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第一章:この世界が終わるまで
第一話:邂逅
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公園内のヴァンパイアを掃討し終えた俺とローガンは、迎えのヘリに乗り、家と呼ぶべき場所ーー聖騎士団本部へ輸送された。
聖騎士団は、ヴァンパイアを倒すために三百年前に作られた、化け物に対抗しうる唯一の組織だ。
同時に、人間と人狼の友好の証とも言えた。
その聖騎士団が三百年前にヴァンパイアを打ち倒したのだが、残党が地下へ逃げ込み、定期的に人間を襲う。
そのせいで未だに聖騎士団とヴァンパイアの戦争は終わる気配がないが、昔よりも人間は平和な毎日を送ることができていた。
この本部は、いわば人類にとっての希望だ。
同時に、ヴァンパイアにとっては撃ち壊すべき砦。
奴らが夜な夜な襲撃してくるが、四方を断崖絶壁に囲まれ、最も空に近い場所に建設された本部は、翼を持つといわれる王族ヴァンパイアでしか、到達できないだろう。
眷属達は身体能力こそ高いが、崖を上っている最中に迎撃され、死ぬのがオチ。
ここはまさに、難攻不落の要塞だった。
「ーーやあ、お帰り。二人とも」
本部屋上のヘリポートに降り立つと、俺たちのような黒い制服とは違う、真っ白な制服に身を包んだ、マース・ブラックフォード団長が出迎えに来てくれていた。
第二十四代目団長である彼は、史上最強のハンターと称される程、武に長けた男性だった。
内面外面ともども温厚な彼だが、冴えた碧眼だけは、ナイフの様に鋭い。戦場において彼が制服に傷一つ付けて返ってこないことは、団内においては当たり前の事だった。
俺とローガンは姿勢を正すと、約二週間ぶりにお目にかかる団長殿に向かって、最敬礼をした。
「団長自らのお出迎え、痛み入ります」
「はは、いつもの口調でいいよ、ローガン。ーーおや、髪に血が付いているね」
俺は驚いてローガンを見た。
確かに、こめかみ付近に赤い液体が少しだけこびりついている。白髪のせいか、よけい血の色が際だっていた。
なぜ気づかなかったのだろう。
俺はローガンの頭を掴み、傷口を見た。さすが、人狼なだけあってすでに塞がりつつある。
だが、痛々しかった。
「ローガン、この傷、いつ付けられたんだ?」
「いや、別に・・・・・・」
珍しく言葉を濁す。
俺は察した。
「もしかして、俺を助けるときに付けられたのか?」
思わず語気を強くして訊ねると、ローガンは年上とは思えない情けない表情を浮かべ、首を激しく横に振るった。
「こんなのかすり傷だって! お前が気にする事じゃないから」
「馬鹿、頭はまずいだろ! 早く手当をーー」
「ライアン」
柔らかな声と共に、肩に大きな手が置かれた。
振り返ると、団長がいつものように優しく微笑んでいた。
「大丈夫。擦り傷だから、消毒しておけば大事に至らない。落ち着いて」
「・・・・・・すみません」
「君は昔から仲間想いだからね」
団長は、そう言って俺の頭を撫でた。
ずっと昔、最初にこの人の顔を見たときも、こうして撫でてもらった。
十八にもなって頭を撫でられるのは恥ずかしいが、団長の手に撫でられるのは好きだった。
「さあ、君たちの顔も見たし、私は戻るよ。報告はいつも通り書面でいいから、すぐに部屋に戻って結構」
「了解です」
ローガンと声を合わせて答えると、団長は軽く手を挙げ、背を向けた。
だが、途中俺の方を振り返った。
「そうだ。ライアン、今度食事に行こう。いい店があるんだ」
「食事、ですか?」
俺は眼をしばたかせた。
団長は忙しく、そんな暇はないはずだ。
彼と最後に食事したのも、もう何年も昔の話。
俺が返事に困っていると、団長は肩越しに苦笑した。
「息子と食事をするのに、文句を言う人はいないだろう。時間を空けておいてくれ」
「はい、分かりました」
「ありがとう」
大勢の護衛に囲まれて去っていく団長を見送りながら、俺は再度ローガンの傷口を確認した。
「ローガン、医務室にいこう。消毒してもらった方がいい」
「これくらい、かすり傷だって。お前は心配しすぎなの」
「じゃあ俺の部屋で消毒してやるから、来い」
「ちょ、ちょっと待てよ!」
俺はローガンの腕を掴むと、困惑するかれを引きずるようにして中へ入った。
簡素なエレベータに乗って居住区まで降りると、等間隔で並んでいる扉の前を通り過ぎ、一番奥にある自室の扉を乱暴に開けた。
ちょうど、部屋に置いてある振り子時計が、深夜三時を告げる金を鳴らした。
私物といえば、それくらい。
コンクリートの壁で囲まれた俺の部屋は、備え付けられているベッドとクローゼット、テーブルに椅子以外、何もなかった。
「ほら、俺のベッドに座れ」
ローガンの腕を放し、俺はクローゼットの中を漁る。
たしかこの中に救急箱があったはずだ。
制服の下に着るシャツをかき分けると、埋もれていた救急箱を発見した。
それを持ってローガンのもとへ戻ると、俺は脱脂綿に消毒液を含ませ、ローガンの頭に手を伸ばした。
「少ししみるだろうけど、我慢してくれ」
「い、いいよ、自分でやる」
「見えないだろ。いいから大人しくしてろ」
はりのある白髪を身長にかき分け、消毒液が染み込んだ脱脂綿を傷口に当てる。
「い・・・・・・っ」
「悪い、痛かったか?」
「いや、平気だ」
顔をしかめながら、ローガンは微笑した。
少し、顔が赤い気がする。
俺はとっさにローガンの額に手を当てた。
「ラ、ラララ、ライアン!?」
「お前、熱あるんじゃないのか?」
「ないない! それよりも、一つ頼みがあるんだけど!」
「なんだ?」
俺が首を傾げると、ローガンは懐にある端末を操作し、画面を俺に向けた。
画面には、どこかのイタリア料理店が載っている。
「ここがどうした?」
「明日非番だろ? 昼飯食べに行かないか?」
「いいけど、俺昼まで用事があるから、記念公園で待ち合わせでもいいか?」
「用事?」
ローガンは首を傾げる。
その顎を掴んでまっすぐ前を向かせると、傷口に絆創膏を貼ってやりながら、俺は、
「ーー父さんと、母さんと、弟の墓参りだ」
***
眼を背けたくなるほどの強い日差しが差す中、俺は大輪の百合の花束を抱え、終戦記念公園付近にある墓地に向かっていた。
あと数十分で正午になろうとしている。さすがに礼服は暑い。
ネクタイを少しだけ緩め、俺は歩く速度を上げた。
寝不足の体にはつらいが、正午にはローガンとの約束がある。
百合の花弁が散ってしまわないよう気をつけて歩いていると、ポケットの中で端末が震えた。
画面を指でスライドし、送られてきたメッセージを開く。
相手はローガンだった。
ーー悪い、少し遅れる。日陰で待っててくれ。
「またかよ」
ローガンの遅刻癖は相変わらずだ。
任務の時はうるさいほど時間を厳守するのに、どうしてプライベートではこうもルーズなのか。
俺は端末をしまい、終戦記念公園の角を曲がる。
公園と住宅の間を走る道路を進むと、白いアーチが見えた。
アーチのすぐ下から、大理石の階段が上まで続いている。
革靴を鳴らして階段を駆け上がると、芝生が敷かれた墓地に出た。
いくつも並ぶ十字架。
なかには長いこと墓参りに来てもらえていないものもあり、枯れた花が寂しげに揺れていた。
俺が向かうべき墓は、入り口近くにあった。
手入れの行き届いた、くすみのない白い十字架。
その足下にある石版には、「ジェンクス家」と掘られていた。
「こんにちは、父さん、母さん、リデル」
顔も知らない本当の家族が眠るこの墓には、団長に引き取られる事になったあの日以来、来ていない。
俺が十五歳の時に、ヴァンパイアの襲撃を受けて殺されたと聞かされた、あの日から。
俺は目の前で家族を殺されたショックで、それ以前の記憶が全て消えてしまった。
だから、ここに家族が眠っていると言われても、いまいちピンとこなかった。
寂しく思わないのは家族に申し訳ないが、それは全て、団長のおかげなんだと思う。
「俺は元気に働いています。団長が本当の息子のように、俺によくしてくれてるよ」
花束を置きながら、俺は白い石版に話しかけ続けた。
返事はーー当然返ってこない。
それでも、俺は噛みしめるように、言葉を選んで話し続けた。
「・・・・・・絶対、思い出すから。皆の仇、とるからな」
なめらかな質感の石版を撫でると、俺はゆっくり立ち上がった。
舞い込む風に任せて出口へ振り返ると、透き通るようなアイスブロンドと、蒼白なまでの白い肌が視界を埋め尽くした。
「え・・・・・・」
怖いくらいの美形。
優しく、どこか怜悧な微笑み。
背後に立っていたのは、紛れもなく、昨晩の高位ヴァンパイアだった。
「お前ーー!」
全く気配を感じなかった。
俺はすぐに手を腰に回す。
プライベートでも、武器は常に携帯するよう義務づけられている。
愛銃をホルスターから引き抜くと、微笑んだまま動かないヴァンパイアの眉間めがけ、引き金を引いた。
避けられると覚悟していたが、ヴァンパイアはそのまま動かず、素直に弾丸を受け入れた。
首ががっくりと後ろへ垂れ下がるのを見て、俺の心の中を安堵が包み込んでいく。
「やった・・・・・・」
「ーーふむ、これが人間の作り出した武器か」
「!?」
後ろへ垂れていた頭が、突然起きあがった。
眉間から弾丸が吐き出され、地面に落ちる。
驚く俺の目の前で、傷はふさがっていった。
口元まで垂れてきた己の血をなめながら、ヴァンパイアは眼を細めた。
「これで終わりかな?」
「ーーっ。くそ!」
俺は地面を転がってヴァンパイアの前から抜け出すと、転がりながら狙いを定め、ヴァンパイアに向けて弾丸を放った。
心臓と頭両方に弾丸を撃ち込んだが、ヴァンパイアは涼しげな顔で立っている。
どれだけ弾丸を肉に食い込ませても、全て吐き出された。
「嘘だろ。聖水が効かないなんて・・・・・・」
「ああ、これには聖水が入っているのかね? どうりで、苦いわけだ」
舌に乗せた弾丸を俺に見せつけ、ヴァンパイアはほくそ笑んだ。
「どうやら、もう打つ手なしのようだね?」
真っ赤な瞳が見開かれ、俺の体を、再び重い圧迫感が襲った。昨日の比ではない。
がっくりと地面に倒れ込み、俺は無様にも敵に背中を見せる事になった。
起きあがろうと腕に力を入れるが、全く力が入らない。
おもりで押しつぶされている感じだ。
「ぐ、くそ、が・・・・・・っ」
「不思議だ。貴様、なぜ私の洞察が効かない?」
「な、に?」
いつのまにか俺のすぐ目の前に移動していたヴァンパイアが、俺の顎を掴み、無理矢理上を向かせた。
呼吸がしづらい。苦しい。
のぞき込むようにして近づいてくる赤い目を見ていると、視界が回転するようだった。
「人狼ではなさそうだし、どうして人間である君に私の洞察が効かないのか・・・・・・興味深い」
ヴァンパイアは真っ赤な舌で唇を舐めると、俺の体を仰向けに転がし、その上に覆い被さった。
礼服の襟を掴み、引き裂かれ、俺の胸板が陽光にさらされる。
俺ですらこの太陽の日差しに参っているのに、ヴァンパイアであるこの男は、なぜ動けるのだろう。
日光に晒されたところで、ヴァンパイアは死なない。
生きていられるが、いつも通りの力は出せないのだ。
だが、この男は弱りもせず、悠然としている。
やはりこの男は、並大抵のヴァンパイアではない。
「お前、何者なんだ・・・・・・!」
腹からゆっくり首筋に上ってきた氷のような指先を睨み、俺はかすれた声でそう訊ねた。
ヴァンパイアは、鼻先が触れそうな程顔を俺に近づけ、言った。
「我が名はエルヴィス。人間よ、貴様を我が眷属に加えてやろう。光栄に思え」
冗談ではない。
眷属という事は、ヴァンパイアにされるという事だ。
俺は必死に体を動かそうとするが、もはや指先一つ動かない。
そうしているうちにエルヴィスの腕が俺の体を抱き起こした。
背中に回された腕や、首筋に触れる奴の唇があまりにも冷たくて、俺の体が強ばる。
「やめ、やめろ・・・・・・」
「すぐにすむ。痛いのは最初だけだ」
嫌だ。
嫌だ嫌だ嫌だ。
誰か、助けてくれ。
俺の頭の中に団長とローガン、遊撃隊の仲間の顔が浮かぶ。
彼らと敵同士にはなりたくない。
「誰か、助けーー」
「ライアン!」
エルヴィスの牙が俺の肌に触れたとき、墓地に鋭い一声が響きわたった。
俺は固まってしまった頭をゆっくり横に向けた。
「ロ、ガン・・・・・・」
墓地の入り口には、顔を真っ赤にして怒るローガンが立っていた。
俺に覆い被さるようにして抱きついていたエルヴィスは、鼻先で笑う。
「ほう、人狼か。まだ青い」
「てめえ・・・・・・ライアンから離れろおおおお!」
ローガンは腕を地面に付け、四つん這いになって吠えた。
声に呼応するように、彼の髪の毛が長く広がり、背中を覆う。
犬歯や爪も鋭く伸び、瞳孔は濃い青に染まった。
「ぐるあああああっ」
まるで、狼が遠吠えしいているような姿勢だ。
ローガンは地面をえぐり、エルヴィスに飛びかかった。
太陽の光を受けて輝く爪が、氷の彫刻のようなエルヴィスの美顔を襲うーーが、
「遅いな」
ふわりと体が浮いたと思ったら、俺の視線の先にはローガンが一人で立っていた。
エルヴィスは俺を抱え、あの一瞬で墓地の隅まで逃げおおせたのだ。
ローガンの顔には驚きと困惑が入り乱れ、汗が噴き出していた。
俺は、このままでは負けると悟った。
この男は戦って勝てるーーいや、生き延びられる相手ではない。
「ローガン! お前だけなら逃げられる! 逃げろ!」
「お前を置いて行ける分けねえだろ!」
俺の人生は、家族を殺された三年前に、一度終わっているのだ。
ヴァンパイアとの戦いを選んだ今、自分がヴァンパイアになる事よりも、仲間をみすみす死なせる事の方が怖い。
なのに、ローガンは逃げてくれない。
何度も何度もエルヴィスに飛びかかっては避けられ、時に腹を蹴られる。
地面を転がり、土まみれになっていくローガンの姿を見るのは耐えられなかった。
「もうやめてくれ! 俺を眷属でもなんでもしていいから、あいつを殺さないでくれ!」
「貴様に言われなくとも、私ももう飽きた」
エルヴィスは片腕で俺の体を抱くと、空いた手で俺の顔を横へ傾ける。
奴の手が眼を隠して、何も見えない。
俺は閉ざされた視界の中、ローガンが俺の名を呼んでいるのが聞こえた。
「ごめん、ローガン」
俺がヴァンパイアになったら、お前が俺を殺してくれ。
そう願ったとき、俺の首筋に激痛が走った。
鋭いものが、首の皮を突き抜けた。
「あ、あ・・・・・・」
神経をかきむしる痛みが、じょじょに痺れに変わっていく。自分の中に流れる生命力が吸い取られていき、意識が遠のいていった。
だが、完全に瞼が落ちる前。
首筋から牙が抜かれ、低くかすれた声が俺の耳元で囁いた。
「ーー気が変わった。眷属にするのはまた今度だ。今は、刻印だけ付けておく」
「刻印・・・・・・?」
「獲物に付ける目印ーーマーキングだ」
もう体に力が入らない。
不覚にもエルヴィスの腕に体重を預けると、エルヴィスが俺の体を抱き上げたのが分かった。
そのまま、固い地面へ降ろされる。その所作が思ったよりも優しく、俺は薄れゆく意識の中、驚く。
「貴様はもう、私の手の中にある。どこにいようと、その居場所を見失うことはないだろう」
そう言って、冷たい指が噛みついた箇所を撫でた。
一瞬痛みがあったが、俺はもう、話す気力も起きずに意識を手放した。
聖騎士団は、ヴァンパイアを倒すために三百年前に作られた、化け物に対抗しうる唯一の組織だ。
同時に、人間と人狼の友好の証とも言えた。
その聖騎士団が三百年前にヴァンパイアを打ち倒したのだが、残党が地下へ逃げ込み、定期的に人間を襲う。
そのせいで未だに聖騎士団とヴァンパイアの戦争は終わる気配がないが、昔よりも人間は平和な毎日を送ることができていた。
この本部は、いわば人類にとっての希望だ。
同時に、ヴァンパイアにとっては撃ち壊すべき砦。
奴らが夜な夜な襲撃してくるが、四方を断崖絶壁に囲まれ、最も空に近い場所に建設された本部は、翼を持つといわれる王族ヴァンパイアでしか、到達できないだろう。
眷属達は身体能力こそ高いが、崖を上っている最中に迎撃され、死ぬのがオチ。
ここはまさに、難攻不落の要塞だった。
「ーーやあ、お帰り。二人とも」
本部屋上のヘリポートに降り立つと、俺たちのような黒い制服とは違う、真っ白な制服に身を包んだ、マース・ブラックフォード団長が出迎えに来てくれていた。
第二十四代目団長である彼は、史上最強のハンターと称される程、武に長けた男性だった。
内面外面ともども温厚な彼だが、冴えた碧眼だけは、ナイフの様に鋭い。戦場において彼が制服に傷一つ付けて返ってこないことは、団内においては当たり前の事だった。
俺とローガンは姿勢を正すと、約二週間ぶりにお目にかかる団長殿に向かって、最敬礼をした。
「団長自らのお出迎え、痛み入ります」
「はは、いつもの口調でいいよ、ローガン。ーーおや、髪に血が付いているね」
俺は驚いてローガンを見た。
確かに、こめかみ付近に赤い液体が少しだけこびりついている。白髪のせいか、よけい血の色が際だっていた。
なぜ気づかなかったのだろう。
俺はローガンの頭を掴み、傷口を見た。さすが、人狼なだけあってすでに塞がりつつある。
だが、痛々しかった。
「ローガン、この傷、いつ付けられたんだ?」
「いや、別に・・・・・・」
珍しく言葉を濁す。
俺は察した。
「もしかして、俺を助けるときに付けられたのか?」
思わず語気を強くして訊ねると、ローガンは年上とは思えない情けない表情を浮かべ、首を激しく横に振るった。
「こんなのかすり傷だって! お前が気にする事じゃないから」
「馬鹿、頭はまずいだろ! 早く手当をーー」
「ライアン」
柔らかな声と共に、肩に大きな手が置かれた。
振り返ると、団長がいつものように優しく微笑んでいた。
「大丈夫。擦り傷だから、消毒しておけば大事に至らない。落ち着いて」
「・・・・・・すみません」
「君は昔から仲間想いだからね」
団長は、そう言って俺の頭を撫でた。
ずっと昔、最初にこの人の顔を見たときも、こうして撫でてもらった。
十八にもなって頭を撫でられるのは恥ずかしいが、団長の手に撫でられるのは好きだった。
「さあ、君たちの顔も見たし、私は戻るよ。報告はいつも通り書面でいいから、すぐに部屋に戻って結構」
「了解です」
ローガンと声を合わせて答えると、団長は軽く手を挙げ、背を向けた。
だが、途中俺の方を振り返った。
「そうだ。ライアン、今度食事に行こう。いい店があるんだ」
「食事、ですか?」
俺は眼をしばたかせた。
団長は忙しく、そんな暇はないはずだ。
彼と最後に食事したのも、もう何年も昔の話。
俺が返事に困っていると、団長は肩越しに苦笑した。
「息子と食事をするのに、文句を言う人はいないだろう。時間を空けておいてくれ」
「はい、分かりました」
「ありがとう」
大勢の護衛に囲まれて去っていく団長を見送りながら、俺は再度ローガンの傷口を確認した。
「ローガン、医務室にいこう。消毒してもらった方がいい」
「これくらい、かすり傷だって。お前は心配しすぎなの」
「じゃあ俺の部屋で消毒してやるから、来い」
「ちょ、ちょっと待てよ!」
俺はローガンの腕を掴むと、困惑するかれを引きずるようにして中へ入った。
簡素なエレベータに乗って居住区まで降りると、等間隔で並んでいる扉の前を通り過ぎ、一番奥にある自室の扉を乱暴に開けた。
ちょうど、部屋に置いてある振り子時計が、深夜三時を告げる金を鳴らした。
私物といえば、それくらい。
コンクリートの壁で囲まれた俺の部屋は、備え付けられているベッドとクローゼット、テーブルに椅子以外、何もなかった。
「ほら、俺のベッドに座れ」
ローガンの腕を放し、俺はクローゼットの中を漁る。
たしかこの中に救急箱があったはずだ。
制服の下に着るシャツをかき分けると、埋もれていた救急箱を発見した。
それを持ってローガンのもとへ戻ると、俺は脱脂綿に消毒液を含ませ、ローガンの頭に手を伸ばした。
「少ししみるだろうけど、我慢してくれ」
「い、いいよ、自分でやる」
「見えないだろ。いいから大人しくしてろ」
はりのある白髪を身長にかき分け、消毒液が染み込んだ脱脂綿を傷口に当てる。
「い・・・・・・っ」
「悪い、痛かったか?」
「いや、平気だ」
顔をしかめながら、ローガンは微笑した。
少し、顔が赤い気がする。
俺はとっさにローガンの額に手を当てた。
「ラ、ラララ、ライアン!?」
「お前、熱あるんじゃないのか?」
「ないない! それよりも、一つ頼みがあるんだけど!」
「なんだ?」
俺が首を傾げると、ローガンは懐にある端末を操作し、画面を俺に向けた。
画面には、どこかのイタリア料理店が載っている。
「ここがどうした?」
「明日非番だろ? 昼飯食べに行かないか?」
「いいけど、俺昼まで用事があるから、記念公園で待ち合わせでもいいか?」
「用事?」
ローガンは首を傾げる。
その顎を掴んでまっすぐ前を向かせると、傷口に絆創膏を貼ってやりながら、俺は、
「ーー父さんと、母さんと、弟の墓参りだ」
***
眼を背けたくなるほどの強い日差しが差す中、俺は大輪の百合の花束を抱え、終戦記念公園付近にある墓地に向かっていた。
あと数十分で正午になろうとしている。さすがに礼服は暑い。
ネクタイを少しだけ緩め、俺は歩く速度を上げた。
寝不足の体にはつらいが、正午にはローガンとの約束がある。
百合の花弁が散ってしまわないよう気をつけて歩いていると、ポケットの中で端末が震えた。
画面を指でスライドし、送られてきたメッセージを開く。
相手はローガンだった。
ーー悪い、少し遅れる。日陰で待っててくれ。
「またかよ」
ローガンの遅刻癖は相変わらずだ。
任務の時はうるさいほど時間を厳守するのに、どうしてプライベートではこうもルーズなのか。
俺は端末をしまい、終戦記念公園の角を曲がる。
公園と住宅の間を走る道路を進むと、白いアーチが見えた。
アーチのすぐ下から、大理石の階段が上まで続いている。
革靴を鳴らして階段を駆け上がると、芝生が敷かれた墓地に出た。
いくつも並ぶ十字架。
なかには長いこと墓参りに来てもらえていないものもあり、枯れた花が寂しげに揺れていた。
俺が向かうべき墓は、入り口近くにあった。
手入れの行き届いた、くすみのない白い十字架。
その足下にある石版には、「ジェンクス家」と掘られていた。
「こんにちは、父さん、母さん、リデル」
顔も知らない本当の家族が眠るこの墓には、団長に引き取られる事になったあの日以来、来ていない。
俺が十五歳の時に、ヴァンパイアの襲撃を受けて殺されたと聞かされた、あの日から。
俺は目の前で家族を殺されたショックで、それ以前の記憶が全て消えてしまった。
だから、ここに家族が眠っていると言われても、いまいちピンとこなかった。
寂しく思わないのは家族に申し訳ないが、それは全て、団長のおかげなんだと思う。
「俺は元気に働いています。団長が本当の息子のように、俺によくしてくれてるよ」
花束を置きながら、俺は白い石版に話しかけ続けた。
返事はーー当然返ってこない。
それでも、俺は噛みしめるように、言葉を選んで話し続けた。
「・・・・・・絶対、思い出すから。皆の仇、とるからな」
なめらかな質感の石版を撫でると、俺はゆっくり立ち上がった。
舞い込む風に任せて出口へ振り返ると、透き通るようなアイスブロンドと、蒼白なまでの白い肌が視界を埋め尽くした。
「え・・・・・・」
怖いくらいの美形。
優しく、どこか怜悧な微笑み。
背後に立っていたのは、紛れもなく、昨晩の高位ヴァンパイアだった。
「お前ーー!」
全く気配を感じなかった。
俺はすぐに手を腰に回す。
プライベートでも、武器は常に携帯するよう義務づけられている。
愛銃をホルスターから引き抜くと、微笑んだまま動かないヴァンパイアの眉間めがけ、引き金を引いた。
避けられると覚悟していたが、ヴァンパイアはそのまま動かず、素直に弾丸を受け入れた。
首ががっくりと後ろへ垂れ下がるのを見て、俺の心の中を安堵が包み込んでいく。
「やった・・・・・・」
「ーーふむ、これが人間の作り出した武器か」
「!?」
後ろへ垂れていた頭が、突然起きあがった。
眉間から弾丸が吐き出され、地面に落ちる。
驚く俺の目の前で、傷はふさがっていった。
口元まで垂れてきた己の血をなめながら、ヴァンパイアは眼を細めた。
「これで終わりかな?」
「ーーっ。くそ!」
俺は地面を転がってヴァンパイアの前から抜け出すと、転がりながら狙いを定め、ヴァンパイアに向けて弾丸を放った。
心臓と頭両方に弾丸を撃ち込んだが、ヴァンパイアは涼しげな顔で立っている。
どれだけ弾丸を肉に食い込ませても、全て吐き出された。
「嘘だろ。聖水が効かないなんて・・・・・・」
「ああ、これには聖水が入っているのかね? どうりで、苦いわけだ」
舌に乗せた弾丸を俺に見せつけ、ヴァンパイアはほくそ笑んだ。
「どうやら、もう打つ手なしのようだね?」
真っ赤な瞳が見開かれ、俺の体を、再び重い圧迫感が襲った。昨日の比ではない。
がっくりと地面に倒れ込み、俺は無様にも敵に背中を見せる事になった。
起きあがろうと腕に力を入れるが、全く力が入らない。
おもりで押しつぶされている感じだ。
「ぐ、くそ、が・・・・・・っ」
「不思議だ。貴様、なぜ私の洞察が効かない?」
「な、に?」
いつのまにか俺のすぐ目の前に移動していたヴァンパイアが、俺の顎を掴み、無理矢理上を向かせた。
呼吸がしづらい。苦しい。
のぞき込むようにして近づいてくる赤い目を見ていると、視界が回転するようだった。
「人狼ではなさそうだし、どうして人間である君に私の洞察が効かないのか・・・・・・興味深い」
ヴァンパイアは真っ赤な舌で唇を舐めると、俺の体を仰向けに転がし、その上に覆い被さった。
礼服の襟を掴み、引き裂かれ、俺の胸板が陽光にさらされる。
俺ですらこの太陽の日差しに参っているのに、ヴァンパイアであるこの男は、なぜ動けるのだろう。
日光に晒されたところで、ヴァンパイアは死なない。
生きていられるが、いつも通りの力は出せないのだ。
だが、この男は弱りもせず、悠然としている。
やはりこの男は、並大抵のヴァンパイアではない。
「お前、何者なんだ・・・・・・!」
腹からゆっくり首筋に上ってきた氷のような指先を睨み、俺はかすれた声でそう訊ねた。
ヴァンパイアは、鼻先が触れそうな程顔を俺に近づけ、言った。
「我が名はエルヴィス。人間よ、貴様を我が眷属に加えてやろう。光栄に思え」
冗談ではない。
眷属という事は、ヴァンパイアにされるという事だ。
俺は必死に体を動かそうとするが、もはや指先一つ動かない。
そうしているうちにエルヴィスの腕が俺の体を抱き起こした。
背中に回された腕や、首筋に触れる奴の唇があまりにも冷たくて、俺の体が強ばる。
「やめ、やめろ・・・・・・」
「すぐにすむ。痛いのは最初だけだ」
嫌だ。
嫌だ嫌だ嫌だ。
誰か、助けてくれ。
俺の頭の中に団長とローガン、遊撃隊の仲間の顔が浮かぶ。
彼らと敵同士にはなりたくない。
「誰か、助けーー」
「ライアン!」
エルヴィスの牙が俺の肌に触れたとき、墓地に鋭い一声が響きわたった。
俺は固まってしまった頭をゆっくり横に向けた。
「ロ、ガン・・・・・・」
墓地の入り口には、顔を真っ赤にして怒るローガンが立っていた。
俺に覆い被さるようにして抱きついていたエルヴィスは、鼻先で笑う。
「ほう、人狼か。まだ青い」
「てめえ・・・・・・ライアンから離れろおおおお!」
ローガンは腕を地面に付け、四つん這いになって吠えた。
声に呼応するように、彼の髪の毛が長く広がり、背中を覆う。
犬歯や爪も鋭く伸び、瞳孔は濃い青に染まった。
「ぐるあああああっ」
まるで、狼が遠吠えしいているような姿勢だ。
ローガンは地面をえぐり、エルヴィスに飛びかかった。
太陽の光を受けて輝く爪が、氷の彫刻のようなエルヴィスの美顔を襲うーーが、
「遅いな」
ふわりと体が浮いたと思ったら、俺の視線の先にはローガンが一人で立っていた。
エルヴィスは俺を抱え、あの一瞬で墓地の隅まで逃げおおせたのだ。
ローガンの顔には驚きと困惑が入り乱れ、汗が噴き出していた。
俺は、このままでは負けると悟った。
この男は戦って勝てるーーいや、生き延びられる相手ではない。
「ローガン! お前だけなら逃げられる! 逃げろ!」
「お前を置いて行ける分けねえだろ!」
俺の人生は、家族を殺された三年前に、一度終わっているのだ。
ヴァンパイアとの戦いを選んだ今、自分がヴァンパイアになる事よりも、仲間をみすみす死なせる事の方が怖い。
なのに、ローガンは逃げてくれない。
何度も何度もエルヴィスに飛びかかっては避けられ、時に腹を蹴られる。
地面を転がり、土まみれになっていくローガンの姿を見るのは耐えられなかった。
「もうやめてくれ! 俺を眷属でもなんでもしていいから、あいつを殺さないでくれ!」
「貴様に言われなくとも、私ももう飽きた」
エルヴィスは片腕で俺の体を抱くと、空いた手で俺の顔を横へ傾ける。
奴の手が眼を隠して、何も見えない。
俺は閉ざされた視界の中、ローガンが俺の名を呼んでいるのが聞こえた。
「ごめん、ローガン」
俺がヴァンパイアになったら、お前が俺を殺してくれ。
そう願ったとき、俺の首筋に激痛が走った。
鋭いものが、首の皮を突き抜けた。
「あ、あ・・・・・・」
神経をかきむしる痛みが、じょじょに痺れに変わっていく。自分の中に流れる生命力が吸い取られていき、意識が遠のいていった。
だが、完全に瞼が落ちる前。
首筋から牙が抜かれ、低くかすれた声が俺の耳元で囁いた。
「ーー気が変わった。眷属にするのはまた今度だ。今は、刻印だけ付けておく」
「刻印・・・・・・?」
「獲物に付ける目印ーーマーキングだ」
もう体に力が入らない。
不覚にもエルヴィスの腕に体重を預けると、エルヴィスが俺の体を抱き上げたのが分かった。
そのまま、固い地面へ降ろされる。その所作が思ったよりも優しく、俺は薄れゆく意識の中、驚く。
「貴様はもう、私の手の中にある。どこにいようと、その居場所を見失うことはないだろう」
そう言って、冷たい指が噛みついた箇所を撫でた。
一瞬痛みがあったが、俺はもう、話す気力も起きずに意識を手放した。
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