闇を泳ぐ

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第四章 たった一人の愛しい人

ーメイ―⑥

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 大学から少し離れた大型カラオケ店。そこで一番広い部屋を貸し切って、クラスの親睦会が行われた。

 広い部屋をぐるりと囲むようにソファが敷き詰められている。経済学部のせいか、女子学生の方が圧倒的に少ない。

「この会をきっかけに、これから仲良くしていきましょー! カンパイ」

それぞれに手元に飲み物を準備して、グラスを高く掲げる。密室にたくさんの人で集まるのは、久しぶりのことで心なしか落ち着かない。

 私は迷うことなく女子学生の隣の席を確保した。なんとなく言葉を交わすだけだった女の子たちとも、この機会に仲良くなれるかもしれない。この日は、そんな日にしたいとそう思った。

そう。兄のことなんて、思い出さない――。

「長谷川さんって、すっごく大人っぽいよね」

隣に座る吉永恵よしながめぐみさんが声を掛けて来てくれた。

「そうかな? 髪もこんな風に短いし」

手の中にあるレモンソーダのグラスを握りしめながらそう答えた。

「髪の長さなんて関係ないよー。なんだか、ミステリアスな感じ」
「ああ、それ、私も思った。だから、勝手に年上かなーなんて思ったけど」

もう一人のクラスメイト、下川心しもかわこころさんも聞きづらそうに私を見て来る。

「私、十八だよ」
「そうなんだ。じゃあ、みんな同い年だ」

そうか。大学だと、同じ学年だからと言って同じ年とは限らないんだ。そんなことを今頃気が付いた。

「これからよろしくね。授業とか、助け合おうねー」

どの女の子も気さくで、いい子たちで。高校時代も友達と呼べる子はいたけれど、どこか壁を作っていた。いろんなことに必死で、友達と楽しめる余裕がなかった。これからは、兄の言うようにもっと肩の力を抜いて過ごせばいい。

そうやって、少しずつ兄から離れて行かなないと――。

それでもまだズキズキと痛む胸に気を取られていると、隣には違う人が座っていた。

あれ? 確か、さっきは吉永さんと下川さんがいたはずだけど――。

私の右隣には、顔だけはかろうじて知っているクラスメイトの男子学生が座っていた。そして左隣には誰もいない。最初はジュースを飲んでいたはずなのに、周囲の雰囲気が会の初めの頃とは少し変化している気がする。それぞれが緊張が解けて、男の子も女の子も思い思いに話し込んでいた。吉永さんも下川さんも、それに他の女の子も男の子たちと楽しげに話していた。

「長谷川さん。どうしたの? 疲れた?」
「えっと……」

その隣に座る男子が顔を覗き込むようい問い掛けて来た。この距離感は、未だに慣れない。肌が触れる距離は苦手だ。

「クールな感じなのに、あんまり男には慣れてない感じ? なんとなく意外」

別に、距離が近いからと言って何か不快なことをされているわけじゃない。その手にあるのは、明らかにビール。少し、酔いが回って気が大きくなっているのかもしれない。それにここにはたくさんの人がいる。

これくらいのことで拒否反応を示していたら、この先上手くやっていけない――。

そう何度も心に言い聞かせた。

「そうだね。ちょっと、男の子は苦手かも……」

そう言って、少しずつその男子学生から距離を取る。苦笑いでも浮かべてそうすれば、少しは察してくれるだろう。

「長谷川さんの違う一面が見られて得した気分だな。初めて見た時から、ちょっと気になっててさ。クールビューティーって感じで? どんな子なんだろうって。今日は絶対話し掛けてみようと思ってたんだ」
「クールビューティーって、そんな大したものじゃないから……」

また少し横へとずれる。このままだとソファの端まで行ってしまう。この短すぎるほどの髪にしてから、男の人から変な目で見られることは激減した。服装だって女子大生にしたらあまりに素っ気ないシンプルな服だ。

「自分じゃ分かってないんだね……」

その手がふっと、私の肩に触れた。

「……やっ」

ここは耐えるべきだって思って来たけど、その男子は全然察してくれない。それどころか、その目に違うものが宿り始めている。身体中がもう完全に拒絶していた。

触られたくない――。

震えてしまいそうになる。

たかが、腕に触れられたくらいで――。

そう思うけれど、どうしても身体が受け付けない。その時だった。

久枝ひさえだ、何してんだよ!」

はっと我に返って見上げると、そこに怒った顔をした山内君がいた。

「何って、長谷川さんと話してる。見て分からないのか? なんでおまえまで来るんだよ」
「長谷川さんの顔見て見ろよ。真っ青じゃないか。嫌がってるのに気付かないのかよ」

山内君の声に、その久枝という男子があからさまに嫌そうな顔をした。でも、もうこれ以上この場にはいたくないと心が訴える。嫌で嫌で仕方ない。

この程度のことで取り乱した自分も、上手く交わせない自分も、それより何より、男の人と関わることにこんなにも拒否反応を示す自分も――。

「ごめん。私は大丈夫だから」

鞄を握りしめて、その部屋を逃げるように飛び出した。

 両脇に個室がある細長い廊下を足早に歩く。

お兄ちゃん以外、触られたくない――。

心の中はどこまで行っても、兄のことばかりで。こんな自分の心、もう捨ててしまいたくなる。

「待って!」

背後から、誰かが追いかけて来るのに気付く。思わず身構えると、山内君の声だと分かった。

「長谷川さん、待って」

息を切らして追いかけてくる山内君を見て、私はその足を止めた。

「長谷川さん、本当にごめんね」

私の前まで来ると、息を整えながら頭を下げて来た。鞄を胸に抱き締めながら、山内君と向き合う。

「ううん。私の方こそ、突然抜けて来ちゃってごめん」
「いや、長谷川さんを不快にさせるようなことをしたアイツが悪いから。でもさ、久枝も悪い奴じゃないんだ。むしろ、いつもは大人しい奴で。長谷川さんと話がしたいって思ってて、酒の力に頼ったんだと思う。ごめんね」

もう一度山内君が頭を下げた。その姿を見ればいたたまれなくなる。

「山内君が謝ることないから。私も、ちょっと大袈裟だったの。だから久枝君にも上手く言っておいて」
「もう、帰っちゃうの……?」

その目が不安を灯して揺れている。

「ごめんなさい。ちょっと、疲れたみたいで。こういうたくさん人の中にいるの、久しぶりだから。みんなにもごめんって伝えておいて」

もう、あの場所に戻りたいとは思わなかった。あの久枝君にもどういう顔をしていいのか分からない。なにより、一人になりたかった。

「……分かった。送って行こうか?」

山内君の少し緊張交じりの声が耳に届く。

「ううん。大丈夫。山内君は幹事だし、早く戻って。じゃあ」

それ以上もう何も言わせないように、すぐに駈け出した。


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