雪降る夜はあなたに会いたい【本編・番外編完結】

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第二部

あなたのために出来ること 6

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「――どうかしたのか?」

お父様が創介さんに視線を向けた。すぐさま会釈をする。
 こうしてお父様と顔を合わせるのは、あの、榊の家に呼ばれた日以来のこと。あの日、恥ずかしげもなく、お父様の前で泣いたのだ。その時のことを思い出すと、いたたまれなくて仕方ない。

「ええ。雪野のことで、丸菱の奥様方のお仲間に入れていただけるよう、お願いしていたところなんです」

創介さんがそう答える。

「お願いだなんてとんでもない。もちろん、出来る限りのことはさせていただきたいと思っております」

すぐさま、複雑な心情を滲ませたかのような栗林専務の声が耳に届いた。

「榊家の大切な嫁だ。皆には、特に、奥様方にはぜひとも大きな心で受け入れてやっていただきたい」

お父様――?

頭上から聞こえた言葉に、思わず顔を上げる。

「丸菱を盤石なものにするためには、奥様方のお力も大きいということ、何よりご存知ですね? いろいろと手助けしていただけますか?」

お父様の表情はいつもと変わらない厳しいもので、視線だけで人を怖じ気づかせることのできる鋭い視線は、栗林専務の奥様に向けられていた。

「もちろんですっ」

奥様が頭を下げる。

 でも私は、違うことで頭がいっぱいだった。

お父様が、私のことを”大切な嫁だ”と言ってくださった――。

その言葉が、私の中で何度も繰り返される。それほどまでに衝撃で、そして、嬉しかった。嬉しすぎて、意思とは関係なく何かが込み上げて来そうになって。慌てて、もう一度深く頭を下げた。お父様にしてみれば、この場に適した言葉として口にしただけなのかもしれない。それでも嬉しかった。

「どうか、よろしくお願い致します!」

奥様たちに、気付けばそう言っていた。創介さんの手のひらが私の背中をぽんぽんと優しく叩く。その手のひらがとても温かかった。

「――では、失礼する。創介、新しい経団連会長の小暮さんに紹介するから、あとで来なさい」

お父様がこの場にいる皆に視線を寄越した後に、創介さんにその視線を移す。

「承知いたしました、社長」

創介さんとお父様のやり取りから、親と子であると同時に上司と部下でもあるのだと、気付かされる。お母様を伴ってお父様がこの場から立ち去る際に、皆がもう一度頭を下げた。
 そして、お父様は、丸菱グループの社長なのだと、改めて思う。

「――僕の不安が杞憂に終わって、本当に良かった」

お父様が立ち去った後に、創介さんが突然そんなことを言い出した。お父様に向けられていた皆の視線が創介さんへと戻る。

「もしかしたら、雪野は、皆様に受け入れてもらえていないのではないかと不安でたまらなかったんです。雪野は、ごく普通の家の人間ですからね。丸菱の幹部の奥様ともあろう方たちが、まさか、家柄のみで人を判断するような浅はかな方たちだとは思っていませんが、雪野が落ち込む姿を見ていたら急に心配になりまして。でも、雪野を助けてくださると、今、はっきりとおっしゃっていただけましたから、本当に安心しました」

創介さんは、滅多に見せないにこやかな笑顔を栗林専務の奥様に向けた。

「――奥様」
「は、はい」

創介さんがその微笑みを消して、低い声を放つ。

「雪野を妻にしたいと願い続けてこうして妻にすることができました。ですので、雪野の代わりになる人間はいませんし、本来なら違う人間がこの立場にいるはずだったなどということもありません。どのような場でどのように比較されても、まったく無意味なこと。それだけは、ご理解ください」

ふと、奥様に言われた言葉を思い出す。

『あなたはもう少しご自分の立場を考えた方がよろしいわ。そして、本来その立場にいるはずだった人がいる、ということを』

創介さんは、そのことを知って――。

そして、おそらく。あの、宮川凛子さんに助けられた講演会での出来事のことも言っている。

「雪野は私が選んだ妻です。今後、もし万が一雪野が何か失礼をしましたら、私にもお伝えくださいますか? 私が責任をもってしっかりと言い聞かせ対処致しますので。よろしくお願いします」

栗林専務の奥様は創介さんから視線を逸らした。

「――というわけで、雪野をお仲間に入れていただけるよう、今度、皆様をご招待してしっかりおもてなしするように社長から言われております。いらしていただけますか?」

お父様が……?

「もちろん、そのつもりですよ。私も、もっと雪野さんとゆっくりお話してみたいわ」

副社長の奥様が私に微笑みかける。

「他の方からは、出席のお返事をいただけているな、神原」
「はい。皆様から、内々に、出席のお返事が来ております」

神原さん――?

いつの間にここに来ていたのか、一礼して、神原さんが手帳を片手に説明を始めた。

「来月末の日曜日、社長宅を予定しております。詳しいご案内は既に発送させていただきました」
「一か月以上先のことですから、直前ということもありません。栗林専務ご夫妻もご出席いただけますね?」

神原さんの説明の後に、創介さんが念を押すように言う。

「社長からのご招待です。もちろん、出席させていただきます」

奥様が声を発するよりも前に栗林専務が声を上げた。

「それはよかった。では、竹中常務ご夫妻ともお誘い合わせのうえ、ぜひいらしてください。お待ちしております」

再び創介さんが余裕のある笑みを浮かべる。

「それから――。当日は、時間通りにお越しください。私と雪野とで皆様をおもてなしすることが目的ですから、お手伝いいただく必要はありません。なあ、雪野」

創介さんが私に目配せをして微笑む。その意図をはっきりと理解する。

「はい。楽しんでいただけるよう、精一杯おもてなしさせていただきます!」

私が、この世界で生きていくための場を、創介さんが準備してくれたのだ。胸がじんとして、熱くなる。

「では、楽しみにしていますよ」
「社長宅にうかがえるなんて、良かったな。滅多にないことだぞ」

副社長ご夫妻が笑い合う。

「お待ちしております」

創介さんが笑顔で答えた。

「じゃあ、また」
「こんなところでお時間取らせてしまって申し訳ございませんでした」

にこやかな副社長ご夫妻と、複雑な表情を浮かべた栗林専務ご夫妻を、私と創介さんとで見送った。もう一度、深く頭を下げる。

 そして、皆さんが立ち去った後、私は思わず胸に手を当てた。その時、どれだけこの時間を自分が張り詰めた神経で立っていたのかに気付く。

「雪野、大丈夫か?」
「は、はい。ちょっと、緊張していたみたいで」

創介さんが添えていた手に力を入れて、私を支えてくれた。

「――奥様、その節は、大変失礼いたしました」

突然神原さんが私の目の前に立ち、頭を下げる。それに驚いて焦ってしまった。

「そんな、頭なんて下げないでください!」
「いえ、私は奥様に、常務の秘書としてあり得ない態度を取りました。改めてお詫びいたします」
「いいんです。神原さんは、間違ったことなんておっしゃっていなかったんですから――」

あたふたとしてしまう私を創介さんが遮った。

「雪野。神原はおまえに謝りたいんだよ。謝罪させてやれ」

頭を下げていた神原さんがゆっくりと顔をあげると、私を見つめて改めて口を開いた。

「奥様、とてもお綺麗です。榊常務のお隣に立つのに奥様以外はいなかったんだと、改めて知ったような気がします」

その目があまりに眩しそうに私を見つめるものだから、照れてしまう。

「あ、ありがとうございます」
「これからは、奥様をしっかりとサポートできるよう、精一杯勤めさせていただきます」

神原さんが私に、宣言するようにはっきりと言った。

「今回も、神原がいろいろと動いてくれた。それにしても、皆、出席すると言ってくれてよかったよ」
「はい。常務が練った作戦のおかげです」

作戦――。

その言葉に考えを巡らせていると、二人の会話がまた耳に飛び込む。

「常務、お帰りのお車はどうされますか?」
「ああ。帰りも車は必要ない。雪野と二人だけで行きたいところがあるから」
「相変わらず、仲がよろしいことで。それはそれは失礼いたしました」

神原さんが呆れたように笑うから、私の方が恥ずかしくなってしまう。

「では、私は、栗林専務に改めて一言挨拶をしてから失礼致します。以前、仕えていた方なので」
「そうだな。上手く、フォローしておいてくれ」
「承知しております」

そう言うと、神原さんは行ってしまった。そして、私と創介さんの二人になる。
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