9 / 35
9.華凛のお願い(2)
しおりを挟む
妹が言い出したのは思いもよらないことだった。わたしは目を丸くしながら、大きく身を乗り出す。
「外に出たいって、華凛……」
「ビックリさせてごめんなさい。でもわたくし、後宮があまりに退屈で。外の世界が恋しくなってしまって……」
華凛はそう言って悲し気に目を細めた。
(そりゃあそうだよなぁ)
望んで後宮入りしたとはいえ、夫である憂炎が来ないのでは後宮にいる意味がない。
おまけに全ての自由を奪われているのだ。少しぐらい外で羽を伸ばしたくなるのも頷ける。
「もちろん、ずっとだなんて申しません。ほんの2~3日の間で構わないのです。入れ替わっている間、姉さまがしてくださっている憂炎とのお仕事は、当然わたくしが引き継ぎますわ。宮殿の地図と、簡単な引き継ぎさえあれば何とかなると思いますの」
「――――そうね。わたしの仕事の方は大丈夫だと思う。大したことを任されていないし。でも……」
(入れ替わっている間に、万が一憂炎が訪ねてきたらどうしよう)
ふとそんな考えが頭を過る。
後宮の外で憂炎と会うのとは訳が違う。
あいつが後宮を訪れること――――それは即ち、わたしが妃としての務めを求められることを意味する。
(無理だ……あいつとどうこうなんて考えられない)
わたしにとって憂炎は、何処まで行っても従兄弟――――親友だ。受け入れられる筈がない。
「――――姉さま、きっと憂炎は参りませんわ。
どうして彼が姉さまの入内を望んだかはわかりませんが、こうして2ヶ月の間、わたくしたちの間には何もなかったんですもの。それなのに、わたくし達が入れ替わっているたった2~3日の間にどうこうなるなんて考えられませんわ」
「そうね……確かにそうかも」
まるで独り言のように、わたしは小さく相槌を打つ。
華凛が言うことはもっともだ。
大丈夫――――憂炎はここには来ない。
来やしない。
だけどわたしの頭の中には、わたしを妃に望んだあの日の憂炎の姿が鮮明に残っていた。
『俺はずっと、凛風しかいないと思って生きてきた』
憂炎の言葉が、眼差しが胸を焦がす。
入内した『凛風』の元に通わないくせに。
『凛風』でなく『華凛』を溺愛しているくせに――――。
そう思うけど、心のどこかに引っかかってしまうのだ。
「――――分かった」
気づけばわたしはそう口にしていた。
自分の返答に驚きつつ『やっぱなし』と口を開きかけたわたしの手を、華凛はギュッと握りしめた。
「本当ですか⁉ 嬉しい……ありがとうございます、姉さま」
華凛はそう言って満面の笑みを浮かべる。この子がこんな風に喜ぶのは珍しい。余程慣れない後宮生活が堪えたのだろう。
(そうだよな……3日間ぐらい交代してやらないとな)
わたしが華凛なら2か月間も耐えきれなかったと思う。そう思うと、このぐらいの罪滅ぼしして然るべきだろう。
(それにしても、『凛風』の元に憂炎が通っていないなら、いよいよ『華凛』を妃にするべく動かないと)
憂炎があの調子なら、華凛が一言『妃にしてほしい』とか『憂炎が好き』と囁くだけで目的を達成できそうだ。
(どうせなら入れ替わっている間に、華凛自身に動いて欲しいところけど)
嬉しそうな華凛に水を差すのは忍びない。この計画を打ち明けるのはもう一度華凛と入れ替わる時でも遅くはないし、わたしが頑張ればいいだけだ。
それから数時間後、華凛は上機嫌で後宮を出ていった。
(頭重っ)
慣れない服装、髪型、化粧の香りに戸惑いつつ、わたしは心の中で悪態を吐く。
簪なんて一本で十分。なんなら着ける必要がない。
別に何処に出掛けるでも、誰に会うわけでもないのに。妃というのはこんなにも着飾らなければならない生き物なのだろうか――――そう思うと、入れ替わってたった数分間だというのにげんなりしてしまう。
とはいえ、『凛風』は『華凛』みたいにいつもおりこうさんでいる必要はない。肩をポキポキ鳴らそうが、だらけてようが当たり前で、誰も文句を言わないもの。
久しぶりに姿勢を崩して寛げることがわたしは心から嬉しかった。
(さぁーーて、これから3日間、めちゃくちゃ暇だろうなぁ)
後宮の醍醐味は他の妃とのバトルだろうが、憂炎の妃は現状『凛風』しか存在しない。現皇帝の妃たちから茶会に招かれることも無かろうし、一人でお茶をしたところで、長い一日の一瞬しか時間は潰せない。退屈に決まっている。
(後宮の探索とかしちゃダメかな? あとは宦官たちに手合わせしてもらうとか)
今のわたしは凛風なのだし、よく考えたら誰に遠慮する必要もない。そちらの方が憂炎から離縁される日も早まりそうだし、案外楽しめそうだ――――そう思いつつ、わたしは小さく笑みを漏らす。
「凛風さま、大変です!」
だけどその時、侍女の一人が血相を変えて部屋に飛び込んで来た。この子がこんなに取り乱しているのは珍しい。わたしは小さく首を傾げた。
「一体どうしたの?」
「失礼をして申し訳ございません! それが……憂炎さまが」
「――――憂炎? 憂炎がどうしたの?」
わたしの問い掛けに、侍女は息を切らし興奮した面持ちでわたしのことを見上げる。
「東宮さまがただ今、こちらに向かっていらっしゃいるそうなんです!」
「――――はぁ⁉」
その瞬間、わたしは思わず声を荒げた。
恐れていた事態の実現。驚きのあまり、頭がくらくらしてきた。
(憂炎がここに来る⁉ 何かの冗談だろう⁉)
信じられない――――信じたくない。
そんな気持ちのまま急いで窓の外を覗くと、遠くの方で数人分の灯りが揺れ動いているのが見える。
わたしは気が遠くなるような心地がした。
「外に出たいって、華凛……」
「ビックリさせてごめんなさい。でもわたくし、後宮があまりに退屈で。外の世界が恋しくなってしまって……」
華凛はそう言って悲し気に目を細めた。
(そりゃあそうだよなぁ)
望んで後宮入りしたとはいえ、夫である憂炎が来ないのでは後宮にいる意味がない。
おまけに全ての自由を奪われているのだ。少しぐらい外で羽を伸ばしたくなるのも頷ける。
「もちろん、ずっとだなんて申しません。ほんの2~3日の間で構わないのです。入れ替わっている間、姉さまがしてくださっている憂炎とのお仕事は、当然わたくしが引き継ぎますわ。宮殿の地図と、簡単な引き継ぎさえあれば何とかなると思いますの」
「――――そうね。わたしの仕事の方は大丈夫だと思う。大したことを任されていないし。でも……」
(入れ替わっている間に、万が一憂炎が訪ねてきたらどうしよう)
ふとそんな考えが頭を過る。
後宮の外で憂炎と会うのとは訳が違う。
あいつが後宮を訪れること――――それは即ち、わたしが妃としての務めを求められることを意味する。
(無理だ……あいつとどうこうなんて考えられない)
わたしにとって憂炎は、何処まで行っても従兄弟――――親友だ。受け入れられる筈がない。
「――――姉さま、きっと憂炎は参りませんわ。
どうして彼が姉さまの入内を望んだかはわかりませんが、こうして2ヶ月の間、わたくしたちの間には何もなかったんですもの。それなのに、わたくし達が入れ替わっているたった2~3日の間にどうこうなるなんて考えられませんわ」
「そうね……確かにそうかも」
まるで独り言のように、わたしは小さく相槌を打つ。
華凛が言うことはもっともだ。
大丈夫――――憂炎はここには来ない。
来やしない。
だけどわたしの頭の中には、わたしを妃に望んだあの日の憂炎の姿が鮮明に残っていた。
『俺はずっと、凛風しかいないと思って生きてきた』
憂炎の言葉が、眼差しが胸を焦がす。
入内した『凛風』の元に通わないくせに。
『凛風』でなく『華凛』を溺愛しているくせに――――。
そう思うけど、心のどこかに引っかかってしまうのだ。
「――――分かった」
気づけばわたしはそう口にしていた。
自分の返答に驚きつつ『やっぱなし』と口を開きかけたわたしの手を、華凛はギュッと握りしめた。
「本当ですか⁉ 嬉しい……ありがとうございます、姉さま」
華凛はそう言って満面の笑みを浮かべる。この子がこんな風に喜ぶのは珍しい。余程慣れない後宮生活が堪えたのだろう。
(そうだよな……3日間ぐらい交代してやらないとな)
わたしが華凛なら2か月間も耐えきれなかったと思う。そう思うと、このぐらいの罪滅ぼしして然るべきだろう。
(それにしても、『凛風』の元に憂炎が通っていないなら、いよいよ『華凛』を妃にするべく動かないと)
憂炎があの調子なら、華凛が一言『妃にしてほしい』とか『憂炎が好き』と囁くだけで目的を達成できそうだ。
(どうせなら入れ替わっている間に、華凛自身に動いて欲しいところけど)
嬉しそうな華凛に水を差すのは忍びない。この計画を打ち明けるのはもう一度華凛と入れ替わる時でも遅くはないし、わたしが頑張ればいいだけだ。
それから数時間後、華凛は上機嫌で後宮を出ていった。
(頭重っ)
慣れない服装、髪型、化粧の香りに戸惑いつつ、わたしは心の中で悪態を吐く。
簪なんて一本で十分。なんなら着ける必要がない。
別に何処に出掛けるでも、誰に会うわけでもないのに。妃というのはこんなにも着飾らなければならない生き物なのだろうか――――そう思うと、入れ替わってたった数分間だというのにげんなりしてしまう。
とはいえ、『凛風』は『華凛』みたいにいつもおりこうさんでいる必要はない。肩をポキポキ鳴らそうが、だらけてようが当たり前で、誰も文句を言わないもの。
久しぶりに姿勢を崩して寛げることがわたしは心から嬉しかった。
(さぁーーて、これから3日間、めちゃくちゃ暇だろうなぁ)
後宮の醍醐味は他の妃とのバトルだろうが、憂炎の妃は現状『凛風』しか存在しない。現皇帝の妃たちから茶会に招かれることも無かろうし、一人でお茶をしたところで、長い一日の一瞬しか時間は潰せない。退屈に決まっている。
(後宮の探索とかしちゃダメかな? あとは宦官たちに手合わせしてもらうとか)
今のわたしは凛風なのだし、よく考えたら誰に遠慮する必要もない。そちらの方が憂炎から離縁される日も早まりそうだし、案外楽しめそうだ――――そう思いつつ、わたしは小さく笑みを漏らす。
「凛風さま、大変です!」
だけどその時、侍女の一人が血相を変えて部屋に飛び込んで来た。この子がこんなに取り乱しているのは珍しい。わたしは小さく首を傾げた。
「一体どうしたの?」
「失礼をして申し訳ございません! それが……憂炎さまが」
「――――憂炎? 憂炎がどうしたの?」
わたしの問い掛けに、侍女は息を切らし興奮した面持ちでわたしのことを見上げる。
「東宮さまがただ今、こちらに向かっていらっしゃいるそうなんです!」
「――――はぁ⁉」
その瞬間、わたしは思わず声を荒げた。
恐れていた事態の実現。驚きのあまり、頭がくらくらしてきた。
(憂炎がここに来る⁉ 何かの冗談だろう⁉)
信じられない――――信じたくない。
そんな気持ちのまま急いで窓の外を覗くと、遠くの方で数人分の灯りが揺れ動いているのが見える。
わたしは気が遠くなるような心地がした。
15
あなたにおすすめの小説
冷徹宰相様の嫁探し
菱沼あゆ
ファンタジー
あまり裕福でない公爵家の次女、マレーヌは、ある日突然、第一王子エヴァンの正妃となるよう、申し渡される。
その知らせを持って来たのは、若き宰相アルベルトだったが。
マレーヌは思う。
いやいやいやっ。
私が好きなのは、王子様じゃなくてあなたの方なんですけど~っ!?
実家が無害そう、という理由で王子の妃に選ばれたマレーヌと、冷徹宰相の恋物語。
(「小説家になろう」でも公開しています)
【完結】私の初恋の人に屈辱と絶望を与えたのは、大好きなお姉様でした
迦陵 れん
恋愛
「俺は君を愛さない。この結婚は政略結婚という名の契約結婚だ」
結婚式後の初夜のベッドで、私の夫となった彼は、開口一番そう告げた。
彼は元々の婚約者であった私の姉、アンジェラを誰よりも愛していたのに、私の姉はそうではなかった……。
見た目、性格、頭脳、運動神経とすべてが完璧なヘマタイト公爵令息に、グラディスは一目惚れをする。
けれど彼は大好きな姉の婚約者であり、容姿からなにから全て姉に敵わないグラディスは、瞬時に恋心を封印した。
筈だったのに、姉がいなくなったせいで彼の新しい婚約者になってしまい──。
人生イージーモードで生きてきた公爵令息が、初めての挫折を経験し、動く人形のようになってしまう。
彼のことが大好きな主人公は、冷たくされても彼一筋で思い続ける。
たとえ彼に好かれなくてもいい。
私は彼が好きだから!
大好きな人と幸せになるべく、メイドと二人三脚で頑張る健気令嬢のお話です。
ざまあされるような悪人は出ないので、ざまあはないです。
と思ったら、微ざまぁありになりました(汗)
離婚寸前で人生をやり直したら、冷徹だったはずの夫が私を溺愛し始めています
腐ったバナナ
恋愛
侯爵夫人セシルは、冷徹な夫アークライトとの愛のない契約結婚に疲れ果て、離婚を決意した矢先に孤独な死を迎えた。
「もしやり直せるなら、二度と愛のない人生は選ばない」
そう願って目覚めると、そこは結婚直前の18歳の自分だった!
今世こそ平穏な人生を歩もうとするセシルだったが、なぜか夫の「感情の色」が見えるようになった。
冷徹だと思っていた夫の無表情の下に、深い孤独と不器用で一途な愛が隠されていたことを知る。
彼の愛をすべて誤解していたと気づいたセシルは、今度こそ彼の愛を掴むと決意。積極的に寄り添い、感情をぶつけると――
【完結】地味な私と公爵様
ベル
恋愛
ラエル公爵。この学園でこの名を知らない人はいないでしょう。
端正な顔立ちに甘く低い声、時折見せる少年のような笑顔。誰もがその美しさに魅了され、女性なら誰もがラエル様との結婚を夢見てしまう。
そんな方が、平凡...いや、かなり地味で目立たない伯爵令嬢である私の婚約者だなんて一体誰が信じるでしょうか。
...正直私も信じていません。
ラエル様が、私を溺愛しているなんて。
きっと、きっと、夢に違いありません。
お読みいただきありがとうございます。短編のつもりで書き始めましたが、意外と話が増えて長編に変更し、無事完結しました(*´-`)
【完結】消された第二王女は隣国の王妃に熱望される
風子
恋愛
ブルボマーナ国の第二王女アリアンは絶世の美女だった。
しかし側妃の娘だと嫌われて、正妃とその娘の第一王女から虐げられていた。
そんな時、隣国から王太子がやって来た。
王太子ヴィルドルフは、アリアンの美しさに一目惚れをしてしまう。
すぐに婚約を結び、結婚の準備を進める為に帰国したヴィルドルフに、突然の婚約解消の連絡が入る。
アリアンが王宮を追放され、修道院に送られたと知らされた。
そして、新しい婚約者に第一王女のローズが決まったと聞かされるのである。
アリアンを諦めきれないヴィルドルフは、お忍びでアリアンを探しにブルボマーナに乗り込んだ。
そしてある夜、2人は運命の再会を果たすのである。
【完結】先に求めたのは、
たまこ
恋愛
ペルジーニ伯爵の娘、レティは変わり者である。
伯爵令嬢でありながら、学園には通わずスタマーズ公爵家で料理人として働いている。
ミゲル=スタマーズ公爵令息は、扱いづらい子どもである。
頑固者で拘りが強い。愛想は無く、いつも不機嫌そうにしている。
互いを想い合う二人が長い間すれ違ってしまっているお話。
※初日と二日目は六話公開、その後は一日一話公開予定です。
※恋愛小説大賞エントリー中です。
【完結】どうか、婚約破棄と言われませんように
青波鳩子
恋愛
幼き日、自分を守ってくれた男の子に恋をしたエレイン。
父から『第二王子グレイアム殿下との婚約の打診を受けた』と聞き、初恋の相手がそのグレイアムだったエレインは、喜びと不安と二つの想いを抱えた。
グレイアム殿下には幼馴染の想い人がいる──エレインやグレイアムが通う学園でそんな噂が囁かれておりエレインの耳にも届いていたからだった。
そんな折、留学先から戻った兄から目の前で起きた『婚約破棄』の話を聞いたエレインは、未来の自分の姿ではないかと慄く。
それからエレインは『婚約破棄と言われないように』細心の注意を払って過ごす。
『グレイアム殿下は政略的に決められた婚約者である自分にやはり関心がなさそうだ』と思うエレイン。
定例の月に一度のグレイアムとのお茶会、いつも通り何事もなくやり過ごしたはずが……グレイアムのエレインへの態度に変化が起き、そこから二人の目指すものが逆転をみせていく。すれ違っていく二人の想いとグレイアムと幼馴染の関係性は……。
エレインとグレイアムのハッピーエンドです。
約42,000字の中編ですが、「中編」というカテゴリがないため短編としています。
別サイト「小説家になろう」でも公開を予定しています。
狂おしいほど愛しています、なのでよそへと嫁ぐことに致します
ちより
恋愛
侯爵令嬢のカレンは分別のあるレディだ。頭の中では初恋のエル様のことでいっぱいになりながらも、一切そんな素振りは見せない徹底ぶりだ。
愛するエル様、神々しくも真面目で思いやりあふれるエル様、その残り香だけで胸いっぱいですわ。
頭の中は常にエル様一筋のカレンだが、家同士が決めた結婚で、公爵家に嫁ぐことになる。愛のない形だけの結婚と思っているのは自分だけで、実は誰よりも公爵様から愛されていることに気づかない。
公爵様からの溺愛に、不器用な恋心が反応したら大変で……両思いに慣れません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる