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第二部
繋がっていく絆【side:創介】 5
しおりを挟む明かりの点いていない暗い部屋に、一人戻る。
結婚してから、この部屋で一人夜を明かすのは初めてのことかもしれない。俺自身が出張で家を空けることはあったが、誰もいない部屋に帰るのは初めてだ。いつも、そこには雪野がいた。
約7か月前、結婚して一緒に暮らし始める前に、少しの間一人で暮らした。その時以来のこと。
リビングに足を踏み入れて、明かりを点ける。そしてその場で立ち尽くしたまま部屋を見回した。最初は家具しかなくて、がらんとした部屋だった。でも、今は、そこかしこに雪野の気配がある。
飾られた花に、雪野が準備した写真立てに収まっている二人の写真。リビングの一角に置かれた棚には、大小、複数の写真立てがある。結婚式の時のもの、二人で出かけた時のもの、年末に雪野の実家に行った時に皆で撮ったもの……。
一人でいるには広いリビング――。
雪野と暮らす前はそんなことを思ったこともなかった。小さい時から広い家にしか住んでいなかったから、どれだけ広い部屋に一人でいても寂しいなんて思うこともなかった。でも、今は、広すぎて落ち着かない。
リビングを出て寝室に向かう。寝室の扉を開け、そのままベッドに身体を投げ出した。
疲れたーー。
ベッドのマットレスに身体が深く沈みこんでいく。
開けっ放しのドアから、明かりが筋になって寝室に差し込む。横たわったままの視線の先に、あのゾウがあった。
『二人になったから、二頭欲しいな』
雪野がそう言った。
そうだ。俺はもう一人じゃなくて。雪野と家族になった。雪野がいないと成り立たない。眠りにつく時、いつも隣には雪野がいて。俺の腕の中で丸まって眠る。思わず腕を上げた。そこにはいない雪野を抱きしめる。
『創介さん。おやすみなさい』
その笑顔を守りたいと、そうして眠りにつくたびに思って来た。
幸せそうに目を閉じて眠る、その寝顔を見るたびに、この先もずっと幸せにしたいと思っていた――。
ベッドの真ん中でうずくまれば、雪野の匂いに包まれた。
まだ陽も上りきらない早朝、目が覚める。何度か瞬きをして、起き上がった。
あのまま、寝てしまったのか――。
身体を起こして自分の姿を確認してみれば、昨日着ていたスーツのままだった。
まだ薄暗い廊下を歩きバスルームへと向かう。
服を脱ぎ、シャワーを浴びる。朝が来て熱いしぶきを頭から浴びれば、少し落ち着いて来る自分がいた。一晩経って、冷静になれたのかもしれない。
動揺して戸惑って、大きな不安に襲われて。でも、俺がどれだけ取り乱そうが不安になろうが、雪野の中にいる命は今も確かに存在している。それだけは、確かなことだ。そして、その命にとって、俺の感情なんて関係ない。
だったら、俺のすべきことは――。
ほんの少しクリアになった頭で、考える。少しずつ、考えて行こう。
白いシャツに腕を通し、ネクタイを締めて、一枚一枚身に纏いながら自分を引き締める。
出勤する前に、雪野の病室を訪れた。その時には、雪野はもうすべての支度を終えていた。
「迎えに来てくれてありがとう。一人でも帰れたのに――」
俺を見た瞬間に、ベッドに腰掛けていた雪野が立ち上がった。
「何言ってるんだ。迎えに来るくらいどうということもない。雪野を家まで送り届けたら、それから出勤する予定だけど、一人で大丈夫か?」
雪野の腰を支えて、病室を出る。
「うん。大丈夫です」
看護師と担当医に挨拶をすませた後、会計をしてから病院を出た。そして、雪野を車に乗せる。
「何かあったらすぐに俺のスマホに電話しろ。仕事中も着信には気付くようにしておくから。些細なことでも、躊躇いなく連絡しろよ」
ハンドルを握りながら雪野にそう告げる。
「はい」
助手席に座る雪野は、窓の外を眺めていた。その横顔を盗み見る。
昨日よりは、幾分顔色もいいか――。
「――これから出産までの病院を決めないといけないな。ここの病院にそのまま通うか? もう少し近い場所の方がいいか」
万が一の状況になってもすぐに対処できる、設備も医師も整った病院がいいはずだ。病院選びも、慎重にしないと。そう思い、言葉にした。でも、雪野からは返事はなかった。
「雪野?」
「えっ? 何ですか?」
慌てて俺の方へと顔を向ける。
何か考え事か――?
「――いや。これからのこと、決めて行こうか」
俺が改めてそう言うと、一瞬雪野がその目を揺らめかせた。
「はい」
でも、それは本当に一瞬のことで、雪野はすぐに顔を窓へと戻してまった。
その日から、なるべく早く帰宅するようにした。
「そんなことしなくていい!」
仕事から帰ってキッチンに足を踏み入れると、踏み台に載って棚の上のものを取ろうとしていた雪野に思わず声をあげた。
「ご、ごめんなさい……っ」
雪野が怯えたように俺を見る。
その目――。
倒れた日からここ数日、雪野が俺に見せる目だ。慌てて踏み台から降りた雪野は、肩を強張らせていた。
「足でも踏み外したらどうする。危ないことはするな。家事も負担になるものはしなくていい。家政婦とか、そういうもの頼んだっていいんだ」
雪野が取ろうとしていた鍋を手に取る。
「家政婦だなんて、必要ないです。私、病人じゃないんです。もちろん無理したりはしません。でも、家のことくらい自分でできます」
「注意して注意し過ぎることはないだろ――」
「創介さん」
雪野が俺をじっと見つめている。その目は、誰か知らない人を見ているような、そんな目だった。
「……創介さん、全然笑ってくれませんね。私を見る度、いつも怖い顔してる」
「雪野……」
「――すぐ、ご飯できますから」
そう言うとすぐに俺に背を向けた。
「心配から、つい。だから――」
「うん、分かってる」
雪野は俺に振り返り、笑みを見せてくれたけれどそれは無理をして作っているようなものだった。
雪野がかかることにした病院の、最初の検診の日に同行した。調べ尽した末に決めた産婦人科だ。
これから特に気を付けること。どんなリスクがあるのか、そのリスクを軽減するためにどういう選択肢があるのか。そういったことをより詳細に医師と話せたことで、俺の不安もだいぶ和らいだ。
「ねぇ、創介さん」
「ん? なんだ?」
その帰りの車の中でのことだった。
「赤ちゃんが出来たこと、お母さん、大喜びで」
「そうか。今度、二人でまた狛江の家に顔を見せに行こう。そうしたら、お義母さんも安心するだろう」
「うん。それで、創介さんは、お父様や家族に報告した……?」
雪野の問いかけに、思わず雪野の方を見る。
「ああ……。そう言えば、まだだったな。俺の方から知らせよう」
雪野が倒れたことで、何より自分がその現実を受け止められていなくて、報告しようなんていう発想にすらなっていなかった。
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とは言え、父にしても祖母にしても、孫が出来て嬉しくないわけがない。
「口にはしないだけで、早く孫がほしいなんて思っているかもしれないしな」
「はい! 創介さんの実家にも、行こうね」
そう言った雪野の表情は、パッと明るくなった。ここ数日見ていない心からの笑顔だ。突然、元気になった雪野を不思議に思いつつ、安堵もした。
こんな風に、言葉一つで雪野を笑顔に出来たのに――。
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