雪降る夜はあなたに会いたい【本編・番外編完結】

文字の大きさ
35 / 196
第一部

忍び寄る現実 4

しおりを挟む

 冬休みは、バイトのシフトを増やしていた。
 バイト三昧だったけれど、元旦だけは家族三人で初詣に出かけた。

「優太は、初日の出を一緒に見に行く彼女とかいないの?」

母が呆れたように優太の肩を叩く。

「余計なお世話。彼女なんかいなくてもな、バイトに勉強にサークルに超リア充なんだよ。それより、そろそろ社会人になろうという人の方が問題じゃないか? 毎年、相も変わらず家族と年末年始を過ごしてますけどー」

隣を歩く優太が横目で私を見て来る。

「私は別にいいの。放っておいてよ」

私も母に続いて、優太の肩をつついた。

「クリスマスだって毎年バイトでさ。行き遅れとか、やめてくれよー」
「優太、うるさい」

やり合う私たちに母の声が入り込んだ。

「雪野は大丈夫。社会人になったら急に出会いがあったりするのよ。『自分なんて』と思っていても、大人になると自分と見合った相手が出て来るものよ?」

――自分と見合った相手。

市役所に勤めれば同じような価値観を持った人と出会って、いつか、穏やかで未来を見ることのできる恋をするのだろうか。

「おい、姉ちゃんどうしたんだよ。急にぼーっとして。人にぶつかるだろ」
「う、うん。なんでもない」

無理矢理に笑顔を作る。

 まだ先のことなんて考えたくない。そう思い続けて、既に三年が経っている。必ず行き止まりが来る道を、私はひたすらに歩いていた。


 大学の冬期休暇は短い。
 大学最後の試験と卒業論文の提出期限に追われて、アルバイトと勉強で一日が終わっていた。
 一月中旬からは試験勉強と卒論に集中するために、アルバイトのシフトを減らしている。

 この日も、大学の授業の後、閉館時間まで図書館にこもっていた。


「あれ……。戸川さん?」

帰宅途中の小田急線の車内で、ドア付近に立ち窓の外に視線をやっている時だった。駅に停車して反対側の扉が開くと、新たに乗り込んで来た人並みの中から自分を呼ぶ声が聞こえた。私の正面に現れたのは、榊君だった。

「偶然だね。今から、帰るところ?」
「そうなの」

さらに乗り込んで来た乗客により、榊君との距離が縮まる。

「最近、バイトで会わないからどうしたのかなって気になってたんだ」

冬休み中、ほぼ毎日のように会っていた。

「試験と卒論でシフト減らしてたの。榊君は、バイトの帰り?」
「そう。戸川さんと一緒に働かなかったことで、いかに君に助けられていたかを実感したよ」
「大袈裟だな。榊君はもうなんでもこなせちゃうじゃない。むしろ、みんなの助けに――」

急に車内が揺れる。榊君の背後にいた乗客に背中を押されたのか、突然その身体が私に迫った。

「大丈夫?」
「う、うん――」

答えるより早く、榊君が私の肩を抱き寄せる。

「危ないから。次の駅で客が降りるまで、ちょっと我慢して」

反射的に離れようとすると、いつもと同じ表情で榊君が微笑んでいた。この密着に一人意識している自分が失礼なような気がして、バッグを胸に抱えて縮こまっていた。

 次の駅でたくさんの乗客が降りスペースに余裕ができると、自然とその腕は離れて行った。

「それにしても、こっち方面の電車は本当に混雑しているね。まだ、慣れないな」

そう呟いた榊君を見上げる。

「狛江に越して来たの、最近なの?」

そんなことは言っていなかったはず。

「あ、いや……そうなんだ」

何か余計なことを聞いてしまっただろうか――。

そう思うほどにその目を泳がせていた。でもすぐに、いつもの落ち着いた表情に戻る。

「それまでは実家で暮らしていたんだけどね、先月、勝手に家を出て一人暮らしを始めた」
「そうだったんだ」

どうして――とつい疑問に思ってしまったけれど、さっきの反応を見たら、それ以上聞いてみようとは思えなかった。

「この辺りまで来ると、急に明かりが減って来るよね……」

榊君が扉にもたれて窓の向こうを眺めている。話題が変わったのかどうか測りかねて、何も言わずにその様子をうかがった。

「僕が育った場所とは全然違うな。僕としては、こっちの方が絶対に居心地がいいと思うんだけど……」

その言葉は、私に言っているようでそうじゃない気がした。

「……ってごめんね、一人で勝手にしゃべっちゃって。意味わからないよね」
「ううん」

我にかえったように私の方に顔を向ける。

「……戸川さんってさ、本当に気遣いの人だよね」

目を細め、突然そんなことを言い出した。

「戸川さんは、無意識のうちに相手のことを思いやってるから、自分では全然そんなつもりはないんだろうね」
「そんなことない――」
「今だって。どうして家を出たのか、そっと触れないようにした。たぶん、少し先回りして人に嫌な気分にさせないようにって考えてる。思慮深くて優しい人だ」

なんと答えればよいのか次の言葉を選んでいると、榊君が私を覗き込んで来た。

「今日に限らず、この一か月でそうなんだろうなって分かって来た」
「ただいろいろ考え過ぎるだけだよ。そんないいものじゃ――」
「他人だからこそ分かるんじゃないかな? 僕は戸川さんになら、何でも話してしまいそうだし。そういう、人を癒す雰囲気を持っている人なんだよ」

ふっと笑って、榊君は再び扉に身体を預けた。

「――僕ね、逃げるように家を出てしまったんだ。母親を残して」

その目は、ほとんど輪郭のはっきりしない夜の景色に向けられている。横顔だから、どんな表情をしているのかははっきりとは分からない。その声が怖いほどに穏やかで、余計に痛みを感じた。

「母は少し精神を病んでいてね。母を救うために二人で家を出ようとしたけど、結局僕では何もできなかった。それで何もかも嫌になって、一人逃げ出して楽になろうだなんて酷い人間だろ? 母が頼れるのは僕だけだったのに」

どうして突然、そんなことを私に話したのか――。

不思議に思ったけれど、それ以上に榊君の苦悩が伝わって来て、胸の奥に鈍い痛みが走る。だから、つい言葉を零してしまっていた。

「――私にはご家庭の事情は分からない。でも、榊君は本当に逃げ出そうだなんて思っていないと思う」
「え……?」

窓の向こうのどことも分からない方に向けられていた視線が、私の方へと移る。

「一人になった今でも、こうやってお母さんのこと考えて悩んでいるんだよね?」

きっと本当は逃げたいわけじゃない。だから苦しむ。私にはそう思えた。

「人が誰かのために出来ることって、ほとんどないんだと思う。それでも、何ができるかと悩んで考えてしまうのはその人が大切だからだよ。その思いは、必ず伝わる日が来る」

自分の母親を想って胸を痛めている。親子の縁は距離で切れるものじゃない。その想いは時間がかかっても届くはずだ。

「いつか、本当にお母さんを救える日が来るといいね。来てほしいな」

榊君が瞬きもせず強い眼差しで私を見ていた。その視線に、自分の言動が改めて蘇る。

「――って、勝手なことを言ってるよね。何も知らないのに、ごめん」

何を知っているわけでもないのに、無責任なことを言ってしまった。

「……う、ううん。そんなことないよ。そんなことない」

榊君の声が微かに震える。

「ありがとう……」

噛みしめるような言い方が、何故かずっと胸に残った。

「君は、そんなだから、汚れきった人間ほど甘えてしまいたくなるんだろうな」

耳に届いた低い声に、ビクッとする。一瞬誰のものか分からなくて、周囲を見渡す。もう一度榊君の顔を見つめても、その唇は閉じられたままだった。

しおりを挟む
感想 15

あなたにおすすめの小説

財閥御曹司は左遷された彼女を秘めた愛で取り戻す

花里 美佐
恋愛
榊原財閥に勤める香月菜々は日傘専務の秘書をしていた。 専務は御曹司の元上司。 その専務が社内政争に巻き込まれ退任。 菜々は同じ秘書の彼氏にもフラれてしまう。 居場所がなくなった彼女は退職を希望したが 支社への転勤(左遷)を命じられてしまう。 ところが、ようやく落ち着いた彼女の元に 海外にいたはずの御曹司が現れて?!

溺愛ダーリンと逆シークレットベビー

吉野葉月
恋愛
同棲している婚約者のモラハラに悩む優月は、ある日、通院している病院で大学時代の同級生の頼久と再会する。 立派な社会人となっていた彼に見惚れる優月だったが、彼は一児の父になっていた。しかも優月との子どもを一人で育てるシングルファザー。 優月はモラハラから抜け出すことができるのか、そして子どもっていったいどういうことなのか!?

あなたがいなくなった後 〜シングルマザーになった途端、義弟から愛され始めました〜

瀬崎由美
恋愛
石橋優香は夫大輝との子供を出産したばかりの二十七歳の専業主婦。三歳歳上の大輝とは大学時代のサークルの先輩後輩で、卒業後に再会したのがキッカケで付き合い始めて結婚した。 まだ生後一か月の息子を手探りで育てて、寝不足の日々。朝、いつもと同じように仕事へと送り出した夫は職場での事故で帰らぬ人となる。乳児を抱えシングルマザーとなってしまった優香のことを支えてくれたのは、夫の弟である宏樹だった。二歳年上で公認会計士である宏樹は優香に変わって葬儀やその他を取り仕切ってくれ、事あるごとに家の様子を見にきて、二人のことを気に掛けてくれていた。 息子の為にと自立を考えた優香は、働きに出ることを考える。それを知った宏樹は自分の経営する会計事務所に勤めることを勧めてくれる。陽太が保育園に入れることができる月齢になって義弟のオフィスで働き始めてしばらく、宏樹の不在時に彼の元カノだと名乗る女性が訪れて来、宏樹へと復縁を迫ってくる。宏樹から断られて逆切れした元カノによって、彼が優香のことをずっと想い続けていたことを暴露されてしまう。 あっさりと認めた宏樹は、「今は兄貴の代役でもいい」そういって、優香の傍にいたいと願った。 夫とは真逆のタイプの宏樹だったが、優しく支えてくれるところは同じで…… 夫のことを想い続けるも、義弟のことも完全には拒絶することができない優香。

【完結】溺愛予告~御曹司の告白躱します~

蓮美ちま
恋愛
モテる彼氏はいらない。 嫉妬に身を焦がす恋愛はこりごり。 だから、仲の良い同期のままでいたい。 そう思っているのに。 今までと違う甘い視線で見つめられて、 “女”扱いしてるって私に気付かせようとしてる気がする。 全部ぜんぶ、勘違いだったらいいのに。 「勘違いじゃないから」 告白したい御曹司と 告白されたくない小ボケ女子 ラブバトル開始

ダブル シークレットベビー ~御曹司の献身~

菱沼あゆ
恋愛
念願のランプのショップを開いた鞠宮あかり。 だが、開店早々、植え込みに猫とおばあさんを避けた車が突っ込んでくる。 車に乗っていたイケメン、木南青葉はインテリアや雑貨などを輸入している会社の社長で、あかりの店に出入りするようになるが。 あかりには実は、年の離れた弟ということになっている息子がいて――。

押しつけられた身代わり婚のはずが、最上級の溺愛生活が待っていました

cheeery
恋愛
名家・御堂家の次女・澪は、一卵性双生の双子の姉・零と常に比較され、冷遇されて育った。社交界で華やかに振る舞う姉とは対照的に、澪は人前に出されることもなく、ひっそりと生きてきた。 そんなある日、姉の零のもとに日本有数の財閥・凰条一真との縁談が舞い込む。しかし凰条一真の悪いウワサを聞きつけた零は、「ブサイクとの結婚なんて嫌」と当日に逃亡。 双子の妹、澪に縁談を押し付ける。 両親はこんな機会を逃すわけにはいかないと、顔が同じ澪に姉の代わりになるよう言って送り出す。 「はじめまして」 そうして出会った凰条一真は、冷徹で金に汚いという噂とは異なり、端正な顔立ちで品位のある落ち着いた物腰の男性だった。 なんてカッコイイ人なの……。 戸惑いながらも、澪は姉の零として振る舞うが……澪は一真を好きになってしまって──。 「澪、キミを探していたんだ」 「キミ以外はいらない」

結婚直後にとある理由で離婚を申し出ましたが、 別れてくれないどころか次期社長の同期に執着されて愛されています

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
「結婚したらこっちのもんだ。 絶対に離婚届に判なんて押さないからな」 既婚マウントにキレて勢いで同期の紘希と結婚した純華。 まあ、悪い人ではないし、などと脳天気にかまえていたが。 紘希が我が社の御曹司だと知って、事態は一転! 純華の誰にも言えない事情で、紘希は絶対に結婚してはいけない相手だった。 離婚を申し出るが、紘希は取り合ってくれない。 それどころか紘希に溺愛され、惹かれていく。 このままでは紘希の弱点になる。 わかっているけれど……。 瑞木純華 みずきすみか 28 イベントデザイン部係長 姉御肌で面倒見がいいのが、長所であり弱点 おかげで、いつも多数の仕事を抱えがち 後輩女子からは慕われるが、男性とは縁がない 恋に関しては夢見がち × 矢崎紘希 やざきひろき 28 営業部課長 一般社員に擬態してるが、会長は母方の祖父で次期社長 サバサバした爽やかくん 実体は押しが強くて粘着質 秘密を抱えたまま、あなたを好きになっていいですか……?

【完】タバコの煙を吸い込んで

Bu-cha
恋愛
エブリスタにて恋愛トレンドランキング5位 毎月くるべきものがこない。 心当たりはある。 バイト先の会社の法人営業部の副部長、 その男と関係を持ったから。 その男から聞いた言葉は 「俺“は”、避妊したけどな」 だった・・・。 『幼馴染みの小太郎君が、今日も私の眼鏡を外す』 ベリーズカフェさんにて恋愛ランキング最高 10位 小太郎の姉、響歌の物語 『花火の音が終わるまで抱き締めて』 ベリーズカフェさんにて恋愛ランキング最高 5位 凛太郎の妹、響歌の物語 私の物語は全てがシリーズになっておりますが、どれを先に読んでも楽しめるかと思います。 伏線のようなものを回収していく物語ばかりなので、途中まではよく分からない内容となっております。 物語が進むにつれてその意味が分かっていくかと思います。

処理中です...