闇を泳ぐ

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第五章 たった一人の兄と妹

ーメイー①

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 冬という季節に入って、すでに何度か雪が降っていた。寒いのは辛いけれど、でも、雪は好きだった。

もっともっといっぱい降って、見えるものすべて雪で覆ってくれればいいのに――。

覆う、なんて程度ではなく、私とお兄ちゃんの二人だけを閉じ込めて、そのまま凍らせてしまえばいい。

「メイ……。メイってば!」
「ん? な、なに?」
「また、ぼーっとして」

覗き込むように顔を傾けて私を見つめている吉永さんが、呆れたように言った。

「メイは時々、一人でどこか遠くに行っちゃう時あるよね」
「ごめん、ごめん」

こういう時は、苦笑いして誤魔化すしかない。

「で、メイはもう大体構想はできてるの?」
「うん、まあね。手作りチョコマフインとかどうかなって」

二月の最初の週末、吉永さんと下川さんの三人で人で賑わうデパートへと来ていた。十日後に迫ったバレンタインデーの準備をするためだ。

「マフィンか……いいね、可愛い」
「それで、メイは山内君にあげるんでしょう?」

隣に立つ下川さんがにやりと口角を上げ、私の肩を突いて来た。

「ああ……。そうだね。山内君にもあげようかな。いつもお世話になってるし」

本当は、心の中は別の人のことで一杯だった。

「何、その取って付けたような答えはー」

二人揃って私をじっと見つめて来る。

「なんで? 二人だって山内君と仲いいし、あげるでしょう?」
「メイの場合は、そういうのとは違うでしょう? 大体、なんで二人はまだ付き合ってないの? いつも、山内君、メイのそばにいるのに。山内君がメイを好きなの、皆気付いてるよ? 告白されてないの?」
「そうだよ。一体いつまでそんな中途半端な関係続けてるんだか。もう卒業しちゃうんですけど」

特に深く考えずに言った言葉が、二人によってあっという間に遮られた。

「告白? そんなのされてないよ。みんなが勝手に勘違いしているだけで、私たちは恵ちゃんたちと同じように友達なだけだから」

この四年、同じクラスだったこともあって確かに山内君とは普通に話すし打ち解けてもいると思う。でも、それ以上でもなければそれ以下でもない。私にとって彼は、心を許せる友人。ただ、それだけだ。

「あぁあ。山内君、気の毒。ずっとメイを一筋に想い続けていても、それは全然伝わってないってことかぁ」
「それは山内君だって悪いんだよ。はっきり想いを伝えないから。だから、こんな風に友達としてしか見てもらえないんじゃない。男は決める時には決めないと」

またも、二人で勝手に言い合っている。

私の心を揺さぶるのも埋め尽くしているのも、もうずっと、一人しかいない――。

「それにしても。山内君じゃないんだったら、メイは他に好きな人、本当にいないわけ? ずっと一人じゃない」
「結局、大学生活の間に好きな人、出来なかったなぁ……」

お兄ちゃん以外には――。

他の人を好きになれたら、私が恋人を作ったりしたら、お兄ちゃんはどう思うのだろう。

ホッとするのかな。それとも、嫉妬、してくれたりするのだろうか……。

『誰かに、この身体触らせたりした……?』

どこからともなく、兄の掠れた声が聞こえて来て、一人身体を熱くする。

 でも、分かってる。兄が時おりそんな風に言うのは、嫉妬してなんかじゃない。感情の昂ぶりで、そういう雰囲気の中で、言ってしまう言葉。

『メイは俺のものだって、誇示したいんだ』

懸命に何かを期待してしまわないように自分に言い聞かせているのに、兄の言葉を次々と思い起こしてしまう。
 そっと、タートルネックの下にあるネックレスに、服の上から触れた。
 大丈夫。兄の心にある気持ちが恋情じゃないことくらい、ちゃんと分かってる。

「……まあ、あんなにイケメンなお兄ちゃんが近くにいたら、他の男なんて全部霞んで見えちゃうかもね。それもそれで、メイにとっては不幸なのかも」

しみじみと呟く下川さんに、私はただ何でもないような顔をするしかない。

「じゃあさ、山内君は友達で他に好きな人もいないんなら、メイはなんでそんなに一生懸命にバレンタインの準備するの?」
「……え?」

その問いに、言葉に詰まる。兄を想って、何を作ろうかと懸命に想いを巡らせているなんて、口が裂けても言えない。

「私のことはいいから。二人も早く彼に何を作るか決めなよっ!」

私は二人の背中を押す。

「はいはい。あーあ、毎年毎年、ネタも尽きて来るんだよね」

やっと彼女たちの意識を逸らすことが出来てホッとする。

 お兄ちゃんとただの兄妹じゃなくなってから、バレンタインにチョコレートをあげるのをやめていた。なんとなく、そんなことをするのが憚られて。

兄でもない、恋人でもない。そんな名前の付けられない立場でチョコレートなんてあげてしまえば、ただ兄を困らせる――。

そう思うと、出来なかった。

 でも、今年は、贈りたいと思った。
 少しは、想いを滲ませてもいだろか。
 一度も言ったことのない『好き』という言葉。そんな綺麗で純粋な言葉、絶対に言えないけれど、ほんの少しでいいから表に出したい。
 約四年ーー。密かに抱え続けた想いは、今にもパンクしそうになっていた。

 大学生活最後の試験も終え、卒論も提出し終えた。大学四年の二月なんて、もう何もすることはない。
 就職活動も無事に終えることが出来て、四月からは大手企業に就職することが決まっている。
 親のいない家庭環境が不利に働くのではないかと心配もしたけれど、私を採用してくれた会社に限っては平等に選考してくれたみたいだ。
 他の同級生と同じように、大学を卒業してきちんとした会社に就職することができる――。そんな自分になれているのは、間違いなく兄のおかげ。
 だから、今年くらいはその感謝の気持ちも込めて、バレンタインに贈りたい。
 その一心で、チョコレートマフィンを作った。

 二月十四日は平日。この日はアルバイトのシフトを入れずにいた。

 歩くだけでミシミシと鳴る古い板のベランダは、歩くのにも慎重になる。朝、お兄ちゃんを送り出して、洗濯物を干そうと外に出た。
 パタパタと洗濯物を広げる。手にしたお兄ちゃんの作業着に、ふと手を止めた。工場での作業を物語るように、洗濯ではどうしても落ちない油汚れがある。そして、力仕事の時にどかに擦ったのか少し布が擦れた場所。

お兄ちゃんが働いて来た証――。

大事にハンガーにかけて干した。

 そして、兄が帰って来るのを待つ。















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