座敷童様と俺

渡辺 佐倉

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 三日ほど前からテレビのニュースで大雨の予報は流れていた。
 けれど、どこか他人事だったので、避難所がどこにあるのかさえも知らない。

 買い物に出かけた時に子供が通学しているのを見たことがあるから、あのあたりに小学校でもあるのかもしれない。多分そこが避難所というくらいの知識しかない。
 自分のいる地域が、明らかに警報地域に入って初めて慌てるのだからどうしようも無い。

 それにそもそも、こいつは逃げられるのか。
 相変わらずのんびりとテレビを見ている彦三郎を見る。

 いよいよ外は薄暗く、ザーザーを通りこしてバシャバシャと雨が降り続いている。

 終わりかけのアジサイの花が雨で揺れていた。

 梅雨というのはいつもこんなに、どんよりとしていただろうか。


「そういや、お前は避難しないのかい?」

 彦三郎に言われ、言葉に詰まる。

「彦三郎は、どうするんだよ」

 苦し紛れの返答に、彦三郎はため息をつく。

「俺はこの家から出られないだろう?」

 当たり前の様に彦三郎は言った。




「屋敷からは出られないし、そもそもこの家が無くなったら、俺も消えてなくなる筈だ」

 疑念も何も持たせない言い方だった。
 そういうものだ。という確認の様な言い方だ。

 雨はますます強まっている様で、ごうごうと音がしている。
 スマートフォンの警報が鳴り響く。
 それは正直耳が痛くなるような音で、そう何度も聞きたいものでは無かった。

 彦三郎は微笑んだ。それはやはり子供のそれとはまるで違っていて、達観している様に見えた。

「これからまだ、雨は強くなる。
この家だけはとも思うが、俺の力じゃ多分無理だな、こりゃ。」

 龍神様にでも頼まなきけりゃ、どうにもなんねえな、と彦三郎は笑う。

「いや、まだこの家に影響がある位降るって決まったわけじゃねえし。
そもそも、彦三郎がこの家から、絶対に出られないって話でもないだろ」

 彦三郎を残してここを出ていきたくは無かった。

 ちょっと買い物に行くっていうのとは訳が違う。
 ここが水につかるかもしれないし、土砂崩れが起きるかもしれないから避難するという話なのだ。


「ここだけ、運よくなんともないって事は……」
「無いとは言わねないが、俺の力でどうにかなるっていう範囲じゃないよ兄さん」

 彦三郎は普通だ。
 雨音がうるさい。

 彦三郎が何故死んだかは知っている。
 また、ここがもう一度土砂崩れにみまわれたらなんて考えたくも無い。

「この家に何かあっても彦三郎は無事なんだよな?」

 声がバカみたいに震えている。

「兄さんは仕事でここにいるんだろ?
仕事は災害の時には休みになるって聞いたぜ」

 俺の問いへの返事以外の言葉が返ってきたのが答えなのだろう。

 数日前まで、ただ穏やかなだけの日々だったじゃないか。



 俺たちが彦三郎を怪し気な術で閉じ込めているから、うちの一族は安泰なのだ。
 逆に言えば、その術さえ壊してしまえば、彦三郎は外に出られるということだ。

 札《ふだ》を無理矢理剥がせればいいのだろうか。
 それとも――

「なあ、前に少しだけでいいから、俺の事を食べさせてくれって言っていたよな」

 彦三郎は何も返さない。
 けれど、否定もしなかった。

 狐の妖怪は供物が必要だと言っていた。
 それがあれば彦三郎は力が増すと。

 生贄が一番手っ取り早いというのは理解している。
 それであれば俺でいいのではないのか。

「俺を少しかじれば、ここから出られるのか?」

 二人で避難できるのであれば、ある程度の事は諦めよう。

 チカ、チカ、と電気照明がついては消えをして、またついた。
 いよいよ嵐の様な暴風雨が近づいているのか。それとも俺の言葉が彦三郎を苛立たせたのかは分からない。

 けれど、すぐに灯りは元に戻った。

 彦三郎の顔は、怖い位無表情だった。

 ごくりと息を飲んだのは、俺だったのか、それとも彦三郎だったのか。

「生贄を食えば、出られるかもしれないけれど――」

 彦三郎が言いよどむ。




「けど?」

 俺が聞き返すと、彦三郎はようやく顔に表情をのせる。

「……座敷童では、無くなるだろうな」

 人食い座敷童なんぞ、聞いたことが無いだろうと彦三郎は苦笑を浮かべる。

「でも、それしか方法が無いのなら、仕方がないだろ!!」

 自分でも驚く位大きな声が出た。
 彦三郎も驚いた顔でこちらを見ている。

「それで、悪霊あたりになった俺を、お前はちゃんと退治してくれるのか?」

 ひゅっと、自分の喉から変な音が出た。
 前に悪霊とやらになってしまった彦三郎の事を考えたことがある。

 夜に俺の肉を旨そうだと言っていたあの狂気じみた顔を思い出す。


 だけど――

「……その時は絶対に俺がなんとかする」

 それに、なってもいないことを心配するよりも、今差し迫っていることを心配するべきだ。

「分かった」

 彦三郎は静かに言った。

「じ、じゃあ、札を燃やすべきか」

 俺が言うと「待て」と止められる。

「後でいい。
悪霊になってしまった時、俺は多分兄さんを襲ってしまうから」

 ちょうど近くに雷が落ちた様だった。
 稲光がして、どんという大きな音が鳴った。

 電気はついに止まってしまったようで、薄暗い。

 まだ夕方も早い時間なのに、まるで夜の様だ。

「スマホを灯り代わりにするから……」

 スマートフォンを取り出そうとすると、彦三郎に止められる。

「妖の目には、この位の方がよく見える」

 彦三郎はいつものニヤリとした笑みではなく、悲しそうな笑顔を浮かべていることが、薄暗がりでも分かる。

「そんな顔するな」

 彦三郎がそんな顔をする必要は、全く無い。
 だって、俺が決めたことなのだから。




「少し食えば大丈夫な筈だから」

 彦三郎は淡々と言う。努めて無機質に言っていることが分かって、ただ頷き返すことにとどめた。

「どうぞ」

 利き手とは反対側の手を、握手をするみたいに彦三郎に差し出す。

 彦三郎はその手にそっと触れると「本当にいいんだな」と聞いた。俺は「いいんだよ」と答えた。

 彦三郎が取った手に力が入るのが分かる。

 それから、手の甲に彼の唇がふれて、そのが歯が皮膚に当たったところまでは状況が理解できた。

 子供の歯は小さいとか、そんなことを考える間もなく、激痛がした。

 悲鳴だけはと思って歯を食いしばるが、反射的に引いてしまった手を、彦三郎がつかんで引き戻す。
 この時の彦三郎の顔が、俺の手にかぶさる様にかみついていたため、よく見えなかったのはラッキーだった。
 どんな表情をしていても、俺は多分ショックを受けてしまっただろう。

「ごめん」

 くぐもった声は、口に何かを含んでいるからだろうか。それとも彦三郎が、別の何かになりかかっているからだろうか。

 けれど、それが全くの見当違いだということがすぐに分かった。

「何、泣いてるんだよ」

 俺が声をかけると彦三郎は、一瞬ビクリと震えると、少し顔をあげた。

「兄さんも泣いてるじゃねーか」
「痛たいんだから、当たり前だと。ほらとっとと済ませろ」

 俺の涙は、単に肉が引きちぎられる痛みで出ただけだった。

 ジュルジュルと血を啜る音が聞こえる。

 というかこれは血だよな……。細かいことを考えるとグロすぎて駄目だ。
 けれど、何も考えないと、痛みが酷く感じてしまう。


 ぶちぶちと何かが切れる音がして、ようやく彦三郎は顔をあげた。
 口元には血が付いていて、何故だかこちらが居たたまれない気分になる。

 すぐに彦三郎は口を拭う。自分自身の方口に口を押し付けていたが、今日の彦三郎の服が濃い色のTシャツで良かった。
 

 そこでようやく、自分の手当てが必要なことに思い至った。
 といっても、何をすべきかはあいまいだ。

 そもそもこの家に救急箱というやつはあるのだろうか。
 ジンジンと手は痛んだままだ。




 彦三郎が再び俺の手を取った。思わずかたまると「もう食いやしねえよ」とだけ言った。

 手に持っているのは手拭で、それを器用に俺の手に巻き付けた。

「あとで病院とやらに、ちゃんと行けよ」
「そんなことより彦三郎は大丈夫か?ここから出られそうか?」

 俺は聞きながらスマートフォンを取り出す。
 思ったより時間は経っていなかった。

 避難をしなければならない。


 その時だった。スマートフォンが丁度着信音をあげた。
 父の名前だった。


 思わず出ると「晴泰!?ああやっとつながった。お前今どこにいるんだ!?」と悲痛な叫び声の様な声で聞こえた。

「今家で、これから避難するとこだけど」

 ザーザーと、父との通話は雑音が入ってしまっている。
 とぎれとぎれにしか聞えないが、叫ぶように父が何かを言っているのだけは分かる。

「座敷童様は……、諦めろ。
別の…………。とにかく、晴泰だけでも……」


 それは親として、当たり前の願いなのかもしれない。けれど、それは逆効果というやつだった。

 スマートフォンの通話を切ると彦三郎を見る。

 もう一度「出られそうか?」と聞いた。


 彦三郎は頷く。
 あとは札を何とかすればいい。

 掃除をしている時、かなりの数の札の場所は把握していた。

 まずは、と床の間の柱に貼ってある札にライターの火を近づける。
 本当にそれで何とかなるのかは知らないが、他に方法が思い浮かばない。

「本当にいいのか?」

 彦三郎が聞く。

「それが無ければ、俺は角脇家の座敷童じゃなくなるぞ」

 また問答か。そんなものはとっくに自分で決めているのだ。

「もしかしたら、ここは無事乗り切れるかもしれない」

 その時に――。彦三郎は含める様に言う。

「お前の責任ってことになるぞ」

 彦三郎の言った内容は、それこそいまさらだ。


「それが?」


 そう言いながら俺は、柱に張り付いていた焼け焦げた札を、無理矢理剥がした。


 二枚、三枚と剥がしていく。
 今まで何をしても剥げやしなかった札が思いのほか簡単にはがれていく。

「どうだ? 感じ違うか?」

 彦三郎に聞くと「そんな何枚かじゃ大して変わらねーよ」と言われる。

 そんなものかと思っていると、低い妙なおとがする。
 とても嫌な音だった。

「こりゃあ、地響きってやつだな。」

 彦三郎が言う。

「札を地道に外してる時間は無い。今すぐ逃げるぞ!」

 土砂崩れがすぐに起きる。
 まるで先の事が分かっているみたいに彦三郎が言った。

 事実分かっているのだろう。
 彦三郎は土砂崩れ死んだのを見たのだ。俺も夢でこの音を聞いた気がする。

 俺はとぎれとぎれの夢でしかみていないけれど、彼はこんな暴風雨を見たことがあるのだろう。




「でもまだっ!!」

 俺が叫ぶと彦三郎は冷静に言った。

「最悪、玄関の結界さえ解けば無理矢理逃げられる」

 そんなことは初めて聞いた。

「玄関だな!!」

 あそこはドアの上に一枚、反対側にも一枚、柱に一枚、下駄箱の上にも何かよく分からない箱に、大量の札が貼らせていた。

 急いでその札を燃やして剥いでから、箱は一瞬悩んで外に放り投げようと思った。

「馬鹿!!」

 彦三郎が叫ぶ。これを敷地外に出してしまえばいいんじゃないのか?

 彦三郎は何を知っているのだろう。音が先ほどより大きくなった。
 
 家鳴りが聞こえる。
 家がきしむ音だ。

 まずいと思った。彦三郎の方が年上で彼は人間では無くて今俺の手の皮を少し食べた事はもう頭に無かった。

 何かを叫んでいる彦三郎に覆いかぶさる。

 あの時と一緒だ。
 彦三郎が死ぬときと。

 また、同じ経験はさせたくなかった。守ってやりたかった。




 思っていた、衝撃の様なものは無かった。
 息もできる。

 ぼんやりと目の前が光っている気がする。

 次の瞬間ぼんやりと光っていた筈の光がはじけて、俺と彦三郎は吹き飛ばされる。

 まばゆい光は、彦三郎が外に出ようとしたときに見えた稲光の様なものを思い出させる。

「彦っ……!!」

 思わず叫んで意味不明に吹き飛ばされた彦三郎に手を伸ばす。

 視界の先にあった筈の彦三郎がぶれる。ゆがむように滲むように一瞬視界が崩れたかと思った。

 けれどそれは違った。
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