590 / 893
日常
第五百五十五話 肉うどん
しおりを挟む
今日も朝から空がぐずついている。
「雨降るかな……」
「……春都お前、今どこ見て言った?」
廊下でふと呟くと、咲良が怪訝そうな目を向けてきた。
「そんなんお前……なあ」
俺の視線の先には、あっちこっちにうねり跳ねる、咲良の毛先がある。その視線を察し、咲良は髪を撫でつけた。
「これは雨が降らなくても、湿気で跳ねるんですぅ~」
「へたしたら天気予報より当たるだろ、髪の毛予報」
「髪の毛予報より、痛み予報の方が当たるし」
そう言いながら咲良は足をさすった。確かに、こういう天気の日は特にどこかしらの痛みを訴える人が多いな。石上先生もそうだったっけ。
そしてその予報は、咲良が言うように、確かに当たる確率が高いのだ。
「まあ、晴れの日も痛むけど」
「そうなのか」
聞けば咲良は頷いた。
「痛くない日の方がないんじゃない?」
「そっか……」
こいつもこいつなりに苦労してんだな、そう思って何と言えば分からなくなっていたら、突然、頭を撫でまわされた。
「おわ、な、なんだぁっ」
表情は見えないが、頭上から咲良の豪快な笑い声が聞こえてきた。
「うっへっへ。お前も道連れにしてやる~、髪の毛ぼさぼさの刑だ!」
「やめろぉ」
「言うて春都、セットしてるわけでもないだろ」
「セットの必要はないが、ここまでなでられりゃぼさぼさになるわ」
「あっ、なんか腹立つ。刑の執行、延長しまーす」
「何でだ!」
何とか咲良の両手から逃れようとしていたら、背後から声が聞こえてきた。
「何やってんの、お前ら」
「あっ、早瀬。助けて」
視界の端で捉えた早瀬の表情は、実に楽しそうだった。楽しんでんじゃねぇ、助けろ。
やっとのことで抜け出し、髪をなでつける。ああもう、ぼさぼさだ。
「で、何やってたの」
「髪の毛ぼさぼさの刑」
咲良が手を構えると、早瀬は一歩後ろに下がった。
「何で?」
「俺だけ湿気で髪の毛ぼさぼさなの、腹立つから」
「横暴だぁ」
そう言いながら、早瀬は咲良との距離を取る。にこにこと笑いながら、全力で警戒している。
「俺の髪はすんなよ」
早瀬の言葉に、咲良はあっけらかんと答えた。
「やんないよ」
「えっ、なんで」
理不尽極まりない返答に思わず聞き返せば、咲良は笑った。
「早瀬の髪は、なんかやりがいがない」
「なんかその言い方は傷つくな」
早瀬は苦笑して言った。咲良はロッカーに寄りかかりながら笑った。
「だって短いじゃん。わしゃわしゃしても、意味ないって」
まあ、確かに。多少乱しても支障ないくらいだな、早瀬の髪。早瀬は笑って言った。
「短いって楽だぞ。セットも何もしなくていいし」
「まー、俺も湿気が多い日に少し気ぃ付けるぐらいだからなあ」
と、咲良は言うと、何か思い出したのか、面白そうに笑った。
「そういやさ、今日、俺なんかいい匂いしねぇ?」
「は?」
突拍子もない言葉に、早瀬と声がそろう。咲良は「それがさあ」と、浮かべた笑みに疲労を少し滲ませて言った。
「今朝は、さすがに少しは整髪剤使わないとなあ、と思ってな。寝ぼけたまんま身支度してたんだけど、なんか、いつも使ってる整髪剤の匂いと違うなーって思ったら、妹のだった」
「あはは、そうなんだ。妹はなんか言ってた?」
早瀬の問いに、咲良はあきれたように笑った。
「もー、文句の嵐よ。ちょこーっと使っただけなのにさあ。あんなに文句言わなくてもよくない? ってくらいに罵倒された」
「罵倒……」
「だから俺、今日、めっちゃフローラルな匂いなの。どう? 分かる?」
そう言われても、よく分からん。そもそも人の匂いなんて気にしたこともないし、今日は湿気でいろんな匂いがこもっているから、余計に分からない。
「頭ん中はいつもフローラルだろ」
なんとなく言えば、咲良は笑った。
「えへへ、それほどでも」
「褒められてないぞ」
早瀬は言ったが、咲良は誉め言葉として受け取ることにしたようだった。
今日の昼飯は食堂だ。雨の日の食堂は、少し空いているのでいい。
髪の毛をいじりながら、咲良が外を眺める。
「やっぱり雨降ったな~」
「当たるなぁ、お前の予報」
「気象予報士にでもなれるかな?」
「髪の毛と痛みで予報する気象予報士なんて見たことねぇ」
「おっ、空前絶後の気象予報士」
こいつのポジティブ思考はいったいどこから来るのやら。
いつもの窓際の席に着く。今日は、肉うどんにした。咲良はかつ丼と、今日のスープ――ちょっと豪華なみそ汁を頼んでいた。
「いただきます」
外部の人たちからも人気という噂の肉うどん。牛丼と同じ牛肉だが、また味わいが違って感じるんだよなあ。
柔らかくふかふかとした麺は食べやすい。もちもちしたのも嫌いじゃないけど、俺は、このふわふわが好きだ。出汁を含んで、うま味たっぷりである。小麦の風味は控えめなのがよりいい。
肉の脂と甘辛い味付けが染み出した、透き通った出汁をすする。ああ、ほっとする。うっすらと寒い日には、出汁のうま味と温かさがいつも以上に身に染みる。
肉は柔らかく、トロッとしている。
ああ、玉ねぎのほかにも、くたくたに煮られた長ネギも入っているのか。もしかして、最近変わったのかな。学食ってあんまり変わらないものだと思っていたけど、日々進化してんだなあ。七味を振りかければ、ピリッと味が引き締まる。
出汁のしょっぱさが広がる口内に、冷たい水を流し込む。なんか合うんだよな、これ。
どんぶりの底にたまった肉とねぎ、玉ねぎを余すことなくさらう。ここまで食ってこそだろう。
はあ、今日もうまかった。
「ごちそうさまでした」
「雨降るかな……」
「……春都お前、今どこ見て言った?」
廊下でふと呟くと、咲良が怪訝そうな目を向けてきた。
「そんなんお前……なあ」
俺の視線の先には、あっちこっちにうねり跳ねる、咲良の毛先がある。その視線を察し、咲良は髪を撫でつけた。
「これは雨が降らなくても、湿気で跳ねるんですぅ~」
「へたしたら天気予報より当たるだろ、髪の毛予報」
「髪の毛予報より、痛み予報の方が当たるし」
そう言いながら咲良は足をさすった。確かに、こういう天気の日は特にどこかしらの痛みを訴える人が多いな。石上先生もそうだったっけ。
そしてその予報は、咲良が言うように、確かに当たる確率が高いのだ。
「まあ、晴れの日も痛むけど」
「そうなのか」
聞けば咲良は頷いた。
「痛くない日の方がないんじゃない?」
「そっか……」
こいつもこいつなりに苦労してんだな、そう思って何と言えば分からなくなっていたら、突然、頭を撫でまわされた。
「おわ、な、なんだぁっ」
表情は見えないが、頭上から咲良の豪快な笑い声が聞こえてきた。
「うっへっへ。お前も道連れにしてやる~、髪の毛ぼさぼさの刑だ!」
「やめろぉ」
「言うて春都、セットしてるわけでもないだろ」
「セットの必要はないが、ここまでなでられりゃぼさぼさになるわ」
「あっ、なんか腹立つ。刑の執行、延長しまーす」
「何でだ!」
何とか咲良の両手から逃れようとしていたら、背後から声が聞こえてきた。
「何やってんの、お前ら」
「あっ、早瀬。助けて」
視界の端で捉えた早瀬の表情は、実に楽しそうだった。楽しんでんじゃねぇ、助けろ。
やっとのことで抜け出し、髪をなでつける。ああもう、ぼさぼさだ。
「で、何やってたの」
「髪の毛ぼさぼさの刑」
咲良が手を構えると、早瀬は一歩後ろに下がった。
「何で?」
「俺だけ湿気で髪の毛ぼさぼさなの、腹立つから」
「横暴だぁ」
そう言いながら、早瀬は咲良との距離を取る。にこにこと笑いながら、全力で警戒している。
「俺の髪はすんなよ」
早瀬の言葉に、咲良はあっけらかんと答えた。
「やんないよ」
「えっ、なんで」
理不尽極まりない返答に思わず聞き返せば、咲良は笑った。
「早瀬の髪は、なんかやりがいがない」
「なんかその言い方は傷つくな」
早瀬は苦笑して言った。咲良はロッカーに寄りかかりながら笑った。
「だって短いじゃん。わしゃわしゃしても、意味ないって」
まあ、確かに。多少乱しても支障ないくらいだな、早瀬の髪。早瀬は笑って言った。
「短いって楽だぞ。セットも何もしなくていいし」
「まー、俺も湿気が多い日に少し気ぃ付けるぐらいだからなあ」
と、咲良は言うと、何か思い出したのか、面白そうに笑った。
「そういやさ、今日、俺なんかいい匂いしねぇ?」
「は?」
突拍子もない言葉に、早瀬と声がそろう。咲良は「それがさあ」と、浮かべた笑みに疲労を少し滲ませて言った。
「今朝は、さすがに少しは整髪剤使わないとなあ、と思ってな。寝ぼけたまんま身支度してたんだけど、なんか、いつも使ってる整髪剤の匂いと違うなーって思ったら、妹のだった」
「あはは、そうなんだ。妹はなんか言ってた?」
早瀬の問いに、咲良はあきれたように笑った。
「もー、文句の嵐よ。ちょこーっと使っただけなのにさあ。あんなに文句言わなくてもよくない? ってくらいに罵倒された」
「罵倒……」
「だから俺、今日、めっちゃフローラルな匂いなの。どう? 分かる?」
そう言われても、よく分からん。そもそも人の匂いなんて気にしたこともないし、今日は湿気でいろんな匂いがこもっているから、余計に分からない。
「頭ん中はいつもフローラルだろ」
なんとなく言えば、咲良は笑った。
「えへへ、それほどでも」
「褒められてないぞ」
早瀬は言ったが、咲良は誉め言葉として受け取ることにしたようだった。
今日の昼飯は食堂だ。雨の日の食堂は、少し空いているのでいい。
髪の毛をいじりながら、咲良が外を眺める。
「やっぱり雨降ったな~」
「当たるなぁ、お前の予報」
「気象予報士にでもなれるかな?」
「髪の毛と痛みで予報する気象予報士なんて見たことねぇ」
「おっ、空前絶後の気象予報士」
こいつのポジティブ思考はいったいどこから来るのやら。
いつもの窓際の席に着く。今日は、肉うどんにした。咲良はかつ丼と、今日のスープ――ちょっと豪華なみそ汁を頼んでいた。
「いただきます」
外部の人たちからも人気という噂の肉うどん。牛丼と同じ牛肉だが、また味わいが違って感じるんだよなあ。
柔らかくふかふかとした麺は食べやすい。もちもちしたのも嫌いじゃないけど、俺は、このふわふわが好きだ。出汁を含んで、うま味たっぷりである。小麦の風味は控えめなのがよりいい。
肉の脂と甘辛い味付けが染み出した、透き通った出汁をすする。ああ、ほっとする。うっすらと寒い日には、出汁のうま味と温かさがいつも以上に身に染みる。
肉は柔らかく、トロッとしている。
ああ、玉ねぎのほかにも、くたくたに煮られた長ネギも入っているのか。もしかして、最近変わったのかな。学食ってあんまり変わらないものだと思っていたけど、日々進化してんだなあ。七味を振りかければ、ピリッと味が引き締まる。
出汁のしょっぱさが広がる口内に、冷たい水を流し込む。なんか合うんだよな、これ。
どんぶりの底にたまった肉とねぎ、玉ねぎを余すことなくさらう。ここまで食ってこそだろう。
はあ、今日もうまかった。
「ごちそうさまでした」
23
あなたにおすすめの小説
月弥総合病院
僕君☾☾
キャラ文芸
月弥総合病院。極度の病院嫌いや完治が難しい疾患、診察、検査などの医療行為を拒否したり中々治療が進められない子を治療していく。
また、ここは凄腕の医師達が集まる病院。特にその中の計5人が圧倒的に遥か上回る実力を持ち、「白鳥」と呼ばれている。
(小児科のストーリー)医療に全然詳しく無いのでそれっぽく書いてます...!!
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
大丈夫のその先は…
水姫
恋愛
実来はシングルマザーの母が再婚すると聞いた。母が嬉しそうにしているのを見るとこれまで苦労かけた分幸せになって欲しいと思う。
新しくできた父はよりにもよって医者だった。新しくできた兄たちも同様で…。
バレないように、バレないように。
「大丈夫だよ」
すいません。ゆっくりお待ち下さい。m(_ _)m
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる