雪降る夜はあなたに会いたい【本編・番外編完結】

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第二部

あなたのために出来ること 4

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 創介さんのがっしりとした腕に、自分の腕を絡ませ歩く。
 人が集まる気配が近付いて来る。レセプションには、着飾った女性と正装の男性が笑顔で挨拶をしあう光景が目に入って。私の緊張もさらに高まる。

 クロークにコートを預けて、ドレス姿になった私は、急に心許なさを感じて肩を竦めた。誰も彼もが立派に見えて。きらびやかな姿の人たちに一瞬怯みそうになる。

「会場に入るぞ」
「はい」

合図のように私の手に触れて創介さんが言った。

 息を飲み、覚悟を決める。扉をくぐれば、そこは高い天井からいくつものシャンデリアがかかり、背の高さほどのあるフラワーアレンジメントが並ぶ。
 そして――。この場にいる人の視線が、創介さんに向けられるのが嫌でも分かる。どこに行っても注目を浴びる人。初めて会った日も、その輪の中心に君臨しているみたいだった。ここにいる人の中で、創介さんを知らない人はいない。羨望の眼差しを創介さんに向けて、次にその視線が向かう先は――。
 キラキラとしたシャンデリアのきらめきが目に入り、思わず目を伏せた。

「雪野、顎を上げて。堂々と笑っていろ」
「は、はい」

創介さんが耳元で囁く。その声に、私は慌てて背をピンとさせた。そして懸命に前を見る。

「ここにいる誰よりも雪野は綺麗だ。これまで嫌というほどこういう世界の女を見て来た俺が言うんだ。間違いない」

小さな声で前を見て歩きながら言った。

「自信を持って笑うんだ。心の中では緊張していても、余裕があるふりをしろ。こんな場では、はったりをかますことも大事だ。俺はたいていそれで乗り切っている」
「え? 創介さんが?」

創介さんはもともとが立派な家の生まれなのだから、そんなものを必要とするとは思えない。その言葉に私は驚いた。

「はったりでもかまさなきゃ、自分より一回りも二回りも年上の人間を相手に対等に渡り合うなんてこと、出来るわけないだろ」

そう言って創介さんが笑った。

「よく聞け。この場にいる人間にはいくつかのタイプがある。一つは、自分で何かを生み出したわけでも成し遂げたわけでもないのに、たまたま生まれた家が特別だっただけだけで偉そうにしている奴。あたかもそれが自分自身の力だと勘違いして――俺みたいな奴のことだ」
「創介さん……」

お互い前を向きながら会話をしていたのに、思わず創介さんの顔を見上げてしまった。

「そういう人間は、空っぽな奴だ。自分という人間の中身がない分だけ虚勢を張る」
「創介さんは、そんな人じゃ――」
「おまえだって覚えているだろう? 初めて会った日の俺のことを」

創介さんが、苦笑する。

「そういう人間のことは、俺が一番良く分かっている。虚勢を張って人を見下して。そうしていないと自分を保てないんだよ。そんな奴の言うことはまともに聞かなくていい。どうせ大した人間じゃない」
「……はい。でも、やっぱり創介さんは空っぽなんかじゃないです」
「もし今の俺がそう見えるのなら、それは、おまえが変えてくれたんだろう? 雪野が俺に自分の愚かさを気付かせてくれたんだ」

そう言って創介さんはまた前を見た。

「生まれ持ったものなんて関係ない。どうやって生きて来たかだ。貧しくたって裕福だって、関係ない。本物は人を肩書で判断したりはしない」

確かにそうだ。宮川凛子さんは立派な家に生まれた方だけど、私にも分け隔てなく優しくしてくださった。

「自然と相手を見極められるようになる。さあ、まずは、本社の副社長夫妻だ」
「はいっ」

自然と身体に力が入る。

「はったりだぞ? 意識的に堂々と笑え。そうすれば気持ちもそれに付いて来る」
「はい」

私は引きつってしまいそうになる表情を懸命に笑顔にする。口角を上げて、創介さんの隣に立った。

「山岸副社長、先日はありがとうございました。奥様も、お変わりありませんか?」

創介さんがそのご夫妻の前に立ち、声を掛けた。

「創介君じゃないか」
「お久しぶりね。お元気?」

副社長も奥様も、笑顔で創介さんに応える。

「おかげさまで、変わりなくしています。結婚したことで、新たな気持ちで仕事に励めています」

そう言って私に視線を寄せた。

「おお、雪野さんか。結婚式のあと、挨拶に来てくれたね。その時以来かな」
「あら、創介さんの奥様?」

ご夫婦そろって私にも笑顔を向けてくれる。副社長の奥様はあの幹部会にはいらしていなかったから、顔を合わせるのは初めてのことだ。

「先日は式にご出席くださりありがとうございました」と山岸副社長にお礼をしてから、奥様に身体を向けた。

栗林専務の奥様や竹中常務の奥様と同じ、幹部の奥様だ。どう私を見るのか――嫌な緊張が走るが、そんな気持ちは心の中だけに隠し、姿勢をピンとする。そして、目一杯の笑顔で奥様を見つめた。

「初めまして、妻の雪野です。よろしくお願い致します」

なんとか笑顔を崩さずに頭を下げる。

「こちらこそ、よろしくお願いしますね。お二人並んだ姿、とってもお似合いよ? 創介さん、良かったですね。こんなに素敵な方を奥様にすることが出来て」

――お似合い。初めて言われた言葉だ。

「本当に。心からそう思ってます」

創介さんが私を見つめながら言った言葉に、お二人が声を上げて笑った。

「こうもはっきり肯定されると、こちらが照れるな。いい伴侶をもらったんだ。君もいつまでも隠れている場合じゃない。早くこっちに戻って来ないとな」
「分かっています。早く社長に認めてもらえるように、最善を尽くします」

創介さんがそう答えた後、奥様が私に視線を戻した。

「先日、幹部婦人の集まりに行かれたんでしょう? 前回は、所用で行けなくて」

その言葉に、私の笑顔が固まってしまいそうになる。奥様は、あの日のことを聞いているのだろうか。栗林専務の奥様や竹中常務の奥様と、同じ考えでいらっしゃるのか。

この場で、どんな言葉が向けられるのか――。

不安が身体を突き抜ける。

「今、取り仕切ってくださっているのは栗林さんよね。私は今は参加するだけの身になって、毎回参加しているわけでもないの。すべて栗林さんにお任せしているけれど、皆さんにちゃんと紹介してもらえたかしら? あの会に初めて出席する時って、おそろしく緊張するでしょう? 今でも覚えているわ」

奥様の言葉になんと言ったら分からない。あの日のやり取りが早送りの映像みたいに私の頭の中を駆け巡り、何かを答えなければならないのに、上手く答えるべき言葉がまとまらない。

「――それが。どうやら、その会で何かあったようで。妻が酷く落ち込んでいるので、僕も気になっているんです」

え――?

「あら、そうなの? どうなさったの?」

奥様が私に視線を向ける。創介さんがそんなことを言い出したのに驚いて、思わず顔を見上げた。

――俺に話を合わせろ。

とでも言うように、創介さんが私を見つめて微かに頷く。そして、奥様に言葉を続けた。

「何か失礼なことをしてしまったようで。僕がいくら妻に聞いても、ただ『自分の落ち度だ』と謝るばかりなんです。私としても心配ですからね。どなたか事情を聞けるといいのですが――」

創介さん、一体、何を考えているの――?

創介さんが何をしようとしているのか分からなくて不安ばかりが襲ってくる。でも、創介さんの大きな手のひらが私を支えるように腰に添えられていた。

「初めての場で何かあったのなら、創介君も心配だろう」

副社長までもが神妙な表情になる。

「おっしゃる通りで。一言僕の方からも栗林専務の奥様にお詫びをしようかと思っているのですが――ああ、ちょうどいらしたみたいだ」

創介さんが、入り口の方に視線を向けた。創介さんの、どこか決められたセリフを言っているかのような芝居じみた言い方に、何かが引っかかる。でも、それ以上にこのあとに起こることが予想できなくて、不安で仕方がない。

 栗林専務の奥様に会うのは、あの講演会の日以来。勝手に身体が強張る。

「ちょうどいいわ、この場でお話なさるといいわよ。もしかしたら、何か些細な行き違いかもしれないし。お付き合いはこれからも続いて行くんだもの、こういうことは最初のうちに解決しておいた方がすっきりするわ。栗林さん!」

奥様が手を挙げて、声を掛けてしまわれた。おそるそおる向けた視線の先に、栗林専務と奥様の姿があった。
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