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王国漫遊編
9.真夜中の怪事件
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「なんだ…?」
眠い目を擦って窓の外を見やると、灯りを持った市民たちが、慌てた様子で駆け回っていた。
ただ事ではないと、私たちは寝間着を着替えて外に出た。
「女将さん、何があったんですか?」
「ああ、あんたら…。また行方不明だよ。今度は一気に5人も」
「5人?!」
ギルドで報告を受けたときから、まだ半日も経ってないのに。
混乱する私の耳に、ふと市民たちの会話が入ってきた。
「立て続けに人がいなくなるなんてことあるのか?」
「衛兵たちは何をやってるんだ」
「向かいのパン屋の娘さんもいなくなったんだって」
「食堂の看板娘もだろ?」
「おれは二番街の裁縫屋の娘が消えたって聞いたぞ」
心臓が早鐘を打った。
焦り急いで向かおうと、私は地面を蹴って屋根へ跳び上がった。
「リコ、私はギルドへ向かってみます!気を付けて!」
「おう!」
全速力で屋根を走りながら、リルムたちに【念話】で呼びかける。
「緊急事態。人がいなくなった。四人で街中をくまなく探して」
『わかったー』
『はいよ』
『かしこまりましてございます』
『了解でござる』
街中が騒がしい。
二番街に到着したとき、小鳥の裁縫屋の前には人だかりが出来ていた。
咽び泣くキャエラさんの肩を、頭を怪我したトランドさんが抱いている。
「トランドさん!キャエラさん!」
「リコリスさん…あぁぁぁぁ!!」
アイファさんの姿が無い。
本当にいなくなったんだ…
「表のドアが開いた音がして…気になって様子を見に…外に出たアイファが誰かに…!くっ…!!」
「誰かって?」
「フードを被っていて顔は見えなかった…。追おうとしたんだが、私では敵わず…」
複数人が同時にいなくなったんなら単独犯なはずない。
「ルドナ、街の入り口は?」
『人が集まっていますが、衛兵の話によれば外に出た者はいないようです』
外には逃げてない…?
二十人近く攫って、見つかりやすい街中に隠すか?
かといって高い壁を人を抱えて登るとも考えにくい。
私なら街中よりは外を選ぶ。
「街の中はシロンとウルに任せる。ルドナ、リルムを連れて街の周辺を探して。まだそんなに遠くには行ってないはず」
『はっ!』
『わかったー』
さて…気がかりなのは、トランドさんの話から察するに、アイファさんが自分から外に出てる件だ。
こんな夜中に何か用事があった?
無い話じゃないけど…それにしては、その後何も抵抗しなかったのが引っかかる…
自分からそうするように仕向けた…?
「アイファ…ああアイファ…どうか…どうか無事で…」
落ち着け…頭を回せ…
私たちと別れるまで、少なくともアイファさんが眠りにつくまでは平常だったんだ。
なら時限式で発動する何らかのスキルが使われたってことか…
『リコリス』
「シロン、何かあった?」
『街の中なんだが、夕方帰ってきたときリコリスからした匂いが微かにするんだ』
「匂い?」
『拙者も感じるでござる。主殿に付着したものより濃い…花の蜜を煮詰めたような甘い匂い…。これは確か――――』
ボウッ――――――――
思考を遮るように、街のどこかで炎が上がった。
――――――――
「何故だ…何故これだけの人数がいなくなって何の情報も無い!!」
冒険者ギルド。
ウォルステンが自分の不甲斐なさに苛ついているのを尻目に、アルティは行方不明者のリストを見直した。
(相変わらず被害者に一貫性は無い。失踪した箇所も時間もバラバラ。街には常に衛兵が巡回しているにも関わらず、まるで意に介していないかのように犯行に及んでいる。犯人の目的がどうであれ、自分の犯行に絶対の自信を持っているかのよう)
完璧な情報統制。
綿密な計画。
アルティは、むしろそれが不自然に思えて眉根を寄せた。
(これだけの被害が出ていて、まともな目撃情報が上がっていない…。これは…)
何かに気付きかけたとき。
窓の外に火の手が上がっているのが見えた。
それも一つではない。
街の至るところが燃えている。
「火事?!」
「いえ、同時多発の放火でしょう」
「くっ!急いで消防団に連絡を!冒険者を集めて消火に努めろ!」
「その必要はありません。私がやります」
この見計らったかのようなタイミング。
人攫いの件に無関係なはずはないと睨みギルドを飛び出す。
人々の悲鳴と混乱の騒ぎの中、足元に光り輝く魔法陣を展開した。
「恵みの雨」
鏡写しのように、街全体を覆う魔法陣が空に現れ、雲がかかって雨粒が落ちる。
激しくも優しい雨が炎を見る見るうちに鎮めていった。
「天候操作とは…第三階位の魔法だぞ…!これが大賢者の力か…!」
(火事の騒ぎにリコが行動している様子がない…街の外に出た…?ということは…)
「ワンッ!」
雨に濡れながら、夜闇に紛れウルが飛び出てくる。
「ダークウルフ?!」
「落ち着いて。リコの従魔です」
ウルの背中に乗っていたリルムがアルティに飛びつくと、頭の上でポヨポヨと跳ねた。
「リコは一緒じゃないんですね」
「ワン!」
「やはり……ウォルステンさん」
「あ、ああ!」
「おそらくリコは犯人のところへ向かっています」
「なんだと?!見当がついたのか?!一人で?!すぐに応援を!!」
「いえ、向こうは一人で大丈夫でしょう。私たちは私たちで成すべきことを成すべきです」
「成すべき…こと?」
「不届き者に氷獄の裁きを」
銀の大賢者は、己が内に燻る怒りと不快の炎を滾らせた。
――――――――
風の魔法で身体を浮かし壁を飛び越え、そのまま森の中へと入っていく。
『マスター、こちらです』
ルドナと並走して辿り着いた先は、人が立ち入らない森の奥。
そこにはポツンと小さな小屋が建っていた。
「あそこか」
『小屋の中に娘たちが。全員鎖で縛られ逃げることはままならないようです。マスターの命令無しに手を出してはならないと、しばし様子を窺いましたが』
「うん、ありがとう」
小屋の前には見張りの男が数人。
中にもまだいるみたいだけど、人数差なんか気にしない。
私は闇に紛れながらルドナと共に茂みから飛び出した。
最初の一人の顎を蹴り抜いて、続けざまにもう一人の腹に鞘の先をめり込ませる。
「誰――――――――」
驚きの声は上げさせない。
身体を捻って踵をこめかみに撃ち込んだ。
「くそっ!!」
笛で仲間を呼ぼうとした最後の一人が、空から急襲したルドナに足の腱を切られ倒れる。
そのまま鞘で頭部を打ち気絶させる。
残りは家の中。
敵は少ない。
一刻も早く助けないと、と扉を破って中の男全員を一瞬で気絶させたのはいいけど、肝心の女の子たちの姿が無い。
騒ぎに気付いて外に連れ出した様子はなかったから、たぶん……あった。
床下に隠し階段。
この先か…
階段を降りようとして、ギシッと入り口の踏み板が鳴った。
「…!ジーナさん!」
「リコリス!どうしてここへ!」
「怪しい人を見つけたもんでヘヘヘ。ジーナさんは?」
「あたしもさ。きっとこれは人攫いのアジトに違いないってね。この先かい?」
「たぶん」
「よし、行こう」
階段の先には通路と鉄の扉。
やはり見張りがいる。
なんてことなく気絶させて、持っていた鍵を拝借する。
扉の向こうの薄暗くかびと鉄の臭いが強い空間で、囚われていた女の子たちが心細そうに泣いていた。
「アイファさん!」
「リコリス…ちゃん…?」
全員鎖と枷をされてるけど怪我は無さそう。
「無事でよかった。今助ける」
「…!誘拐犯は…!」
「大丈夫。みんな気絶してる」
「お手柄だな。急いで衛兵に連絡しないと。リコリス、すまないが街へ救援を呼びに行ってもらえるか。娘たちの安否は私が」
パンッ――――――――
ジーナさんが伸ばそうとした手を、私は思い切り振り払った。
「な、なにを…」
「いい加減猿芝居はやめようよ、ジーナさん」
「どうしたリコリス?私は…」
「無駄だよ。悪いけど私には効かないから」
「…………」
甘い匂いが強くなる。
これはアセンタティオフラワーと呼ばれる花の香り。
見た目こそ美しいけど身体に害の無い毒性を持ち、香りを嗅いだ者を軽度の催眠状態にかける。
端的に、媚薬の材料とされる花だ。
そう、アイファさんを始めとした全員が、髪飾りにしている花がまさにそれ。
高い山に生息してて、こんな平地にはまず咲かないもの。
「アイファさん、その髪飾り誰からもらったの?」
「それは…」
何も言わずにジーナさんに目をやる。
「エクストラスキル【花魔法】…花を生み出す可愛いスキルなのに。使い道が可愛くないね。ターゲットに花を渡して香りを嗅がせ催眠をかける。命令自体は、何時に家を出ろ、みたいな簡単なものでいい。あとは街から連れ出すだけ。これで世にも奇妙な誘拐の完成だ」
「リコリス、おかしなことを言うな。街にも街の入り口にも衛兵がいる。そんな花で催眠をかけたとして、連れ出すなんて真似が出来るわけない。街に抜け道があるわけじゃあるまいし」
「抜け道ならあったでしょ」
ただしそれは壁に穴を開けたり、地下を掘ったりした言葉通りのものじゃない。
「街に衛兵が巡回してても、検問所に詰めてても関係ない。衛兵全員がグルっていう秘密の抜け道が、さ」
「街の衛兵が全員…?!そんな…!」
衛兵が誘拐犯の一味なら、自然に街中を歩けるし、検問所を抜けても誰も怪しまない。
盲点といえば盲点で、誰も想像だにしなかった。
街を守るはずの衛兵が犯罪に手を染めていたなんて。
「ただの推測だったけど、気にしてみれば結構匂うね。甘い花の匂いに混じった、欲にまみれたゲスの匂いだ」
すると、ジーナさんは整った顔を歪ませて高笑いを始めた。
「ハハハ、アッハハハ…アッハッハッ!!あーあー…いい商売だったんだがねぇ。次の商人の訪問が早まって焦ったか。あたしの策を見破る奴がいるとは思いもしなかった」
「あいにく天才なもんでね。この子たち全員奴隷か娼館にでも売るつもりだったってか?ていうか、今まで何人を泣かせた。街の顔って言ってたくらいだもん。衛兵務めなんて一年、二年の話じゃねえんだろ」
「さてねぇ。何人どころか誰を売ったかも覚えてないよ。あたしの目には、女なんざ金貨の山にしか映らない」
「さぞいいお金になったみたいで」
「スケベジジイに好事家な貴族、買う奴は見事に金払いのいいクズばかりさ」
「女売ってるクズが言うなよ」
「そのクズに街は守られてた。何も知らずに街の連中は私に感謝した。ありがとう、今日も街は平和だったよ、ってね。アッハハハ!可笑しいだろう?私がクズなら街の連中はただのバカだ。マヌケだ。そんでもって、売られるしか能のない女どもはただの家畜だ。いや、家畜の方が使い道はあるかねぇ」
私は、あまり気が進まないながらあることを訊いた。
「攫った人は全員売ったのか」
「わかりきってるくせに言うなよ」
部屋の鉄の匂い。
床のシミ。
それがどういうことか、考えただけで吐きそうだった。
散々犯して、嬲って、罵って、嘲って、踏み躙って、そして。
「さあ、話は終わりだ。あんたも大事な商品だからね。大人しくしな」
ジーナは剣を抜くと、躊躇なく私に向けた。
刺激臭…剣には違う種類の毒を塗ってるのか。
「商品ね…街に入る段階で値踏みされてたわけだ」
「あんたはいい商品になるよ。変態オヤジに高値で売ってやろうじゃないか」
「三食おやつ昼寝付き贅沢し放題の超美人マダムとかなら揺らぐんだけどね。それも美人さんのお誘いなんて」
「いつまでそうして余裕かましてるつもりだい?今頃街は大慌てだってのに」
「あの火事に乗じて全員逃げるつもりでしょ?もうあの街には利用価値が無くなったってことかな?」
「目ぼしい娘は攫っちまったからね。また次の街で悠々と仕事をさせてもらうさ」
「いやいや無理だよ。残念だけど、あんたはここで潰すから」
すると、ジーナはまた下卑た風に笑う。
「あたしはこれでも元は悪魔級の冒険者だ。たかが粘体級が敵うわけないだろう」
等級で判断するあたり、この制度は明確な力の強さを表しているようだった。
けど、だからなんだ。
「大人しくしておきな。あんまり傷付けると価値が下がるからね。なぁに寂しくないさ。あの銀髪のツレもすぐに一緒にしてあげるからね。けど、売るのは勿体なく思うよ。ああいう気の強そうな女を痛めつけて痛めつけて痛めつけて、顔の形が変わるまで、声が枯れるまで、泣き叫ばせて、絶望させたとき、生きてるって実感するからねぇ」
ああ、本当に残念だよ。
「――――――――!!」
バキン、とジーナの剣が折れる。
いや、剣を握って折ってやった。
流れた血が止まり、毒も効かない私を、ジーナは怖いものでも目撃したような目で見た。
「何なんだい…あんたは…!」
「スーパーイケメン美少女です♡」
「何なんだいあんたは!!」
血まみれの手でピースを決めても様にならないようなので、ちゃんとシリアスしてみることにした。
「何だろう……正義のヒーローじゃないのは確かなんじゃないかな。縁が無かったら助けにも来なくて、人の楽園で悪さされたから怒ってるだけの、ただのガチ百合自己チュー女とかちょうどいいかもね」
「なんだそりゃあ…!!」
「知る必要無いよ。言ったでしょ。潰すって」
「ハッ、強がりやがって!すぐにあたしの仲間がここに集まってくる!覚悟するんだね!全員で飽きるまで輪姦してやるよ!!」
「だから無理だって」
途端、急激に気温が下がった。
空気が凍り息が白くなった。
「なんだ…何が…」
どうやら私の親友の辞書に、加減という言葉は載っていないらしい。
――――――――
ウォルステンは目を疑った。
氷に閉ざされた街を。
一網打尽に氷漬けにされた誘拐犯たちを。
そして、それらを一人で成した魔法使いを。
「彼らの可及的速やかな逮捕を。命までは取っていません。ただ、あまり強い衝撃を与えると中身ごと砕けるので気を付けてください」
「あ、ああ…」
何が起こっているのかと問われれば、事件が解決に向かっていると、それ以外の感想が出てこない。
ウォルステンは膨大な冷気に、または街を覆う氷が砕ける目の前の幻想にブルッと身体を震わせた。
――――――――
「たぶんもう残ってるのはあんただけだと思うけど、どうする?大人しくしてくれれば何もしないけど」
ジーナは折れた剣を捨てると、手の中に一輪の花を生み出した。
「死ね!!」
触れただけで肌が腐り落ちる花びらを持った猛毒の花。
それを私の顔目掛けて投げてきたけど、逆に鷲掴みにして自分から食らってやった。
「?!」
「あー…毒キノコよりはまだ食べられるな…。おいしくはないけど」
「あん、た…」
「私なら平気だよ、訓練してるから。毒じゃ死なない」
「化け物…」
「寄りではあるかもね。早くみんなを帰してあげたいし、悪いけどここまでにするね」
ヒッ、と怯えて尻もちをつき後ずさる。
「来るな…来るな!!」
もうカッコつけて花を食べるのは嫌なので、投げられたそばから【アイテムボックス】に収納してやる。
美人の恐怖で引きつった顔も嫌いじゃないけれど、やっぱり私は笑った顔の方が好みだ。
「生まれ変わったら…次のあなたの人生は、豊かで幸せなものになりますように」
耳元でそっと囁くと、ジーナは白目を剝いて気を失った。
口元から泡を吹いて、まるで死にかけの虫みたい。
あまりにあっけなく。
ルムの街を騒がせていた怪事件は、そっと幕を閉じたのであった。
眠い目を擦って窓の外を見やると、灯りを持った市民たちが、慌てた様子で駆け回っていた。
ただ事ではないと、私たちは寝間着を着替えて外に出た。
「女将さん、何があったんですか?」
「ああ、あんたら…。また行方不明だよ。今度は一気に5人も」
「5人?!」
ギルドで報告を受けたときから、まだ半日も経ってないのに。
混乱する私の耳に、ふと市民たちの会話が入ってきた。
「立て続けに人がいなくなるなんてことあるのか?」
「衛兵たちは何をやってるんだ」
「向かいのパン屋の娘さんもいなくなったんだって」
「食堂の看板娘もだろ?」
「おれは二番街の裁縫屋の娘が消えたって聞いたぞ」
心臓が早鐘を打った。
焦り急いで向かおうと、私は地面を蹴って屋根へ跳び上がった。
「リコ、私はギルドへ向かってみます!気を付けて!」
「おう!」
全速力で屋根を走りながら、リルムたちに【念話】で呼びかける。
「緊急事態。人がいなくなった。四人で街中をくまなく探して」
『わかったー』
『はいよ』
『かしこまりましてございます』
『了解でござる』
街中が騒がしい。
二番街に到着したとき、小鳥の裁縫屋の前には人だかりが出来ていた。
咽び泣くキャエラさんの肩を、頭を怪我したトランドさんが抱いている。
「トランドさん!キャエラさん!」
「リコリスさん…あぁぁぁぁ!!」
アイファさんの姿が無い。
本当にいなくなったんだ…
「表のドアが開いた音がして…気になって様子を見に…外に出たアイファが誰かに…!くっ…!!」
「誰かって?」
「フードを被っていて顔は見えなかった…。追おうとしたんだが、私では敵わず…」
複数人が同時にいなくなったんなら単独犯なはずない。
「ルドナ、街の入り口は?」
『人が集まっていますが、衛兵の話によれば外に出た者はいないようです』
外には逃げてない…?
二十人近く攫って、見つかりやすい街中に隠すか?
かといって高い壁を人を抱えて登るとも考えにくい。
私なら街中よりは外を選ぶ。
「街の中はシロンとウルに任せる。ルドナ、リルムを連れて街の周辺を探して。まだそんなに遠くには行ってないはず」
『はっ!』
『わかったー』
さて…気がかりなのは、トランドさんの話から察するに、アイファさんが自分から外に出てる件だ。
こんな夜中に何か用事があった?
無い話じゃないけど…それにしては、その後何も抵抗しなかったのが引っかかる…
自分からそうするように仕向けた…?
「アイファ…ああアイファ…どうか…どうか無事で…」
落ち着け…頭を回せ…
私たちと別れるまで、少なくともアイファさんが眠りにつくまでは平常だったんだ。
なら時限式で発動する何らかのスキルが使われたってことか…
『リコリス』
「シロン、何かあった?」
『街の中なんだが、夕方帰ってきたときリコリスからした匂いが微かにするんだ』
「匂い?」
『拙者も感じるでござる。主殿に付着したものより濃い…花の蜜を煮詰めたような甘い匂い…。これは確か――――』
ボウッ――――――――
思考を遮るように、街のどこかで炎が上がった。
――――――――
「何故だ…何故これだけの人数がいなくなって何の情報も無い!!」
冒険者ギルド。
ウォルステンが自分の不甲斐なさに苛ついているのを尻目に、アルティは行方不明者のリストを見直した。
(相変わらず被害者に一貫性は無い。失踪した箇所も時間もバラバラ。街には常に衛兵が巡回しているにも関わらず、まるで意に介していないかのように犯行に及んでいる。犯人の目的がどうであれ、自分の犯行に絶対の自信を持っているかのよう)
完璧な情報統制。
綿密な計画。
アルティは、むしろそれが不自然に思えて眉根を寄せた。
(これだけの被害が出ていて、まともな目撃情報が上がっていない…。これは…)
何かに気付きかけたとき。
窓の外に火の手が上がっているのが見えた。
それも一つではない。
街の至るところが燃えている。
「火事?!」
「いえ、同時多発の放火でしょう」
「くっ!急いで消防団に連絡を!冒険者を集めて消火に努めろ!」
「その必要はありません。私がやります」
この見計らったかのようなタイミング。
人攫いの件に無関係なはずはないと睨みギルドを飛び出す。
人々の悲鳴と混乱の騒ぎの中、足元に光り輝く魔法陣を展開した。
「恵みの雨」
鏡写しのように、街全体を覆う魔法陣が空に現れ、雲がかかって雨粒が落ちる。
激しくも優しい雨が炎を見る見るうちに鎮めていった。
「天候操作とは…第三階位の魔法だぞ…!これが大賢者の力か…!」
(火事の騒ぎにリコが行動している様子がない…街の外に出た…?ということは…)
「ワンッ!」
雨に濡れながら、夜闇に紛れウルが飛び出てくる。
「ダークウルフ?!」
「落ち着いて。リコの従魔です」
ウルの背中に乗っていたリルムがアルティに飛びつくと、頭の上でポヨポヨと跳ねた。
「リコは一緒じゃないんですね」
「ワン!」
「やはり……ウォルステンさん」
「あ、ああ!」
「おそらくリコは犯人のところへ向かっています」
「なんだと?!見当がついたのか?!一人で?!すぐに応援を!!」
「いえ、向こうは一人で大丈夫でしょう。私たちは私たちで成すべきことを成すべきです」
「成すべき…こと?」
「不届き者に氷獄の裁きを」
銀の大賢者は、己が内に燻る怒りと不快の炎を滾らせた。
――――――――
風の魔法で身体を浮かし壁を飛び越え、そのまま森の中へと入っていく。
『マスター、こちらです』
ルドナと並走して辿り着いた先は、人が立ち入らない森の奥。
そこにはポツンと小さな小屋が建っていた。
「あそこか」
『小屋の中に娘たちが。全員鎖で縛られ逃げることはままならないようです。マスターの命令無しに手を出してはならないと、しばし様子を窺いましたが』
「うん、ありがとう」
小屋の前には見張りの男が数人。
中にもまだいるみたいだけど、人数差なんか気にしない。
私は闇に紛れながらルドナと共に茂みから飛び出した。
最初の一人の顎を蹴り抜いて、続けざまにもう一人の腹に鞘の先をめり込ませる。
「誰――――――――」
驚きの声は上げさせない。
身体を捻って踵をこめかみに撃ち込んだ。
「くそっ!!」
笛で仲間を呼ぼうとした最後の一人が、空から急襲したルドナに足の腱を切られ倒れる。
そのまま鞘で頭部を打ち気絶させる。
残りは家の中。
敵は少ない。
一刻も早く助けないと、と扉を破って中の男全員を一瞬で気絶させたのはいいけど、肝心の女の子たちの姿が無い。
騒ぎに気付いて外に連れ出した様子はなかったから、たぶん……あった。
床下に隠し階段。
この先か…
階段を降りようとして、ギシッと入り口の踏み板が鳴った。
「…!ジーナさん!」
「リコリス!どうしてここへ!」
「怪しい人を見つけたもんでヘヘヘ。ジーナさんは?」
「あたしもさ。きっとこれは人攫いのアジトに違いないってね。この先かい?」
「たぶん」
「よし、行こう」
階段の先には通路と鉄の扉。
やはり見張りがいる。
なんてことなく気絶させて、持っていた鍵を拝借する。
扉の向こうの薄暗くかびと鉄の臭いが強い空間で、囚われていた女の子たちが心細そうに泣いていた。
「アイファさん!」
「リコリス…ちゃん…?」
全員鎖と枷をされてるけど怪我は無さそう。
「無事でよかった。今助ける」
「…!誘拐犯は…!」
「大丈夫。みんな気絶してる」
「お手柄だな。急いで衛兵に連絡しないと。リコリス、すまないが街へ救援を呼びに行ってもらえるか。娘たちの安否は私が」
パンッ――――――――
ジーナさんが伸ばそうとした手を、私は思い切り振り払った。
「な、なにを…」
「いい加減猿芝居はやめようよ、ジーナさん」
「どうしたリコリス?私は…」
「無駄だよ。悪いけど私には効かないから」
「…………」
甘い匂いが強くなる。
これはアセンタティオフラワーと呼ばれる花の香り。
見た目こそ美しいけど身体に害の無い毒性を持ち、香りを嗅いだ者を軽度の催眠状態にかける。
端的に、媚薬の材料とされる花だ。
そう、アイファさんを始めとした全員が、髪飾りにしている花がまさにそれ。
高い山に生息してて、こんな平地にはまず咲かないもの。
「アイファさん、その髪飾り誰からもらったの?」
「それは…」
何も言わずにジーナさんに目をやる。
「エクストラスキル【花魔法】…花を生み出す可愛いスキルなのに。使い道が可愛くないね。ターゲットに花を渡して香りを嗅がせ催眠をかける。命令自体は、何時に家を出ろ、みたいな簡単なものでいい。あとは街から連れ出すだけ。これで世にも奇妙な誘拐の完成だ」
「リコリス、おかしなことを言うな。街にも街の入り口にも衛兵がいる。そんな花で催眠をかけたとして、連れ出すなんて真似が出来るわけない。街に抜け道があるわけじゃあるまいし」
「抜け道ならあったでしょ」
ただしそれは壁に穴を開けたり、地下を掘ったりした言葉通りのものじゃない。
「街に衛兵が巡回してても、検問所に詰めてても関係ない。衛兵全員がグルっていう秘密の抜け道が、さ」
「街の衛兵が全員…?!そんな…!」
衛兵が誘拐犯の一味なら、自然に街中を歩けるし、検問所を抜けても誰も怪しまない。
盲点といえば盲点で、誰も想像だにしなかった。
街を守るはずの衛兵が犯罪に手を染めていたなんて。
「ただの推測だったけど、気にしてみれば結構匂うね。甘い花の匂いに混じった、欲にまみれたゲスの匂いだ」
すると、ジーナさんは整った顔を歪ませて高笑いを始めた。
「ハハハ、アッハハハ…アッハッハッ!!あーあー…いい商売だったんだがねぇ。次の商人の訪問が早まって焦ったか。あたしの策を見破る奴がいるとは思いもしなかった」
「あいにく天才なもんでね。この子たち全員奴隷か娼館にでも売るつもりだったってか?ていうか、今まで何人を泣かせた。街の顔って言ってたくらいだもん。衛兵務めなんて一年、二年の話じゃねえんだろ」
「さてねぇ。何人どころか誰を売ったかも覚えてないよ。あたしの目には、女なんざ金貨の山にしか映らない」
「さぞいいお金になったみたいで」
「スケベジジイに好事家な貴族、買う奴は見事に金払いのいいクズばかりさ」
「女売ってるクズが言うなよ」
「そのクズに街は守られてた。何も知らずに街の連中は私に感謝した。ありがとう、今日も街は平和だったよ、ってね。アッハハハ!可笑しいだろう?私がクズなら街の連中はただのバカだ。マヌケだ。そんでもって、売られるしか能のない女どもはただの家畜だ。いや、家畜の方が使い道はあるかねぇ」
私は、あまり気が進まないながらあることを訊いた。
「攫った人は全員売ったのか」
「わかりきってるくせに言うなよ」
部屋の鉄の匂い。
床のシミ。
それがどういうことか、考えただけで吐きそうだった。
散々犯して、嬲って、罵って、嘲って、踏み躙って、そして。
「さあ、話は終わりだ。あんたも大事な商品だからね。大人しくしな」
ジーナは剣を抜くと、躊躇なく私に向けた。
刺激臭…剣には違う種類の毒を塗ってるのか。
「商品ね…街に入る段階で値踏みされてたわけだ」
「あんたはいい商品になるよ。変態オヤジに高値で売ってやろうじゃないか」
「三食おやつ昼寝付き贅沢し放題の超美人マダムとかなら揺らぐんだけどね。それも美人さんのお誘いなんて」
「いつまでそうして余裕かましてるつもりだい?今頃街は大慌てだってのに」
「あの火事に乗じて全員逃げるつもりでしょ?もうあの街には利用価値が無くなったってことかな?」
「目ぼしい娘は攫っちまったからね。また次の街で悠々と仕事をさせてもらうさ」
「いやいや無理だよ。残念だけど、あんたはここで潰すから」
すると、ジーナはまた下卑た風に笑う。
「あたしはこれでも元は悪魔級の冒険者だ。たかが粘体級が敵うわけないだろう」
等級で判断するあたり、この制度は明確な力の強さを表しているようだった。
けど、だからなんだ。
「大人しくしておきな。あんまり傷付けると価値が下がるからね。なぁに寂しくないさ。あの銀髪のツレもすぐに一緒にしてあげるからね。けど、売るのは勿体なく思うよ。ああいう気の強そうな女を痛めつけて痛めつけて痛めつけて、顔の形が変わるまで、声が枯れるまで、泣き叫ばせて、絶望させたとき、生きてるって実感するからねぇ」
ああ、本当に残念だよ。
「――――――――!!」
バキン、とジーナの剣が折れる。
いや、剣を握って折ってやった。
流れた血が止まり、毒も効かない私を、ジーナは怖いものでも目撃したような目で見た。
「何なんだい…あんたは…!」
「スーパーイケメン美少女です♡」
「何なんだいあんたは!!」
血まみれの手でピースを決めても様にならないようなので、ちゃんとシリアスしてみることにした。
「何だろう……正義のヒーローじゃないのは確かなんじゃないかな。縁が無かったら助けにも来なくて、人の楽園で悪さされたから怒ってるだけの、ただのガチ百合自己チュー女とかちょうどいいかもね」
「なんだそりゃあ…!!」
「知る必要無いよ。言ったでしょ。潰すって」
「ハッ、強がりやがって!すぐにあたしの仲間がここに集まってくる!覚悟するんだね!全員で飽きるまで輪姦してやるよ!!」
「だから無理だって」
途端、急激に気温が下がった。
空気が凍り息が白くなった。
「なんだ…何が…」
どうやら私の親友の辞書に、加減という言葉は載っていないらしい。
――――――――
ウォルステンは目を疑った。
氷に閉ざされた街を。
一網打尽に氷漬けにされた誘拐犯たちを。
そして、それらを一人で成した魔法使いを。
「彼らの可及的速やかな逮捕を。命までは取っていません。ただ、あまり強い衝撃を与えると中身ごと砕けるので気を付けてください」
「あ、ああ…」
何が起こっているのかと問われれば、事件が解決に向かっていると、それ以外の感想が出てこない。
ウォルステンは膨大な冷気に、または街を覆う氷が砕ける目の前の幻想にブルッと身体を震わせた。
――――――――
「たぶんもう残ってるのはあんただけだと思うけど、どうする?大人しくしてくれれば何もしないけど」
ジーナは折れた剣を捨てると、手の中に一輪の花を生み出した。
「死ね!!」
触れただけで肌が腐り落ちる花びらを持った猛毒の花。
それを私の顔目掛けて投げてきたけど、逆に鷲掴みにして自分から食らってやった。
「?!」
「あー…毒キノコよりはまだ食べられるな…。おいしくはないけど」
「あん、た…」
「私なら平気だよ、訓練してるから。毒じゃ死なない」
「化け物…」
「寄りではあるかもね。早くみんなを帰してあげたいし、悪いけどここまでにするね」
ヒッ、と怯えて尻もちをつき後ずさる。
「来るな…来るな!!」
もうカッコつけて花を食べるのは嫌なので、投げられたそばから【アイテムボックス】に収納してやる。
美人の恐怖で引きつった顔も嫌いじゃないけれど、やっぱり私は笑った顔の方が好みだ。
「生まれ変わったら…次のあなたの人生は、豊かで幸せなものになりますように」
耳元でそっと囁くと、ジーナは白目を剝いて気を失った。
口元から泡を吹いて、まるで死にかけの虫みたい。
あまりにあっけなく。
ルムの街を騒がせていた怪事件は、そっと幕を閉じたのであった。
10
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