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第二部
立ちはだかる試練 2
しおりを挟む「――雪野、ただいま」
玄関から創介さんの声がした。慌ててタオルで手を拭き、キッチンから廊下へと駈け出した。
「おかえりなさい!」
もう既に廊下にその身体があった。
「買い物は、出来たのか?」
「え?」
帰って来るなり、創介さんが私に顔を近付けて来る。この至近距離に早速慌てふためく。
「買い物したいからって、俺を置いてさっさと帰って行ったんだろう?」
「あ……そう、そう。でも、いいものが見つからなくて、結局買えなかった」
そうだった。そう言って、出て来てしまったんだ。すっかり忘れていた。間近に創介さんの鋭い視線があって、思わず目を逸らす。
「ふーん?」
「そ、そうですよ。さ、もうご飯できますから、着替えて来てください――きゃっ」
そそくさとキッチンへと逃げようとしたら、後ろから急に腰を引き寄せられた。
「そ、創介さん……っ」
「どうして、目を逸らす?」
後ろから腰を抱かれて、耳元で囁かれて。創介さんの質問に答えればいいのか、とりあえずその腕から逃れるべきなのか、困ってしまう。
「逸らしてなんかないです。それより、早くご飯――」
「俺を誤魔化せるとでも思ってるのか?」
お腹のあたりに回された創介さんの腕により力が込められて、身体をぴたりと密着させてくる。「早くご飯」と言って「分かった」と身体を離してくれる気はないみたいだ。
「誤魔化してなんか……っ」
創介さんの手のひらが私の顎を優しく掴み、後ろへと向かせようとする。そうして交わった創介さんの視線は、私のどんな目の動きも逃さないとばかりに鋭い。
背中に触れる、創介さんのスーツ越しの硬い身体と、耳元のすぐ近くで響く低い声。そして、いつもの創介さんの香り――。
何年経っても、こうして結婚して妻になっても、全然慣れない。この胸は激しく鼓動してしまう。
「何かあったのか?」
「な、何かって……」
創介さんの目はただでさえ鋭くて。そんな目で見られたら、何もなくても私なんて動揺してしまう。
「今日、神原の話を聞いて、これからの幹部たちとの付き合いに不安になったりした?」
でも。そう言った創介さんの声は、とても優しいものだった。
「ううん、違いますよ」
創介さんに向かいあう。
「もちろん、大変だなって思ったけど、少しずつ頑張っていきます。だから、創介さんも、私に足りないところを見つけたら何でも言ってくださいね」
笑顔でそう言ったら、創介さんも少し安心したように表情を緩めてくれた。
「わかった。でも、おまえは自分の良さももっと認識しろよ?」
私の腰を抱きながら、創介さんが私の頬に触れてくれる。
創介さんに負い目を感じるなら、その分、創介さんのために頑張ればいい――。
二人で向かい合いながら、夕食を食べる。
「――そう言えば、今日、お父様のお話ってなんだったんですか?」
常務室に掛かって来たお父様からの呼び出しの電話。その話題から、少しは何かうかがい知れるだろうか。
「ああ、年末年始の経済界のパーティーのことだ」
「年末年始、ですか……?」
「そうだ。年末も年始もやるんだから、まったく面倒だよ。それに、そのパーティーは大企業の幹部を対象にしたものなんだ。本来なら俺は出席しなくてもいいはずなんだけどな……。まあ、仕方がない」
その創介さんの言葉に、神原さんが言っていたことを思い出した。
――榊常務の場合、間違いなく本社の役員と同等のお立場になります。
創介さんは、今の会社のただの常務とは違うのだ。やはりお父様は、本当なら関連会社になど創介さんを飛ばしたくはなかった。創介さんの存在を、常に経済界の中で知らしめておくために、そのパーティーだって出席させるのだろう。
「……いつ頃本社に戻るのか、そういうことは決まっていたりするんですか?」
恐る恐る、そう尋ねてみた。創介さんとお父様の間で、どういう話がなされているのだろう。
これまで仕事のことを私の方から聞いたりしたことはなかった。創介さんが一瞬不思議そうな顔をしたけれど、すぐに答えてくれた。
「俺も、はっきりとは知らない。特に、”いつまで”なんて言われてないからな」
決まってない――?
それで創介さんは不安じゃないのだろうか。早く、本社に戻って、本来の立場に戻りたいんじゃ……。
「どうした? そんな神妙な顔して」
「い、いえ」
創介さんが私の顔を覗き込む。慌てて笑顔を作った。
「俺としては、ずっと今の会社でもいいくらいだけどな」
「……え?」
思わず創介さんの顔を見つめる。
「面倒なこともないし、何よりこうして、おまえと一緒に過ごせる時間が多い」
創介さんの指が私の頬を掠めるように触れて、微笑む。でも、私の胸はきりきりと痛んだ。
「創介さんはずっと本社で頑張っていたでしょう? いつだって仕事のことを考えて懸命に働いていたの、私でも分かります。それに、お父様だって、きっと創介さんに早くトップに立ってほしいって思っているはずで――」
つい、そんなことを勢いのままに放ってしまっていた。
「どうした、雪野。心配するな。いずれ必ず本社には戻るから大丈夫だ」
必死になってしまっていた私を、創介さんが労わるようにそう言った。気付けば私が励まされている。
「心配しているわけじゃなくて。ちょっと気になっただけなんです。すみません、勝手なこと言って」
「いいんだ。でも、何よりまず先に、神原を本社に戻してやらないとな」
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「神原さん、優秀だし、それにとっても綺麗な方でした……」
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「まあ……、秘書なんてみんなあんな感じだろ?」
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それが創介さんにとって何よりのこと。神原さんは、絶対に創介さんのために働いてくれる人だ。それだけは何故だか確信できた。だから、そういう目で神原さんのことを見なければいけない。私も神原さんを信頼して、接したい。弱い自分に懸命に言い聞かせる。
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