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10.妃と皇太子の攻防
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(悪夢だ)
妃としての『凛風』に与えられた宮殿で、わたしは今、憂炎と二人、向かい合って座っている。
凛風として憂炎と対峙するのは実に3ヶ月ぶりのことだ。侍女たちが嬉々として茶を用意してくれているが、正直言ってそれどころじゃない。
わたしはこめかみに青筋を立てつつ、憂炎に向かって微笑みかけた。
「――――一体全体、急にどうなさったんです? もうここにはいらっしゃらないと思ってましたけど」
幸い、今のわたしはわたし自身――――凛風としてここにいる。変に淑女ぶったりせず、思う存分言いたいことが言えるのは有難い。嫌味だろうが苦情だろうが、何でも言い放題だ。
「自分の妃の宮殿に通って何が悪い。大体、全部おまえのせいだろう?」
憂炎はため息を吐きつつ、わたしのことを睨みつけた。むすっと唇を尖らせたその表情は、実年齢より大分幼く見える。皇太子になったっていうのに、『凛風』に見せる本質の部分は何も変わっていない。わたしは憂炎を睨みつけた。
「わたしのせい? 一体わたしが何をしたって言うんだ」
華凛はとても慎重なタイプだ。わたしと違って下手をやらかすとは考えづらい。
第一、入内して以降、憂炎は後宮に通っていなかったのだ。
一体いつ、どんなタイミングで、『わたし』が何をしでかしたのか詳しく教えてほしいものである。
けれど憂炎は再び大きなため息を吐くと、そのまま口を噤んだ。
どうやら教えてくれる気はないらしい。
(面倒くさいなぁ)
長椅子に凭れ掛かったまま、憂炎は真っ直ぐにこちらを見つめてくる。目を背けたいけど、そうすると負けたような気がするので、必死に憂炎を睨み返す。
(それにしても憂炎の奴、一体いつ帰る気だろう?)
チラリと窓の外を見ると、空は綺麗な藍色に染まっていた。星や月が上空でキラキラと輝いている。もうすっかり夜だ。
早く帰ってもらわないとわたしが困る。
すっっっっっっごく困る。
たまたま華凛と入れ替わっただけのこんなタイミングで、もしも憂炎がその気になったりしたら――――――考えるだけでおぞましい。
「なぁ……仕事――――忙しいんだろう? さっき華凛が言ってた」
暗に『帰れ』と促すため、わたしはそんな話題を持ち掛ける。
「…………まぁ、そうだな」
(まぁ、そうだなじゃない!)
毎日毎日、残業続きで眠そうにしている様子を、わたしはこの目で目撃している。憂炎の執務室には今日も大量の書類の山が積み上がっているだろう。あまりの腹立たしさに、わたしは眉間に皺を寄せた。
「そろそろ戻った方が良いんじゃないか? 仕事、押しちまうぞ」
(むしろ帰れ)
心の中で付け加えながら、わたしはニコリと満面の笑みを浮かべる。
恐らく憂炎には、わたしの心の声までばっちり聞こえていることだろう。
だけど、侍女達は主人である『凛風』の元に憂炎が通うことを望んでいるみたいだし、わたし達の関係性を良く知らない宦官から不敬だのなんだの騒がれるのも面倒くさい。あくまで憂炎が『自発的に』帰ったという体を取りたかった。
「いや――――今日の分はもう片付けてきた」
(は⁉)
けれど、憂炎は思いがけないことを口にする。
(いや……絶対嘘だろ?)
あいつの業務量をきちんと把握しているわけじゃないけど、ここ数日の様子を見るに、まだまだ仕事はてんこ盛りだろう。きっとそうに違いない。
「最近働きづめだったからな。2~3日はゆっくり過ごせるように調整してある」
(はぁ⁉)
追い打ちを掛けるかの如く、憂炎はそんなことを言い放った。
どこか勝ち誇ったように細められた瞳。ものすごく憎たらしい。
(ゆっくりするなら、自分の宮殿ですれば良いだろう!)
心の底からそう言ってやりたい。
『よりによって何故今日なんだ!』って罵ってやりたい。
けれど、憂炎はこの場から動く気はないらしい。黙ってわたしのことを見つめ続けている。
(まさか――――憂炎は本当にわたしと一夜を過ごすつもりなのだろうか)
いや。
いやいや。
いやいやいやいや。
あり得ない。
本気であり得ない。
だって、本気で『凛風』を妃にしたいなら、この2ヶ月の間にとっくにそうしていた筈だ。
今更すぎる。
っていうか、絶対違うと思いたい。
(まだだ。まだどこかに逃げ道は残されているはずだ)
きっと憂炎はわたしの反応を見て楽しんでいるんだ。
仕事に少し余裕ができたもんだから。嬉しくなって、それでわたしを揶揄いに来たんだ。
きっとそうに違いない。
「――――良かったじゃないか。疲れてそうだし、今日はぐっすり眠ると良いよ」
暗に『さっさと寝ろ』『一人で寝ろ』と伝えつつ、わたしはニコリと微笑んで見せる。
(さぁ帰れ。とっとと帰れ。マジで心臓に悪いから)
心の中で呟きながら、わたしは憂炎に念を送り続ける。
「――――――そうだな。今夜はここでゆっくり眠るとしよう」
けれど憂炎はそう言って、めちゃくちゃ邪悪な笑みを浮かべた。
わたしの全身からサーーーッと勢いよく血の気が引く。
「おまえと一緒の寝台で、な」
止めとばかりに憂炎はそう口にし、ニコリと笑う。
(嘘だろ……?)
ダメだ。
逃げ道を完全に塞がれてしまった。
心臓が変な音を立てて鳴り響く。
わたしは口をハクハクさせながら、呆然と憂炎を見つめ返すことしか出来なかった。
妃としての『凛風』に与えられた宮殿で、わたしは今、憂炎と二人、向かい合って座っている。
凛風として憂炎と対峙するのは実に3ヶ月ぶりのことだ。侍女たちが嬉々として茶を用意してくれているが、正直言ってそれどころじゃない。
わたしはこめかみに青筋を立てつつ、憂炎に向かって微笑みかけた。
「――――一体全体、急にどうなさったんです? もうここにはいらっしゃらないと思ってましたけど」
幸い、今のわたしはわたし自身――――凛風としてここにいる。変に淑女ぶったりせず、思う存分言いたいことが言えるのは有難い。嫌味だろうが苦情だろうが、何でも言い放題だ。
「自分の妃の宮殿に通って何が悪い。大体、全部おまえのせいだろう?」
憂炎はため息を吐きつつ、わたしのことを睨みつけた。むすっと唇を尖らせたその表情は、実年齢より大分幼く見える。皇太子になったっていうのに、『凛風』に見せる本質の部分は何も変わっていない。わたしは憂炎を睨みつけた。
「わたしのせい? 一体わたしが何をしたって言うんだ」
華凛はとても慎重なタイプだ。わたしと違って下手をやらかすとは考えづらい。
第一、入内して以降、憂炎は後宮に通っていなかったのだ。
一体いつ、どんなタイミングで、『わたし』が何をしでかしたのか詳しく教えてほしいものである。
けれど憂炎は再び大きなため息を吐くと、そのまま口を噤んだ。
どうやら教えてくれる気はないらしい。
(面倒くさいなぁ)
長椅子に凭れ掛かったまま、憂炎は真っ直ぐにこちらを見つめてくる。目を背けたいけど、そうすると負けたような気がするので、必死に憂炎を睨み返す。
(それにしても憂炎の奴、一体いつ帰る気だろう?)
チラリと窓の外を見ると、空は綺麗な藍色に染まっていた。星や月が上空でキラキラと輝いている。もうすっかり夜だ。
早く帰ってもらわないとわたしが困る。
すっっっっっっごく困る。
たまたま華凛と入れ替わっただけのこんなタイミングで、もしも憂炎がその気になったりしたら――――――考えるだけでおぞましい。
「なぁ……仕事――――忙しいんだろう? さっき華凛が言ってた」
暗に『帰れ』と促すため、わたしはそんな話題を持ち掛ける。
「…………まぁ、そうだな」
(まぁ、そうだなじゃない!)
毎日毎日、残業続きで眠そうにしている様子を、わたしはこの目で目撃している。憂炎の執務室には今日も大量の書類の山が積み上がっているだろう。あまりの腹立たしさに、わたしは眉間に皺を寄せた。
「そろそろ戻った方が良いんじゃないか? 仕事、押しちまうぞ」
(むしろ帰れ)
心の中で付け加えながら、わたしはニコリと満面の笑みを浮かべる。
恐らく憂炎には、わたしの心の声までばっちり聞こえていることだろう。
だけど、侍女達は主人である『凛風』の元に憂炎が通うことを望んでいるみたいだし、わたし達の関係性を良く知らない宦官から不敬だのなんだの騒がれるのも面倒くさい。あくまで憂炎が『自発的に』帰ったという体を取りたかった。
「いや――――今日の分はもう片付けてきた」
(は⁉)
けれど、憂炎は思いがけないことを口にする。
(いや……絶対嘘だろ?)
あいつの業務量をきちんと把握しているわけじゃないけど、ここ数日の様子を見るに、まだまだ仕事はてんこ盛りだろう。きっとそうに違いない。
「最近働きづめだったからな。2~3日はゆっくり過ごせるように調整してある」
(はぁ⁉)
追い打ちを掛けるかの如く、憂炎はそんなことを言い放った。
どこか勝ち誇ったように細められた瞳。ものすごく憎たらしい。
(ゆっくりするなら、自分の宮殿ですれば良いだろう!)
心の底からそう言ってやりたい。
『よりによって何故今日なんだ!』って罵ってやりたい。
けれど、憂炎はこの場から動く気はないらしい。黙ってわたしのことを見つめ続けている。
(まさか――――憂炎は本当にわたしと一夜を過ごすつもりなのだろうか)
いや。
いやいや。
いやいやいやいや。
あり得ない。
本気であり得ない。
だって、本気で『凛風』を妃にしたいなら、この2ヶ月の間にとっくにそうしていた筈だ。
今更すぎる。
っていうか、絶対違うと思いたい。
(まだだ。まだどこかに逃げ道は残されているはずだ)
きっと憂炎はわたしの反応を見て楽しんでいるんだ。
仕事に少し余裕ができたもんだから。嬉しくなって、それでわたしを揶揄いに来たんだ。
きっとそうに違いない。
「――――良かったじゃないか。疲れてそうだし、今日はぐっすり眠ると良いよ」
暗に『さっさと寝ろ』『一人で寝ろ』と伝えつつ、わたしはニコリと微笑んで見せる。
(さぁ帰れ。とっとと帰れ。マジで心臓に悪いから)
心の中で呟きながら、わたしは憂炎に念を送り続ける。
「――――――そうだな。今夜はここでゆっくり眠るとしよう」
けれど憂炎はそう言って、めちゃくちゃ邪悪な笑みを浮かべた。
わたしの全身からサーーーッと勢いよく血の気が引く。
「おまえと一緒の寝台で、な」
止めとばかりに憂炎はそう口にし、ニコリと笑う。
(嘘だろ……?)
ダメだ。
逃げ道を完全に塞がれてしまった。
心臓が変な音を立てて鳴り響く。
わたしは口をハクハクさせながら、呆然と憂炎を見つめ返すことしか出来なかった。
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