ヘンリー

鳥井ネオン

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 キヨカズが泣いてる。

 灯りを消したダイニングキッチンで、ほとんど声も出さないで泣いてる。大人で、男で、愛してる人が泣いてるのに、僕は何をすることもできない。ただ横にいて息をころすこと以外は。

 キヨカズが泣くのをはじめて見た。キヨカズだけじゃない。身近な男の人が泣くのをはじめて見た。世界中のメディアを騒がせてるニュース。銃撃と死体。衝撃的な映像と犠牲者の情報。考察、解説、目撃者の話。犯行声明。犯人の情報。動機。使われた銃の種類。
 きらびやかなクリスマスツリー。天まで届くくらいに高くて、眩しい。イルミネーションと警察車両の点滅。叫び声。

 その惨劇の片棒を担いだキヨカズは、まだそのことを知られてない。キヨカズは罰せられない。彼は今回も捕まらない。汚れた安全圏にいて、銃撃に巻き込まれたデリバリー嬢のために泣いてる。

「いい子だった」

 まるで父親みたいな口調で言う。キヨカズにチョコバーやお菓子をくれた娼婦。普通の顔のナンバーワン。いつも少女趣味なドレスを着てて、しょっちゅう流血して泣いていた女の子。

「パーティにいるなんて思わなかった。巻き込まれるなんて」

 他の犠牲者のことは気にしてない。自分が何をして大金を稼いだのかも気にしてない。捕まるリスクを計算して、不自然じゃないタイミングで姿をくらます計画は立ててある。彼はただその女の子のためだけに泣く。どうしようもないクズ。

「なんでだろうな」

 暗闇で泣いているこの犯罪者を、それでも僕は愛してる。どうしてなのか分からないけど。とてもとても愛してる。

「なんでいつも、いいヤツはひどい目にあうんだろうな。クソ野郎どもはノーダメージなのにさ」

 キヨカズのように。そして僕のように。クズはしぶとく生き残る。だから世界はクソなのかもしれない。

「僕はたちは死なない。重要なのはそれだけ」

 キヨカズの背中に腕をまわす。あたたかい身体を抱きしめる。心臓の鼓動を感じる。どす黒い中心が脈打ってる。

「死ぬときは一緒」

 キヨカズの耳元で囁く。僕たちの呪いの言葉を。彼は頷く。そして繰り返す。祈りの言葉みたいに。

「死ぬときは一緒」
 
 端末のニュースをスクロールする。血まみれのニュースの洪水。悲劇は最高のコンテンツだ。ケダモノたちが餌に飛びついてまだ暖かいかなしみを貪る。

 ヘンリー、僕はそこにあなたを見つける。悲劇の隙間にあなたがいる。短いセンテンスで。それほど価値のないトピックとして。
 僕はあなたの意識が回復したことを知る。
 
 ヘンリー、聞こえる?
 
 あなたがどこかに行ってた間に、僕はもっと底まで堕ちたよ。トップニュースの裏側に僕はいる。誰にも知られずに。この悲劇にあなたは埋もれる。今日のトピックスのなかでは、あなたの回復なんて天気予報と同じレベルだ。だけど僕にとっては違う。キヨカズは娼婦の女の子のために泣いて、僕はあなたの復活に泣きそうになる。

 ヘンリー、ねぇ、ヘンリー。
 ヘンリー、ヘンリー、ヘンリー、ヘンリー。
 お願い。
 僕を許して。
 クズだなって笑って。大丈夫だって言って。なにも問題ないって言って。一緒にいて。肯定して。なんでもするから。ぜんぶあげるから。ずっとあなたの親友でいるから。
 
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