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第二章「傷だらけの汐苑」
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翌朝、由希はいつもより少し早い時間に目が覚めた。
気がつくと、紗南は由希に抱きつきながら、胸に顔を埋めて眠っている。
「紗南ちゃ・・・」
そのまま起こそうかと思ったが、なぜか起こすのが可哀想に思えてきた。
由希もそのまま紗南を抱きしめて、背中を優しく撫でてあげた。
柔らかく香るシャンプーの匂いの中で、由希はもう一度目を閉じる。
その後、由希は目覚めた紗南に朝食を作ってあげた。
「この前、莉愛ちゃんが作ってくれたフレンチトースト、真似しようと思ってるんだけどなんか上手くいかなくて・・・」
「莉愛ちゃん上手ですからね。多分コツみたいのがあるんだと思います」
「紗南ちゃんは普段料理とかするの?」
「お母さんが仕事で遅くなる日はいつも作りますね」
そんな会話をしながら、昨夜の出来事を思い出した。
枕を抱きかかえて泣いていた顔が忘れられない。超能力者を倒してしまうような少女でも、一人きりの暗闇は怖いんだな。と由希は思った。
「今日もずっと執筆されるんですか?」
「うん。午前中にある程度まで進めてから、午後からはちょっと用事があって出かける予定」
「そうなんですね。・・・私も小説家になりたいな。由希さんみたいに」
「ふふ。ありがとう」
食後、紗南は自室に戻り、制服に着替えてきた。
ちょうど今日から夏服が解禁されたという。
制服は有名デザイナーのデザインとのことで、さすが私立小学校だな、と由希は感心した。
アパートを出る時間まではまだ少し時間があったので、二人は紅茶を飲みながら本の話題で花を咲かせた。
会話の所々に知性を強く感じさせ、由希は紗南の頭の良さに改めて驚く。
「紗南ちゃんってホントに頭いいんだね」
「そんな・・・恥ずかしいです。でも隣の席の男の子はもっと頭がいいんですよ。いつも学年順位はその人を越せなくて・・・」
「へえ。紗南ちゃんより頭がいいなんて」
そんな会話をしているうちに、登校の時間になった。
「今日は本当にありがとうございました。じゃあ、行ってきますね」
由希はアパートの入り口まで詩奈を送り届け、紗南はそこで深く頭を下げた。
「うん。一緒に過ごせて楽しかったよ。気をつけてね」
「・・・あの」
「ん?何?」
「今度また、お母さんがいない時は、泊まりにきてもいいですか?」
その時の紗南の顔を、由希はずっと忘れることができなかった。
学校で紗南が教室に入ると、親友の富士子がおはようの挨拶も無しにいきなり詰め寄り、
「ね、紗南。知ってる?汐苑ったら絵画コンテストで一位だったそうだよ」
汐苑という同級生の話をさせたら富士子はいつもこれだ。
「そうなんだ・・・」
紗南は富士子の鼻息の荒さに少し引きながら、自分の席に座って教科書を机の中に入れた。
「紗南って汐苑には興味ないの?」
「うん・・・」
「もったいないなあ。せっかく隣の席に座っているのに。カッコ良くて、頭がよくて、足も早くて・・・」
そんな話をしている最中に、その汐苑本人が友人と話しながら教室の中に入ってきた。
教室中の女子が一斉にざわめく。毎朝の光景だ。
「ヒエ~ッwwwwwwwwwwwwwwwwww」
なんとも奇妙な声を出して、富士子の目はハートになってしまう。
「おはよう。穂積さん」
汐苑は爽やかな笑みを紗南に向けた。
「うん。・・・おはよう」
愛想笑いに近い表情で、紗南は汐苑に挨拶を返す。
朝礼で汐苑は教師から絵画コンクールの優勝を労われた。黒板には作品のコピーが貼られている。
「じゃあ入江君。何か一言」
「はい。今回の作品で一番工夫したところは・・・」
作品は交通安全の啓発キャンペーンの一環で行われたもので、構図としては笑顔で歩く小学生を市民が笑顔で優しく見守る、というよくある内容だった。
紗南は作品を見て、上手い絵だな、と思ってはいた。
が、どこまでも没個性的でもある感は否めず、作品の奥底にある奇妙さを感じずにはいられなかった。
その一方で、いくら頭のいい紗南でも、その違和感を言語化するほど成熟していなかった。
「・・・ということだ。じゃあ皆さん拍手」
教師がそういうと、教室中に拍手が沸き、汐苑は深々と頭を下げた。
その後、一時間目に中間テストの返却があった。
紗南は元々理科が苦手だったのだが、今回はしっかりと予習復習を重ねたのでかなりの自信があった。
結果、見事に100点を獲得した。
(努力した甲斐があったなあ。帰ったら由希さんに見せよっと)
そんなことを考えながら100点の隣に書かれてある赤い花丸をしみじみと見つめる。
「・・・さん。穂積さん」
突然の呼びかけに、紗南はハッと振り向く。
「え、呼んだ?」
「うん。テスト、何点だった?」
と、汐苑は朝と同じ笑顔で紗南に問う。
その笑顔には自信が漲っているように見える。
「100点取れたよ!」
紗南も汐苑に笑顔で返事をした。
すると、汐苑は笑顔を崩さずに紗南を見つめる。
(え・・・)
汐苑の強い目力に、紗南は思わず固まってしまう。
まるでメデューサを見てしまい、石になったような気持ちになった。
「すいません、先生。腹痛なので少しだけトイレに行ってきていいですか?」
「ん? いいよ。すぐに帰ってくるんだぞ」
「すみません、行ってきます」
そう言って汐苑は立ち上がって、腹を押さえ苦しそうな顔で、足早に教室から出て行った。
「早く帰ってきてね~!」と手をメガホンにして富士子が叫ぶ。
トイレの個室に入った瞬間、汐苑は目を大きく開いて強く歯軋りをし、地団駄を踏む。
(この僕があいつにテストで負けただって? 図に乗るなよ。貧乏人が)
そして汐苑は思い切り小指の爪を噛んだ。汐苑の点数は96点だった。普段は100点ばかりなので、これくらいの点数でもショックだ。まさかテストで負けるとは思っておらず、積み上げてきた自信が瓦解仕掛ける。
痛みと怒りが血行をかき乱すような感覚になる。
(おっと、いけない・・・ また爪を噛んだのがお母さんにバレたらどうなるか)
以前に爪を噛んだのを母親に咎められ、強くお灸を据えられた経験が頭の中を過ぎり、思わず身震いした。
(でもどうせ、この点数だと怒られるし・・・)
呼吸が早くなっていたのに気づき、深呼吸する。
(・・・何もかもクソだ。教室はガキだらけ。家に帰ればお母さんに一から十まで管理されるだけ。はあ・・・)
その日の午後、由希は偶然にも汐苑の家にいた。家はタワーマンションの最上階にあり、市内を一望できるほどだ。家主である父親は飲食チェーンの社長だが、最近は市議会選挙への立候補のために家をほとんど留守にしているので、家計の切り盛りは実質的に母親に委ねられていた。
汐苑の母親は自称・読書家であり、事実居間の本棚にはたくさんの本が並べられている。もっともほとんどが初心者向けの実用書か、少し前に流行った自己啓発書ばかりだ。
以前より由希の作品の熱心な読者であるらしく、由希がこの街に引っ越してきたことをとてもうれしがっていた。
人伝に由希にコンタクトをとり、本人に直接会ってサイン本が欲しい、ということで由希は今回、入江家を訪問したわけである。
「いやあ~ ホント、こんな可愛らしい人だとは思わなかった」
「は、はあ・・・」
最初はそう言われて由希は照れ臭かったが、あまりにもしつこく繰り返されるので、どこかウンザリした気分になってしまった。
夫人はこの街の出身ではなく、東京の山の手の出身だ。この街の訛りがない、東京の言葉遣いを由希は久しぶりに聞いたが、さしたる感銘もなかった。
「それでね、やっぱり息子の汐苑にはいい大学に行かせて、いい仕事につけたいわけ」
「・・・分かります、分かります」
「で、習い事は毎日させてるわけ。結構ハードスケジュールだけど、あの子意外と難なくこなしてんのよ。将来が楽しみ。でももっと頑張ってもらわなくちゃ」
身の上話が延々と続き、会社員時代に培った由希の処世術を持ってしても、今回は流石にお手上げだ。
それからしばらく経ち、入江夫人は時計を見るなり、
「やだ。もうこんな時間。ごめんなさいね、ずっと話し込んじゃって」
やっと帰るタイミングが掴めたかと思い、ほっとしたのも束の間だった。
夫人は戸棚から由希の処女作を持ってきて、
「ここの文章なんだけどね、私ならこう書いたほうがいいと思うのよ・・・」
(この人、ホントに私のファンなのかな・・・?)
由希は思わず頭を抱えそうになる。
その頃、汐苑は項垂れたまま、家路についていた。
家まで後数十メートル歩けばたどり着く距離だ。
(・・・今日はこの後に塾か。はあ、肩が重い。家に着くのが嫌だ・・・ どっかに消えて無くなればいいのに・・・)
家まで最後の路地を歩くことすら億劫になってしまう。
「少年よ・・・」
不意に声が聞こえ、汐苑は驚き立ち止まる。
すると物陰から、男がゆっくりと出てきた。
男は中世の修道僧のような服装でフードをかぶっており、その下には目の部分だけを覆った異様な仮面をつけていた。
「・・・力が欲しいか」
「・・・・」
汐苑は無言で男を見つめたまま、ランドセルのブザーを躊躇いなく引っ張った。
けたたましいブザー音が大音量で響き渡る。
「ちょっ・・・! やめろやめろ! 俺は決して怪しい者じゃないって!」
「その身なりと言動で怪しくない、なんて言われても全く説得力がないんですが」
「ん・・・。それもそうだな。まあいい。お前、穂積紗南の隣の席だろ。ちょっと時間取れるか」
「やだね。僕はこれから塾なんだよ。話してやっただけでもありがたいと思え。この変態」
そう言って汐苑はさっさと歩みを進ませた。
(こんな言葉遣い、お母さんの前でしたらどうなるだろうな・・・)
「支配される側から、支配する側に立ちたいとは思わないか?」
後ろからかけられた男のその一言に、汐苑はもう一度足を止めた。
気がつくと、紗南は由希に抱きつきながら、胸に顔を埋めて眠っている。
「紗南ちゃ・・・」
そのまま起こそうかと思ったが、なぜか起こすのが可哀想に思えてきた。
由希もそのまま紗南を抱きしめて、背中を優しく撫でてあげた。
柔らかく香るシャンプーの匂いの中で、由希はもう一度目を閉じる。
その後、由希は目覚めた紗南に朝食を作ってあげた。
「この前、莉愛ちゃんが作ってくれたフレンチトースト、真似しようと思ってるんだけどなんか上手くいかなくて・・・」
「莉愛ちゃん上手ですからね。多分コツみたいのがあるんだと思います」
「紗南ちゃんは普段料理とかするの?」
「お母さんが仕事で遅くなる日はいつも作りますね」
そんな会話をしながら、昨夜の出来事を思い出した。
枕を抱きかかえて泣いていた顔が忘れられない。超能力者を倒してしまうような少女でも、一人きりの暗闇は怖いんだな。と由希は思った。
「今日もずっと執筆されるんですか?」
「うん。午前中にある程度まで進めてから、午後からはちょっと用事があって出かける予定」
「そうなんですね。・・・私も小説家になりたいな。由希さんみたいに」
「ふふ。ありがとう」
食後、紗南は自室に戻り、制服に着替えてきた。
ちょうど今日から夏服が解禁されたという。
制服は有名デザイナーのデザインとのことで、さすが私立小学校だな、と由希は感心した。
アパートを出る時間まではまだ少し時間があったので、二人は紅茶を飲みながら本の話題で花を咲かせた。
会話の所々に知性を強く感じさせ、由希は紗南の頭の良さに改めて驚く。
「紗南ちゃんってホントに頭いいんだね」
「そんな・・・恥ずかしいです。でも隣の席の男の子はもっと頭がいいんですよ。いつも学年順位はその人を越せなくて・・・」
「へえ。紗南ちゃんより頭がいいなんて」
そんな会話をしているうちに、登校の時間になった。
「今日は本当にありがとうございました。じゃあ、行ってきますね」
由希はアパートの入り口まで詩奈を送り届け、紗南はそこで深く頭を下げた。
「うん。一緒に過ごせて楽しかったよ。気をつけてね」
「・・・あの」
「ん?何?」
「今度また、お母さんがいない時は、泊まりにきてもいいですか?」
その時の紗南の顔を、由希はずっと忘れることができなかった。
学校で紗南が教室に入ると、親友の富士子がおはようの挨拶も無しにいきなり詰め寄り、
「ね、紗南。知ってる?汐苑ったら絵画コンテストで一位だったそうだよ」
汐苑という同級生の話をさせたら富士子はいつもこれだ。
「そうなんだ・・・」
紗南は富士子の鼻息の荒さに少し引きながら、自分の席に座って教科書を机の中に入れた。
「紗南って汐苑には興味ないの?」
「うん・・・」
「もったいないなあ。せっかく隣の席に座っているのに。カッコ良くて、頭がよくて、足も早くて・・・」
そんな話をしている最中に、その汐苑本人が友人と話しながら教室の中に入ってきた。
教室中の女子が一斉にざわめく。毎朝の光景だ。
「ヒエ~ッwwwwwwwwwwwwwwwwww」
なんとも奇妙な声を出して、富士子の目はハートになってしまう。
「おはよう。穂積さん」
汐苑は爽やかな笑みを紗南に向けた。
「うん。・・・おはよう」
愛想笑いに近い表情で、紗南は汐苑に挨拶を返す。
朝礼で汐苑は教師から絵画コンクールの優勝を労われた。黒板には作品のコピーが貼られている。
「じゃあ入江君。何か一言」
「はい。今回の作品で一番工夫したところは・・・」
作品は交通安全の啓発キャンペーンの一環で行われたもので、構図としては笑顔で歩く小学生を市民が笑顔で優しく見守る、というよくある内容だった。
紗南は作品を見て、上手い絵だな、と思ってはいた。
が、どこまでも没個性的でもある感は否めず、作品の奥底にある奇妙さを感じずにはいられなかった。
その一方で、いくら頭のいい紗南でも、その違和感を言語化するほど成熟していなかった。
「・・・ということだ。じゃあ皆さん拍手」
教師がそういうと、教室中に拍手が沸き、汐苑は深々と頭を下げた。
その後、一時間目に中間テストの返却があった。
紗南は元々理科が苦手だったのだが、今回はしっかりと予習復習を重ねたのでかなりの自信があった。
結果、見事に100点を獲得した。
(努力した甲斐があったなあ。帰ったら由希さんに見せよっと)
そんなことを考えながら100点の隣に書かれてある赤い花丸をしみじみと見つめる。
「・・・さん。穂積さん」
突然の呼びかけに、紗南はハッと振り向く。
「え、呼んだ?」
「うん。テスト、何点だった?」
と、汐苑は朝と同じ笑顔で紗南に問う。
その笑顔には自信が漲っているように見える。
「100点取れたよ!」
紗南も汐苑に笑顔で返事をした。
すると、汐苑は笑顔を崩さずに紗南を見つめる。
(え・・・)
汐苑の強い目力に、紗南は思わず固まってしまう。
まるでメデューサを見てしまい、石になったような気持ちになった。
「すいません、先生。腹痛なので少しだけトイレに行ってきていいですか?」
「ん? いいよ。すぐに帰ってくるんだぞ」
「すみません、行ってきます」
そう言って汐苑は立ち上がって、腹を押さえ苦しそうな顔で、足早に教室から出て行った。
「早く帰ってきてね~!」と手をメガホンにして富士子が叫ぶ。
トイレの個室に入った瞬間、汐苑は目を大きく開いて強く歯軋りをし、地団駄を踏む。
(この僕があいつにテストで負けただって? 図に乗るなよ。貧乏人が)
そして汐苑は思い切り小指の爪を噛んだ。汐苑の点数は96点だった。普段は100点ばかりなので、これくらいの点数でもショックだ。まさかテストで負けるとは思っておらず、積み上げてきた自信が瓦解仕掛ける。
痛みと怒りが血行をかき乱すような感覚になる。
(おっと、いけない・・・ また爪を噛んだのがお母さんにバレたらどうなるか)
以前に爪を噛んだのを母親に咎められ、強くお灸を据えられた経験が頭の中を過ぎり、思わず身震いした。
(でもどうせ、この点数だと怒られるし・・・)
呼吸が早くなっていたのに気づき、深呼吸する。
(・・・何もかもクソだ。教室はガキだらけ。家に帰ればお母さんに一から十まで管理されるだけ。はあ・・・)
その日の午後、由希は偶然にも汐苑の家にいた。家はタワーマンションの最上階にあり、市内を一望できるほどだ。家主である父親は飲食チェーンの社長だが、最近は市議会選挙への立候補のために家をほとんど留守にしているので、家計の切り盛りは実質的に母親に委ねられていた。
汐苑の母親は自称・読書家であり、事実居間の本棚にはたくさんの本が並べられている。もっともほとんどが初心者向けの実用書か、少し前に流行った自己啓発書ばかりだ。
以前より由希の作品の熱心な読者であるらしく、由希がこの街に引っ越してきたことをとてもうれしがっていた。
人伝に由希にコンタクトをとり、本人に直接会ってサイン本が欲しい、ということで由希は今回、入江家を訪問したわけである。
「いやあ~ ホント、こんな可愛らしい人だとは思わなかった」
「は、はあ・・・」
最初はそう言われて由希は照れ臭かったが、あまりにもしつこく繰り返されるので、どこかウンザリした気分になってしまった。
夫人はこの街の出身ではなく、東京の山の手の出身だ。この街の訛りがない、東京の言葉遣いを由希は久しぶりに聞いたが、さしたる感銘もなかった。
「それでね、やっぱり息子の汐苑にはいい大学に行かせて、いい仕事につけたいわけ」
「・・・分かります、分かります」
「で、習い事は毎日させてるわけ。結構ハードスケジュールだけど、あの子意外と難なくこなしてんのよ。将来が楽しみ。でももっと頑張ってもらわなくちゃ」
身の上話が延々と続き、会社員時代に培った由希の処世術を持ってしても、今回は流石にお手上げだ。
それからしばらく経ち、入江夫人は時計を見るなり、
「やだ。もうこんな時間。ごめんなさいね、ずっと話し込んじゃって」
やっと帰るタイミングが掴めたかと思い、ほっとしたのも束の間だった。
夫人は戸棚から由希の処女作を持ってきて、
「ここの文章なんだけどね、私ならこう書いたほうがいいと思うのよ・・・」
(この人、ホントに私のファンなのかな・・・?)
由希は思わず頭を抱えそうになる。
その頃、汐苑は項垂れたまま、家路についていた。
家まで後数十メートル歩けばたどり着く距離だ。
(・・・今日はこの後に塾か。はあ、肩が重い。家に着くのが嫌だ・・・ どっかに消えて無くなればいいのに・・・)
家まで最後の路地を歩くことすら億劫になってしまう。
「少年よ・・・」
不意に声が聞こえ、汐苑は驚き立ち止まる。
すると物陰から、男がゆっくりと出てきた。
男は中世の修道僧のような服装でフードをかぶっており、その下には目の部分だけを覆った異様な仮面をつけていた。
「・・・力が欲しいか」
「・・・・」
汐苑は無言で男を見つめたまま、ランドセルのブザーを躊躇いなく引っ張った。
けたたましいブザー音が大音量で響き渡る。
「ちょっ・・・! やめろやめろ! 俺は決して怪しい者じゃないって!」
「その身なりと言動で怪しくない、なんて言われても全く説得力がないんですが」
「ん・・・。それもそうだな。まあいい。お前、穂積紗南の隣の席だろ。ちょっと時間取れるか」
「やだね。僕はこれから塾なんだよ。話してやっただけでもありがたいと思え。この変態」
そう言って汐苑はさっさと歩みを進ませた。
(こんな言葉遣い、お母さんの前でしたらどうなるだろうな・・・)
「支配される側から、支配する側に立ちたいとは思わないか?」
後ろからかけられた男のその一言に、汐苑はもう一度足を止めた。
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