現実によく転がっている、夢も希望も無い、そのまんまの話じゃないか。もう少しストーリーの中では甘い味付けをしてもいいじゃないか。よしんばユウイチ、ミユキともに夢の成就が無理だったとしても、せめて……。
「せめて再会する事ぐらいは許されるんじゃないか」
 それが真田の最後の妥協点であり希望。そして、救済。
 傷口を舐めあう、という訳じゃないけど、こういう時に再会してお互いの必要性を再確認する。ちょっとした反省も含めて、人間的成長を果たした両者が再び出会う方が、より強固な絆が生まれるだろうし、お話的にも生産的だし建設的なはず。何よりも前向きだし。逆に全部が全部うまくいかない結末を描いた所で、どんな所産になるというんだ? 世知辛い結果の方が現実的には説得力があるからというのなら、リアル・ワールドに即しているというのなら……。
 真田の葛藤は野放図に広がる。
「それは間違いだ。Our Storiesはリアルじゃない。ストーリーなんだ。フィクションなんだ。作り事の、嘘っぱちの話なんだ。そんな中に過酷な現実を羅列して何が面白い」
 思案と独言を交えてスノウさんのコンセプトを否定する真田。とはいえ、このまま真田の独断でストーリーを完結させてしまえば、真田の理想のままで全ては終わる。それを行えないのはスノウさんのストーリーの志向を忖度しているから、というよりは納得させたいという思いが真田に強かった。スノウさんを同意させる、いや、屈服させるという、歪曲した気持ちが。その為にそれ相応の説得力のあるラストまでの筋道を立てなければならない。だが、安易にハッピーエンドにする事しか真田には出来ない。ただの理想的な、キレイな終わり方。自分自身が溜飲を下げるだけの、安直な結末。自己のストーリーテーリングの能力の限界とは別に作用する何かがそうさせる。真田は口惜しい意味でなくそれをひしと感じていた。そして、肚裏(とり)に見え隠れする矛盾した思いも。
「…………」
 奇妙なジレンマだ。スノウさんを説得して、自分の用意したエンディングで締め括りたいと思っているのに、一方でその自分自身が考えたハッピーエンドを認めたくない、という気持ちがある。シナリオの弱さが原因だからか? 説得力の薄いストーリー展開に納得がいかないからか? いや、そんな作品のデキ云々からくる感情とは違う気がする。ただ、何かこのままじゃいけないような、漠然としたものではあるけど、もう一つ何かこうシックリくる結末が何処かに、そう、本来あるべき、いや、本当の……。
 そんな迷い迷いストーリーを編んでいる真田の元に、新しいストーリーが届いてきた。それはスノウさんからだった。
「え、この時間に?」
 真田はそう言いながら時計を見てみた。時刻は八時。
 随分と早い。いつも来るとしたら夜の十時以降なはずなのに。スノウさんも会社が休みなのかな。あ、でも普通に会社員してるとは限らないか。普段が十時とか十一時にストーリーが届けられるから、何となく一仕事アフター感があったけど、フリーターかも知れないし、深夜の仕事をしているかも知れないし、それこそ主婦かも知れない。そういえばスノウさんが男性か女性かも分からないんだったな。他の常連ストーリー・テーラーだってそれぐらいの情報は把握しているのに、スノウさんとはストイックなまでにただ淡々とOur Storiesを介して往還しているだけだった。
 Our Storiesではせめぎ合う仲になりつつある間柄にも関わらず、二人のその実は何も知らない事を改めて知る真田。
「ま、深くは詮索しないぞ、と」
 スノウさんのパーソナリティに関して気を向ける事は既に止めている。真田は言葉を漏らす事でスノウさんへの関心を遮断した。そして、事務作業のようにスノウさんから届けられたストーリーに目を通す。多少ニュアンスが変わっているかも知れないが、いつものように、恐らくアンハッピーな感じの、いわゆるスノウさん好みの「現実的」な結末のストーリーなんだろ、と真田は確認する前から決めつけて。
「ん?」
 スノウさんから届けられたストーリー。
 それはユウイチの後日譚。
 いわゆるプロのミュージシャンになるのを諦めたユウイチは、地元の古くからの友人たちとバンドを組んで、趣味として音楽を楽しむことにする。何とか就職口も見つかり、週末はアマチュア・バンドが集うライブハウスで演奏。そんな環境の中、ユウイチは決定的なある事に気づく。自分のやってきた音楽は、実は自分自身にのみ向けてやってきた音楽だった、ということ。つまり、自分のためだけに音楽をやってきて、肝心のオーディエンス、聴き手、他者を考えていなかった。
 ロックが好きだから、ミュージシャンになるのが夢だから。そんな目標、情熱を掲げていれば自ずと人は惹かれてくるだろうと勝手に思い込んでいたユウイチ。自然とついてきてくれるだろう、と。キレイ事な言葉は時に大事である。夢がある、例えばそんなワード。ただそれが自己の中だけの、美しいものに留めておくのではナルシズムのままで終わってしまう。夢はむき出しにする事によってある程度汚されていかなければならない。外の世界の醜行、悪徳飛び交う様々な事柄によって。そして、試されなければならない。どれだけ己の夢が強固であるかを見極めるために。また、挑まなければならない。その夢が人に与えられるべき相当のものか確かめるために。
 ユウイチは痛感する。
 ああ、俺のミュージシャンになるという夢、目標は結局自分の中だけで生き続けたもので、誰に向けて発信していた訳ではなかったんだな。自己救済、自己愛的な範囲で留まっていたもので、それが他人を思っていた訳ではないんだ、と。
 完全なる挫折を自覚したユウイチはある程度自分に納得し、ライブ前にアコースティック・ギターの練習をしながら一筋の涙を流す。瞬間、一筋だけの。
「…………」
 そして、スノウさんから送られてきたそのストーリーの結末。自分のライブを見に来たある女性にユウイチは恋心を抱く。とりあえずユウイチはその女性に向けて自分の音楽をしてみよう、と思いながら片手にギターを抱え、いつもの日常に戻っていった。そんな挿話が添える程度に語られていた。
「結局は安直な終わり方だよな」
 スノウさんのストーリーを斜め読みし、得心したつもりではない真田だったが、変に折れた気分になった。それは疲労感に近く、また安堵感にも似た、特異な思いだった。
「でも、まあ、アリっちゃアリかなあ」
 最近、ちょっとOur Storiesに入り込み過ぎていた気がするな。そう、少し逃げ込み過ぎていた。仕事が忙しかったからなのか、毎日が退屈だからなのか。
 真田は自分を客観的に見ている事を不思議に感じながら、同時に徐々に気持ちが緩んでいく事も覚えた。脱力感というよりは心の弛緩。今まで緊張して肩を張りながらOur Storiesと対していた事にも気づく。さらに傍らにコーヒーがないことも。
 あの安手のインスタント・コーヒーの香りがひどく懐かしい。
 真田はどうしてか照れ笑いをしながら、足早にキッチンへと向かっていった。
                    *
 四月某日・更新。
 
 ソメイヨシノの花びらが例年よりも白く色づいて見えるな。もっとも去年の色つき具合など覚えてはいないけど。
 桜木は薄い濃度の花びらばかりを咲かせているように映る。その弱い桃色では春というより、初冬に降る雪を連想させる。朝の通勤電車の車窓から垣間見られた、川べりの桜並木を示して真田はそう思った。
「それでも季節は着実に変わったんだな」
 込み合う車内で思わず真田は独り言を呟いてしまった。一瞬、真田はハっとしてやんわりと赤面したが、目前でスポーツ新聞を黙々と読んでいる中年サラリーマンの柑橘系のキツいコロンの香り以外、周囲の雰囲気を特に害している様子はないように見えた。
 独り言が癖になりつつあるのは自覚しているけど、人前では気をつけないとな。
 脇に抱えた鞄をギュっと真田は持ち直す。心持ち空隙のスペースが広がった気がした。揺れる車内、すぐに人肌の圧迫が詰め寄ってくるが。
「…………」
 目を細めて流れる景色を所在無く覗く真田。
 Our Storiesもちょっと変わった気がするんだけど。
 真田の胸中、やにわによぎるマイ・ブログOur Storiesへの志向。
 スノウさんとのストーリーのやりとりは、結局はスノウさんのエンディングを採用する事で一応のケリをつけた。それは真田が妥協した、というよりは、安直な終わり方と毒づいてみても、納得させられてしまった思いが妙に強かった。本当は真田がスノウさんを納得させるはずだったのだが。何にせよユウイチとミユキの物語が完結すると、まるで口裏を合わせたかのように、他のストーリー・テーラーがOur Storiesに三々五々戻ってきた。それは真田とスノウさんのディスカッションの終わりを待っていたかにも見えた。両者が納得する結末を。
 そして、皆は新しいストーリーを紡ぎ始めた。今はまだ結末が見えない名もなき物語を。それはいつも通りの展開。一方、真田は何故かそんな普段と変わらぬOur Storiesの進行を真新しく感じていた。
 お互いが会話をしている。今までは文章を交わしているだけの、往復書簡の類いの感覚だったけど、今はただ文字をトレースしているのではなく、呼吸が息づいている気がする。何かこう曖昧だけど言葉や文字が躍動しているような……。
 錯覚である事は分かっているが、息が吹きかかってくるような、鼓動が伝わってくるような、そんな知覚。真田はOur Storiesの中で、皮膚感覚で体温が伝播するような思いを募らせる。
 Our Storiesが僕だけのストーリーの訳ないだろ。みんなの物語だろーが。
 自戒、反省、呵責、悔過(けか)。そんな思いを込めて自分自身に叱咤する真田。僕は何を尊大に勘違いしていたんだろう、と。
 ちょっと寄り道をしていたんだな。そう、Our Storiesは皆で紡ぎ上げる物語。みんなで物語を出しあって、足りない部分を補っていく、相対的な総意の補完作業。そうだよ、そうなんだよ。僕にとって足りなかった何かが、みんなにとって足りない何かが、お互いの物語によって埋められてきたんだ。何か。それはきっと、それぞれが忘れかけていた記憶のピースであり、皆が自分自身に潜めていた、それこそ僕のような文士崩れの夢の残りカスをしたためた、脆弱な心のフラグメントの結集であり……。
 緩やかな線路のカーブ。慣性に従い車内が揺れた。真田は体を立て直し、
「まあ、いいか」
 と誰にも聞こえない程の小さな呟きを漏らす。今の独言は自覚的に発した言葉。その台詞をして一つの締め括りにしようとした。
 そう、普段の日常が始まる。いや、もう始まっているか。
 飽きるくらい眺めているはずの、電車内の中吊り広告を、懲りずに口を半開きにしながら見つめる真田。去りゆく団塊の世代! 就職氷河期世代は就職のチャンス! 新しい変化を求める人は転職のチャンス! と求人誌の中吊り広告は煽った謳い文句を掲げている。
 新しい変化を求めるってだけのコンセプトじゃ転職なんて冒険は出来ないつーの。
 内心一人ツッコミ。だが、新しい変化という言葉が微妙に真田に引っかかる。
 そういえばラストでユウイチは恋を……してたな。
 不意に思い返すスノウさんと紡ぎだしたあのストーリー。と同時に再度想起する、スノウさんはやはり飯村由紀ではないか? というポジティブ感覚溢れる疑心。それは、乙女チックにラブラブ奇跡な出来事に身を委ねてみてもイイんじゃない? のような真田の脳内ロマンティシズムの産物でもあった。
 ああ、そうだよ。ユウイチとミユキのストーリーにタイトルを付けるのを忘れていたぞ。これはやはりスノウさんと相談しないといけないよな。その際にさ、実に個人的な事だけどさ、プライベートな質問になるけどさ……。
 方寸、勝手に葛藤している真田祐吉。自問自答。だが、それを楽しんでいるようにも見える。
 Our Storiesは変わった。だったら……。
 相変わらずの満員電車。恐らくダイヤ通り電車は到着し、コンビニでGABAっぽいチョコを買って出社。そして、昼に醤油豚骨のカップ麺を食して、分煙がなっていないオフィス環境に多少イラつきながら、一時間弱ぐらい残業。帰る前に会社のトイレで用足しして、便所の出入り口の濡れたドアノブに不快な思いを抱いたまま退社。予定調和。今日も何も変わりはしないだろうし、明日もそうかも知れない。いや、きっと同じだろう。
 だけど案外簡単なことなんじゃないかな。
 案外簡単なこと。真田はその案外簡単なことを今夜実践してみようと、密かに、またニヤつきながら心の裡にしたためる。
「とりあえずストーリーの題名を……」
 やはり自覚的な真田のモノローグ。だが、その大きさは呟き声以上のメリハリのある独語だった。真田は一人ほくそ笑む。と同時に、車内に漂う柑橘系の匂いが僅かに心地良く感じた。

   

                                         了
   

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