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海上旅情編

30.アイナモアナを守れ

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 夜。
 風の音すら止んだ静かな時間に、そいつは悠々と現れた。
 物音一つ立てず扉を開け、ベッドの膨らみに向けてナイフを突き立てる。

「…!」

 ナイフは深々と、に突き刺さった。

「アローハー、暗殺者さん」

 暗がりから飛び出して首根っこを掴もうとしたけど、間一髪で避けられた。
 身を翻して着地し、暗殺者はナイフを逆手に構えて腰を落とした。

「また夜に一人で…芸が無いね。思いがけないとは言うなよ、私たちがいるのも知ってたくせに」

 言葉を交わすつもりは無いとばかり、暗殺者が迫る。

凍る地平フロストホライズン

 途端、氷の波が屋敷を穿ち天を衝いて暗殺者を押しやった。

「ヒナちゃんに屋敷はどうなってもいいって言われてるからって…遠慮無さすぎて笑うな」

 いや、無いのは遠慮じゃなくて容赦か。
 すでに避難を終えてもぬけの殻になった屋敷の中で、アルティは続けざまに魔法を乱射した。

霜の礫ヘイルラッシュ青薔薇の剣ブルーローズセイバー

 氷の魔法が一帯に冷気を漂わせる中、暗殺者は尚も軽やかな動きで魔法を躱し、アルティにナイフを向けた。

「いいのかしら、そっちばかり集中にして」

 ナイフが突き刺さった直後、アルティの姿が揺らめいて消える。

月の幻影ムーンライトイリュージョン。もうとっくに、ここはアタシの世界よ」

 ハハハ、マジかっけー。
 ドロシーの【月魔法】は初見じゃ見破れんて。
 そして当然、幻影に紛れた二人の獣の爪も。

「やあああっ!!」
「たあああっ!!」

 死角から飛び出したマリアとジャンヌの蹴りが顔と腹に直撃し、暗殺は窓を割って外へ吹き飛んだ。

「やった!」
「当たりました!」
「油断すんな二人とも!!」

 一瞬気が緩んだ。
 暗殺者は宙空でバランスを整え、懐から数本の針を取り出して二人目掛けて投げつけた。

「にゃっ?!」
「みゃあ?!」

 炎と水でガードしたけど、何本か腕や脚に刺さった。
 毒も塗られてるっぽい…全員に【状態異常無効】をコピーしといてよかった。
 けど…それはそれだ。

「いったぁ…」
「あぅ…」
「私の可愛い妹たちに、なに怪我させてんだ狼藉者が!!」

 二人を押し返して向こうの意識は私から逸れてて、私のスピードなら確実に捕らえられる。
 そのはずだったのに。

「ぁぐ!!」

 割り込んできた影に蹴られて、身体が庭を乱暴に転がった。

「ッ…よお、シャーリー。いい夜だね」
「あなたという人は…ちゃんと忠告したのに。呆れてものも言えません」
「エリック・カ○トナみたいなシュート決めといてなにをいけしゃあしゃあと…。私じゃなかったら死んでたからな言っとくけど」
「暗殺者が二人…」
「なるほど、単独犯ではなかったということ」
「あの人って…ジャンヌ…」
「うん…」

 シャーリーの背後でもう一人が逃亡を試みる。
 そうはさせるか。

「アルティ!」
氷魔の鳥籠アイスエイジプリズン

 屋敷全体を氷が覆う。
 暗殺者は足を止めて鳥籠を見上げた。

「やっと話せるねシャーリー」
「話すことなどありません」
「そう言うなよ。こっちはお前のこと信じたくて仕方ないんだから」
「信じる?」
「その前に…いい加減顔を見せなよ、そっちの暗殺者さん。どうせ逃げられないんだから、せっかくならお話しようよ」

 暗殺者は疲れた風に息を吐くと、フードを取りローブを脱ぎ捨てた。

「ひゅー。可愛いね」

 水晶玉みたいに透明な黒い目と、夜を塗ったみたいな髪。
 顔ちっちぇー。
 年上にも年下にも見える。
 こんな状況じゃなかったら口説いて……ないな、うん。

「なんで?」

 暗殺者は小首を傾げた。

「なんで邪魔するの?」

 あまりにも無機質な目と声。
 子ども…いや、人形みたいだ。
 
「私はただ、殺さなきゃいけないだけなのに」

 腕を薙いで射出された数本の針。
 それらが私に届く途中、シャーリーが投げた針と相殺して地面に落ちた。

「また、邪魔された」
「邪魔なのはあなたです、シエラさん。他に気をやっていていいのですか?私が殺したいのは、他でもないなのに」
「…どういうこと?」

 みんな混乱してる。
 私もそうだけど、たぶんこういうことなんだとしたら合点がいく。

「シエラって暗殺者と…シャーリーの標的が違う…?」
「!」

 シエラはヒナちゃんを。
 シャーリーはシエラを。
 それぞれ標的が違うから、妙な違和感を覚えたのか。

「ヒナ=マハロは、ここにはいない?ならいい…全員殺せば、問題無い」
 
 何かしようとしてる?
 逃亡?いや、アルティの魔法からは逃げられない。
 シエラは指を噛むと、高い音を一つ鳴らした。

「きゃっ!」
「耳、痛いです…!」

 私たちでさえ耳を塞ぎたくなる高くて大きな音だ。
 マリアとジャンヌにはキツいだろう。
 てかこれ…指笛?
 だとしたら…

「ヤバい…!」

 聴かせる相手は――――――――



 ――――――――



 なんじゃ…もうこんな時間か…

「くあぁ…さすがに寝すぎたのう…」

 寝起きのわらわの耳を、突如不快な音がつんざいた。

「笛…?それにこの羽音は…」

 窓を開けて向こうの島を見やる。
 火山の山頂に、まるで雲のように虫がたかっておるではないか。

「何じゃあれは…」

 まだ皆帰っておらぬし、厄介なことになってそうじゃの。



 ――――――――



「おいおい…!」
 
 鳥籠の隙間から見える空は、夜とは違う蠢く黒で覆われていた。
 空を埋め尽くす虫の群れ。
 私が見つけたのでさえほんの一部だったってわけか。

「蟲使い…あれだけの数がどこに…」
「いやそれより、あんなのが街を襲ったらパニックになるわよ…」
「街?」

 シエラはぽつりと呟いた。

「国ごと殺すつもりだけど」

 当然と。
 必然と。

「何をしれっと…」
「問題ありません。今なら私の魔法で」

 その瞬間、私とマリアを嫌な気配が襲った。

「アルティお姉ちゃん、早く!!なんか変な感じする!!」
「ダメだ、もう間に合わない…!!」

 山から吹く突風が木々を揺らし、私たちに膝をつかせた。

島風しまかぜですよ。地形と気候の性質上、この国では毎日0時ちょうどにパルテア島の火山の頂上から突風が吹き降りるんです』

 アンドレアさんが言ってたやつか…
 島風に乗って虫たちが飛んでいく。
 虫の調教から襲撃、島風の計算…慄えるくらいデザインされた暗殺計画。
 即興アドリブに頼る素人とはわけが違う。

「あの人も同じってわけ?シャーリー」
「同じじゃありませんよ。シエラ=ベルバーン…彼女は私と違い、ギルドに所属しない暗殺者ですから」
「フリーってこと…?」

 所属云々を問いただしても意味無い。
 今は早くあの虫たちを何とかしないと…
 鳥籠を解いて虫を追いかける?
 それだとシエラが動けるようになるだろ…どうする、どうするどうする。

『リコリスよ』

 【念話】…師匠せんせいか!
 いいタイミング!

師匠せんせい!虫の魔物が風に乗って島中に散らばった!師匠せんせいなら何とか出来るよね!」
『この不快極まりない羽音はそれか。無論出来うるとも。妾は万能の天才故な。…が、それに当たり一つ問題があってのう』
「問題?」

 寝起きとかお腹が空いて力が出ないとかだったらぶっ飛ばすよ?

『妾、虫超苦手じゃ』
「ナメたこと言ってんなのじゃロリ!結構真剣に国のピンチだぞ!!何が苦手だそのプニプニほっぺ引っ張って涙目にしてやろうか!」
『苦手ではない超苦手じゃ。そうは言うても誰にでも得手不得手はあるじゃろうて。あのカサカサブンブンしてるのがマジで無理なのじゃ。不快のあまり妾が国ごと破壊しては笑えんじゃろ?クハハハハ』

 マジで気抜ける…
 頼むって世界最強の一柱ひとり

『まあ案ずるでない。任せておくのじゃ。今からそなたらを一人ずつ各島に転移させる。それで何とかせよ』
「一人一島…」

 リルムたちを合わせて全部で10人…確かにそれなら…

「考えてる余裕無いでしょ。こっちはこっちで何とかやるから、あんたはやらなきゃいけないことをしなさい」
「うんっ!お姉ちゃん、私たち頑張るから!」
「絶対この国を守ってみせます!」
「みんな…」
「リコ、信じています。だから信じてください」

 アルティは拳を突き出した。

「私たちは百合の楽園リリーレガリア。あなたがいる限り、私たちは無敵です」

 まったくよぉ…
 最ッ高だなお前ら!

「後で全員抱いてやる!」
「どうせヘタレますよ」
「うっせぇわ!師匠せんせい!」
『うむ』

 師匠せんせいの【空間魔法】による長距離転移。
 みんなの足下に魔法陣が浮かんだかと思うと、一瞬で姿が消えた。

「一気に静かになっちゃったね。落ち着いて話したいけど、そうも言ってられないか」
「話すことなどありません。何度も言ったはずです」
「どいて。殺しに行かなきゃ」
「させねーよ。二人同時に相手するのは骨が折れそうだけど…それくらい出来ないとハーレムの姫なんかなれっこない。来いよ暗殺者ども。まとめて相手してあげる」
「首を突っ込むなと言うのに」
「邪魔するなら、殺すだけ」

 殺されないし負けないよ。
 だから頼んだ、みんな。
 


 ――――――――



 まったく、人遣いの荒い弟子じゃ。
 あやつといると騒ぎばかり起きる。
 まあ、

「それを楽しいと思っておる妾が酔狂だという話じゃが」

 しかしどうしたものか。
 パッと見ただけでも数万から数十万。
 国を滅ぼすには充分な数じゃ。
 どこの誰かは知らぬが、無粋なことを。

「せっかくの楽園を穢しおって。報いを受けよ虫ケラども」

 妾は天と地の両方に鏡写しの魔法陣を展開した。

「血の盟約を此処に。聖域の焔神えんじんなんじよこしまを貫く光の解放。降臨せよ、紅龍聖姫こうりゅうせいきイノセンスブレイヴァー」

 光を帯びて召喚せしは紅蓮を宿す炎の化身。
 槍と鎧を纏う麗しき麗人。

「イノセンスブレイヴァー、エルザドーラ。テルナ様の命により参上致しました」
「うむ。ご苦労」
「命令を」
「虫どもを焼き払え。それ以外に危害を出すことは許さん」
「了解。任務を開始します」

 イノセンスブレイヴァーは、妾の【召喚魔法】に応じる魔物の中でも神に近しい亜神。
 ただ炎を操ることに特化した此奴じゃが、その権能は邪なるもののみを久遠の彼方へ滅却する聖炎。

来たれコム汝甘き死の時よズューサー・トート

 街が煌めく炎に包まれ、蔓延る虫どもを焼いていく。
 作業的な殲滅は見ていて心躍るものではないが、炎が揺らめく様は幻想的で夢見心地と言える。
 僅か十数秒足らず。
 虫どもは完全に燃え尽き、街は何事も無かったかのように静けさを取り戻した。

「テルナ様、ご命令を遂行したことを報告致します」
「うむ、よくやった」

 何度呼んでも感情の起伏が無いのう此奴は。

「…………」
「何じゃ?」
「いえ、近くにリコリス様の気配を感じたもので」
「10キロ以上離れとるが。ああ…あやつはそなたら亜神や幻獣にも惚れられとったな。一目会いたかろうが、今はそれどころではない。また折を見て召喚しよう」
「約束ですよ。反故にしたときは精霊総出で枕元で呪詛の言葉を吐き散らかしますので」
「貴様ら…あやつを知って以降、妾の扱いが雑ではないか?」
「そんなことはありません。では、またいつかリコリ…テルナ様」
「今名前間違ったじゃろ!!おいエルザドーラ!!何百年の付き合いじゃと思っとるんじゃ!!戻ってこい貴様!!」

 なんて奴じゃ…
 一応主人じゃぞ妾…
 何はともあれこっちは済んだことじゃし。
 あとは各々何とかせよ。
 ファイトなのじゃ。



 ――――――――



 ヤハ島。
 ダークナイトウルフのウルは、敵を前に雄叫びを上げた。

闇狼の咆哮ダークネスロア!』

 闇のブレスが虫を焼き払っていく。
 
『次から次へとキリが無いでござるな…』

 空を覆う虫たちの戦力差を鑑みるに、まるで自分の敵ではない。
 しかし仕留めきれていないのもまた事実。
 それは、主を思い高めた力を蔑ろにされているかの如く、狼のプライドを傷付けた。

『主殿の命令を受けておきながらこの体たらく…不甲斐なし。主殿に顔向けが出来ぬではござらんか…。羽虫風情が…拙者を見下ろすでないわ!!』

 闇の魔力マナが身体を侵食し、怒りがウルの能力を底上げする。
 己が誇りと、リコリスを崇め尊ぶ敬愛に狼は吼えた。

『【影分身】!!』

 自身の影から実像の分身を作り出し、それぞれが口を開けて魔力マナを収束させた。
 新たに芽吹いたスキル、【傲慢】によって能力を急速に上昇させ、最早死の運命から逃れるすべを失った虫たちへと、極太のレーザーが放たれる。

闇狼の天穿咆哮ダークライズブラスター!!』

 空間を歪ませる一閃に海が割れ、虫の群れは塵も残さず消え失せた。
 プライドウルフ。
 特異進化を遂げたウルは、主に勝利を伝えるべく再三の遠吠えを島に響かせた。



 ――――――――



 ポンポ島上空。
 ルドナは風を身に、超高速で虫を切り裂き続けた。
 倒して、倒して、倒して。
 もっと、もっと…欲しい欲しいと魂が叫ぶ。

『命の欠片も余さず全て、我が愛しきマスターに捧げるのでございます!』

 風に乗った死のエネルギーが蔓延し、魔力マナに触れた虫がポトリと絶命していった。

風翼乱刃ウィンディフラップ!』

 足りない足りない。
 これだけではマスターを喜ばせられないと。
 ルドナは己が魂のままに命を狩り取った。
 それは空域に存在するもの、全てを滅ぼす死の風。

風魔の嵐撃ストームブリンガー!!』

 空が鳴き海が渦巻く。
 撒き散らされた死骸を眼下に、【強欲】の化身…グリードホークへの進化にルドナは高揚した。

『これが新たな力…ああ、喜んでくださいませマスター。ルドナはまた一つ、あなた様のために高みへ上りました』

 

 ――――――――



 ああ、めんどくさい。
 ラキラキ島を襲う虫たちが自分の真上を通過するのを、シロンはあくびをしながら眺めた。

睡魔の誘惑スリーピングフォール

 虫の意識が途切れ、街へとたどり着くまでに地面に落ちる。
 事務作業のように何度も同じことを繰り返しているうち、シロンは怒りにも似た倦怠感を覚えた。

『ボクの眠りを…妨げるな』

 安楽を邪魔するのは誰だ。
 安眠を妨害するのは誰だ。
 煩い、鬱陶しい、腹立たしい。
 シロンの身体を真っ白な魔力マナが覆うと、周囲から生命の気配が消えた。

永遠の安寧レスト・イン・ピース

 背中に小さな白い羽を生やして。
 スロウスラビット――――進化の特異点へ到達した彼女は、永遠に目覚めることのない虫の原の中心で目を閉じ、【怠惰】に小さな身体を丸めた。

『ほら、こっちは終わったぞリコリス』

 早く静かにさせろとばかり。
 シロンはスヤスヤと寝息を立てた。



 ――――――――



 ミューゼ島に飛来した虫たちは、悲運だったという他ない。

『いただきまーす』

 触手の槍に貫かれ、放出される酸で溶かされ、喰われ呑み込まれるのみ。
 リルムという、リコリスが統べる最強の魔物によって。

食いしん坊の捕喰オールイーター

 純粋故に底は無く、無垢故に際限も無い。
 無限の食欲と無限の胃袋を持ちし、ダメージを負うこともない完全生命体。
 もしもリコリスという契約者が存在しなければ、国の一つも呑み込んでいたかもしれない器。
 喰らえば喰らうだけ魂を昇華させるリルムは、生まれた【暴食】の力により、自分の存在が変わるのを実感した。

『リルム、強くなってる』

 しかしリルムはそれを意に介さない。
 自分は自分リルムであり、自分はリコリスの従魔である以外に興味は無い。
 ただ、喰らうことがリコリスのためになると、本能で理解している。
 グラトニースライムのリルムは、聳える虫の壁を呑み込んだ。
 さながら竜のように形を変えて。

『もっともっといっぱい食べるー。暴食王の晩餐グラトニーディスチャージ

 木々や砂浜、海の一部までもを。
 それだけで済んだのはむしろ幸運なのかもしれない。
 見境が無ければ、とうに島ごと呑み込んでいただろうから。
 尤も、それでもリルムの食欲は収まらないが。

『ぜーんぶ食べたー。リーいっぱいギューってしてねー』



 ――――――――



 シアシア島。
 私は虫たちが街へ飛んでいかないように、大きな大きな波の壁を作った。
 動きを食い止めながら斬って、魔法で射抜く。
 失敗しちゃダメだって思うと怖くて震えそうになる。
 けど、リコリスお姉ちゃんが戦ってるから。
 私も役に立ちたい。
 お姉ちゃんが守りたいものを、私が守るんだ。

「みゃあぁっ!!」

 マリアみたいに速くない。
 剣だってそんなに上手くない。
 それでも、戦わなくちゃって…私は叫んだ。

「やあああああああ!!」

 【見えざる手】。
 私の思い通りに動くその手は、私の手の平よりずっとずっと大きくて、何匹もの虫を一度に叩き潰した。
 自分で剣を振って、魔法を使って、【見えざる手】を操る。
 【並列思考】。
 一度に何個も違うことを考えられて、頭の中がスッキリする。
 【水魔法】と【見えざる手】で、虫を一箇所に集中させると、私は水の玉を作った。
 【術理】が私に教えてくれる。
 水は発射の口を絞ると勢いが増すって。
 マリアみたいに強くはないけど、私だってやれば出来るんだ。

「いっけええええーーーー!!」

 【見えざる手】で水の玉を覆って、指先の隙間から水を噴き出す。
 線を描いて発射された水は、剣よりもよく切れて、鞭みたいにしなやかに虫たちを細切れにした。
 高圧水刃ハイドロプレス…私だけの必殺技。
 
「やった…」

 一人でもなんとか出来た。
 私は力が抜けてその場にへたり込んじゃったけど…嬉しくて口が変になっちゃうのを抑えきれなくて、小さく拳を握った。

「やりました…お姉ちゃん…っ!」



 ――――――――



 オマオマ島が震えた。
 一番速い。
 お姉ちゃんにそう言われたとき、すごく嬉しかった。
 お姉ちゃんが私たちに手を差し伸べてくれたときと同じくらい。

「たあぁぁっ!!」

 【天駆】で空を跳んで虫を斬る。
 もう何匹斬ったのかもわかんない。
 虫の動きは読めないけど、それ以上の速さがあれば何も問題無い。
 この速さが自慢。
 ジャンヌみたいに頭は良くないけど…私は、お姉ちゃんが認めてくれた私を好きになれる。
 
「行ッく……ぞーーーー!!」

 脚に力を溜めて、溜めて、溜めて溜めて溜めて。
 ギュンッて一気に爆発させると、私は風よりも速くなった。
 【電光石火】の瞬間最高速を、【神速】で引き延ばす。
 剣が空気と摩擦することで赤く輝き高温を宿す。 
 炎獣剣撃フレアドライブ
 全身に炎を纏って、まるで流れ星みたいに空を走った。

「うっにゃあああああああああ!!」

 すれ違うだけで虫が焼き焦げて炭になる。
 ちゃんと島を守れた。
 お姉ちゃんは褒めてくれるかな。
 頭を撫でてくれるかな。
 私は舞い散る火花の中で、一人尻尾を燻らせた。



 ――――――――



 人使いが荒い…
 ナナナ島のビーチで、迫りくる虫たちを前にアタシは肩を落とした。
 戦闘要員じゃないのに…こんな数の虫をどう相手にしろっていうのか。
 【月魔法】に攻撃性は無いし、鈍足化スロウで動きを鈍くするので精一杯なのに。
 死んだら化けて出てやるんだから。
 でも、こんなアタシでも頼りにしてくれてるのよね。
 仕方ない。
 愛するお姫様のために人肌脱いでやろうじゃない。

泡沫の幻想バブルサーカス

 指で作った輪の中に息を吹き込み、シャボン玉のドラゴンを作る。
 もちろん見せかけで戦闘能力はこれっぽっちも無い。
 指でつつけばすぐに割れる。
 だけど、シャボン玉の中にはアタシ特製の殺虫剤が入ってる。
 シャボン玉が割れた瞬間、人体自然共に無害なそれが爆風と共に散布され、虫たちを体内から破壊していった。
 そんな中、一匹の虫がそれに耐えていた。
 
「強いのね。あなたには特別なプレゼントをあげるわ」

 犬ほどある大きさの、地面に落ちてフラフラのカブトムシの口の中に、試験管に入った薄桃色の液体を流し込む。
 精神を安定させて、特別な調合ブレンドを施したアタシの魔力マナを、体内の隅々にまで巡らせる薬。
 心を支配するという言い方は野蛮で品がないけど、ようは媚薬の一種だ。
 いつかリコリス相手に試してやろうと作った試作品。
 だけど効果は絶大だったようで、カブトムシはアタシにツノを擦り付けた。

「ほら、ポーションよ」

 傷が癒えてすっかり元気になったこの子と一緒に、まだ戦いの音がする方にエールを送った。
 まったく心配はしてないけど。

「頑張りなさい。アタシの大切な仲間たち」

 

 ――――――――



 赤ん坊の頃から交流があっても、リコの考えはわからない。
 おちゃらけてるかと思えば誰より情熱的で、直情に身を委ねながらも頭の中は複雑怪奇。
 理解出来ないからこそ惹かれる。
 理解出来なくても魅せられる。
 心底好きなのだと思い知らされるから腹が立つ。
 そんなリコに応えたい。
 彼女ためなら、私は万物を排する剣にもなりましょう。

氷獄の断罪コキュートス

 広域を凍結させる第二階位魔法。
 【魔導書グリモワール】の力により魔力マナのコントロールが精密になり、シャワシャワ島に蔓延る虫のみを完全に氷結させることに成功した。
 今まで以上に体内の魔力マナがスムーズに流れている感覚。
 大賢者に達して尚も、私はまだ強くなれるらしい。
 こんな私を、リコは褒めてくれるだろうか。愛してくれるだろうか。
 そんな愚問に苦笑いし、リコが戦うパルテア島に目を向ける。
 何事も無かったかのように、きっと平和な明日を迎えるのだろうと確信して。



 ――――――――



 私→シャーリーとシエラを止めたい。
 シエラ→ヒナちゃんを殺すために、私とシャーリーを殺そうとしてる。
 シャーリー→シエラを殺そうとしてる。けど私が邪魔。こ
 今の相関図としてはこんなとこ。
 私の勝利条件はシエラの無力化。
 私とシャーリーの利害は一応一致してる…けど、シャーリーは私がこの場にいるのを好ましく思ってない。
 シャーリーの狙いはシエラを殺すことだから。
 つまり共闘は無理。

「死んで」

 ナイフを避けると針が飛んできて、蹴りを躱そうとするとブーツに仕込まれたギミックナイフが牙を剥く。
 全身に武器を仕込んでて戦いづらいこと。

「殺されるつもりないから止まってくんないかな」

 何とかシエラを抑えようとすると、今度は横からナイフが飛んでくる。

「邪魔するなよシャーリー!」
「邪魔はあなたです。引っ込んでいなさい」

 シャーリーは身を低くしてシエラを狙った。
 煌めく刃が首を掻っ切ろうとするのを、私が蹴って防ぐ。

「私の前でそんなことさせるか!」
「あなたは…」
「ぐふっ!!」

 苛立ちを込めた蹴りで私の身体が飛ぶ。
 
「ほンっとに容赦無いんだから…」
「何がしたいのです?」
「あ?」
「私の仕事を邪魔するばかりから、あまつさえ彼女を守るとは。あなたはまだ私たちが何者なのか理解していないのではないですか?」
「ッハハ」

 不適切だろうけど、人間らしい怒りを見せ始めたシャーリーを、私はおかしく思った。

「なにが…」
「全員、邪魔。死んで」

 シャーリーの油断。
 背後から飛びかかったシエラのナイフは避けきれない。
 私は咄嗟に【百合の姫】を使った。 

「止まれシエラ!!」
「!」

 【百合の姫】の命令強制。
 一言で言うことを聞かせられるのチートすぎる。
 自分でもなんで身体が言うことをきかないのかわからないだろうなと思いつつ、私はシエラを押し倒した。

「あな、た…」
「悪いねチート持ちで」

 すぐに【誘眠】でシエラを眠らせる。
 動けないよう縛っておいて…と。
 おっと、毒を仕込んでるかもしれないから、解毒アンチドートを念入りに。

「よし、これで大丈…」

 ヒュッ
 風切り音に振り返り、シエラにナイフを立てようとするシャーリーの手首を掴んだ。

「女の寝込みを襲うなんて、らしくない真似するじゃん」
「仕事なもので」

 シャーリーは大きく後ろに跳んでナイフを構えた。
 
「理解出来ませんね。あなたが守ろうとしたのは暗殺者ですよ。殺めた人数など百を数えても余ります。生かしておく利点の無い人間です。なのに何故?善人や聖人を気取っているつもりですか?」
「目の前で殺そうとしてる、殺されようとしてる人がいれば止めるだろ。人並みに道徳を心得てるだけだよ。シャーリーはなんで、この子を殺したいの?」
「シエラ=ベルバーンは、とある国の要人によってこの国の大公の暗殺を依頼されました。対し、私たち暗殺者ギルドはそれを阻止するよう別の者から依頼を受けました」

 よくわからないけど、ヒナちゃんを亡き者にしたい人と、そうされたら困る人がいるみたいな感じか?
 他人の思惑なんか図れるわけないし、政治的背景が絡んでるのかもしれないけど、小難しいことには興味も無い。

「彼女を殺さなければこの国の大公が死に、どこの誰とも知らない別の命が潰えることになる。あなたはそれを是と出来ますか?今初めて名前を知っただけの誰かが、あなたとまったく関係のない者の手によって殺される。それを見逃すだけで事は丸く収まるのですよ。そこをどいてください」

 ……確かに私は聖人じゃない。
 女は抱きたいしお金は欲しいし一生楽に幸せに暮らしたい……善人かと言われると、それも首を傾げるくらいには、煩悩ダダ漏れの欲張りだ。
 この手は知らない誰かまで助けるほど大きくない。
 それでも、

「やっぱり止められるものは止める。知らない誰かだからどうでもいいで見殺しにするのは、私じゃない気がするから」
「そうですか……。どうしてでしょう。あなたと話していると、心に波が立つ」
「思うところがあるんだろ。私に…自分の生き方にさ」
「あなたを殺せば、この波は収まるのでしょうか」
「試してみるしかないんじゃないの?殺される気なんか無いけど。私も話したいと思ってたしちょうどいいや。相手になってやるよ。来い、シャーリー」

 【痛覚無効】を無効にする。
 拳でわかり合う、なんて青臭くも清々しくもないけれど。
 ぶつかり合わなきゃわかんないこともある。
 これは私を知ってもらうための、シャーリーを理解するための戦いだ。
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