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日常
第百六十四話 しゃぶしゃぶ
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いつも通りの昼休み、図書館でカウンター業務にいそしんでいると、生徒の列が途切れたところで漆原先生が声をかけてきた。
「何かいいことでもあったのか?」
「え?」
返却された本がたまっていたので本棚に戻しに行こうかなと考えていたので、一瞬反応が遅れる。
「……どうしてですか?」
そう聞き返せば先生は頬杖をついて笑った。
「いやあ、なに。いつもよりご機嫌に見えたからな」
「えぇ……? そんなことないですよ」
「そうかあ?」
まあ、今日の弁当のおかずも俺の好きなものだったけど。
鶏と卵のそぼろがご飯にかかってて、みそ汁の具は豆腐だった。甘いケチャップソースのミートボールもうまかった。俺がいつも入れてるのは市販のやつを温めたのだけど、今日のは母さんの手作りだった。
大きめで、ふわふわしていながらもしっかり食べ応えがあって、ご飯とよくなじんでおいしいんだよなあ。
「ほら、今も」
漆原先生は楽しげに言った。「口角が上がってるぞ」
「え」
思わず口元に手をやる。すると、やることがなくて暇だからとついてきていた咲良が、本を手に取りながら言った。
「そりゃ、家族が帰って来てっからなあ」
「ああ、なるほど」
前に家族の話になったときに両親の仕事のことは話していたので、漆原先生は納得したように頷いた。
「それは表情も緩むな」
「……そんなにわかりやすいですか?」
そう聞けば、咲良も先生も頷いた。
ええ……そんなつもりはなかったのだが。なんかちょっときまりが悪い。
「まあいいじゃん。うれしいことが顔に出るのは悪いことじゃないだろ」
「そりゃそうだけどさあ……」
「俺も楽しいことあると全力で喜びを示すぞ」
咲良のその言葉を聞いて思い出すのは、テストの点数を報告しに来たあの時だ。確かに、全身で喜びを表していたな。
「昼飯の時とかめっちゃ楽しそうなんですよ」
そう咲良は先生に話す。先生は面白そうに相槌を打っていた。
「ほう、それはどんな?」
「なんつーかこう、全体的にうきうきしてるっていうか」
「そんなことないだろ」
「いーや、どことなくにじみ出てんだよ」
俺にはわかる、と咲良は胸を張る。いったいお前は俺の何なんだ。
「まー、でも、ぱっと見は分かんないかもですね。普段から話してたらなんとなく分かりますけど」
「それはそうかもしれないな」
先生は体勢を変え、ふっと笑った。
「俺の話はもういいだろ……」
自分が話題にあがるのはどうにも慣れなくてむずがゆい。しかし咲良は「えー」と笑った。
「いいじゃん。面白いし」
「面白がるな!」
「まあまあ」
それでー、と話を進める咲良に一つ嘆息し、本棚へ本を戻しに行くことにした。
なんだか気持ちが落ち着かない。何か他のことを考えたいが、咲良の声が時折耳に入ってきて気が散る。
どんな時でも没頭できることといえばなんだ。
飯だ。
あ、そういえば今日の晩飯は楽しみにしてろって母さん言ってたな。何だろう。からあげかな。いやでも、からあげの時はたいてい前もって言うしなあ。
寿司とか? 最近回転ずし行ってないしな。刺し身の盛り合わせもいいな。
分厚いステーキって可能性も捨てられない。じいちゃんやばあちゃんがスポンサーになってくれたら、結構豪華な肉が来る。
それとも食後にデザートがあるとか? それもいいな。
「なー春都ってば。聞いてる?」
咲良の声にハッと現実に引き戻される。気づけば咲良はすぐ隣に来ていた。
「あ?」
「いや、なんか振り返ったらいないし」
咲良は少し眉を下げて顔をのぞき込んで来た。
「ごめんな? やっぱ嫌だったか?」
最初、何に謝っているか皆目見当もつかず眉をひそめる。
「……なんか謝られるようなことされたか、俺」
「なんか春都、自分の話してほしくないみたいだったじゃん」
「あー……」
そういうこと。本気で心配する咲良に、思わず笑ってしまった。
「別に。ただ慣れてないだけ。嫌ではない」
「そっか? よかったー」
あからさまに咲良はほっとした表情を見せた。
「なんかすげー真剣な顔してたからさあ。俺やっちゃったかなー? って」
「晩飯のこと考えてただけだ」
そう言うと咲良は一瞬きょとんとした後「なんだよ、それ」と、ふはっと吹き出した。
さて、晩飯の答え合わせだが。
「しゃぶしゃぶか」
テーブルの上にはガスコンロと、白だしに白菜と豆腐、えのきが入った鍋があった。
「豚肉と鶏肉、両方準備してるよー」
そう言いながら母さんはテーブルに肉のトレーを置いた。薄切りの豚肉に鶏肉。これは豪華だ。
「たれも二種類だぞ」
と、父さんが冷蔵庫からポン酢とごまだれを持ってくる。
「さ、食べましょ」
「いただきます」
まずは豚肉から。
グラグラと沸騰する出汁に豚肉をくぐらせ、ひらひらとさせればだんだんと色が変わってくる。しっかり火が通ったら、最初はポン酢でさっぱりと。
ポン酢でしゃぶしゃぶを食べ始めたのって最近だよなあ。このあっさりとした酸味と肉のうま味、脂身の甘味がなんともおいしい。
ポン酢で食べる前はもっぱらごまだればかりだった。
濃厚なたれが肉によく絡んで、甘く香ばしいゴマの風味がいいんだ。ほんの少し出汁で薄くなったごまだれもおいしいんだよなあ。
豆腐も一つを半分に切ってポン酢、ごまだれそれぞれで食べる。白菜やえのきもどっちもの味で楽しみたい。さっぱりしたい時はポン酢、まったりこってりしたい時はごまだれ。
「鶏しゃぶは初めてだ」
「さっぱりしておいしいよ」
これは胸肉らしい。
豚肉よりは少し厚めだが、普段お目にかかる鶏肉よりは薄い。ていうかスライスされたような鶏肉はちょっと新鮮な感じがする。基本かたまりだもんなあ。
豚肉よりあっさり淡白だ。薬味が合いそうだな。柚子胡椒のピリッとした辛さとポン酢の酸味。うん、確かにさっぱりしている。
ごまだれだとなんとなく棒棒鶏を連想させる。白菜と一緒に食べるのがおいしい。
ポン酢とごまだれを混ぜたのもまた変わっていい。
それにしてもしゃぶしゃぶは普通の鍋より体が温まる気がする。やっぱ肉に火を通すって動きをするからだろうか。
それもあるだろうが、やっぱり誰か一緒に食べる人がいるから、一層、温かいんだろうな。
「ごちそうさまでした」
「何かいいことでもあったのか?」
「え?」
返却された本がたまっていたので本棚に戻しに行こうかなと考えていたので、一瞬反応が遅れる。
「……どうしてですか?」
そう聞き返せば先生は頬杖をついて笑った。
「いやあ、なに。いつもよりご機嫌に見えたからな」
「えぇ……? そんなことないですよ」
「そうかあ?」
まあ、今日の弁当のおかずも俺の好きなものだったけど。
鶏と卵のそぼろがご飯にかかってて、みそ汁の具は豆腐だった。甘いケチャップソースのミートボールもうまかった。俺がいつも入れてるのは市販のやつを温めたのだけど、今日のは母さんの手作りだった。
大きめで、ふわふわしていながらもしっかり食べ応えがあって、ご飯とよくなじんでおいしいんだよなあ。
「ほら、今も」
漆原先生は楽しげに言った。「口角が上がってるぞ」
「え」
思わず口元に手をやる。すると、やることがなくて暇だからとついてきていた咲良が、本を手に取りながら言った。
「そりゃ、家族が帰って来てっからなあ」
「ああ、なるほど」
前に家族の話になったときに両親の仕事のことは話していたので、漆原先生は納得したように頷いた。
「それは表情も緩むな」
「……そんなにわかりやすいですか?」
そう聞けば、咲良も先生も頷いた。
ええ……そんなつもりはなかったのだが。なんかちょっときまりが悪い。
「まあいいじゃん。うれしいことが顔に出るのは悪いことじゃないだろ」
「そりゃそうだけどさあ……」
「俺も楽しいことあると全力で喜びを示すぞ」
咲良のその言葉を聞いて思い出すのは、テストの点数を報告しに来たあの時だ。確かに、全身で喜びを表していたな。
「昼飯の時とかめっちゃ楽しそうなんですよ」
そう咲良は先生に話す。先生は面白そうに相槌を打っていた。
「ほう、それはどんな?」
「なんつーかこう、全体的にうきうきしてるっていうか」
「そんなことないだろ」
「いーや、どことなくにじみ出てんだよ」
俺にはわかる、と咲良は胸を張る。いったいお前は俺の何なんだ。
「まー、でも、ぱっと見は分かんないかもですね。普段から話してたらなんとなく分かりますけど」
「それはそうかもしれないな」
先生は体勢を変え、ふっと笑った。
「俺の話はもういいだろ……」
自分が話題にあがるのはどうにも慣れなくてむずがゆい。しかし咲良は「えー」と笑った。
「いいじゃん。面白いし」
「面白がるな!」
「まあまあ」
それでー、と話を進める咲良に一つ嘆息し、本棚へ本を戻しに行くことにした。
なんだか気持ちが落ち着かない。何か他のことを考えたいが、咲良の声が時折耳に入ってきて気が散る。
どんな時でも没頭できることといえばなんだ。
飯だ。
あ、そういえば今日の晩飯は楽しみにしてろって母さん言ってたな。何だろう。からあげかな。いやでも、からあげの時はたいてい前もって言うしなあ。
寿司とか? 最近回転ずし行ってないしな。刺し身の盛り合わせもいいな。
分厚いステーキって可能性も捨てられない。じいちゃんやばあちゃんがスポンサーになってくれたら、結構豪華な肉が来る。
それとも食後にデザートがあるとか? それもいいな。
「なー春都ってば。聞いてる?」
咲良の声にハッと現実に引き戻される。気づけば咲良はすぐ隣に来ていた。
「あ?」
「いや、なんか振り返ったらいないし」
咲良は少し眉を下げて顔をのぞき込んで来た。
「ごめんな? やっぱ嫌だったか?」
最初、何に謝っているか皆目見当もつかず眉をひそめる。
「……なんか謝られるようなことされたか、俺」
「なんか春都、自分の話してほしくないみたいだったじゃん」
「あー……」
そういうこと。本気で心配する咲良に、思わず笑ってしまった。
「別に。ただ慣れてないだけ。嫌ではない」
「そっか? よかったー」
あからさまに咲良はほっとした表情を見せた。
「なんかすげー真剣な顔してたからさあ。俺やっちゃったかなー? って」
「晩飯のこと考えてただけだ」
そう言うと咲良は一瞬きょとんとした後「なんだよ、それ」と、ふはっと吹き出した。
さて、晩飯の答え合わせだが。
「しゃぶしゃぶか」
テーブルの上にはガスコンロと、白だしに白菜と豆腐、えのきが入った鍋があった。
「豚肉と鶏肉、両方準備してるよー」
そう言いながら母さんはテーブルに肉のトレーを置いた。薄切りの豚肉に鶏肉。これは豪華だ。
「たれも二種類だぞ」
と、父さんが冷蔵庫からポン酢とごまだれを持ってくる。
「さ、食べましょ」
「いただきます」
まずは豚肉から。
グラグラと沸騰する出汁に豚肉をくぐらせ、ひらひらとさせればだんだんと色が変わってくる。しっかり火が通ったら、最初はポン酢でさっぱりと。
ポン酢でしゃぶしゃぶを食べ始めたのって最近だよなあ。このあっさりとした酸味と肉のうま味、脂身の甘味がなんともおいしい。
ポン酢で食べる前はもっぱらごまだればかりだった。
濃厚なたれが肉によく絡んで、甘く香ばしいゴマの風味がいいんだ。ほんの少し出汁で薄くなったごまだれもおいしいんだよなあ。
豆腐も一つを半分に切ってポン酢、ごまだれそれぞれで食べる。白菜やえのきもどっちもの味で楽しみたい。さっぱりしたい時はポン酢、まったりこってりしたい時はごまだれ。
「鶏しゃぶは初めてだ」
「さっぱりしておいしいよ」
これは胸肉らしい。
豚肉よりは少し厚めだが、普段お目にかかる鶏肉よりは薄い。ていうかスライスされたような鶏肉はちょっと新鮮な感じがする。基本かたまりだもんなあ。
豚肉よりあっさり淡白だ。薬味が合いそうだな。柚子胡椒のピリッとした辛さとポン酢の酸味。うん、確かにさっぱりしている。
ごまだれだとなんとなく棒棒鶏を連想させる。白菜と一緒に食べるのがおいしい。
ポン酢とごまだれを混ぜたのもまた変わっていい。
それにしてもしゃぶしゃぶは普通の鍋より体が温まる気がする。やっぱ肉に火を通すって動きをするからだろうか。
それもあるだろうが、やっぱり誰か一緒に食べる人がいるから、一層、温かいんだろうな。
「ごちそうさまでした」
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