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第一部
ただ、傍にいたい 5
しおりを挟む車窓の景色は、次第に白く覆われたものになって行く。連なる山々は綺麗に雪化粧をして、一面の白さが別世界へと連れ去ってくれるみたいでよけいに私を解放してくれた。
盛岡駅に着き外へと出ると、東京とは違う冷たい空気が頬を刺した。
「さすがに寒いな。雪野、大丈夫か?」
「凄く寒いです。でも、この寒さも、遠くまで来たんだって思わせてくれるから、ワクワクします」
笑顔で答えると、創介さんが私の手を引いて、凍り付くような風から逃れるようにタクシーに乗り込んだ。
「これから温泉旅館に行く。ここから、40分くらいかな」
温泉旅館――。その言葉の響きに朝から続いているのとは違う緊張が生まれる。
盛岡市内を抜け出ると、すぐに平原が広がった。そこは白い雪で一面覆われていた。まさに、白いキャンバス。足跡一つ見当たらない、どこまでも続く白さに目を奪われた。
「……真っ白ですね」
「雪が降って来そうな空だな」
創介さんが窓から空を見上げてそう言った。
「降ればいいな……。そうしたら、空も地面も、全部雪です」
ぽつりと呟くと、「まさに雪景色だ」と創介さんが笑った。
40分も車を走らせれば、もうほとんど建物らしきものは見当たらなかった。民家さえない。ただあるのは自然の景色、山や木々や、真っ白い平原、それだけだ。人もいない。
目的地に到着すると、本当にそこは、ただ旅館があるだけの場所だった。少し高台になっていて、まるで空から見渡しているような絶景が広がる。旅館の目の前にある細長い湖、その向こうには平原が広がる。奥には岩手の山々が連なって、人工物は何一つ見えない。静かな湖には、辺り一面の白さが映る。
「何もないですね……。自然があるだけで、静かで」
私はただ立ち尽くし、静かにそこにある自然を見つめた。
「このあたり、全部旅館の敷地だ。それ以外は何もない」
隣に立つ創介さんと私だけ。本当にそう思えて来る。
「せっかくだから、雪が降り出す前に、少し散策するか?」
「はい!」
二人で歩きたい。この景色を目に焼き付けたい。
「じゃあ、部屋に荷物だけ置いて来よう」
連れられて入った旅館に、私はまたも呆然とする。広い敷地内、湖の真正面に平屋の旅館が立っている。和風モダンな外観で、玄関は決して大きくはなく奥まった場所にあった。お客さんらしき人も、誰一人見かけない。
創介さんに続き、アーチ形になった門をくぐる。ロビーと言われるスペースも広くはない。それでも、置かれている調度品や観葉植物は、その空間を高級感あるものに演出していた。シンプルに配置されたそれらが、大衆旅館じゃないと思わせる。
「雪野はここで待っていろ」
革張りのソファが置かれた待合室で、私は言われるままに背を伸ばして座っていた。しばらく経つと、創介さんが仲居さんと戻って来た。
物音すらほとんどしない館内を出て、外の小道のようなところを歩く。その両脇には木々が植えられていた。
「お部屋はこちらになります」
「え……」
思わず間抜けな声を零してしまった。旅館だから当然一つの建物に部屋がいくつかあるのだと思っていた。でも、案内された場所は、平屋の一軒家のようで。よく見渡してみると、同じような建物が間隔をあけていくつか配置されていた。
「ほら、早く入れ」
「は、はいっ……」
みっともないと思いながらもあちらこちらを見てしまう。
こんな宿、泊ったこともないし見たこともない……。
「全室離れになっております。お食事もお部屋にございますダイニングでお召し上がりいただけますので、他のご宿泊のお客様と顔を合わせることもありません。ぜひ、日常から離れてごゆっくりとお寛ぎくださいませ」
部屋の設備や食事の説明を一通り済ませると、仲居さんが畳の上で正座をし、丁寧に頭を下げてから部屋を出て行った。
「創介さん……。ここ、一体――」
いくらするの――?
私の考えていることとは全然違うことを創介さんは言った。
「この窓から、湖もその奥の山も間近に見えるな。こっちに来いよ。一緒に見よう」
テラス側の大きな掃き出し窓に立つ創介さんが、私に手招きをした。
「はい……」
誰を気にする必要もないのについつい足音を忍ばせてしまう。創介さんの隣に並んで立った。
「わぁ……。本当に、すごい! 湖以外、真っ白……」
目の前に広がる景色を見てしまえば、いろんな心配や不安なんか忘れ去ってしまった。
「――静かだ。自然の中に、本当に二人だけしかいない気がしてくるな。この宿にしてよかった。毎日のいろんなこと、忘れられそうだ」
――いろんなこと。
短い単語だけれど、その言葉の意味するものはきっと重い。
目の前のテラスに設置された石造りの四角い物が視界に入る。その先には湖の景色が広がっていた。絶景だ。この部屋からも自然からも、あまりに開放感があり過ぎる。
「あ、あの……」
「ん?」
「あれ、池、だったりしますか……?」
もはやそれは願望だ。そうであってほしいという必死の願い。
「池? どれのことだ? 池なんかないだろ。池もあったほうがよかったか?」
大真面目にそんなことを言われるから、どうしたものかと口籠る。そんな私を創介さんが背後から抱きしめた。何故か、笑いをこらえている。
「あれが、池なわけないだろ」
「……創介さん?」
腕の中から顔を見上げると、創介さんが意地悪く囁いた。
「部屋の露天風呂を見た時、雪野がどんな反応をするのか実は楽しみにしていた」
「私の、反応を……?」
私の焦りを分かっていて、わざと真面目な顔で答えていたんだ。
「ホントにおまえは、俺の予想しない反応をするな。それにしても『池』って。そんな誤魔化し方があるか」
堪えるなんてものじゃなくて、もう声を上げて笑っている。
「悪趣味です! 私、ホントに動揺して――」
腕の中で抗議してみるも、がっしりと腕の中に閉じ込められていてびくともしない。
「どうして動揺したんだ? 一体、何を想像したんだ」
「そ、それは――っ」
本当に意地悪だ。唇を噛む私を見て、突然私の腰を持ち上げた。
「わっ……創介さん!」
身体が浮いて、咄嗟に創介さんの首に手を回す。
「雪野の想像通り、二人で入ろうか。おまえの期待に応えないとな。でも、まずは散歩に行こう。風呂はその後だ」
創介さんより高い位置から見下ろすと、その顔はいつもより幼く見えた。
創介さん、そんな顔もするんだ――。
つい、頷いてしまった。
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