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5.溺愛する契約妻との離婚を回避するため、口下手侯爵が記憶喪失のフリをしたところ
3.
***
その日以降、僕はできる限りメリルと過ごす時間を増やした。これまでなら伝えられずに飲み込んできた気持ちをできる限り言葉にし、メリルにぶつけてみた。そのたびにメリルは「ありがとうございます」と笑ってくれたけれど、実際のところ僕のことをどんなふうに思っているかはわからない。
と同時に、僕は多忙を極めていた。
「兄さん、引き継ぎの資料のことなんだけど」
「……ああ」
あとほんの数日で、弟のリーマスが成人する。そうすれば侯爵位はリーマスのものだ。
彼の誕生日当日は夜会を開き、そこで盛大に当主交代を祝うことになっている。
――つまり、その日がメリルと僕のタイムリミットだ。
(時間がない)
本当は、もっと早くにこうすればよかったのだろう。しかし、失われた時間は戻ってこない。残された時間、努力するしかないのだ。
「ねえ、俺に当主の座を譲ったあとはどうする気なの?」
リーマスがそう尋ねてくる。僕は資料をめくりながら、ちらりとリーマスを見た。
「王都にある侯爵家名義の屋敷を一つもらって、文官に戻るよ」
それこそが、僕が元々予定していた人生だ。父さえ早死にしていなかったら、僕はただの文官として、メリルに出会うこともなく王都で暮らしていただろう。
「それじゃあ義姉さんのことは? どうする気?」
リーマスがまた質問を投げかけてきた。こたえようとして――けれどなんと返せばいいかわからず、僕は押し黙ってしまう。そんな僕を見かねてか、リーマスはさらに質問を重ねてきた。
「ロバートから兄さんたちの結婚の経緯は聞いた?」
「ああ」
記憶を失ったふりをした翌日、使用人頭のロバートからメリルとの契約結婚について説明を受けた。他人から聞く僕たちの状況というのは中々に歪で、聞いててとても苦しくなった。
と同時に、誰も僕が記憶を失ったという話が本当か疑わなかったことに、僕は心底驚いていた。どうやら僕のメリルに対する態度があまりにも違うので『間違いない』と断定されてしまったらしい。
「ねえ、このままじゃ義姉さんは兄さんの元から離れていってしまうんじゃない?」
「……わかっている。けれど、元々そういう契約だろう?」
自分で言ってて悲しくなる。
名家の侯爵だから。
お金を持っているから。
契約があるから。
だから今は僕と結婚をするメリットがある。
だけど、もうすぐ僕はそれらすべてを失ってしまう。
(本当は僕についてきてほしい)
そう伝えられたらいいのに、まったくもって自信がない。今はまだ、断られる未来しか見えない。
「それじゃあ俺が義姉さんに求婚してもいいって――そういうことだよね?」
「……は?」
リーマスはそう言い残すと、執務室から出ていってしまった。
(リーマスがメリルを?)
そんなこと、ありえない――とは言えない。
メリルはリーマスをとてもかわいがっていたし、リーマスはリーマスで彼女によく懐いていた。加えて、メリルは侯爵夫人としての役割を立派に果たしてくれたし、男ならばメリルに惹かれるのは当然のことだ。メリルのほうが五歳年上だなんて些細なこと、なんの障壁にもならない。
(メリルが他の男のものになる)
そんなこと、考えたこともなかった。僕が心配していたのはもっぱら、メリルが僕の元からいなくなってしまうことで、その後に別の誰かがメリルを――なんてことは思い至らなかったのである。
(嫌だ)
苦しくて、気持ち悪くて、体をかきむしりたいような衝動に駆られた。
心優しいメリルのことだ。きっと誰と結婚しても、その人を春の日だまりのような温かさで包み込むのだろう。僕にそうしてくれたように。
リーマスと結婚したほうがきっと、メリルは幸せになれるだろう。僕なんかと結婚するより、よほど。
(嫌だ)
嫌だ。
嫌だ――。
胸が苦しくてたまらなかった。
その日以降、僕はできる限りメリルと過ごす時間を増やした。これまでなら伝えられずに飲み込んできた気持ちをできる限り言葉にし、メリルにぶつけてみた。そのたびにメリルは「ありがとうございます」と笑ってくれたけれど、実際のところ僕のことをどんなふうに思っているかはわからない。
と同時に、僕は多忙を極めていた。
「兄さん、引き継ぎの資料のことなんだけど」
「……ああ」
あとほんの数日で、弟のリーマスが成人する。そうすれば侯爵位はリーマスのものだ。
彼の誕生日当日は夜会を開き、そこで盛大に当主交代を祝うことになっている。
――つまり、その日がメリルと僕のタイムリミットだ。
(時間がない)
本当は、もっと早くにこうすればよかったのだろう。しかし、失われた時間は戻ってこない。残された時間、努力するしかないのだ。
「ねえ、俺に当主の座を譲ったあとはどうする気なの?」
リーマスがそう尋ねてくる。僕は資料をめくりながら、ちらりとリーマスを見た。
「王都にある侯爵家名義の屋敷を一つもらって、文官に戻るよ」
それこそが、僕が元々予定していた人生だ。父さえ早死にしていなかったら、僕はただの文官として、メリルに出会うこともなく王都で暮らしていただろう。
「それじゃあ義姉さんのことは? どうする気?」
リーマスがまた質問を投げかけてきた。こたえようとして――けれどなんと返せばいいかわからず、僕は押し黙ってしまう。そんな僕を見かねてか、リーマスはさらに質問を重ねてきた。
「ロバートから兄さんたちの結婚の経緯は聞いた?」
「ああ」
記憶を失ったふりをした翌日、使用人頭のロバートからメリルとの契約結婚について説明を受けた。他人から聞く僕たちの状況というのは中々に歪で、聞いててとても苦しくなった。
と同時に、誰も僕が記憶を失ったという話が本当か疑わなかったことに、僕は心底驚いていた。どうやら僕のメリルに対する態度があまりにも違うので『間違いない』と断定されてしまったらしい。
「ねえ、このままじゃ義姉さんは兄さんの元から離れていってしまうんじゃない?」
「……わかっている。けれど、元々そういう契約だろう?」
自分で言ってて悲しくなる。
名家の侯爵だから。
お金を持っているから。
契約があるから。
だから今は僕と結婚をするメリットがある。
だけど、もうすぐ僕はそれらすべてを失ってしまう。
(本当は僕についてきてほしい)
そう伝えられたらいいのに、まったくもって自信がない。今はまだ、断られる未来しか見えない。
「それじゃあ俺が義姉さんに求婚してもいいって――そういうことだよね?」
「……は?」
リーマスはそう言い残すと、執務室から出ていってしまった。
(リーマスがメリルを?)
そんなこと、ありえない――とは言えない。
メリルはリーマスをとてもかわいがっていたし、リーマスはリーマスで彼女によく懐いていた。加えて、メリルは侯爵夫人としての役割を立派に果たしてくれたし、男ならばメリルに惹かれるのは当然のことだ。メリルのほうが五歳年上だなんて些細なこと、なんの障壁にもならない。
(メリルが他の男のものになる)
そんなこと、考えたこともなかった。僕が心配していたのはもっぱら、メリルが僕の元からいなくなってしまうことで、その後に別の誰かがメリルを――なんてことは思い至らなかったのである。
(嫌だ)
苦しくて、気持ち悪くて、体をかきむしりたいような衝動に駆られた。
心優しいメリルのことだ。きっと誰と結婚しても、その人を春の日だまりのような温かさで包み込むのだろう。僕にそうしてくれたように。
リーマスと結婚したほうがきっと、メリルは幸せになれるだろう。僕なんかと結婚するより、よほど。
(嫌だ)
嫌だ。
嫌だ――。
胸が苦しくてたまらなかった。
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