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日常
第四百九十二話 キムチ鍋
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冬らしい天気になったものだ。空には灰色の分厚い雲が浮かび、吹く風は冷たい。鼻から空気を吸い込むと体の芯から冷えるようだ。
今日は日直なので、職員室前まで日誌と配布物を取りに行く。
「廊下冷えるなあ……」
「そうだねえ」
なかなか相方に恵まれないが、今回は宮野が相方なので気が楽だ。
「配布物少ないな」
クラスごとに設けられたプリントボックスには、返却された小テストと日誌だけが入っている。宮野は日誌を手に取ってぺらぺらとめくった。
「プリントが多いだけで萎えるもんね」
「あ、日誌、どっちが持っとく?」
「僕が持っとくよ。その代わり、プリントの配布よろしく」
「了解」
宮野とは選択科目が一緒だから、どっちが持っていてもあまり変わらない。
プリントを抱え、教室へ戻る。
「提出は俺がする。宮野、部活あるだろ」
「助かるよ」
小テストは席順ではなく出席番号順になっているから、それを並べ替えるのが面倒だ。一度並べ替えて配るか、席を見ながら配るか……うろうろするのも疲れる。確か、教卓に、席順が書いてある紙が置いてあるはず。それ見ながら並べ替えよう。
もう、前に置いといて各々で取りに来てほしいのだが。でもそんなことすると先生怒るよなあ。
「えーっと……んん?」
「こっち」
「お?」
にゅっと手が伸びてきて、どこに割り振ればいいか分からなかったプリントを並べ替える。山崎だ。
「おお、ありがとう」
「いーえー」
へらへらと笑い、山崎はちまちまと並べ替えるのを手伝ってくれた。
「回収したときのまんまにしときゃいいのにね。そしたら配りやすいし、教科係も出席番号順に並べ替える手間がないじゃん」
「まあ……丸付けがしやすいからじゃないか? あと、誰が提出して誰がテスト受けてないかチェックするためとか……」
「そんなん、丸付けるたびにチェックすればいいじゃんねぇ。それか先生が席順に並べなおすか」
「そんなに言うなら、お前が丸付けしてみるか?」
山崎の言葉に返事をしたのは先生だ。ありゃ、もうそんな時間か。
「あ、おはようございまーす」
山崎は悪びれることも臆することもなく、にこにこ笑って先生に言った。先生は苦笑すると「はい、おはよう」と言った。
「おはようございます」
「おはよう。一条、今日は日直か」
「はい」
さっさと仕分けて、配りに行く。山崎は先生と話を続けていた。
先生が来たことでみんなある程度席についている。こりゃ配りやすい。一番前の席のやつがいないと、プリントが後ろに回らないから、配る側がいろいろやらないといけないんだよなあ。
「じゃあ宮野、日誌よろしく。なんかあったら言ってくれ」
「うん、分かった。あっ、名前だけ書いといてくれる?」
「おぉ、そうだな」
宮野の方が字がきれいだ。これは、日誌は宮野に任せた方がよさそうだ。
「って、お前。もう最後のコメント書いてんのか」
日誌は一番下に、今日一日の感想を書かなければならない。これが面倒なんだよなあ。特筆すべきほどの感想なんて、普通の学校生活で抱くことないぞ。ちょっとしたイベントがあるのならまだしも、こんな平凡かついつも通りの日は特にな。
宮野は少しいたずらっぽく笑って言ったものだ。
「僕、面倒なことは先に終わらせたいタイプなんだよね」
「それは分かるがな」
「ああ、でも」
声をぐっと潜め、宮野は言った。
「先生に見つかると書き直しって言われるから、こっそり書かないとね」
「書き直し?」
「一日の始まりに、今日一日の感想を書くやつがあるか! って」
「あー……そういう」
先生たちなら言いそうだ、と思ったタイミングで先生が近寄ってきたので、さりげなく日誌を隠し、宮野は日誌を慌てて引き出しに入れる。
幸いにもばれないまま、先生は廊下に出て行った。
「職員室に忘れ物したんだって」
自分の席に戻ろうとやってきた山崎が、いつもの笑みを浮かべて言った。山崎の席は、宮野の後ろだ。
「なんか慌ててたみたいだけど、何隠したの?」
「いや、何でもない」
先生が戻ってくる前に、席に戻っておこう。ああそうだ、辞書持ってこないと。
日直の相方次第で、こうも帰る時間が違うとは。すんなり終わって、早々に家に帰ることができてラッキーだ。クラスの親睦を深めるためにランダムで相方は決める、って先生が言ったもんだから、参ってしまう。日直ごときで親睦が深まるのであれば苦労しない。もしそうであるなら、世界は手っ取り早く平和になっているはずだ。今のシステムじゃむしろ、不満がたまる一方である。
ま、ともあれ今日の俺の仕事は終わった。家に帰ってまで学校のことは極力考えたくないものだ。ましてや、目の前にうまそうな飯があるというこの状況でそれは野暮だろう。
「いただきます」
今日の晩飯は鍋だ。キムチ鍋。一人鍋でやったことはあるが、みんなでつつくのは久しぶりだなあ。
まずは白菜から。しっかり味が染みて、ピリッと辛い。でも辛いだけじゃなく、ちゃんとうま味があるんだ。魚介だろうか。一緒に鍋に入っている豚肉の味もする。白菜そのものの甘味もうまい。ジューシーでありながら、シャキシャキとした食感もあって、うまいなあ。
「春都、餃子は食べた?」
と、母さんが聞いてくる。
「いや、まだ」
「早く食べた方がいいよ。皮が溶けそう」
「はい、おたま」
父さんからおたまを受け取って、餃子をすくいとる。おお、ほんとだ、トロットロ。
もちもち感はなく、もう、本当にとろとろで、ほぼ飲み物だ。甘いし、肉ダネのうま味があふれ出す。ああ、崩れた。でもうまい。
豆腐のまろやかさが口にやさしいが、熱さはあまり優しくない。でも、この熱々が寒い冬にはありがたいもだ。芯まで味が染みている、とまではいかないが、それでもしっかり味がする。細かくして食うのがうまい。
汁をご飯にかけるのもいいなあ。口の中がひりりとする辛いスープに米の甘味とうま味。合わないわけがない。
豚肉は……ああ、やわらかいねえ。キムチ鍋にはやっぱり豚肉が合う。あ、でも鶏肉も食ってみたい気もする。味が濃いから、淡白なものが合うのだろうか。それとも、濃いもの同士だと、がっつり食えるのだろうか。
ううん、意外と奥が深いぞ、鍋。
今年の冬は、鍋を研究してみようかな。
「ごちそうさまでした」
今日は日直なので、職員室前まで日誌と配布物を取りに行く。
「廊下冷えるなあ……」
「そうだねえ」
なかなか相方に恵まれないが、今回は宮野が相方なので気が楽だ。
「配布物少ないな」
クラスごとに設けられたプリントボックスには、返却された小テストと日誌だけが入っている。宮野は日誌を手に取ってぺらぺらとめくった。
「プリントが多いだけで萎えるもんね」
「あ、日誌、どっちが持っとく?」
「僕が持っとくよ。その代わり、プリントの配布よろしく」
「了解」
宮野とは選択科目が一緒だから、どっちが持っていてもあまり変わらない。
プリントを抱え、教室へ戻る。
「提出は俺がする。宮野、部活あるだろ」
「助かるよ」
小テストは席順ではなく出席番号順になっているから、それを並べ替えるのが面倒だ。一度並べ替えて配るか、席を見ながら配るか……うろうろするのも疲れる。確か、教卓に、席順が書いてある紙が置いてあるはず。それ見ながら並べ替えよう。
もう、前に置いといて各々で取りに来てほしいのだが。でもそんなことすると先生怒るよなあ。
「えーっと……んん?」
「こっち」
「お?」
にゅっと手が伸びてきて、どこに割り振ればいいか分からなかったプリントを並べ替える。山崎だ。
「おお、ありがとう」
「いーえー」
へらへらと笑い、山崎はちまちまと並べ替えるのを手伝ってくれた。
「回収したときのまんまにしときゃいいのにね。そしたら配りやすいし、教科係も出席番号順に並べ替える手間がないじゃん」
「まあ……丸付けがしやすいからじゃないか? あと、誰が提出して誰がテスト受けてないかチェックするためとか……」
「そんなん、丸付けるたびにチェックすればいいじゃんねぇ。それか先生が席順に並べなおすか」
「そんなに言うなら、お前が丸付けしてみるか?」
山崎の言葉に返事をしたのは先生だ。ありゃ、もうそんな時間か。
「あ、おはようございまーす」
山崎は悪びれることも臆することもなく、にこにこ笑って先生に言った。先生は苦笑すると「はい、おはよう」と言った。
「おはようございます」
「おはよう。一条、今日は日直か」
「はい」
さっさと仕分けて、配りに行く。山崎は先生と話を続けていた。
先生が来たことでみんなある程度席についている。こりゃ配りやすい。一番前の席のやつがいないと、プリントが後ろに回らないから、配る側がいろいろやらないといけないんだよなあ。
「じゃあ宮野、日誌よろしく。なんかあったら言ってくれ」
「うん、分かった。あっ、名前だけ書いといてくれる?」
「おぉ、そうだな」
宮野の方が字がきれいだ。これは、日誌は宮野に任せた方がよさそうだ。
「って、お前。もう最後のコメント書いてんのか」
日誌は一番下に、今日一日の感想を書かなければならない。これが面倒なんだよなあ。特筆すべきほどの感想なんて、普通の学校生活で抱くことないぞ。ちょっとしたイベントがあるのならまだしも、こんな平凡かついつも通りの日は特にな。
宮野は少しいたずらっぽく笑って言ったものだ。
「僕、面倒なことは先に終わらせたいタイプなんだよね」
「それは分かるがな」
「ああ、でも」
声をぐっと潜め、宮野は言った。
「先生に見つかると書き直しって言われるから、こっそり書かないとね」
「書き直し?」
「一日の始まりに、今日一日の感想を書くやつがあるか! って」
「あー……そういう」
先生たちなら言いそうだ、と思ったタイミングで先生が近寄ってきたので、さりげなく日誌を隠し、宮野は日誌を慌てて引き出しに入れる。
幸いにもばれないまま、先生は廊下に出て行った。
「職員室に忘れ物したんだって」
自分の席に戻ろうとやってきた山崎が、いつもの笑みを浮かべて言った。山崎の席は、宮野の後ろだ。
「なんか慌ててたみたいだけど、何隠したの?」
「いや、何でもない」
先生が戻ってくる前に、席に戻っておこう。ああそうだ、辞書持ってこないと。
日直の相方次第で、こうも帰る時間が違うとは。すんなり終わって、早々に家に帰ることができてラッキーだ。クラスの親睦を深めるためにランダムで相方は決める、って先生が言ったもんだから、参ってしまう。日直ごときで親睦が深まるのであれば苦労しない。もしそうであるなら、世界は手っ取り早く平和になっているはずだ。今のシステムじゃむしろ、不満がたまる一方である。
ま、ともあれ今日の俺の仕事は終わった。家に帰ってまで学校のことは極力考えたくないものだ。ましてや、目の前にうまそうな飯があるというこの状況でそれは野暮だろう。
「いただきます」
今日の晩飯は鍋だ。キムチ鍋。一人鍋でやったことはあるが、みんなでつつくのは久しぶりだなあ。
まずは白菜から。しっかり味が染みて、ピリッと辛い。でも辛いだけじゃなく、ちゃんとうま味があるんだ。魚介だろうか。一緒に鍋に入っている豚肉の味もする。白菜そのものの甘味もうまい。ジューシーでありながら、シャキシャキとした食感もあって、うまいなあ。
「春都、餃子は食べた?」
と、母さんが聞いてくる。
「いや、まだ」
「早く食べた方がいいよ。皮が溶けそう」
「はい、おたま」
父さんからおたまを受け取って、餃子をすくいとる。おお、ほんとだ、トロットロ。
もちもち感はなく、もう、本当にとろとろで、ほぼ飲み物だ。甘いし、肉ダネのうま味があふれ出す。ああ、崩れた。でもうまい。
豆腐のまろやかさが口にやさしいが、熱さはあまり優しくない。でも、この熱々が寒い冬にはありがたいもだ。芯まで味が染みている、とまではいかないが、それでもしっかり味がする。細かくして食うのがうまい。
汁をご飯にかけるのもいいなあ。口の中がひりりとする辛いスープに米の甘味とうま味。合わないわけがない。
豚肉は……ああ、やわらかいねえ。キムチ鍋にはやっぱり豚肉が合う。あ、でも鶏肉も食ってみたい気もする。味が濃いから、淡白なものが合うのだろうか。それとも、濃いもの同士だと、がっつり食えるのだろうか。
ううん、意外と奥が深いぞ、鍋。
今年の冬は、鍋を研究してみようかな。
「ごちそうさまでした」
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