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【3章】黒幕と契約妃
32.取引
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その日、わたしは翠玉宮にいた。
「それで、私にお話とは?」
エスメラルダ様は優雅に微笑み、そっと首を傾げる。二人きりで話したいことがあるからと、時間を作ってもらったのだ。
「――――――エスメラルダ様に折り入ってお願い事がございます」
いつも親しくしていただいているエスメラルダ様だけれど、今日はいつもより緊張感が伴う。「何かしら?」と穏やかに目を細めるエスメラルダ様に、わたしは深呼吸を数回してから、ゆっくりと頭を下げた。
「わたしはアーネスト様の妃に――――皇后に相応しい女性になりたいと、そう思っています」
言えば、エスメラルダ様は静かに息を呑んだ。
「おこがましいことは重々承知しています。この間まで平民だったわたしが皇后になりたいだなんて――――ものすごく分不相応だって。侮辱と受け取られてしまうのではないか……そう考えもしました。けれどわたしは、アーネスト様の想いに応えたいのです」
心臓がドキドキと鳴り響き、身体が小刻みに震える。
アーネスト様はわたしを手放さないと――――新たな妃を迎えないとそう言った。それは、わたしにとっては堪らなく嬉しいことだけど、世間はわたしと同じようには考えない。クォンツに限らず、自分の娘を後宮に上げられない有力貴族たちは間違いなく良く思わないだろうし、平民出身の妃を国民がどう捉えているのかも分からない。
(今はまだ、世継ぎへの期待があるから良い)
けれど一年後、五年後、十年後――――もしもわたしに子どもが出来なかったら?ううん、エスメラルダ様やベラ様にも子が出来なくて、馬鹿な女に入れあげたせいだとアーネスト様がそしりを受けるようなことがあったら?――――そうなったら、わたしは自分を許せない。
アーネスト様は批判を一身に引き受ける覚悟があるのだと思う。『ミーナは気にする必要ない』って笑って許してくれるとも思う。
だけどそれ以上に、アーネスト様はわたしに期待を寄せてくれているのだと思った。人々の批判を吹き飛ばせるぐらい――――アーネスト様の決断が正しかったと皆が認めるぐらい、立派な妃になれると、そう信じてくれているのだと、わたしは捉えた。
「こんなこと、同じ妃であるエスメラルダ様にお願いするのは筋違いだと思います。けれどわたしは、もっともっと、妃としての自分を磨きたい。そのために、エスメラルダ様――――あなたの力を貸していただきたいのです」
毎日、ほんの少しでもいい。前に向かって歩んでいきたい。そのために、誰よりも美しく誇り高いエスメラルダ様に、その道を指し示してほしい……そう思った。
「頭を上げてください、ミーナ様」
エスメラルダ様はそう言った。緊張で指先が凍える。恐々とエスメラルダ様の表情を窺うと、彼女は穏やかに微笑んでいた。
「そう……ミーナ様は陛下の隣に立つ覚悟をなさったのですね」
エスメラルダ様は窓の外をぼんやりと見つめ、小さく息を吐く。憂いを帯びた瞳がほのかに揺れ動いている。その表情は呆れているのとも、怒っているのとも違う。俄かには読み取れない、複雑な表情をしていた。
(どうなさったんだろう?)
想像していた反応と違っていて、わたしもどうすれば良いか分からない。
しばしの沈黙。やがてエスメラルダ様は意を決したように、徐に口を開いた。
「ミーナ様――――私からもミーナ様に折り入ってお話したいことがございます」
いつも凛としたエスメラルダ様の声が、今日は少しだけ震えている。
「どうか誰にも――――決して口外しないとお約束ください。ミーナ様と私、それから陛下だけの秘密にしていただきたいのです」
エスメラルダ様はそう言うと、真剣な面持ちでわたしを見つめた。
「分かりました。お約束いたします」
そう言ってわたしは、ゆっくりと頭を下げる。
彼女が何を話そうとしているのかは全く分からない。けれど、こんなにも不安気なエスメラルダ様を見るのは初めてだった。余程大きな秘密を抱えているに違いない。
(そんな秘密を、どうしてわたしに?)
疑問を抱きつつ、わたしはエスメラルダ様をじっと見つめる。エスメラルダ様は何かを躊躇う様にそっと目を伏せ、それから大きく深呼吸をした。
「初めて陛下が翠玉宮にいらっしゃった夜――――私は陛下にとある取引を持ち掛けられました」
「……取引、ですか?」
思わぬ話の出だしに、わたしは小さく首を傾げる。エスメラルダ様は小さく頷くと、ゆっくりと目を開き、わたしを見つめた。
「私にはずっと……片思いをしている男性がいるのです。元々身分違いで、叶わぬ恋であることは分かっていました。入内が決まっていよいよ諦めなければならない――――忘れなければならないと、そう思いました。
けれど、できなかった。彼は私の一部で、どうしても無くてはならない存在で……何だかんだと理由付けをして後宮まで連れてきてしまう程、私は彼に恋焦がれていたのです。この恋が実らずとも、せめて側に居てほしいと――――――」
その瞬間、わたしは大きく目を見開いた。
(コルウス様だ)
エスメラルダ様は――――ううん、エスメラルダ様もコルウス様のことを想っていた。二人は両想いだったのだ。
「入内をした以上、妃としての務めを果たさねばなりません。陛下の子を産まなければならない……けれど私は嫌だった。コルウス以外の人に触れられることが、どうしても受け入れられなかったのです。
そんな私を見抜いていたのでしょうか――――初めて翠玉宮にいらっしゃった夜、陛下はこう仰いました
『取引をしよう、エスメラルダ――――理想的な妃として振る舞うこと――――それさえあれば、君には他に、何も求めない。君の元に通っている素振りは必要だけれど、俺は一切君に触れない。そう約束する』
と」
エスメラルダ様の言葉に、わたしは大きく息を呑む。
(え……? 一体、どういうこと?)
エスメラルダ様は、神妙な面持ちでこちらを見つめていた。わたしがどんな反応をするのか怯えているらしい。身体が小刻みに震え、顔が青白くなっていた。
「一度も――――約束は破られていないのですか?」
正直言って、俄かには信じがたい話だった。だって、エスメラルダ様はわたしとは違って、知性的で家柄も良い、本当に理想的なお妃様で。金剛宮以外でアーネスト様が通われるのは、翠玉宮――エスメラルダ様の所だと、そう聞いていたというのに。
「ミーナ様の仰る通りです。陛下は一度だって約束を違えることはありませんでした。嬉しかった――――しかし、それと同時に、私は大きな罪悪感を抱えていたのです」
俯きつつ、エスメラルダ様の声が小刻みに震える。こちらまで心が締め付けられるような、そんな心地がした。
「本来ならば私が陛下の子を産み、次の皇帝を育てることが期待されています。もしも後宮が無かったら、妃となっていたのは私かソフィア様のどちらかだったでしょうから……。それなのに、私は妃としての務めを放棄し、己の私利私欲に走りました。
……妃を辞そうと思ったことも、一度や二度ではございません。務めを果たせない己が堪らなく情けなく、恥ずかしい。
けれど陛下が『ここを出てもコルウスとは結ばれない。他の貴族と結婚させられて、離れ離れにされるぐらいなら、後宮に居た方が良いのではないか』と、そう仰ってくださって」
いつも凛としているエスメラルダ様が、ポロポロと止め処なく涙を流す。
(そうか……そうだったんだ…………)
契約妃はわたしだけじゃなかった――――――エスメラルダ様も、アーネスト様の契約妃だったのだ。
アーネスト様の言う通り、きっとこれは、彼女の恋心を守る唯一の方法だったのだと思う。身分の違うエスメラルダ様とコルウス様が結ばれることは無い。しかも、貴族の御令嬢は未婚を貫くことが出来ないというし、彼女の想いを尊重して白い結婚を貫いてくれる男性なんて存在しないだろう。
けれど、責任感の強いエスメラルダ様にとって、それは諸刃の剣だったのだろう。恋心を守れることを喜び、その分だけ務めを果たせぬ己に傷つく。彼女はその傷を、ずっとずっと一人で隠して生きてきたのだ。
「――――ですから先程、ミーナ様が私に力を貸してほしいと言ってくださって……私は嬉しかった。ここに居ても良い理由が出来たような、そんな気がしたのです」
エスメラルダ様はそう言ってわたしの手を優しく握る。
「きっと陛下はこんな日が来ることを見越して、私をここに留められたのだと思います。私がミーナ様の矛と盾になれるようにと、そう願って。
ですからミーナ様、どうか申し訳ないなどと思わないで。私は本当に、嬉しいのです。これは妃として私が陛下のためにできる唯一のこと。私の全てで、あなたに皇后への道を示すことをお約束いたします」
「エスメラルダ様……」
それは紛うことなき、エスメラルダ様の本心だった。わたしには分かる。わたしもずっと『ここに居ても良い理由』を探していたから。
「改めて、よろしくお願いいたします」
そう言ってわたし達は微笑み合う。晴れ晴れとしたエスメラルダ様の表情を見ていると、心がほんのりと温かくなる。
(いつか、エスメラルダ様にも打ち明けられるだろうか)
わたしがアーネスト様の契約妃だったこと。お話できる日が来たら良いなと思いつつ、わたしは一人目を瞑る。感慨深さに胸が震えた。
「失礼いたします、ミーナ様!」
けれどその時、ノックと共にカミラの慌てた声音が聞こえてきて、わたしは一気に現実に引き戻される。
「どうしたの、カミラ?」
今は人払いをして、エスメラルダ様と二人きり。余程のことがない限り、声を掛けないよう伝えてある。それに、いつもそつのないカミラがこんなに慌てるなんて珍しい。
エスメラルダ様と目配せをして、わたしはカミラに部屋へ入るよう促した。
「お話の最中に申し訳ございません。至急、ミーナ様のお耳に入れたい情報がございまして」
そう言うカミラの顔は青ざめていた。ダラダラと汗を掻き、尋常じゃない様子だ。わたしはカミラの元に向かうと、彼女の身体をそっと支えた。
「落ち着いて、一体どうしたの?」
わたしの言葉に、カミラはフルフルと首を横に振る。
「ミーナ様……ロキ様が…………ロキ様がっ!」
その時、わたしは自分の耳を疑った。
「ロキ⁉ ロキがどうかしたの⁉」
思わずわたしは身を乗り出す。カミラは浅い呼吸を繰り返しつつ、絶望的な瞳をわたしに向ける。心臓がギュッと軋み、わたしはゴクリと唾を呑んだ。
「ロキ様が暴徒に襲われて、崖から転落したと――――――」
その瞬間、目の前が真っ暗になる心地がした。
「それで、私にお話とは?」
エスメラルダ様は優雅に微笑み、そっと首を傾げる。二人きりで話したいことがあるからと、時間を作ってもらったのだ。
「――――――エスメラルダ様に折り入ってお願い事がございます」
いつも親しくしていただいているエスメラルダ様だけれど、今日はいつもより緊張感が伴う。「何かしら?」と穏やかに目を細めるエスメラルダ様に、わたしは深呼吸を数回してから、ゆっくりと頭を下げた。
「わたしはアーネスト様の妃に――――皇后に相応しい女性になりたいと、そう思っています」
言えば、エスメラルダ様は静かに息を呑んだ。
「おこがましいことは重々承知しています。この間まで平民だったわたしが皇后になりたいだなんて――――ものすごく分不相応だって。侮辱と受け取られてしまうのではないか……そう考えもしました。けれどわたしは、アーネスト様の想いに応えたいのです」
心臓がドキドキと鳴り響き、身体が小刻みに震える。
アーネスト様はわたしを手放さないと――――新たな妃を迎えないとそう言った。それは、わたしにとっては堪らなく嬉しいことだけど、世間はわたしと同じようには考えない。クォンツに限らず、自分の娘を後宮に上げられない有力貴族たちは間違いなく良く思わないだろうし、平民出身の妃を国民がどう捉えているのかも分からない。
(今はまだ、世継ぎへの期待があるから良い)
けれど一年後、五年後、十年後――――もしもわたしに子どもが出来なかったら?ううん、エスメラルダ様やベラ様にも子が出来なくて、馬鹿な女に入れあげたせいだとアーネスト様がそしりを受けるようなことがあったら?――――そうなったら、わたしは自分を許せない。
アーネスト様は批判を一身に引き受ける覚悟があるのだと思う。『ミーナは気にする必要ない』って笑って許してくれるとも思う。
だけどそれ以上に、アーネスト様はわたしに期待を寄せてくれているのだと思った。人々の批判を吹き飛ばせるぐらい――――アーネスト様の決断が正しかったと皆が認めるぐらい、立派な妃になれると、そう信じてくれているのだと、わたしは捉えた。
「こんなこと、同じ妃であるエスメラルダ様にお願いするのは筋違いだと思います。けれどわたしは、もっともっと、妃としての自分を磨きたい。そのために、エスメラルダ様――――あなたの力を貸していただきたいのです」
毎日、ほんの少しでもいい。前に向かって歩んでいきたい。そのために、誰よりも美しく誇り高いエスメラルダ様に、その道を指し示してほしい……そう思った。
「頭を上げてください、ミーナ様」
エスメラルダ様はそう言った。緊張で指先が凍える。恐々とエスメラルダ様の表情を窺うと、彼女は穏やかに微笑んでいた。
「そう……ミーナ様は陛下の隣に立つ覚悟をなさったのですね」
エスメラルダ様は窓の外をぼんやりと見つめ、小さく息を吐く。憂いを帯びた瞳がほのかに揺れ動いている。その表情は呆れているのとも、怒っているのとも違う。俄かには読み取れない、複雑な表情をしていた。
(どうなさったんだろう?)
想像していた反応と違っていて、わたしもどうすれば良いか分からない。
しばしの沈黙。やがてエスメラルダ様は意を決したように、徐に口を開いた。
「ミーナ様――――私からもミーナ様に折り入ってお話したいことがございます」
いつも凛としたエスメラルダ様の声が、今日は少しだけ震えている。
「どうか誰にも――――決して口外しないとお約束ください。ミーナ様と私、それから陛下だけの秘密にしていただきたいのです」
エスメラルダ様はそう言うと、真剣な面持ちでわたしを見つめた。
「分かりました。お約束いたします」
そう言ってわたしは、ゆっくりと頭を下げる。
彼女が何を話そうとしているのかは全く分からない。けれど、こんなにも不安気なエスメラルダ様を見るのは初めてだった。余程大きな秘密を抱えているに違いない。
(そんな秘密を、どうしてわたしに?)
疑問を抱きつつ、わたしはエスメラルダ様をじっと見つめる。エスメラルダ様は何かを躊躇う様にそっと目を伏せ、それから大きく深呼吸をした。
「初めて陛下が翠玉宮にいらっしゃった夜――――私は陛下にとある取引を持ち掛けられました」
「……取引、ですか?」
思わぬ話の出だしに、わたしは小さく首を傾げる。エスメラルダ様は小さく頷くと、ゆっくりと目を開き、わたしを見つめた。
「私にはずっと……片思いをしている男性がいるのです。元々身分違いで、叶わぬ恋であることは分かっていました。入内が決まっていよいよ諦めなければならない――――忘れなければならないと、そう思いました。
けれど、できなかった。彼は私の一部で、どうしても無くてはならない存在で……何だかんだと理由付けをして後宮まで連れてきてしまう程、私は彼に恋焦がれていたのです。この恋が実らずとも、せめて側に居てほしいと――――――」
その瞬間、わたしは大きく目を見開いた。
(コルウス様だ)
エスメラルダ様は――――ううん、エスメラルダ様もコルウス様のことを想っていた。二人は両想いだったのだ。
「入内をした以上、妃としての務めを果たさねばなりません。陛下の子を産まなければならない……けれど私は嫌だった。コルウス以外の人に触れられることが、どうしても受け入れられなかったのです。
そんな私を見抜いていたのでしょうか――――初めて翠玉宮にいらっしゃった夜、陛下はこう仰いました
『取引をしよう、エスメラルダ――――理想的な妃として振る舞うこと――――それさえあれば、君には他に、何も求めない。君の元に通っている素振りは必要だけれど、俺は一切君に触れない。そう約束する』
と」
エスメラルダ様の言葉に、わたしは大きく息を呑む。
(え……? 一体、どういうこと?)
エスメラルダ様は、神妙な面持ちでこちらを見つめていた。わたしがどんな反応をするのか怯えているらしい。身体が小刻みに震え、顔が青白くなっていた。
「一度も――――約束は破られていないのですか?」
正直言って、俄かには信じがたい話だった。だって、エスメラルダ様はわたしとは違って、知性的で家柄も良い、本当に理想的なお妃様で。金剛宮以外でアーネスト様が通われるのは、翠玉宮――エスメラルダ様の所だと、そう聞いていたというのに。
「ミーナ様の仰る通りです。陛下は一度だって約束を違えることはありませんでした。嬉しかった――――しかし、それと同時に、私は大きな罪悪感を抱えていたのです」
俯きつつ、エスメラルダ様の声が小刻みに震える。こちらまで心が締め付けられるような、そんな心地がした。
「本来ならば私が陛下の子を産み、次の皇帝を育てることが期待されています。もしも後宮が無かったら、妃となっていたのは私かソフィア様のどちらかだったでしょうから……。それなのに、私は妃としての務めを放棄し、己の私利私欲に走りました。
……妃を辞そうと思ったことも、一度や二度ではございません。務めを果たせない己が堪らなく情けなく、恥ずかしい。
けれど陛下が『ここを出てもコルウスとは結ばれない。他の貴族と結婚させられて、離れ離れにされるぐらいなら、後宮に居た方が良いのではないか』と、そう仰ってくださって」
いつも凛としているエスメラルダ様が、ポロポロと止め処なく涙を流す。
(そうか……そうだったんだ…………)
契約妃はわたしだけじゃなかった――――――エスメラルダ様も、アーネスト様の契約妃だったのだ。
アーネスト様の言う通り、きっとこれは、彼女の恋心を守る唯一の方法だったのだと思う。身分の違うエスメラルダ様とコルウス様が結ばれることは無い。しかも、貴族の御令嬢は未婚を貫くことが出来ないというし、彼女の想いを尊重して白い結婚を貫いてくれる男性なんて存在しないだろう。
けれど、責任感の強いエスメラルダ様にとって、それは諸刃の剣だったのだろう。恋心を守れることを喜び、その分だけ務めを果たせぬ己に傷つく。彼女はその傷を、ずっとずっと一人で隠して生きてきたのだ。
「――――ですから先程、ミーナ様が私に力を貸してほしいと言ってくださって……私は嬉しかった。ここに居ても良い理由が出来たような、そんな気がしたのです」
エスメラルダ様はそう言ってわたしの手を優しく握る。
「きっと陛下はこんな日が来ることを見越して、私をここに留められたのだと思います。私がミーナ様の矛と盾になれるようにと、そう願って。
ですからミーナ様、どうか申し訳ないなどと思わないで。私は本当に、嬉しいのです。これは妃として私が陛下のためにできる唯一のこと。私の全てで、あなたに皇后への道を示すことをお約束いたします」
「エスメラルダ様……」
それは紛うことなき、エスメラルダ様の本心だった。わたしには分かる。わたしもずっと『ここに居ても良い理由』を探していたから。
「改めて、よろしくお願いいたします」
そう言ってわたし達は微笑み合う。晴れ晴れとしたエスメラルダ様の表情を見ていると、心がほんのりと温かくなる。
(いつか、エスメラルダ様にも打ち明けられるだろうか)
わたしがアーネスト様の契約妃だったこと。お話できる日が来たら良いなと思いつつ、わたしは一人目を瞑る。感慨深さに胸が震えた。
「失礼いたします、ミーナ様!」
けれどその時、ノックと共にカミラの慌てた声音が聞こえてきて、わたしは一気に現実に引き戻される。
「どうしたの、カミラ?」
今は人払いをして、エスメラルダ様と二人きり。余程のことがない限り、声を掛けないよう伝えてある。それに、いつもそつのないカミラがこんなに慌てるなんて珍しい。
エスメラルダ様と目配せをして、わたしはカミラに部屋へ入るよう促した。
「お話の最中に申し訳ございません。至急、ミーナ様のお耳に入れたい情報がございまして」
そう言うカミラの顔は青ざめていた。ダラダラと汗を掻き、尋常じゃない様子だ。わたしはカミラの元に向かうと、彼女の身体をそっと支えた。
「落ち着いて、一体どうしたの?」
わたしの言葉に、カミラはフルフルと首を横に振る。
「ミーナ様……ロキ様が…………ロキ様がっ!」
その時、わたしは自分の耳を疑った。
「ロキ⁉ ロキがどうかしたの⁉」
思わずわたしは身を乗り出す。カミラは浅い呼吸を繰り返しつつ、絶望的な瞳をわたしに向ける。心臓がギュッと軋み、わたしはゴクリと唾を呑んだ。
「ロキ様が暴徒に襲われて、崖から転落したと――――――」
その瞬間、目の前が真っ暗になる心地がした。
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