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* * *
ある夜の事だった。
その日は特に普通に暑い日だったと記憶している。
別に一日掃除をして洗濯をして、少し彦三郎と話をして。別に他の日と違う事なんて一つも無かった。
家鳴りを聞いた記憶もないし、彦三郎に苛立った様子も無かった。
明日はオムレツに挑戦するとノートパソコンのレシピサイトを眺めながら彦三郎は普通に話していた。
「何、なんだよ!?」
嫌な感覚に、思わず叫ぶ。
「あー、くそ。なんでお前そんな良い匂いなんだ」
彦三郎が苛立った様に言う。
夜自分の部屋に戻って一旦寝てしまった後だ。
布団にのしかかる様に彦三郎が馬乗りになっていた。
目が化け物の様に爛々と光っていることだけが分かる。
障子は締まっているのに、彦三郎の事だけは良く見える。
家がギシリと鳴る。家鳴りというのは何回聞いてもよい気分はしない。
「なんだそれ。化け物は人の子を食べたい的なアレか?」
俺が言うと、彦三郎は舌打ちを一回した。
「別に妖怪が人間を食うなんぞ迷信だ。
俺は人を食いたがる妖なんぞ見たことが無い」
大抵、人が喰われただの消えただのっていうのは、人間の世界の妄想だ。
彦三郎は「人が夢想するよりも、妖には力なんてないんだよ」と言う。
「じゃ、じゃあ、なんで旨そうだ……なんて」
それに力が無いというのは嘘だ。
本当に力が無いのであれば、彦三郎はこんなところに閉じ込められたりしていない筈だ。
そんなこと位俺にも分かるのに、何故こんなことを言うのだろうか。
試されていると思うのは、大体において被害妄想なのだという事を、人とのコミュニケーションが少ないなりに知っている。
だから今回も、俺の何かを試しているのでないのだろう。
考え事を始めてしまったせいだろうか。それとも腹がすいたからなのだろうか。
彦三郎は俺の手を取ると、ベロリと舐めた。
ぬめっとした感触が気色悪い。
「うをっ?!」
思わず出た声は完全に裏返っていて、出させた張本人は声を上げて笑った。
「もっと、怖がってくれてもいいのよ」
普段使わないような言葉遣いで彦三郎が言う。
それから「あー、やっぱりアンタ旨いわ」と言った。
本能というものを日頃感じたことはあまり無い。
けれど、今ばかりは、鳥肌がたってしまうのが分かる。それは多分、被食者としての本能なのだろう。
「……ただ、悪霊は喰ってしまうらしい」
食べても何の意味もないのに、腹が減ってたまらなくなる。
「詳しいなあ」
思わず考えたことを、口に出してしまう。
「蛇の道は蛇ってな」
ニヤリと笑って、彦三郎は言った。
「……じゃあ、お前の食べたいってよくは何なんだよ?」
生前からの興味とも思えない。
「さあ? 悪霊化し始めてるのかもしれねえな」
「他に、人を喰う妖はいないのか?」
「他? ……しいて言えば、神に近いもんが生贄を食うって話を聞いたことがあるが、最近はもうないだろ」
まるで他人事の様に彦三郎は言う。
今日月が出ていたかも思い出せない。
暗闇のはずなのに彦三郎の顔があまりにもはっきり見えてしまうことが恐ろしい。
「で、なに? 悪霊になっちゃうから食べさせてって?」
俺の言葉に彦三郎は面白そうに笑う。
つまりはそういう事だろうか。
「そうだ。と言ったら?」
この仕事は危険手当ってやつが必要な部類のものだったという事なのだろうか。
はっきり言ってそんな給料はもらっていない。
「ふざけんな!! そんなもんはもっとちゃんと給料を払ってから言ってくれ!」
思ったより自分の活舌がよかったことに驚いた。
「あは。あははは」
けれどこれは食われるか? と思ったところで彦三郎がまるで子供みたいに笑いだした。
そう言えば似たような事があったことを思い出した。
「面白いな、兄さん」
「……もしかして、冗談ってやつ」
それは笑えないと言おうとしたところで「いや。腹が減ってるのは事実だ」と彦三郎は答えた。
「何か作るか? 夜食っぽい」
少なくとも人間が材料でない何か食べ物を。という言葉は飲み込む。
「食べ物じゃ腹は膨れないって前も言っただろ?」
今日は面白かったからもう大丈夫。
そう言って彦三郎は俺の部屋を出た。
それでようやく、ドッドッドと心臓が滅茶苦茶に鳴っていることに気が付く。
食われるかもしれないという恐怖はこれほどまでなのか。
その夜、久しぶりに俺は寝付くことが出来なかった。
翌朝、思ったよりもけろっと彦三郎に「おはよう、兄さん」と言われて思わず叫んでしまう。
「き、昨日のあれ、は何だったんだいったい」
「さあ。悪霊化しかけてる発作だろ」
当たり前の様に彦三郎は言う。
「妖怪、物の怪の類の医者っていうのは……」
「聞いたことないな」
即答されてしまい思わず項垂れる。
「今回はもうおさまったから、大丈夫だぜ」
朗らかに言われても次がいつあるのかも分からない。
「生贄とかそんなもんが必要なのか?」
まさか。と彦三郎は笑う。
「生贄に生贄が必要って、そりゃあ何かのギャグだろ」
笑い飛ばしても不安はぬぐえない。
けれど彦三郎は話はそれでお終いとばかりに「オムレツを作るぞ」と伝えてきた。
その日から、部屋につっかえ棒をして眠る様になった。
怖いからじゃない。防犯のためだ。
ある夜の事だった。
その日は特に普通に暑い日だったと記憶している。
別に一日掃除をして洗濯をして、少し彦三郎と話をして。別に他の日と違う事なんて一つも無かった。
家鳴りを聞いた記憶もないし、彦三郎に苛立った様子も無かった。
明日はオムレツに挑戦するとノートパソコンのレシピサイトを眺めながら彦三郎は普通に話していた。
「何、なんだよ!?」
嫌な感覚に、思わず叫ぶ。
「あー、くそ。なんでお前そんな良い匂いなんだ」
彦三郎が苛立った様に言う。
夜自分の部屋に戻って一旦寝てしまった後だ。
布団にのしかかる様に彦三郎が馬乗りになっていた。
目が化け物の様に爛々と光っていることだけが分かる。
障子は締まっているのに、彦三郎の事だけは良く見える。
家がギシリと鳴る。家鳴りというのは何回聞いてもよい気分はしない。
「なんだそれ。化け物は人の子を食べたい的なアレか?」
俺が言うと、彦三郎は舌打ちを一回した。
「別に妖怪が人間を食うなんぞ迷信だ。
俺は人を食いたがる妖なんぞ見たことが無い」
大抵、人が喰われただの消えただのっていうのは、人間の世界の妄想だ。
彦三郎は「人が夢想するよりも、妖には力なんてないんだよ」と言う。
「じゃ、じゃあ、なんで旨そうだ……なんて」
それに力が無いというのは嘘だ。
本当に力が無いのであれば、彦三郎はこんなところに閉じ込められたりしていない筈だ。
そんなこと位俺にも分かるのに、何故こんなことを言うのだろうか。
試されていると思うのは、大体において被害妄想なのだという事を、人とのコミュニケーションが少ないなりに知っている。
だから今回も、俺の何かを試しているのでないのだろう。
考え事を始めてしまったせいだろうか。それとも腹がすいたからなのだろうか。
彦三郎は俺の手を取ると、ベロリと舐めた。
ぬめっとした感触が気色悪い。
「うをっ?!」
思わず出た声は完全に裏返っていて、出させた張本人は声を上げて笑った。
「もっと、怖がってくれてもいいのよ」
普段使わないような言葉遣いで彦三郎が言う。
それから「あー、やっぱりアンタ旨いわ」と言った。
本能というものを日頃感じたことはあまり無い。
けれど、今ばかりは、鳥肌がたってしまうのが分かる。それは多分、被食者としての本能なのだろう。
「……ただ、悪霊は喰ってしまうらしい」
食べても何の意味もないのに、腹が減ってたまらなくなる。
「詳しいなあ」
思わず考えたことを、口に出してしまう。
「蛇の道は蛇ってな」
ニヤリと笑って、彦三郎は言った。
「……じゃあ、お前の食べたいってよくは何なんだよ?」
生前からの興味とも思えない。
「さあ? 悪霊化し始めてるのかもしれねえな」
「他に、人を喰う妖はいないのか?」
「他? ……しいて言えば、神に近いもんが生贄を食うって話を聞いたことがあるが、最近はもうないだろ」
まるで他人事の様に彦三郎は言う。
今日月が出ていたかも思い出せない。
暗闇のはずなのに彦三郎の顔があまりにもはっきり見えてしまうことが恐ろしい。
「で、なに? 悪霊になっちゃうから食べさせてって?」
俺の言葉に彦三郎は面白そうに笑う。
つまりはそういう事だろうか。
「そうだ。と言ったら?」
この仕事は危険手当ってやつが必要な部類のものだったという事なのだろうか。
はっきり言ってそんな給料はもらっていない。
「ふざけんな!! そんなもんはもっとちゃんと給料を払ってから言ってくれ!」
思ったより自分の活舌がよかったことに驚いた。
「あは。あははは」
けれどこれは食われるか? と思ったところで彦三郎がまるで子供みたいに笑いだした。
そう言えば似たような事があったことを思い出した。
「面白いな、兄さん」
「……もしかして、冗談ってやつ」
それは笑えないと言おうとしたところで「いや。腹が減ってるのは事実だ」と彦三郎は答えた。
「何か作るか? 夜食っぽい」
少なくとも人間が材料でない何か食べ物を。という言葉は飲み込む。
「食べ物じゃ腹は膨れないって前も言っただろ?」
今日は面白かったからもう大丈夫。
そう言って彦三郎は俺の部屋を出た。
それでようやく、ドッドッドと心臓が滅茶苦茶に鳴っていることに気が付く。
食われるかもしれないという恐怖はこれほどまでなのか。
その夜、久しぶりに俺は寝付くことが出来なかった。
翌朝、思ったよりもけろっと彦三郎に「おはよう、兄さん」と言われて思わず叫んでしまう。
「き、昨日のあれ、は何だったんだいったい」
「さあ。悪霊化しかけてる発作だろ」
当たり前の様に彦三郎は言う。
「妖怪、物の怪の類の医者っていうのは……」
「聞いたことないな」
即答されてしまい思わず項垂れる。
「今回はもうおさまったから、大丈夫だぜ」
朗らかに言われても次がいつあるのかも分からない。
「生贄とかそんなもんが必要なのか?」
まさか。と彦三郎は笑う。
「生贄に生贄が必要って、そりゃあ何かのギャグだろ」
笑い飛ばしても不安はぬぐえない。
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