【番外編更新】死に戻り皇帝の契約妃〜契約妃の筈が溺愛されてます!?〜

【２章】約束と欲

22.お渡り（後編）

　お茶を淹れるのは心を落ち着けるのに好都合だった。ポットから温かい湯気が立ち上り、匙に載せた茶葉がほのかに香る。

　宮女時代は下働きだから、誰かにお茶を淹れることなんてなかった。本当だったら表向き『妃』である今も、自らお茶を淹れる必要はないらしい。
　だけど、アーネスト様はあまり侍女達を部屋に入れたがらないし、わたしのお茶を美味しいと言って飲んでくれるのが嬉しいから。気づいたらお茶を淹れるのはわたしの役割になっていた。


（なんて、そろそろ現実に向き合わないと）


　小さくため息を吐きつつ、視界の端にアーネスト様をチラリと捉える。


（今夜、アーネスト様はここに泊る気だろうか？）


　そう考えると、胸がドキドキと鳴り響く。彼が妃の元に通っていると見せかけることはわたしの契約の一つだ。そのために、これまでもずっとこの部屋で一緒に眠ってきたというのに、ついついそんなことを考えてしまう。


（……ん？）


　ティーカップにお茶を注ぎながら、わたしは思わず首を傾げた。今夜のお茶は、いつもに比べて何となく色が濃い。


（おかしいなぁ……いつもと同じように淹れたのに）


　カミラがいつの間にか茶葉を変えたのだろうか。それとも、ボーっとし過ぎたのだろうか。そんなことを思いつつ、淹れたばかりのお茶を試しに一口飲んでみる。


「⁉」


　けれどその瞬間、そのお茶のあまりの苦さに、わたしは思わず咽込んだ。唾液が口いっぱいに広がり、得も言われぬ匂いが鼻をつく。


「ミーナ？」


　アーネスト様が怪訝な顔をして立ち上がった。


「す、すみません。久々過ぎて失敗してしまったみたいです」


　そう言って頭を下げつつ、わたしはホッと胸を撫で下ろす。


（危なかった。もう少しでアーネスト様に不味いお茶を飲ませてしまう所だった）


　こんなお茶、とてもじゃないけどアーネスト様に飲ませられない。非礼を詫びつつ、改めてカミラにお茶を準備してもらおうと思っていたら、アーネスト様は首を横に振った。


「お茶は良いから、こっちで話をしよう。ミーナと話したいことが色々とあるんだ」


　あまり気乗りしなかったものの、わたしは大人しくアーネスト様の隣に腰掛ける。次いで、視線が真っ直ぐに注がれるのが分かった。凄く気まずい。チラリとアーネスト様を見ると、彼はとても穏やかに笑っていた。


（……意識しすぎ、だよね）


　ゆっくりとアーネスト様を見て、わたしも笑う。そしたらアーネスト様は目を細めてわたしの頭を撫でた。


「ようやく仕事が少し落ち着いたんだ。本当はもっと早く会いに来たかった。これからはまた、金剛宮で眠れると思うから」

「そうですか。お仕事が落ち着いて良かったです。エスメラルダ様の所にも通われていないってお聞きしていたので」


　言えば、アーネスト様はキョトンと目を丸くして首を傾げる。どうしてそんな反応をするのか分からなくて、わたしも一緒になって傾げた。


「どうしてそこでエスメラルダが出てくるの？」

「どうしてって……だって、エスメラルダ様は本当のお妃様ですし。折を見て通わないといけないでしょう？」


　寧ろ何でそんな質問をされるのか、わたしには分からない。けれど、アーネスト様はわたしの返答がお気に召さなかったのか、ツンと唇を尖らせた。


「俺は今、ミーナの話しかしていないんだけど」

「わたしにとってはアーネスト様のお話でしたよ」

「――――俺はミーナの話がしたい」


　そう言ってアーネスト様はわたしの頬に触れた。胸のあたりがムカムカする。何だか動悸までしてきた。


「わたしがお話できることなんて――――」

「ミーナは俺に会いたかった？」

「！　ま……また、そういうことをっ」


　心臓がギュッと収縮する。頬に一気に熱が集まった。


「俺はミーナに会いたかったよ」


　アーネスト様がそう言ってわたしの手を握る。


「なんっ…………」


　なんで、って聞きたくなって、わたしは必死に口を噤んだ。聞いて一体どうしようというのだろう。胸が音を立てて軋む。苦しい。喉がひどく熱い。熱くて、ビリビリ痺れる。
　何かがおかしい――――。


「うっ……！あっ！」


　その瞬間、身体がドクンと跳ねて硬直し、胃の中身が勢いよく逆流した。アーネスト様が驚きに目を見張る。彼の目の前で、わたしは口を押さえて蹲った。止めようと思っても止められない。次いで身体中が氷みたいに冷たくなって、どこもかしこも思うように動かなくなった。


「ミーナ！」


　アーネスト様がそう言ってわたしの顔を覗き込む。視界がぼやけ、明滅する。眼球が飛び出しそうな感覚に、思わず目を瞑った。


（気持ち悪い）


　堪えきれず、また胃の中身を嘔吐する。こんなところ、アーネスト様に見られたくなんてない。涙がポロポロと流れた。


「ミーナ！　しっかりして、ミーナ！」


　アーネスト様がわたしの背を擦る。彼の声がどこか遠くに聴こえる。指先が冷たい。身体がちっとも動かない。


（アーネスト様……）


　ぼやけた視界の中、アーネスト様が泣いているように見える。こんな時にまで、わたしは自分の都合の良いように物事を捉えるようになってしまった。迷惑でしかないはずなのに。アーネスト様がわたしを心配してくれているように――――惜しんでくれているように見える。


（わたし、死んじゃうのかな？）


　寒い。ガタガタと震えるわたしの身体を、アーネスト様が抱き締めた。耳元でアーネスト様が叫んでいるのが分かるけど、何て言ってるのかちっとも聞こえない。怖い。怖くて堪らない。だけど――――。


（もしもこれでアーネスト様が死なずに済むなら……）


　アーネスト様を守れたのなら、本望だ。死に戻った甲斐がある。本当に、神様に感謝しなくちゃならない。
　霞む意識の中、わたしは辛うじて笑顔を浮かべる。アーネスト様へありったけの感謝と、愛情を込めて。彼がわたしを思い出して苦しまないようにと――――そう祈りながら。