switch【D/Sユニバース】

楽川楽

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第2章

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 ガヤガヤと賑やかな大学の構内で、俺は非常に不愉快な視線に晒されていた。
 こちらを見るどの視線も俺を馬鹿にしており、嘲っているのが伝わってくる。分かっている。全てはこの首にはめられた、黒い異物のせいだと言うことは。
 
 災厄は、今から三日前の心華やぐ金曜の夜。久しぶりに参加した合コンにてこの身に降りかかった。
 相手はDomの中でも有名なDom堕とし、別名〝Switch〟の異名を掲げる派手な容姿の男、清宮だ。奴の手によって堕ちたDomは、命令をするよりもされることに生き甲斐と快感を覚える犬に成り下がる。そんな噂が実しやかに囁かれていた中で、まさか己の身を実践に使われるとは思いもしなかった。
 Domの代表的な力〝Glareグレア〟を差し向けられれば俺の視界はグルグルと回って、躰はあっと言う間に平伏した。意識は見上げたその先にある清宮の瞳に吸い込まれたまま、全身が、細胞が清宮からの命令を待っていた。本能が、快楽を求めて走り出していた。そうして気づけば俺はバスタブの中で清宮に後ろから抱きしめられていて、その首には漆黒の首輪が着けられていた。
 異物に気づき直ぐに驚き外そうとしたが、首輪の鍵はびくともしない、外れない。
 
『ふっ、ふっ、ふざっけんなよぉお!!』
 
 風呂場の中に響き渡る自分の情けない声が、馬鹿みたいに今も耳にこだましている。それを穏やかに笑いながら見ている清宮は、確かにDomたる風格を漂わせていた。
 必死にもがいて外そうとする俺の腕をやんわりと止めた清宮は、混乱で紅く染まった耳にそっと囁いた。
 
『そんなに掻き毟っちゃ……ダァメ。肌に傷がついちゃうでしょう?』
 
 緩く柔く耳朶を擽る甘い声。全身の肌がぞくりと粟立って、しかし躰の奥は燻ぶる熱を産んだ。それに気づいた清宮は喉をクツクツと震わせると、そのまま俺の首に舌を這わせ舐め上げた。
 
『今も、これから先も。伊沢くんの肌に痕をつけて良いのは俺だけ。……ね?』
 
 Subに目覚めた俺がDomの誘惑を受け流せる訳がなく…。その後も散々、俺は清宮の遊びに付き合わされ、肌に痕を残される羽目になった。
 ただでさえアイツの寄こした首輪は無駄に高級そうで目立つのに、その下にある肌が明らかに怪我ではない紅で染められているから、周りの目の好奇を更に強めている。中にはDom性を丸出しにして、舌なめずりするように俺を見る奴もいたほどだ。
 
「ちくしょう……」
 
 何度目か分からないその呟きに一ミリの救いもないことは、俺が一番、分かっている。
 
 
 ◇
 
 
「なぁ、アンタだろ? いま噂になってるDomって」
 
 太陽が西に傾き、空が藍に侵され始めたそのころ。俺は自身が通う大学の最寄り駅で見知らぬ男に声をかけられた。
 
「……はぁ?」
 
 朝から散々好奇の目に晒されてきたのだ、その噂とやらが何を指しているのかなんて考えなくても分かった。だがその男の顔に見覚えはなく、同じ大学の生徒なのかどうかも定かではない。一体何者だろうかと疑心を露わにすれば、男は目を細めて笑った。
 
「そんなに警戒すんなって、俺も同じDomなんだよ」
「だからなんなんだよ。大体、お前誰だよ」
「ああ……、俺ね」
 
 そう言って口元を吊り上げる男の笑みにうすら寒さを覚える。
 
「俺、アンタを堕としたDomと同じ大学に通ってんだけど」
「……清宮と?」
 
 清宮の名前を出した瞬間、男の笑顔が僅かに引き攣った。
 
「うん、そう。ほら、彼って色んな意味で有名人だからさ、俺の大学でもアンタの件がいま凄い騒がれてて。合コンに参加してない俺の耳にまで届いてるんだ。アンタ有名人だよ」
「で? それでお前はわざわざ、ここまで、堕とされた俺を馬鹿にしに来たってわけか?」
 
 ギッ、と強く睨み付ければ、男はまた胡散臭い笑みを浮かべた。

「違う違う。俺はただ、アンタと話がしたくて」
「だからってなんで俺なんだよ。清宮に堕とされた奴なんて、他に幾らでもいるだろ?」
「他じゃ駄目なんだッ!」
 
 突然興奮した男は声を荒げ距離を詰めると、俺の腕を乱暴に掴み上げた。周りの視線が一斉に俺たちに向いたのが、感覚だけで分かった。
 
「こんな所で話していると目立つ。アンタもこれ以上見られちゃ困るだろ? なんたってここは、アンタの大学のすぐ近くだ。噂だってあっと言う間に広まる」
「てっめぇ……何がしたいんだよッ」

 イラつきを露わにした俺をみて、男の目は益々狂気と興奮を滲ませ弧を描くように歪んだ。

「ちょっとそこの路地裏まで、ついてきてよ」





 人目を気にして、素直について行った俺が馬鹿だったんだ。男は多分、清宮の手に堕ちたDomのひとりだ。

「何でお前なんだよォオ!」
「あぐッ!」

 男が繰り出した蹴りが見事俺の腹に直撃し、胃の中のモノがせり上がる。まだ夕飯を入れる前の胃袋だったから、吐き出されたのは先ほど飲んだ安物のお茶くらいだったが。
 男は俺を暗がりに連れ込んだ途端殴りかかってきた。なんで、どうしてと訳の分からない事ばかりを叫んで一方的に振るわれる暴力に、ただ俺は躰を丸めて耐えるしか術がない。返り討ちにする腕なんて、俺は持ち合わせちゃいないのだから。
 だが幾らひ弱だからと言って、永遠に黙って殴られ続けるのも癪だ。

「どうして、どうしてお前がそれを着けてんだよ! なんで首輪なんて貰ってんだよォ!」
「しッ、知るかよクソがッ!!」
「ぎあぁあっ!!」

 戦う腕の無い、俺らしい反撃。必殺、地面の砂投げ。
 コンクリートの端に僅かに溜まっていた砂を顔面めがけて投げてやれば、それは見事男の目を潰したようだった。
 俺は慌てて男の足元から這いずって出る。

「何でなんて、俺が知るわきゃねぇだろこのボケ! 俺だってこんなクソみてぇな首輪取りてぇわ!」

 そのまま痛む躰を引きずって、表の通りまで這いずり出ようと腕を伸ばした、その時。

「みぃつけたぁ」

 四つん這いになった俺の目の前に、グレイカラーのフェルト生地で作られた、お洒落なハイカットのスニーカーがひょこりと顔を出す。恐る恐るそのスニーカーから繋がる足を辿り上を見上げれば、そこには軽薄そうな笑みを浮かべているであろう男が立っていた。逆光で、実際は口元しか見えなかったけど。

「……きよ……みや?」
「探したよぉ、伊沢くぅん」

 目の前に現れた清宮の姿に呆気に取られる俺の後ろで、なんで、と小さく震える声が溢れ落ちた。

「ねぇ、何してんのこんなとこでぇ」
「は……」
「大学まで迎えに行ったのに、〝さっき帰ったッポイ〟とか言われるし。駅まで急いで探しに来てみれば、知らない子に声かけられるしさぁ。それで言われてこっちに来てみれば、伊沢くんは他のDomと居るしぃ、すっごい蹴られてるしぃ…。ねぇ、そこに突っ立ってるお前さぁ……マジでこの子に、なにしてくれてんの…?」

 グンと温度が下がった空気の中で、逆光のはずなのに、清宮の瞳が鈍く光った気がした。
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