一条春都の料理帖

藤里 侑

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日常

第五百五十五話 肉うどん

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 今日も朝から空がぐずついている。
「雨降るかな……」
「……春都お前、今どこ見て言った?」
 廊下でふと呟くと、咲良が怪訝そうな目を向けてきた。
「そんなんお前……なあ」
 俺の視線の先には、あっちこっちにうねり跳ねる、咲良の毛先がある。その視線を察し、咲良は髪を撫でつけた。
「これは雨が降らなくても、湿気で跳ねるんですぅ~」
「へたしたら天気予報より当たるだろ、髪の毛予報」
「髪の毛予報より、痛み予報の方が当たるし」
 そう言いながら咲良は足をさすった。確かに、こういう天気の日は特にどこかしらの痛みを訴える人が多いな。石上先生もそうだったっけ。
 そしてその予報は、咲良が言うように、確かに当たる確率が高いのだ。
「まあ、晴れの日も痛むけど」
「そうなのか」
 聞けば咲良は頷いた。
「痛くない日の方がないんじゃない?」
「そっか……」
 こいつもこいつなりに苦労してんだな、そう思って何と言えば分からなくなっていたら、突然、頭を撫でまわされた。
「おわ、な、なんだぁっ」
 表情は見えないが、頭上から咲良の豪快な笑い声が聞こえてきた。
「うっへっへ。お前も道連れにしてやる~、髪の毛ぼさぼさの刑だ!」
「やめろぉ」
「言うて春都、セットしてるわけでもないだろ」
「セットの必要はないが、ここまでなでられりゃぼさぼさになるわ」
「あっ、なんか腹立つ。刑の執行、延長しまーす」
「何でだ!」
 何とか咲良の両手から逃れようとしていたら、背後から声が聞こえてきた。
「何やってんの、お前ら」
「あっ、早瀬。助けて」
 視界の端で捉えた早瀬の表情は、実に楽しそうだった。楽しんでんじゃねぇ、助けろ。
 やっとのことで抜け出し、髪をなでつける。ああもう、ぼさぼさだ。
「で、何やってたの」
「髪の毛ぼさぼさの刑」
 咲良が手を構えると、早瀬は一歩後ろに下がった。
「何で?」
「俺だけ湿気で髪の毛ぼさぼさなの、腹立つから」
「横暴だぁ」
 そう言いながら、早瀬は咲良との距離を取る。にこにこと笑いながら、全力で警戒している。
「俺の髪はすんなよ」
 早瀬の言葉に、咲良はあっけらかんと答えた。
「やんないよ」
「えっ、なんで」
 理不尽極まりない返答に思わず聞き返せば、咲良は笑った。
「早瀬の髪は、なんかやりがいがない」
「なんかその言い方は傷つくな」
 早瀬は苦笑して言った。咲良はロッカーに寄りかかりながら笑った。
「だって短いじゃん。わしゃわしゃしても、意味ないって」
 まあ、確かに。多少乱しても支障ないくらいだな、早瀬の髪。早瀬は笑って言った。
「短いって楽だぞ。セットも何もしなくていいし」
「まー、俺も湿気が多い日に少し気ぃ付けるぐらいだからなあ」
 と、咲良は言うと、何か思い出したのか、面白そうに笑った。
「そういやさ、今日、俺なんかいい匂いしねぇ?」
「は?」
 突拍子もない言葉に、早瀬と声がそろう。咲良は「それがさあ」と、浮かべた笑みに疲労を少し滲ませて言った。
「今朝は、さすがに少しは整髪剤使わないとなあ、と思ってな。寝ぼけたまんま身支度してたんだけど、なんか、いつも使ってる整髪剤の匂いと違うなーって思ったら、妹のだった」
「あはは、そうなんだ。妹はなんか言ってた?」
 早瀬の問いに、咲良はあきれたように笑った。
「もー、文句の嵐よ。ちょこーっと使っただけなのにさあ。あんなに文句言わなくてもよくない? ってくらいに罵倒された」
「罵倒……」
「だから俺、今日、めっちゃフローラルな匂いなの。どう? 分かる?」
 そう言われても、よく分からん。そもそも人の匂いなんて気にしたこともないし、今日は湿気でいろんな匂いがこもっているから、余計に分からない。
「頭ん中はいつもフローラルだろ」
 なんとなく言えば、咲良は笑った。
「えへへ、それほどでも」
「褒められてないぞ」
 早瀬は言ったが、咲良は誉め言葉として受け取ることにしたようだった。

 今日の昼飯は食堂だ。雨の日の食堂は、少し空いているのでいい。
 髪の毛をいじりながら、咲良が外を眺める。
「やっぱり雨降ったな~」
「当たるなぁ、お前の予報」
「気象予報士にでもなれるかな?」
「髪の毛と痛みで予報する気象予報士なんて見たことねぇ」
「おっ、空前絶後の気象予報士」
 こいつのポジティブ思考はいったいどこから来るのやら。
 いつもの窓際の席に着く。今日は、肉うどんにした。咲良はかつ丼と、今日のスープ――ちょっと豪華なみそ汁を頼んでいた。
「いただきます」
 外部の人たちからも人気という噂の肉うどん。牛丼と同じ牛肉だが、また味わいが違って感じるんだよなあ。
 柔らかくふかふかとした麺は食べやすい。もちもちしたのも嫌いじゃないけど、俺は、このふわふわが好きだ。出汁を含んで、うま味たっぷりである。小麦の風味は控えめなのがよりいい。
 肉の脂と甘辛い味付けが染み出した、透き通った出汁をすする。ああ、ほっとする。うっすらと寒い日には、出汁のうま味と温かさがいつも以上に身に染みる。
 肉は柔らかく、トロッとしている。
 ああ、玉ねぎのほかにも、くたくたに煮られた長ネギも入っているのか。もしかして、最近変わったのかな。学食ってあんまり変わらないものだと思っていたけど、日々進化してんだなあ。七味を振りかければ、ピリッと味が引き締まる。
 出汁のしょっぱさが広がる口内に、冷たい水を流し込む。なんか合うんだよな、これ。
 どんぶりの底にたまった肉とねぎ、玉ねぎを余すことなくさらう。ここまで食ってこそだろう。
 はあ、今日もうまかった。

「ごちそうさまでした」
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