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第三章 我が唯一は
22.貴女にもあるのか(SIDE セスラン)
白虎との折衝になんとか目鼻がついた頃、居間にあてられた天幕でセスランは白湯を口にしていた。
そこへ甘いチョコレートの香りが漂って、わずかに眉を顰める。
大ぶりのマグカップにたっぷりのチョコレートを入れて、エリーヌがセスランの前にすとんと腰を下ろした。
「セスラン様って、パウラに自分のこと、話してないですよね?」
いつもの幼さはなりを潜め、探るようにセスランを見つめている。
「パウラはヘルムダールの直系姫ですよ? 庶子だけならともかく、半分しか竜じゃないって知ったら、どう思うかな。そりゃ優等生だから、そんなの関係ないと言うとは思いますよ? だけど本心はどうかなぁ」
パウラは白虎の里に招かれて、アルヴィドを護衛に伴い出かけて行った。
野営地の天幕には、セスランとエリーヌしかいない。
この機会を待っていたかのように、エリーヌはきわどいデリケートな話題をいきなり振ってきた。
「白虎の血が入っているって、わたし知ってます。でもそれセスラン様のせいじゃないです。ほんとのことだし、隠すこともないのに。でも隠してる。それってパウラには言いたくないってことですよね?」
本当のことじゃないかと、口癖のようにエリーヌは言う。
けれど本当のことを口にするか否か。
決めるのはエリーヌではない。
本当の事なら何を言ってもかまわない。
そう言い放つ無神経さが、この時のセスランには許せなかった。
「おまえがヘルムダールの片田舎、地方の男爵家の娘で、その父親は隣の領主の愛人となりおまえと母親を捨てた。これもほんとうのことだったな」
残酷な言葉は、口にしたセスラン自身をも傷つける。
他人の一番の痛点を刺激する自分が、とてもひどい人間に思えるからだ。
けれど言わねばなるまいと思った。
エリーヌにこれ以上は言うなと知らせるには、こうするしかない。
「ひ……どい」
みるみる間に大きな瞳に涙がたまる。
白い両手が口元を覆い、しゃくりあげそうな声を隠す。
「どうした? ほんとうのことなら、かまわないのではなかったか?」
こうまでしなければわからないのは誰だ。
好きこのんで、誰がこんなことをするものか。
「もう私にかまうな。心の内に入られるのは愉快ではない」
できればここまで言いたくはなかった。
だが言わねばこの先まだまだ続くだろう。
白虎の血が入っているとか、半分だけ竜だとか。
本当のことだが、あらためて他人から指摘されたくはない。
もうこれで話は終わりだと、セスランは席を立った。
「逃げても変わらないんですよ? いつかセスラン様は、はっきり要らないって言われます。だって今日、パウラは誰と一緒にいるんですか? セスラン様を誘いませんでしたよね?」
低い冷たい声が、セスランの背を追いかけてくる。
これは本当にエリーヌの声か。
背中に冷気が伝わり、ぞくりとする。
「わたし、なぁんにもしていないのに。おとうさんにおいて行かれました。まわりのみんなは、おとうさんがいておかあさんがいて。どうしてみんなが持っているものを、わたしだけ持てないのって、いつもいつも思ってました。そういうのって、パウラには絶対にわからない。セスラン様、そう思いませんか?」
これまで聞いた安っぽい慰めの言葉とは違う。
エリーヌの悲しみと恨みと怒りに満ちた言葉は、やけにセスランの胸にしみた。
「生まれた時に背負ってるものって、わたしのせいでもセスラン様のせいでもないじゃないですか。でもそのせいで、嫌な目にあうんですよ? そんなのおかしい。ぜったいにおかしいんです。でもわたし、パウラみたいに何もかも持っている人にセスラン様が惹かれる気持ちわかるから……。わかるから、だめだよって言ってあげたくて」
初めてこの少女に、心からの微笑を向けた。
「礼を言わねばならぬな。おまえの気遣い、嬉しく思う」
えへへと笑った彼女の顔は、いつもより自然で愛らしい。
いつもこのようであれば良いのにと思ったが、素直になれない歪みも理解できた。
「あー良かった。これでセスラン様、もうわたしのこと邪険にしませんよね? わたし、セスラン様のこと、とーっても好きなんです」
今度はストレート過ぎる。
意地悪には免疫のあるセスランだが、こういう素直な告白には不慣れで動揺してしまう。
「そういうことを、簡単に口にするものではない。おまえは聖女候補だ」
なんとか体面をとりつくろって、それらしいことを返す。
するとエリーヌはふふんと鼻先で笑った。
「あんなの、本気でなりたいと思うわけないでしょ。ホントの奥さんはちゃんといるんだもの。お妾さんになって、奥さんの仕事を引き受けるんでしょ? 誰がなりたいもんですか。 わたしはぁ、セスラン様のお嫁さんになりたいの!」
いつにもましてなれなれしい口調だ。
だが言っていることは正しい。
聖使の誰一人、パウラを聖女にと心から願う者はいない。
竜にとっての唯一の重みを、誰よりもよく知っている四人だ。
黄金竜が竜后を唯一に選んだ以上、側室である聖女、竜妃にその愛情が向けられることはない。
パウラは美しい少女だ。
勤勉で誇り高く、不器用でかわいらしい。
それを飼殺すのか。
それなら自分に寄こせ。
四人の聖使は皆思っているはずだ。
少なくともセスランはそう思っている。
けれどパウラは、ヘルムダールの公女として生まれた自分の務めだと、聖女選抜試験を手を抜くことなくこなしている。
かたやライバルであるはずのエリーヌは、早々に「冗談ではない」と別の道を選ぼうとしているというのに。
(生まれながらに決められた理不尽か……)
ヘルムダールに生まれさえしなければと、パウラは思わないのだろうか。
恐れや怒り、それに恨み、そんな生々しく醜い感情を、彼女も持っているのでは。
そう思うだけで、神を人へ堕とすような罪深い喜びがあった。
持っていてくれれば良い。
そう思うそばから、そう願う自分の浅ましさが嫌になる。
自分がもしアルヴィドであれば、こんな浅ましい思いは抱かなかっただろうか。
半竜の身が、心まで卑屈にしたか。
白虎の血を恥じたのではないと思いたかった。
白虎の血は、母から受け継いだものだから。
けれど白虎の血を継いだなら、完全なる白虎でありたかった。
そして竜族として生きるなら、完全なる竜でありたいと願う。
そのどちらも叶わない。
「そんなのセスラン様のせいじゃない」
エリーヌの怒ったような口調が、セスランの頭の中で何度もリフレインした。
そこへ甘いチョコレートの香りが漂って、わずかに眉を顰める。
大ぶりのマグカップにたっぷりのチョコレートを入れて、エリーヌがセスランの前にすとんと腰を下ろした。
「セスラン様って、パウラに自分のこと、話してないですよね?」
いつもの幼さはなりを潜め、探るようにセスランを見つめている。
「パウラはヘルムダールの直系姫ですよ? 庶子だけならともかく、半分しか竜じゃないって知ったら、どう思うかな。そりゃ優等生だから、そんなの関係ないと言うとは思いますよ? だけど本心はどうかなぁ」
パウラは白虎の里に招かれて、アルヴィドを護衛に伴い出かけて行った。
野営地の天幕には、セスランとエリーヌしかいない。
この機会を待っていたかのように、エリーヌはきわどいデリケートな話題をいきなり振ってきた。
「白虎の血が入っているって、わたし知ってます。でもそれセスラン様のせいじゃないです。ほんとのことだし、隠すこともないのに。でも隠してる。それってパウラには言いたくないってことですよね?」
本当のことじゃないかと、口癖のようにエリーヌは言う。
けれど本当のことを口にするか否か。
決めるのはエリーヌではない。
本当の事なら何を言ってもかまわない。
そう言い放つ無神経さが、この時のセスランには許せなかった。
「おまえがヘルムダールの片田舎、地方の男爵家の娘で、その父親は隣の領主の愛人となりおまえと母親を捨てた。これもほんとうのことだったな」
残酷な言葉は、口にしたセスラン自身をも傷つける。
他人の一番の痛点を刺激する自分が、とてもひどい人間に思えるからだ。
けれど言わねばなるまいと思った。
エリーヌにこれ以上は言うなと知らせるには、こうするしかない。
「ひ……どい」
みるみる間に大きな瞳に涙がたまる。
白い両手が口元を覆い、しゃくりあげそうな声を隠す。
「どうした? ほんとうのことなら、かまわないのではなかったか?」
こうまでしなければわからないのは誰だ。
好きこのんで、誰がこんなことをするものか。
「もう私にかまうな。心の内に入られるのは愉快ではない」
できればここまで言いたくはなかった。
だが言わねばこの先まだまだ続くだろう。
白虎の血が入っているとか、半分だけ竜だとか。
本当のことだが、あらためて他人から指摘されたくはない。
もうこれで話は終わりだと、セスランは席を立った。
「逃げても変わらないんですよ? いつかセスラン様は、はっきり要らないって言われます。だって今日、パウラは誰と一緒にいるんですか? セスラン様を誘いませんでしたよね?」
低い冷たい声が、セスランの背を追いかけてくる。
これは本当にエリーヌの声か。
背中に冷気が伝わり、ぞくりとする。
「わたし、なぁんにもしていないのに。おとうさんにおいて行かれました。まわりのみんなは、おとうさんがいておかあさんがいて。どうしてみんなが持っているものを、わたしだけ持てないのって、いつもいつも思ってました。そういうのって、パウラには絶対にわからない。セスラン様、そう思いませんか?」
これまで聞いた安っぽい慰めの言葉とは違う。
エリーヌの悲しみと恨みと怒りに満ちた言葉は、やけにセスランの胸にしみた。
「生まれた時に背負ってるものって、わたしのせいでもセスラン様のせいでもないじゃないですか。でもそのせいで、嫌な目にあうんですよ? そんなのおかしい。ぜったいにおかしいんです。でもわたし、パウラみたいに何もかも持っている人にセスラン様が惹かれる気持ちわかるから……。わかるから、だめだよって言ってあげたくて」
初めてこの少女に、心からの微笑を向けた。
「礼を言わねばならぬな。おまえの気遣い、嬉しく思う」
えへへと笑った彼女の顔は、いつもより自然で愛らしい。
いつもこのようであれば良いのにと思ったが、素直になれない歪みも理解できた。
「あー良かった。これでセスラン様、もうわたしのこと邪険にしませんよね? わたし、セスラン様のこと、とーっても好きなんです」
今度はストレート過ぎる。
意地悪には免疫のあるセスランだが、こういう素直な告白には不慣れで動揺してしまう。
「そういうことを、簡単に口にするものではない。おまえは聖女候補だ」
なんとか体面をとりつくろって、それらしいことを返す。
するとエリーヌはふふんと鼻先で笑った。
「あんなの、本気でなりたいと思うわけないでしょ。ホントの奥さんはちゃんといるんだもの。お妾さんになって、奥さんの仕事を引き受けるんでしょ? 誰がなりたいもんですか。 わたしはぁ、セスラン様のお嫁さんになりたいの!」
いつにもましてなれなれしい口調だ。
だが言っていることは正しい。
聖使の誰一人、パウラを聖女にと心から願う者はいない。
竜にとっての唯一の重みを、誰よりもよく知っている四人だ。
黄金竜が竜后を唯一に選んだ以上、側室である聖女、竜妃にその愛情が向けられることはない。
パウラは美しい少女だ。
勤勉で誇り高く、不器用でかわいらしい。
それを飼殺すのか。
それなら自分に寄こせ。
四人の聖使は皆思っているはずだ。
少なくともセスランはそう思っている。
けれどパウラは、ヘルムダールの公女として生まれた自分の務めだと、聖女選抜試験を手を抜くことなくこなしている。
かたやライバルであるはずのエリーヌは、早々に「冗談ではない」と別の道を選ぼうとしているというのに。
(生まれながらに決められた理不尽か……)
ヘルムダールに生まれさえしなければと、パウラは思わないのだろうか。
恐れや怒り、それに恨み、そんな生々しく醜い感情を、彼女も持っているのでは。
そう思うだけで、神を人へ堕とすような罪深い喜びがあった。
持っていてくれれば良い。
そう思うそばから、そう願う自分の浅ましさが嫌になる。
自分がもしアルヴィドであれば、こんな浅ましい思いは抱かなかっただろうか。
半竜の身が、心まで卑屈にしたか。
白虎の血を恥じたのではないと思いたかった。
白虎の血は、母から受け継いだものだから。
けれど白虎の血を継いだなら、完全なる白虎でありたかった。
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