野獣に餌付けしてしまったらしい

ハル

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伊月の決意

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 煌から過去を聞かされた伊月は何の反応もできない。それは彼にとって予想通りのものであるため、苦笑して彼女の頭を撫でる。

「別に記憶がなくてもいいんだ。俺にとっては伊月は伊月なんだから。それに、記憶喪失は嬉しい誤算だったし、元の性格は変わっていなかった。まあ、あの従姉に感化されて優等生を目指す上で表面を繕っていたのはちょっと不愉快だったけどな。それでも、伊月の本質は変わらなかったから俺は嬉しかった。」

 そう言う彼は懐かしそうに微笑む。中学生の時から何でもできる兄と姉のようになろうと影で努力していた部分を彼に知られていたことが恥ずかしく伊月は撫でる彼の手を振り払う。

「伊月が透を可愛がるたびにあいつに嫌がらせをしたから今回の手伝いこそは断られると思ったんだけど、あいつは逆に乗り気だった。

『さっさとそのこじらせ終わらせてください!』

なんて激励までされて正直驚いた。俺とお前の間に挟まれる現状から早く抜け出したかったのかもしれないな。」

 知らない間に透に迷惑をかけていたと思うと、伊月は彼に対して罪悪感を抱く。それを読んだように煌は伊月の鼻をつまむ。

「そんな顔をあいつにしなくていい。見返りは渡したから。」
「見返り?」

 興味深い言葉に伊月は惹かれる。

「その時々で違うが、継続中は1年に1度あいつの願いを叶えること。常識の範囲内だったから意外だったな。それに、大学に入ってからは必要ないと言って来たな。」
「願いね。それはまた抽象的なものね。」
「そうだな。だからこそ、あいつは乗ってきた。母親が決めるレールの上を歩くのが億劫になって面白いことを探していたからな。」
「それを見込んでいたんじゃなくて?」

 煌ならありえる、と思い伊月が尋ねると彼は答えないけど、浮かべる笑みが代わって雄弁に語る。全ては彼の手の上だった。

「まさかと思うけと、私があなたと透を見たのも?」
「どうだろうな。」
「それを口実にこんな異国まで来たのも?」
「どうだろうな。」

 全て同じ言葉を煌が返すが、すでに答えは分かりきっていた。もうこの話題は深堀りするほど自分が落ち込むだけだと感じた伊月はそっぽを向く。休みを入れないと彼とは話していられない。

「それで、伊月はここまで知ってどうするつもり?俺と住む?それとも、また俺から離れようともがく?」
「何、その2択。たまに会ってご飯を食べるとかないの?人間関係をそんな少ない選択肢の枠に入れないで。」
「でも、俺と住むのが一番安全だと思うな。」
「人の話を聞いて!」

 話を丸ごと無視されて伊月が怒るが、彼はどこ吹く風だ。

「今日、パーティーに参加したのは伊月の同僚のような人たちばかりだ。そんな人たちにお前と俺が知り合いだと認識された。次に会社行ったらお前は注目の的だ。日本パンダ並み。」

 煌の一人称と自分の呼び方が変わったことに伊月は今さら気づくが、過去を聞いたこととその方が耳に馴染んだので無視をする。それより、彼の話を想像してしまい顔をこわばらせる。

「仕事だからしかたない。」
「本当に?」

 彼と見合っている‥
 それは明らかに探っている。そして、それをわかっていても伊月は視線をそらしてしまう。

「伊月はいつも無理をしていたから、そろそろ力を抜いてもいいと思うんだ。学生時代、運動が好きだったのに、部活も入らずに勉強ばかりしていただろう?それでも、生まれ持ったものがあったから体育で苦労したことがなかったけどな。でも、自分を抑えていていつも無理をしていた。うまく仮面をかぶることばかりうまくなっていったな。」

 彼は伊月の頭を撫でる。それが気に入らず伊月は頬を膨らます。

「止めて。無理はしてたかもしれないけど、あなたに憐れに思われたくない。自分で決めてきたから後悔もない。」

 悔しさか伊月は言いながら涙を流す。そして、彼女は言葉を続けられなくなり、止まらない涙を手でこする。

「顔が赤くなる。」

 と言って、煌は彼女の手を下ろさせ代わりに彼女の後頭部に手を添えそのまま抱きしめる。

「泣けばいい。泣いて眠れ。そして、次には笑うんだ。」

 彼の言葉に安心させられた伊月は目をつぶる。数秒で眠りにつく。

 翌朝、目を覚ますと目が充血していて20歳を超えて泣いた自分を思い出した彼女は恥ずかしくなり両手で顔を覆う。

「いつまでそんな風にしているんだ?」

 隣で寝ていた煌が起き上がって伊月の顔を覗き込む。彼は寝る時に上半身裸になるのが常であり、伊月があの初めて酒を飲んだ忌々しい記憶とかぶる。

「もしかして、あの日、何もなかった?」
「そうだな。」

 あっさりと伊月に肯定する。彼の潔さを伊月はため息をついて流す。

「伊月が勝手に勘違いをしたのは俺にとっては都合がよかった。思ったより早くお前に近づくことができたからな。俺の前でも相変わらず年上であろうとしていて、昔と変わらなかった。」

 懐かしそうに彼は言い伊月の頬を撫でる。その仕草と彼の容姿は理想の王子的なもので普通の女子ならうっとりするかもしれない。しかし、伊月は普通ではなく、彼の手から逃げるとすぐに傍のテーブルの上に置いてあるカバンからスマホを取り出し時間を確認する。そして、会社に間に合う算段をすると着替えを始める。

「今日ぐらい会社を休んだ方がいい。ほとんど来ないから。お前の上司も。」
「昨日のパーティーに誘われたのはチームで私だけだったから行く。もちろん、送ってくれるよね?煌が私をここに留めたんだから。」
「もちろん。喜んで送迎をする。」 

 伊月の誘いに驚きつつも嬉しさを隠せずに笑みを浮かべて了承する。

「それは至れり尽くせりだね。」

 伊月の答えはそれだけだ。でも、それで煌には十分であり、彼女の今後が決まった瞬間だ。
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