好きな人の婚約が決まりました。好きな人にキスをされました。

鈴宮(すずみや)

文字の大きさ
29 / 36
【3章】伯爵家侍女メアリーの場合

7.心の準備

しおりを挟む
 ジェラルドはそれからしばらくの間、メアリーのことを抱き締めてくれていた。
 はじめはそれで良かったものの、段々と精神状態が落ち着いていくにつれ、メアリーは居たたまれない気持ちになっていく。


(どうしよう……これ、どうしたら良いの?)


 背中を、頭を優しく撫でられ、ちっとも止まる気配がない。放って置いたら、ジェラルドは延々とメアリーのことを甘やかし続けるだろう。

 嬉しい――――けれど恥ずかしい。

 なんと言えば良いかも分からず、メアリーは真っ赤に染まった頬をジェラルドの胸に埋め続けた。


(……良い香り)


 彼の服から香ってくるのは上品で甘いコロンの香りだ。王都で流行っているものだろうか? 昔はちっとも洒落っ気がなかったのに、いつの間にか色気づいてしまったらしい。


(一体何の……誰のために?)


 思わずそんなことを考えて、メアリーの胸がツキンと痛む。

 誰か好きな人でもできたのだろうか? その人のために変わったのだろうか?

 ――――仮にそうだとしても、平民の自分には関係ない。主人の私生活を詮索するなど侍女失格だ。愚かなことを考えた自分が、メアリーはひどく腹立たしかった。


「ありがとう、ジェラルド。もう大丈夫だよ」


 胸を押し返そうとして、拒まれる。メアリーは先ほどよりも強く、ジェラルドに抱き締められていた。


「ジェラルド、あの……」

「せっかくだし、もう少しこうさせてよ。前にも言っただろう? お前のこと、抱き締めたいって」

「あ……」


 ジェラルドを王都へ送り出したときの記憶がありありと蘇る。メアリーの全身がカッと熱を帯びた。


「だけど……」

「――――俺にこうされるの、嫌?」


 耳元で響く掠れた声音。メアリーはゴクリと唾を飲み、小さく首を横に振った。


「嫌じゃない……けど、ダメだと思う」

「ダメ? なんで?」


 相変わらず、ジェラルドの声音はどこか普段と違っている。甘えるような、縋るような――――それでいて、メアリーから何かを引きずり出そうとしているような、そんな印象を受けてしまう。


「だってわたしたちは……」


 雇い主と侍女だから――――そう言おうとしたところで、メアリーははたと口を噤む。

 ジェラルドは以前、メアリーのことを使用人とは思っていないと話していた。同じ話を繰り返すことは建設的ではない。第一、この話題を深掘りするのは危険だと直感していた。


「アカデミーはどう? 楽しい?」

「え? ……ああ、楽しいし充実してるよ。だけど、あそこにはメアリーが居ないから」


(~~~~またそういう……)


 せっかく話題を変えたのに、甘い空気から中々抜け出せない。メアリーが小さく息を吐くと、ジェラルドがクスクスと笑い声を上げた。


「周りは俺なんて目じゃないぐらい優秀な人ばかりでさ。すごく勉強になるし、行ってよかったと思ってるよ。再来年には王太子も入学してくる予定だしな。
俺、今のうちにアカデミーと王都で人脈を作って、今後に役立てたいと思っているんだ」

「そっか……すごいね。ジェラルドはいつか伯爵様になるんだもんね」


 メアリーとは違い、ジェラルドはしっかりと将来のことを見据えている。
 こんなふうに抱き締められていても、段々とメアリーの手の届かない人になっていく。メアリーの胸が小さく軋んだ。


「……そうやって、簡単に線を引くなよな。
俺は別に爵位を継ぐために頑張ってるわけじゃないんだから」

「え? 違うの?」


 ジェラルドは嫡男だ。当然伯爵位を継ぐ予定だし、そのために頑張っているものだと思っていたのだが。


「違うよ。俺はただ、大事なものを守るための力が欲しいだけだ。そりゃ、父上はまだ認めてくれていないけど、それでも俺は自分の考えを曲げるつもりはない」


 その瞬間、二人の視線が静かに絡む。
 何故だか居たたまれなくなって、メアリーはそっと顔を背けた。


「そっか……よくわからないけど、頑張ってね」

「ああ、頑張る。……だけど長いな。あと二年半か」


 切なげに響くジェラルドの声。なんと答えればいいか分からず、メアリーは静かに目を伏せた。


「手紙、書けよ」

「……うん」

「次、頼ってくれなかったら、怒るからな」

「…………うん。ごめんね」

「謝らなくて良いんだって。俺はただ、メアリーに甘えてほしいだけだから」


 あんなに甘えん坊だったジェラルドが、今度は甘えられる側になろうとしている。それがなんだかおかしくて、メアリーはクスクスと笑い声を上げた。


「――――帰りたくないな」

「……? 頑張るんじゃなかったの?」


 そう思ったのも束の間、ジェラルドはやはりジェラルドだった。先ほどとは正反対のひどく甘えた口調で呟くものだから、メアリーはついつい意地悪な表情を浮かべてしまう。


「それはそうなんだけど! 一緒にいると欲が出るっていうか……本当は俺、結構ギリギリなんですけど」

「ギリギリ? なにが?」


 不思議に思いつつ、メアリーはジェラルドをそっと見上げる。
 すると、濡れた瞳がメアリーのことをまじまじと見つめていた。

 熱い眼差し。ジェラルドの喉が上下する。
 唇を、頬を、額を優しく撫でられているかのような心地がし、メアリーはそっと身を捩る。それはまるで、捕食される直前の動物のような気分だった。


(ギリギリって……ギリギリって…………)


 先ほどの問いかけに明確な答えを貰えたわけではない。けれどメアリーは、これ以上詳細を尋ねたいとは思わなかった。


「……長いな。あと二年半か」


 先ほどとまったく同じ言葉を繰り返し、ジェラルドは大きくため息を吐く。
 彼はメアリーをちらりと見遣り、それからギュッと抱き締め直す。


「――――今のうちに、ちゃんと心の準備をしておけよな」


 次いで紡がれた別の言葉に、メアリーの喉が熱く焼け付くような心地がした。


(準備ってなんの?)


 ついついそう尋ねたくなるが、聞けば後戻りができなくなる。
 メアリーはグッと言葉を飲み込みながら、何も分からないふりをした。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

王子様への置き手紙

あおた卵
恋愛
フィオナは王太子ジェラルドの婚約者。王宮で暮らしながら王太子妃教育を受けていた。そんなある日、ジェラルドと侯爵家令嬢のマデリーンがキスをする所を目撃してしまう。ショックを受けたフィオナは自ら修道院に行くことを決意し、護衛騎士のエルマーとともに王宮を逃げ出した。置き手紙を読んだ皇太子が追いかけてくるとは思いもせずに⋯⋯

白い結婚を捨てた王妃は、もう二度と振り向かない ――愛さぬと言った王子が全てを失うまで』

鍛高譚
恋愛
「私は王妃を愛さない。彼女とは白い結婚を誓う」 華やかな王宮の大聖堂で交わされたのは、愛の誓いではなく、冷たい拒絶の言葉だった。 王子アルフォンスの婚姻相手として選ばれたレイチェル・ウィンザー。しかし彼女は、王妃としての立場を与えられながらも、夫からも宮廷からも冷遇され、孤独な日々を強いられる。王の寵愛はすべて聖女ミレイユに注がれ、王宮の権力は彼女の手に落ちていった。侮蔑と屈辱に耐える中、レイチェルは誇りを失わず、密かに反撃の機会をうかがう。 そんな折、隣国の公爵アレクサンダーが彼女の前に現れる。「君の目はまだ死んでいないな」――その言葉に、彼女の中で何かが目覚める。彼はレイチェルに自由と新たな未来を提示し、密かに王宮からの脱出を計画する。 レイチェルが去ったことで、王宮は急速に崩壊していく。聖女ミレイユの策略が暴かれ、アルフォンスは自らの過ちに気づくも、時すでに遅し。彼が頼るべき王妃は、もはや遠く、隣国で新たな人生を歩んでいた。 「お願いだ……戻ってきてくれ……」 王国を失い、誇りを失い、全てを失った王子の懇願に、レイチェルはただ冷たく微笑む。 「もう遅いわ」 愛のない結婚を捨て、誇り高き未来へと進む王妃のざまぁ劇。 裏切りと策略が渦巻く宮廷で、彼女は己の運命を切り開く。 これは、偽りの婚姻から真の誓いへと至る、誇り高き王妃の物語。

結婚後、訳もわからないまま閉じ込められていました。

しゃーりん
恋愛
結婚して二年、別邸に閉じ込められていたハリエット。 友人の助けにより外に出ることができ、久しぶりに見た夫アルバートは騎士に連行されるところだった。 『お前のせいだ!』と言われても訳がわからなかった。 取り調べにより判明したのは、ハリエットには恋人がいるのだとアルバートが信じていたこと。 彼にその嘘を吹き込んだのは、二人いたというお話です。

【短編】クリスマスに元妻とバッタリ

月下花音
恋愛
【完結済み・全5話】 クリスマスイブの六本木。 四十五歳のあつこと田中さん(47歳)に、最悪の偶然が襲いかかる。 現れたのは田中さんの元妻—— ・カシミヤの白いコート ・完璧な美貌 ・成功者の現夫 対する私たちは: ・ユニクロのダウン ・背中と腰にカイロ ・慰謝料で困窮する現実 「お似合いよ」 元妻の一言が、格差という現実を突きつける。 高級フレンチから路地裏のたこ焼きへ。 プライドはズタズタでも、二人で食べるたこ焼きは温かかった。 ★こんな人におすすめ★ ・離婚経験がある ・経済的に苦労している ・格差社会に疲れている ・それでも希望を見つけたい 「勝ち組になれなくても、幸せにはなれる」 底辺からの愛の物語。 # 注意事項 ※離婚、慰謝料、経済格差などの重いテーマが含まれます ※社会的弱者の描写がありますが、希望のある結末です

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

五歳の時から、側にいた

田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。 それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。 グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。 前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

捨てられ侯爵令嬢ですが、逃亡先で息子と幸せに過ごしていますので、邪魔しないでください。

蒼月柚希
恋愛
公爵様の呪いは解かれました。 これで、貴方も私も自由です。 ……だから、もういいですよね? 私も、自由にして……。 5年後。 私は、ある事情から生まれ育った祖国を離れ、 親切な冒険者パーティーと、その地を治める辺境伯様のご家族に守られながら、 今日も幸せに子育てをしています。 だから貴方も勝手に、お幸せになってくださいね。 私のことは忘れて……。 これは、お互いの思いがこじれ、離れ離れになってしまった一組の夫婦の物語。 はたして、夫婦は無事に、離婚を回避することができるのか?

処理中です...