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2.欲にまみれた聖女様
2.
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「はぁ……なんでこの僕がリゼットなんかと夜会に出なければならないんだ」
ルロワが漏らす不機嫌なため息に身がすくむ。リゼットはルロワの腕に申し訳程度に指を乗せ「すみません」とつぶやいた。
普段、リゼットはルロワと接する機会はほとんどない。彼は討伐の間、近くの旅館や領主の館に引きこもって己の安全を確保しているからだ。
けれど、王族である以上、夫婦揃って参加が必要な付き合いというのはある。リゼットだって、ルロワと一緒に夜会に出席などしたくなかった。
「本当に無駄な時間だ。反吐が出る。おまけに、リゼットは着飾ったところでその程度。おまえのドレスにかける金などもったいない」
「……殿下のおっしゃるとおりです」
今夜のリゼットは、彼女の髪や瞳の色に合わせた緑色のドレスに身を包んでいる。エメラルドのネックレスやペリドットのイヤリングも用意した。ルロワは世間体を気にするため、ドレスと宝石だけは毎回きちんと購入をするのだ。けれど、そのせいで『無駄遣いだ』とネチネチ嫌味を言われてしまう。リゼットからすれば地獄のような時間だ。
「僕のとなりに並び立つ女性はもっと美人であるべきだ。テオもそう思わないか?」
聖騎士団を代表して夜会に招待されているテオに向かって、ルロワは疑問を投げかける。
「――おそれながら、聖女様は誰よりもお美しいと思います」
無表情に返事をするテオ。ルロワはプッと大きく吹き出した。
「さすがは聖騎士団隊長。心にもないお世辞を……よほど女に興味がないんだな」
ツボに入ってしまったらしい。ルロワは腹を抱えて笑っている。テオはリゼットだけに聞こえる声で「本当に」と付け加えた。
「しかし、おまえももう二十六歳だろう? そろそろ身を固めるべきだ。僕直属の騎士団隊長が独身じゃ格好がつかないしな。僕が誰かいい女を紹介してやろうか?」
と、ルロワが唐突にそんなことを口にする。リゼットは思わず息をのんだ。
(テオが結婚……)
心臓がバクバクと嫌な音を立てて鳴り響く。
同じ孤児院で育ったテオは、リゼットにとって兄のような存在だった。いつだってそばにいてくれたし、リゼットが泣けばすぐに駆けつけてくれた。町のいじめっ子たちから守ってくれたり、野花を集めたブーケをくれたり、両親のいる子が羨ましくて泣いているときには『俺がいる』と抱きしめてくれたこともあった。
リゼットが聖女に選ばれたときだってそうだ。
彼女が王都に連れて行かれると同時にテオは騎士団に入団をした。慣れない王都、城での生活に加え、聖女・妃としての教育、ルロワの冷たい態度に傷ついていたリゼットにとって、テオの存在は救いだった。再会を果たしたときにはワンワンと声を上げて泣いたものだ。
『泣かないでください。俺がそばにいますよ、聖女様』
とはいえ、あのときはテオの気持ちが嬉しかったと同時に、彼から『聖女様』と呼ばれたことに、少しだけ傷ついてしまったのだが……。
「殿下、その点はどうかご心配なく。俺にはもう、心に決めた女性がおりますので」
と、テオが言う。リゼットの胸がことさら強く痛んだ。
(心に決めた女性)
そんな話、一度も聞いたことがなかった。いつも一緒にいた気でいたのに、そうではなかったのだろうか?
一体いつ、どこで知り合ったの? どんな女性? ……そう尋ねたくなるのをグッとこらえ、リゼットは前を向き続ける。
リゼットにはリゼットの人生があるように、テオにはテオの人生がある。彼がどんな人と出会おうが、恋に落ちようが、大切にしようが、リゼットになにかを言う権利はない。
「そうか……! それはよかった。ちっとも女っ気がなくてつまらないと思っていたが、おまえも男だったんだな」
ルロワはそう言って上機嫌に笑っている。けれど、リゼットはまったく笑えなかった。これから夜会で、ルロワの妻としてきちんと振る舞わなければならないとわかっているのに、心が痛くてたまらない。
(私には聖女である資格も、王子妃である資格もないわ)
聖女になると同時に己の欲など捨てたと思っていた。けれど、本当はちっとも捨てられていなかったらしい。
テオがそばにいてくれたから、自分の本心から目を背けられていただけ。彼がいなくなった瞬間リゼットのすべてが崩れてしまう――もう二度と立ち上がれないだろう。
(こんな欲にまみれた聖女なんて、存在しちゃダメだわ)
聖女とは常に清廉潔白であるべきだ。誰かを羨んだり嫉妬したり、なにかをほしがってはいけない生き物だというのに。
「リゼット、早くこちらに来い。まったく……こんな場でボーッとするな」
「……申し訳ございません、殿下」
夫のあとを追いながら、リゼットはキュッと唇を引き結んだ。
***
「リゼット、おまえはもう用済みだ。今すぐ城から出ていけ」
「……え?」
転機が訪れたのは、夜会から間もなくのことだった。
「それは、どうして……?」
「兄さんにかわり、僕が王太子になることが決まったんだ!」
「え?」
あまりのことにリゼットは驚く。
ルロワの兄が立太子したのは十年以上前のことだ。今更覆るような話ではないだろうに。
「この八年間の僕の功績が認められた。すでに国土のほとんどについて浄化が終わり、魔獣の脅威も著しくなくなっている。僕がいる限り、この国は安泰だと、そう判断されたんだ」
「それは……だけど!」
魔獣を討伐したのは聖騎士団だ。その間、ルロワは指揮官とは名ばかりで、安全なところで休んでいた。土地を浄化したのだってリゼットだし、ルロワがしたことといえば、家臣や記者を買収して己の手柄を演出することだけである。
「これまで新聞におまえの名前なんて一度たりとも出ていない。別に、聖女じゃなければ浄化がまったくできないわけではないし、国民たちは俺か聖騎士団のおかげだと思っているだろう。加えて『おまえが聖女としての力を失った』と記事を書くよう、記者に頼んでおいた。明日には国中に報せが届くはずだ。そうなれば、僕がリゼットと離婚をしたからといって、文句を言うような人間はいないだろう。むしろ、役立たずを王族から追い出せてよかったと喜ぶはずだ」
満面の笑みを浮かべるルロワにリゼットは開いた口が塞がらない。
(だけど、これで……)
ルロワから離れられる。聖女の任から降りることができる。こんなチャンス、二度と来ないかもしれない。
もちろん、リゼットが離れたあとのことは心配だが、それを考えるのは彼女の仕事ではない。
リゼットは胸をおさえながら、ゆっくりと静かに頭を下げた。
「承知しました。――これまでお世話になりました、殿下」
「まったくだ。まあ、故郷まで送り届けるぐらいのことはしてやろう。ありがたく思うがいい」
ルロワはそこまで言うとニヤリと上機嫌に口角を上げる。それから高笑いをしながら部屋から出ていった。
ルロワが漏らす不機嫌なため息に身がすくむ。リゼットはルロワの腕に申し訳程度に指を乗せ「すみません」とつぶやいた。
普段、リゼットはルロワと接する機会はほとんどない。彼は討伐の間、近くの旅館や領主の館に引きこもって己の安全を確保しているからだ。
けれど、王族である以上、夫婦揃って参加が必要な付き合いというのはある。リゼットだって、ルロワと一緒に夜会に出席などしたくなかった。
「本当に無駄な時間だ。反吐が出る。おまけに、リゼットは着飾ったところでその程度。おまえのドレスにかける金などもったいない」
「……殿下のおっしゃるとおりです」
今夜のリゼットは、彼女の髪や瞳の色に合わせた緑色のドレスに身を包んでいる。エメラルドのネックレスやペリドットのイヤリングも用意した。ルロワは世間体を気にするため、ドレスと宝石だけは毎回きちんと購入をするのだ。けれど、そのせいで『無駄遣いだ』とネチネチ嫌味を言われてしまう。リゼットからすれば地獄のような時間だ。
「僕のとなりに並び立つ女性はもっと美人であるべきだ。テオもそう思わないか?」
聖騎士団を代表して夜会に招待されているテオに向かって、ルロワは疑問を投げかける。
「――おそれながら、聖女様は誰よりもお美しいと思います」
無表情に返事をするテオ。ルロワはプッと大きく吹き出した。
「さすがは聖騎士団隊長。心にもないお世辞を……よほど女に興味がないんだな」
ツボに入ってしまったらしい。ルロワは腹を抱えて笑っている。テオはリゼットだけに聞こえる声で「本当に」と付け加えた。
「しかし、おまえももう二十六歳だろう? そろそろ身を固めるべきだ。僕直属の騎士団隊長が独身じゃ格好がつかないしな。僕が誰かいい女を紹介してやろうか?」
と、ルロワが唐突にそんなことを口にする。リゼットは思わず息をのんだ。
(テオが結婚……)
心臓がバクバクと嫌な音を立てて鳴り響く。
同じ孤児院で育ったテオは、リゼットにとって兄のような存在だった。いつだってそばにいてくれたし、リゼットが泣けばすぐに駆けつけてくれた。町のいじめっ子たちから守ってくれたり、野花を集めたブーケをくれたり、両親のいる子が羨ましくて泣いているときには『俺がいる』と抱きしめてくれたこともあった。
リゼットが聖女に選ばれたときだってそうだ。
彼女が王都に連れて行かれると同時にテオは騎士団に入団をした。慣れない王都、城での生活に加え、聖女・妃としての教育、ルロワの冷たい態度に傷ついていたリゼットにとって、テオの存在は救いだった。再会を果たしたときにはワンワンと声を上げて泣いたものだ。
『泣かないでください。俺がそばにいますよ、聖女様』
とはいえ、あのときはテオの気持ちが嬉しかったと同時に、彼から『聖女様』と呼ばれたことに、少しだけ傷ついてしまったのだが……。
「殿下、その点はどうかご心配なく。俺にはもう、心に決めた女性がおりますので」
と、テオが言う。リゼットの胸がことさら強く痛んだ。
(心に決めた女性)
そんな話、一度も聞いたことがなかった。いつも一緒にいた気でいたのに、そうではなかったのだろうか?
一体いつ、どこで知り合ったの? どんな女性? ……そう尋ねたくなるのをグッとこらえ、リゼットは前を向き続ける。
リゼットにはリゼットの人生があるように、テオにはテオの人生がある。彼がどんな人と出会おうが、恋に落ちようが、大切にしようが、リゼットになにかを言う権利はない。
「そうか……! それはよかった。ちっとも女っ気がなくてつまらないと思っていたが、おまえも男だったんだな」
ルロワはそう言って上機嫌に笑っている。けれど、リゼットはまったく笑えなかった。これから夜会で、ルロワの妻としてきちんと振る舞わなければならないとわかっているのに、心が痛くてたまらない。
(私には聖女である資格も、王子妃である資格もないわ)
聖女になると同時に己の欲など捨てたと思っていた。けれど、本当はちっとも捨てられていなかったらしい。
テオがそばにいてくれたから、自分の本心から目を背けられていただけ。彼がいなくなった瞬間リゼットのすべてが崩れてしまう――もう二度と立ち上がれないだろう。
(こんな欲にまみれた聖女なんて、存在しちゃダメだわ)
聖女とは常に清廉潔白であるべきだ。誰かを羨んだり嫉妬したり、なにかをほしがってはいけない生き物だというのに。
「リゼット、早くこちらに来い。まったく……こんな場でボーッとするな」
「……申し訳ございません、殿下」
夫のあとを追いながら、リゼットはキュッと唇を引き結んだ。
***
「リゼット、おまえはもう用済みだ。今すぐ城から出ていけ」
「……え?」
転機が訪れたのは、夜会から間もなくのことだった。
「それは、どうして……?」
「兄さんにかわり、僕が王太子になることが決まったんだ!」
「え?」
あまりのことにリゼットは驚く。
ルロワの兄が立太子したのは十年以上前のことだ。今更覆るような話ではないだろうに。
「この八年間の僕の功績が認められた。すでに国土のほとんどについて浄化が終わり、魔獣の脅威も著しくなくなっている。僕がいる限り、この国は安泰だと、そう判断されたんだ」
「それは……だけど!」
魔獣を討伐したのは聖騎士団だ。その間、ルロワは指揮官とは名ばかりで、安全なところで休んでいた。土地を浄化したのだってリゼットだし、ルロワがしたことといえば、家臣や記者を買収して己の手柄を演出することだけである。
「これまで新聞におまえの名前なんて一度たりとも出ていない。別に、聖女じゃなければ浄化がまったくできないわけではないし、国民たちは俺か聖騎士団のおかげだと思っているだろう。加えて『おまえが聖女としての力を失った』と記事を書くよう、記者に頼んでおいた。明日には国中に報せが届くはずだ。そうなれば、僕がリゼットと離婚をしたからといって、文句を言うような人間はいないだろう。むしろ、役立たずを王族から追い出せてよかったと喜ぶはずだ」
満面の笑みを浮かべるルロワにリゼットは開いた口が塞がらない。
(だけど、これで……)
ルロワから離れられる。聖女の任から降りることができる。こんなチャンス、二度と来ないかもしれない。
もちろん、リゼットが離れたあとのことは心配だが、それを考えるのは彼女の仕事ではない。
リゼットは胸をおさえながら、ゆっくりと静かに頭を下げた。
「承知しました。――これまでお世話になりました、殿下」
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