雪降る夜はあなたに会いたい【本編・番外編完結】

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第一部

忍び寄る現実 5

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 一月の下旬、大学生活最後の試験を終え卒業論文も無事に提出し終えた。
 大学からそのままアルバイト先に行くと、ちょうどシフト上がりの律子さんと顔を合わせた。

「ご無沙汰してました。今日から、また本格復帰です!」

もう大学の授業はない。春休みはバイト漬けの生活になる予定だ。

「相変わらず、雪ちゃんは働き者だねー……って、そう言えば」

何故か声を潜め出し、律子さんが私をロッカールームの端へと促す。

「店長が言ってたよ? 榊君が雪ちゃんのこと好きなんじゃないかって。雪ちゃんも隅に置けないねぇ」
「何言ってるんですか。そんなわけないじゃないですか」

私が即座にそう返すと、律子さんが呆れたように溜息を吐く。

「少しはレーダーを張っておかないと心の準備が出来ていなくて困る時が来ると思うよ。じゃ、お先」

意味深な笑顔を残して律子さんはロッカールームを出て行った。

――レーダーを張る。

私の中に創介さん以外の男の人のことを考える隙間なんて残っていない。それに、男の人に好意を寄せられるという経験をしたことがない私にとって、恋愛ごとはまるで現実味のないもの。創介さんだけが私にとっての男の人なのだ。

 あの旅行から一か月以上が過ぎた。時折来る創介さんからのメッセージだけが私たちを繋いでいる。そんな状態も今に始まったものではない。
 それでも、創介さんは優しいと思う。私に説明なんてしなくてもいいのにどういう状況かを知らせてくれる。出張後の処理とそれに並行して新たな難しい仕事もあって気が抜けないのだと教えてくれた。そのメッセージの中に、異質な文言が入っていた。

”たまらなく雪野の顔が見たい”

何かあったのだろうか――。

創介さんからそういう言葉を聞く時、私は嬉しさより不安が募る。

”会いたいです――”

その言葉の代わりに、”身体に気をつけてください”と返す。会いたいだなんて言えるわけがない。

 相変わらず途切れることのないお客さんに、ひと時も止まることなく働き続けた。一緒にフロアに出ていたのが榊君だからか、かなりフォローしてもらっていた気がする。
 
 アルバイトを終えて裏口から外へと出ると、冷たい塊が頬に落ちた。

あ、雪だ――。

そう言えば昼間の空は、太陽の気配なんてまったく感じられないほどの分厚い雲に覆われていた。気温もかなり下がっていたから、雪が降っていてもおかしくはない。東京というところは、少しの雪ですぐに交通機関が乱れたりする。足早に駅へと向かおうとしたところだった。

「――戸川さん」

路地裏の暗がりから声がする。

「……榊、君?」

すぐに本人の姿が目の前に現れた。でも、その表情は、見たこともないほどに強張っていた。

「どうしたの? 雪降ってるし、寒いよ――」
「ごめんね、こんなところで待ち伏せしたりして。どうしても、今日、戸川さんに会いたかった」
「会いたいって……」

つい一時間前まで一緒に働いていたではないか。穏やかで落ち着いた雰囲気はなりを潜め、どこか追い詰められたような表情をした榊君に思わず後ずさる。

「君に伝えたいことがあって」

一歩、榊君が私との距離を詰める。

「……僕の彼女になってくれないか。僕と付き合ってほしい」

え――?

「君のことが、好きなんだ」
「ちょ、ちょっと待って」

あまりに唐突過ぎる言葉に、既に混乱していた心は戸惑いに変わる。

「どうしてそんなこと……。おかしいよ。私たち、まだ出会って一か月くらいしか経ってないよ? それなのに、好き、とか、そんなの――」
「人を好きになるのに時間なんて関係があるのかな。初めて会った時から気になっていた。毎日のように一緒に帰るようになって、戸川さんとたくさん接して。素敵な子だなって思った。ここしばらく会えなくなって、君に無性に会いたくてたまらなくて。それで気付いたんだ。君のことが好きだってことに」

そんなの、信じられない――。

真っ先に思ったのはそれだった。目の前にいる人が、私の知っている榊君じゃないみたいでただ怖いと思う。いくつもの店舗が建ち並ぶ界隈ではあっても、ここは裏口通りだ。怖いほどに静かで、その静けさがより私に恐怖を感じさせる。

「ごめんなさい。私、榊君とは付き合えない――」
「どうして? 恋人はいないって言ったよね?」

また一歩、榊君が私に近付く。それと同じだけ後ずさっても、背中に冷たいものが当たる。そこが壁なんだと気付いて身震いした。

「今は僕のこと好きじゃなくてもいい。絶対大切にするから、だから――」
「ごめん。恋人はいないけど、好きな人はいるの。だから榊君のことはそういう風には見られないんだ」
「その人は……」

榊君が、苦しげに顔をしかめて私を見下ろす。

「その人とは、この先の未来を見ることが出来るの? 想いを告げる予定は?」
「それは……」
「ただ好きなだけでいいなんて、そんなの哀しいよ。僕が、忘れさせてあげる。僕は君だけを大事にする。他のことなんて考えない。君だけを見るよ」

私の心はここにはない。あの人に出会った時から、もうずっとあの人の所にある――。

「ごめん」
「そんな風に簡単に断らないで。お願いだ」
「榊、く――」

素早く腕を掴まれたと思った次の瞬間には、腕の中に閉じ込められていた。

「やめて! 離してっ!」
「僕は、ずっと一人暗闇にいた。誰かといて安らぐとかそんな気持ち知らなかった。でも、君の隣にいる時は、何故か心が落ち着いて優しい気持ちになれた」
「榊君っ!」
「君といると、まっさらな自分に戻れる。だから、僕はどうしても君でなければだめなんだ」

お母さんの話をしてくれた時の榊君の静かな目を思い出す。悲痛な叫びに胸が痛んだ。榊君から出ているとは思えない哀しみにまみれた声に胸が苦しくなる。

「君の好きな人の所に行かせたりしたくない。僕の傍にいて……」

その声が震えているのに気付いても、私はどうしてあげることもできない。

「離して」

力の限り榊君の胸を押したけれど、その何倍もの力で抱きすくめられる。

「榊君、お願い――」
「……雪野?」

そこにいるはずのない人の声が聞こえて、呼吸が止まる。



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